月光のラナンキュラス
Act.0 歌姫と御伽話
好奇心に従って旅立つ代償はただ一つ。
――それは記憶。
全てを捨てて旅立つ勇気はありますか?
一つの小さな島に囚われていた神は全てを承知で逃げ出した。記憶も人格も人生も全てを新しくして一歩を踏み出すのは真っ暗な道を感覚を頼りに歩き出すのと同じこと。
神は人としてその一歩を歩き始めたのはずっとずっと昔のことだった。
中編・外伝小説
神と人
歌を奏で、舞を踊る。
その行為は古来より神聖な儀式、また娯楽などで愛されてきた。その魅力には魔力を宿すという噂が立つほど心を奪うものとされている。
指先を天に向ければ光輝く雨が舞い踊り、地面をすくうように手を動かせば簡単に舞台が出来上がる。もうその場所は彼女一人の独壇場。誰にも侵すことのできない聖域。艶やかな黒髪を靡かせて瞳を伏せる女性は余りにも魅力的で人々の視線を釘付けにしていた。
「あれが噂の歌姫ですか、母上」
「あら、リカルド。稽古だったのではなくて?」
興味本位です、と言って椅子に腰掛けた。さもつまらなさそうに頬杖をつきながらぼんやりと眺めてはいたが、本当は囁きあう声さえ鬱陶しい。
興味本位と言ったのは勿論、嘘だ。稽古場まで聴こえてきた物悲しい歌声に惹かれて来ただけ。
「本当に美しい声……王宮に置いておきたいくらいだわ」
感嘆の息を漏らす母の姿は珍しい。いつも品の良さを語る母としては完璧な姿なのだろう。彼はそんな母の姿を見て苦笑した。
ここはセーヴェリング王国と呼ばれる大陸の右半分を支配する王国。幾世紀を越えて後にレイヴァス王国と名を変える国である。
今ここでは白百合に囲まれた巨大な庭を借りて旅芸人達が舞台を披露している。文化や芸能を強く推奨するこの国では年に何度か旅芸人一座の公演が王宮で行わており、何とかして目を付けて貰おうと各々自慢の芸を繰り出す。
「やはりあの子を見てからだと、しっくり来ないわ」
「ははは、簡単に決められない母上にしては即決ですね」
バルコニーに設けられた席から見下ろす二人はやはりもう他には目が入らないのだろう。女性は弄んでいた扇をぱちりと閉じると控えていた女官に何かを囁く。
一礼して去っていくその姿を眺めながら彼はにやりと笑みを浮かべた。
「これ以上御抱えは出来ないと父上が仰いましたが?」
「あの人が後宮を何とかするまでは何もしないわよ。……だって王妃はこの私ですもの」
そう言って扇を開く母は確かに美しい。慈愛に満ちた優しい蒼の瞳は青玉の様。滑らかな陶磁器の肌も成人を迎えようとしている息子がいるとは思えない。
だが、彼女は目の前にいるリカルドを産んだ時、決して教育や世話を女官に投げっぱなしにはしなかった。市井の母がするように料理もしたし、むずかる彼を一晩中宥めていたこともあった。そうして立派な王子を育てあげた彼女には揺るがない自信がある、他の王に仕える女達を隔てる誇りが。
「お連れ致しました」
「有難う、下がりなさい」
入れ替わるように入ってきた女性は意外にも小柄で見慣れない王宮におどおどしている。年頃で言えば十七、八だろうか。
精一杯着飾った紫紺のドレスの裾を摘まんで深く頭を垂れる。
「お、王妃様……御機嫌麗しゅう」
余りにも辿々しい赤子のような声にくすくすと笑えば窓に寄り掛かるリカルドを真正面から睨み付ける。だが、目が合うと顔を赤らめて下を向いてしまった。
「今日から貴方は王宮に住みなさい。衣食住は全て私が保証いたします」
「え……ええええ!!」
驚いて酷く狼狽する彼女は半狂乱になって瞬きを繰り返す。まさか本当に王宮に呼ばれるとは考えていなかったのだろう。だがそんな様子は見慣れたとでも言うように母――王后は淑やかに、着実に話しを進める。
「部屋は女官が案内します。落ち着くまでこのリカルドと話をしていなさい、そうしたら幾分落ち着くでしょう」
そう言って視線を向ける母親に彼は肩を竦める。
しずしずと何事も無かったかの様に部屋を出ていった母に置いていかれて彼は一人溜め息を吐いた。
「全く何で俺が……」
うっすらと涙を浮かべて困り果てる少女の姿にリカルドは首を傾げた。普通の旅芸人ならば手を打って喜ぶ筈なのに何故困るのだろうか。
「君、名前は?」
「アルデシアです……19歳の乙女座です。好きな食べ物は干し肉、嫌いな食べ物はジャム」
がっくりと肩を落として聞いていないことまで話し始めるアルデシアに彼は大笑いした。宮廷には変わり者が多いが彼女もまたその一人らしい。
「へぇ、同い年か。俺はリカルド……好きな物とか言った方がいいか?」
「遠慮しときます」
さらっと言われて顔を背けられるとかなり傷付く。況してや半分絶望的な顔をされると更に傷付く。
「辞退って出来ないんですか?その……」
「王宮に住むの?」
こくりと頷くアルデシアに眉を寄せる。確かに出来ない事もないがそれは母親である王后から彼女が嫌われなければならない。そうすると色々と問題があるのだが――。
「一応、理由を聞かせてくれないか」
問えばそっと目を伏せた。壇上で伏せたときと同じものが目の前にある。手を伸ばせば直ぐ届くそれに思わず彼は内心自分に呆れた。
そんな考えを余所にアルデシアは迷った挙げ句漸く語り始める。
「私小さい頃から今までの記憶が無いんです。一年前に旅をしている彼等に拾って貰ってからの記憶しか覚えていない……だから今、自分探しの旅、してます」
「……大変だったね」
「私は良いの。だけど忘れてしまった人の事が可哀想で」
奇妙な考え方を持つアルデシアにくすりと笑う。確かに感性が人と違くなければあの様な美しい歌を歌うことは出来なかっただろう。このまま失ってしまうのは余りにも惜しいと思った。
既に興味のない振りなど出来ない。
「一応、母上にも俺から相談してみよう。だが、答えは良くないかもしれない」
「有難う御座います! 感謝じゃ足りないくらいです!」
漸く笑顔を見せた少女は生き生きと輝いて見える。まるで妹のようなその少女に人らしさというものを見た気がした。
「まぁ、良い。部屋に案内しよう、女官だとまた緊張してしまうだろう?」
そって手を差し出せば小さな手が乗っかった。
長い長い廊下を高いヒールで歩くのは慣れていないのだろう、だんだんぎこちなく歩くアルデシアに合わせて歩幅を小さくしていくリカルドに彼女は小さくごめんなさい、と呟いた。
「リカルドじゃん。その隣は誰?」
つかつかと歩み寄ってきたのは紫の猫眼の女性。真紅のドレスをその身に纏い、歩み寄る姿は美しい。その気品あふれる仕草に直ぐに挨拶をしようとするアルデシアを制してリカルドは彼女に笑いかけた。
「俺の未来の嫁候補だ、フィーリ」
その言葉に顔を真っ赤にして反論しようとするが突き出された顔に思わず言葉も飲み込んでしまった。
「顔良し、身長良し……まぁ、あたしにギリギリ対抗できるんじゃなーい?」
ま、頑張ってと手を振るフィーリに度肝を抜かれたような顔をするアルデシアに苦笑して、ゆっくりと歩き出した。
「今のは?」
「島国、クラルヴァイン王国のフィーリ王女だ。俺の未来の嫁に一番最初に立候補したんだ。迫られたら色んな意味で堪らん」
そう言って笑う彼に良く神経が持つものだと染々思う。
でもどうして彼は会ったばかりの自分を嫁だ等と軽々しく口にしたのだろう。王族となれば希少な血統の持ち主。自分のような正体も分からぬ娘が務まる筈もないのに。
そう思いながら彼女はただひたすら彼について歩いていた。
+++++++++
「ねぇねぇー、レイ見た?」
「何を」
ぶっきらぼうに視線を向ける女性につれないな、と頬を膨らませるのはフィーリ。手を休めること無く本棚に向かい合っては本を取る女性――レイは然程興味を示すこと無く黙々と目的をこなしていく。
「新しく来た子の事! 王子の専属教師なら知ってるでしょー?」
「私は既に王子に全てを教えた。今は一介の学者の身……何故お前はそうこだわるのだ、たかが少女に」
軽く背伸びをして本を捕えると慣れた手付きで頁を捲っていく。その姿に苛立ちを覚えたのかフィーリはレイの前に回り込むと本を取り上げた。
「きゃっ! な、何をする!」
「あの子……一緒なんだよ。あたし達と」
珍しく真剣に輝く紫の猫眼に思わず息を飲むがレイの視線は世話しなく始終周りに向けられていた。
「こんな場所で話す内容では無い」
「じゃあ、何処なら話す気になる? あたしが何回も足を運んでるのはその事を話したいからなんだよ!?」
思わず声を荒立てるフィーリから本を奪うと勢いを付けて顔に叩き付ける。その衝撃で吹っ飛んだ彼女の顔は呆然としていた。
「なんと、王女様に社会学を御指導出来るなんて……是非とも今宵の晩、御部屋に参りましょう」
青碧の瞳を嬉しそうに細めるレイに反論しようとしたが彼女の後ろに何事かと様子を伺う人々に流石に口を接ぐんだ。
レイは自分が異端な存在であることを知っている。学者としても、人間としても。面白おかしく様子を窺う連中に弱味を握らせない為の演技だと分かった時、漸くフィーリ自身が立つ立場も分かったような気がした。
「だからって殴ることないじゃん!」
月が天を支配した頃に響いた怒号。深夜に近くなって漸く顔を出したレイに嫌みでも何でも言わないことには気が済まない。
「悪かった。……だから持ってきただろう、菓子を」
「あたくしの高貴なお顔に傷を付けたんだからね!!」
「顔に高貴も糞もあるか」
「なーんですってぇええ! もう一回言ってみなさい、減らず口を縫いつけてやる!!」
段々と口論になりつつある二人をそっと止めたのはずっと黙っていた金糸の淑やかな女性。お盆に乗ったカップを落とさぬよう、ゆっくりと降ろすとにこやかに微笑んだ。
「紅茶をどうぞ」
「済まない、ローレン」
構いませんよ、と笑う彼女は宮中に上がったばかりのレイを世話してきた馴染みの顔である。二人よりも年上の彼女は直ぐ喧嘩に発展する二人を見守る母親のような存在であり、彼女もまた――。
「興味が有りましたのでレイ様とご一緒させていただいたのですから」
「うん……そうだね。でもリアは良いの?」
そう問うフィーリにレイはそっと顔を背けた。リアはレイの姉であり、彼女もまた異端な存在であるのだが。
「姉さんはほっといても自分で生きていける。話、するのだろう?」
先を促したレイにフィーリは頷いた。異端な存在である自分達を知ったのは今から一年前。
ある者は何故その場所にいたのか、どうやって生きてきたのかも分からずに気が付いたら其処に立っていた。まるで空から降ってきたように自覚した自分の存在。またある者はある日突然あり得ない力に目覚めてしまう。だが、前者とは違ってそれまでの生活の記憶や自分の立場を自覚している。
「今の所はそれだけだね。あたしは朝起きたら能力がありましたって感じだったし」
ぽつりと呟くフィーリは最も幸運に恵まれていたのだと彼女自身自覚をしている。元々セーヴェリング王国と政略結婚をするために度々訪れていたフィーリが直ぐ様レイとローレンを見つけ出したのだから。これだけは降って湧いた者よりも有利に働いたらしい。
「恐らく、アルデシアと呼ばれる子も一緒なのでは、というその確信は何処からなのです?」
「いや……その何と無く?」
勘だよ、と答えるフィーリに苦笑したローレンはずっと押し黙ったままのレイに視線を向けた。
「これを見ろ、機会が無くて最近まで見なかったんだが……」
広げられた薄い本には見覚えがある。
「何よ、コレ。子供が読むお伽噺じゃん」
「いえ、待ってください」
呆れたように肩を竦めるフィーリを制してローレンはその書かれている文字に目を凝らした。
大きく描かれた子ども向けの絵は見慣れた大陸地図の他にもう一つ大陸を示しているがそれは現在確認されている大陸には無い。
「あぁ、そうだ。“沈んだ国のおとぎ話”だ」
「島を出れば楽しいことを忘れてしまいます。だから行ってはいけません……」
「だけど神様達は出ていく、そうして冒険が始まる物語だ。何か共通点があるだろう?」
手際よく頁を捲っていくローレンと共に文字を追っていく。小さな頃に読んだ覚えがあったがこうして見てみると絵本というのは暗示する要素が多すぎるのが難点だとつくづく思う。
「神様は全ての記憶を無くしました。だから何なのよ」
「これが示す教訓は『自由を得るには代償がある』ということ。それは痛感しているだろう、お姫サマ?」
その言葉に思わず瞳を伏せる。この力が備わってから外に出るたびに警護と称した監視役がぴたりと張り付く。今はレイによる社会学教授ということもあって今はいないが彼女の父王はかなり彼女のことを不審に思っているのだろう。
「ですが……記憶のあるフィーリ様はこの条件に当てはまりません」
「鋭いな、ローレン」
ありがとうございます、と微笑む金糸の女性は赤い瞳を優しく細める。
その時、城内に響き渡る警鐘。はっと顔を上げる二人にフィーリは戸惑う。何回もこの城に泊まったことはあるがこの様な鐘の音など聞いたことが無い。慌てて窓に駆け寄る二人に咄嗟に叫ぶ。
「行っちゃ駄目!!」
「え……きゃああああ!!」
爆発と共に窓硝子が四方に砕けて飛び散る。咄嗟に床には伏せたものの細かな破片が白く柔らかな皮膚を切り裂いた。ぽたぽたと流れる鮮血に思わず眼を見張る。学者として働いていた彼女たちには血生臭いものには慣れていない。そんな彼女たちにフィーリは慌てて駆け寄ると直ぐさま両手を組んで祈りを捧げる。
淡く輝きだした両手は優しい紫。彼女はそれをそっと見つめると優しく二人の傷口に手を翳した。
「祈祷魔術か。すまない」
「いいの、あたしの予知が間に合わなかっただけ……でも一体何が起きたっていうの」
漸く起きあがったローレンは紅の瞳を恐る恐る外へと向ける。紫紺の色を宿していた空は炎の所為で赤く染まっている。恐らく冷戦状態が続いていた隣国ブルクナー王国からの兵士の仕業だろうか。
城下を走る自国の兵にに彼女はふと息を吐いたのも束の間、直ぐさま騎士達が部屋に流れ込んでくる。その中には白銀の鎧を纏った王子、リカルドの姿があった。
「フィーリ! ……よかった、レイもローレンも一緒だったか」
膝を付き、頭を垂れる二人の姿に彼はそっと首を振って顔を上げるように促す。顔を上げた懐かしい青碧の瞳に彼は思わず萌葱の瞳を細めた。
「殿下……もしやこの爆発は」
「お前の予想通りだ」
簡潔に言ってのけた彼の背中には緑の宝玉を飾りに添えた大剣がある。もう既に戦いの火蓋は切られているようだ。レイはすっと立ち上がるとフィーリの肩にそっと手を添えた。
「では、王女を……」
「待ってよ! 私達は同盟国よ、お父様に頼めば援軍を送って下さるかも!」
自分の立場は十分に把握しているつもりだ。例え、政略結婚だとしても父王はこの国を重要視している。自分が進言すればなんとしても兵を出してくれるはず。だけどもレイとリカルドは余りいい顔をしなかった。
「これは東のブルグナーと西のセーヴェリングの問題だ。北のクラルヴァインである君を巻き込む訳にはいかない。例え、俺が君に援軍を頼んだとしても実権と権力の及ばない範囲だ、国王に干渉する事は出来ない」
その言葉にぐっと息を呑む。彼の言うことは正しい。実際に政権に関わることが出来るのは儀式を行ってから。まだ健在である国王を押し退けてまでやらなければならないことではない。
彼女の悲痛な表情にリカルドは彼女の肩に頭を置くと彼女だけに聞こえる声でそっと囁いた。
「ここにいる間は俺が責任を持ってお前を守る」
その言葉にフィーリは思わず口元に笑みを浮かべる。
この人は本当にずるい。王妃によって宮中に召し上げられた女性達の多くは彼の配偶者候補。同じような言葉を幾度も囁いているだろう彼に心を奪われそうになった自分への戒めの笑顔。
「やめて、あたしは自分の身くらい自分で守れる」
騎士と同じように駆け込んできた自国から来ている監視役に手を差し出せばボウガンが手渡された。
いつも使い慣れているそれは掌にしっくりと収まる。これさえあれば自分だって戦うことは可能だ。
部屋を出ようと歩き出すが何かを思い付いて足を止める。
「あの……アルデシアという子さ」
振り返って困惑する萌葱の瞳を見据える。その瞳を通じて流れ込んでくる感情、彼女の備わった能力は予知と癒し。
「絶対に離しちゃ駄目。分かったわね、リカルド」
「あ……、あぁ」
彼の了承を確に見るとフィーリはレイに港まで護衛をするように言いつけ、部屋を出た。その様子にローレンは紅の瞳を伏せる。
恐らくフィーリは先程彼の瞳をみた瞬間に流れ込んできた感情に未来を見たのだろう。フィーリの言うことはいつだって正しかったのをローレンは知っている。
「ローレン、行くぞ。フィーリはレイがいる、俺達は今すぐに体勢を建て直す会議を行う、レイの補佐なら役に立てるな?」
「はい、勿論です」
それなら良いと呟いたリカルドは直ぐに騎士達に城内に不法侵入者がいないかどうか捜索せよ、との命令を下す。先に部屋を出たリカルドを一瞥するとローレンは割れた硝子の破片を見つめる。
「《硝子よ、時空の秩序に戻りなさい》」
そう言ってかざされた手から閃光がほとばしる。眩い光に目を細めてしのぐと窓硝子はもと通りに収まっていた。彼女は硝子に触れて何処も割れていない事を確認するとリカルドを追い掛けた。
+++++++++
彼の姿を見て直ぐに膝を弩を片手にひたすら突き進む王女を小走りで追い掛ける。時折現れる隣国ブルクナーの兵士に対峙する前に決まってフィーリによって決着がつく。互いに何も言わぬまま幾度目かの戦闘を終えたときだった。
「待て、フィーリ」
漸く足を休めた彼女にレイは駆け寄って息を整える。何度か息を吸い込んで兎に角、気を落ち着けようとした。
そんなレイには時間が必要だと見極めたフィーリは傍らに佇む監視役兼任騎士に先に行くように命じる。渋々ながらも承諾した騎士の背中を一瞥すると彼女はレイを壁際に寄りかからせた。
「ごめん、貴方に体力無いの忘れてた」
「それは良い、私の体質をどうこう言っても仕方がない。それより……何故殿下にあのような事を」
問われても理由はただ一つしか返せない。
「視えたから」
そう呟いたフィーリは視線を反らす。本来、予知は突発的に感じるか、予知を願うかによって発動する。その見るものによって見え方は異なるが幾度も予知を目にしてきたレイにはあれが突発的とは考えられなかった。
「言うわよ、そんな怖い顔しないで……。ただ、未来のあの人の隣にいたのはあたしじゃなかった、それだけ」
「それでアルデシアが出てきたんだな?」
こくりと頷くのは肯定の意。目に焼き付けて離れやしないその光景、だけどその先の結末に彼女は敢えて口に出さなかった。
「ゆっくり行きましょ。まだ此処を離れたくないから」
「あぁ」
燃え盛る街並み、轟く悲鳴。哀れなまでに逃げ惑う人々は何処へ行けば良いのだろう。兵士達が何とかして混乱を治めようと躍起になっている様子が伺える。
船まで辿り着いた時、漸く二人の顔に安堵の表情が浮かんだ。
「クラルヴァインまでは一週間あれば着く筈だ。取り敢えず城に戻ったら連絡がほしい、いいな?」
「ごめんなさいね、王女サマ。そうはさせないわ」
夜闇に響く鈴のような音色を持つ声。町を彩る赤を受け付ける事無い深緑の瞳が浮かび上がる。炎を煽る風に揺られて焦茶の髪がなびいた。
「え、……リア!?」
闇に溶けこむ女性の名を叫ぶフィーリにはその姿が見えていた。妖しく弧を描く口元は紅く染まっていて美しい。隣に佇むレイはあらぬ方向を見回している。
「貴方なら見えて当然よね。でも私の妹には見えない、なんて言ったって私達は対極の存在だから」
「姉さん……」
声が響く方角を捉えれば、月光に照らされた自分の姉の姿。だが、その表情は見た事も無いほど冷徹。風に煽られて拐われる服は見た事もない衣装だ。以前とは違う違和感に思わず身構える。
「私は私なりの正しい答えをだしたの、レイ。貴方なら分かってくれるでしょう?」
妖艶に歩み寄るリアはにやりと笑うと片手を天にかざした。轟音と共に燃え上がる炎は船一体を包みこむ。それと同じ様にレイも何故か悲鳴を上げて地面に倒れふす。何がなんだか分からないフィーリはレイを抱き起こそうとするが暴れまわる所為でうまく行かない。苛立ちを感じながら彼女は叫んだ。
「止めて、貴方があたしを帰さないって言うならいいわ! ここにいる!」
「あら、珍しく物分かりが良いんじゃなくて? じゃじゃ馬フィーリ。でも貴方は知らないようね、私とレイの力関係」
リアとレイの関係は姉妹であり、同じ能力者である事しか把握はしていない。その二人に力関係があるのは初耳だ。
「私達の力は精霊を使役する力と共感する力。相反する力は同時には使えない、この原理は分かるわね? でも私達は互いの力が強すぎるために魔術の副作用としてもう一方に被害がいく特殊なものなの」
「分からないわ、レイが術を使ったって貴方は倒れもしなかったじゃない! この目で確かに見た」
初めて顔を会わせた時にレイはこの様な反応を見せなかったというのに何故今になって。
「答えを教えてあげましょうか。……それはね――」
「いつまで遊んでいるんだい?」
ふわりと舞い降りてきたのは紫紺の珍しい髪色を持つ中性的な人。男かも、女かも分からないその人は血を思わせる猩々緋に輝く瞳を細めると二人を見つめて微笑んだ。
「懐かしい二人がいるねぇ。この国に固まって現れたみたいだ」
「貴方も余計なことを言ってないで早く行くわよ、ジークフリード」
空を見上げるようにその人――ジークフリードを睨みつけると早々に撤退を促す。闇に溶けるように消えた二人の姿、それを合図にするようにレイは漸く身を起こした。
「リア……」
「相反する力――一体どうやって副作用から免れていたのよ」
姉の名を呼んで俯く彼女にフィーリは容赦なく問い掛けた。
「薄々分かっているだろう。答えは私の体力、それ以上言う気は無い」
大きく息を吐いて少し手を動かしてみるが何処にも異常は感じない。
燃え尽きた船は次第に沈んでいく。中に乗っていた乗組員や監視役の騎士の生死は絶望的だろう、あのような業火で生き残れるのが珍しい。フィーリは少しもの悲しそうに沈み行く船の様子を見つめていた。
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