月光のラナンキュラス
Act.1 智謀の将
――私は私なりの正しい答えをだしたの。
それがこれだと言うのか。青碧の瞳は燃え盛る炎を映して問いかける。答えがフィーリをクラルヴァインに帰さない事だと言うのならそれにどんな意味があるのか分からない。
「レイ様、フィーリ王女! 何処におられますか!?」
港を疾走する二人の男女の幼子。良く似た顔立ちの二人は同じ蒼の瞳を持っており、風になびく銀髪は珍しい。それもその筈、彼等は双子であり高級文官の子どもである。時折、王宮に訪れては他者との繋がりを築いているようだが二人はまだまだ遊びたい盛りの子ども、大人を遊びの相手にしてはよく怒られているようだった。
「二人とも、あたし達は此処よ!」
直ぐ様反応を示した二人は目的の人物を視界に入れると嬉しそうに笑顔を浮かべる。全速力で道を駆け抜ける二人は得意気に大人たちを見上げていた。
「ご無事だったんですね! 城は皆大慌てで大変だったんです」
「でもリカルド王子様に直ぐ二人を呼ぶ様に言われましたの」
ほっと安堵した様な表情を見せるのは兄のジェレマイア、少し恥ずかしそうにレイの陰に隠れながらはにかむ少女は妹のイシュメル。日が沈んでからの時間でも子どもたちは元気が良い、フィーリは二人の頭を思いきり撫でると視線を合わせて顔一杯の笑顔を見せる。
「ありがとう、あたし達も戻るから一緒に行こっか」
素直に頷くジェレマイアを置いてイシュメルはただ真っ直ぐレイを見つめる。そのあどけない視線に彼女は首を傾げた。
「どうかしたか」
少し戸惑ったように語りかけるものの彼女は何も言わない。ただ、両腕を彼女に向かって突きだした。恐らく、運んでくれと言うことだろうか。子どもは時と場所を選ばずに我が儘を言う。レイは呆れたように少女に問いかけた。
「イシュメル、……お前はいくつだ?」
「十歳ですの」
やはりこのくらいの子どもはまだまだ甘えたいのだろうか。幼い頃の記憶が無いレイには想像や比較することが出来ない。ただ、困惑の表情を浮かべる彼女だったが力強くイシュメルを抱き上げると両手でしっかりと抱き締めた。
(――私にもまだ子どもを抱く力があるのか)
魔術を使うたびに失われていく力。それを毎日感じながら、常に死を感じていた。だけども暖かな子どもは疲れきった彼女の体をも暖めてくれるほど優しいもの。直に伝わってくる鼓動を掌に感じる。
「ジェレマイアも抱っこしてあげようか?」
「わ、私は遠慮しておきます! 緊急時に不謹慎です」
「あら、そう……上着を持ってきてないから寒いのよね」
確かに真紅のドレスは肩を大きく晒しており、片手には不釣り合いなボウガンが握られている。闇夜の月に照らされる肌は寒空の寒気に当たっているせいか、青白い。
「……せんよ」
「ん? どうしたの」
微かに聞こえてきた言葉は容易に見当がつくけれどもやはり、本人の言葉をそのまま聞く方が楽しい。
その意を汲み取ったのか少年はきっとフィーリを睨み上げた。
「ならば、防寒具がわりに使ってくださって構いません!」
「あっりがとー! じゃ、お言葉に甘えて……あぁ、幸せ」
瞬く間に片手で抱き上げられたジェレマイアは少し複雑そうな顔をしているが無理もない、この年の少年は様々な思いを抱いて毎日を過ごしていると言うのに、十代後半の女性に可愛いと言われるのは複雑だろう。
(よく軽々と持ち上げられるな……)
(フィーリ様は力持ちですの)
ぽつりと呟いた言葉にイシュメルが笑って答える。
紅の炎が収まり黒煙を上げる中、四人は荒廃した城下をその目に焼き付け、城へと急いだのだった。
+++++++++
「城下に入り込んだのなら好都合。そのまま袋の鼠にしてしまうのがよろしいかと」
「おまちくださいませ、アイリーン軍師。それでは貴方は民の住む場所で戦闘を行うと仰るのですか?」
「私は現実的に策を述べているまで、貴方には他に策が思い付くのですか、レイ殿の助手」
「ローレン、ですわ」
やたらと人を小馬鹿にしてくるこの女軍師は気に入らない。普段は温厚で人当たりのよいローレンでも流石に酌に触る。ただ、国王の御前でそれをさらけ出す訳にはいかない、我慢する理由はただそれだけだ。
「さぁ、貴方の考えをお聞かせください」
隣に佇んでいるリカルドは常に自分の味方だと分かっている。レイの考え方に賛同して自ら師弟関係を申し出た彼ならば恐らく同じことを考えている筈。彼女は大きく息を吐くと緊張を解し、口を開いた。
「私ならば、兵士達を使って城下外に押し出します。戦闘は民の生活内ではやってはいけません。後々、それを理由にして国を訴えるでしょう。信頼関係が無くなれば国は直ぐにでも傾きます」
「それでは実質的な殲滅が成り立たぬ! 現実を見よ、と申しているのです!」
気迫で半ば脅すように詰め寄るアイリーンにその場にいた臣下はざわめく。恐らく、隣国ブルクナーの侵攻を阻止できなかった苛立ちを力の無いローレンにぶつけているように見えたからだろう。ここまで来れば多数決となった時の強みとなる。あとは、必要な人物が来てくれれば良い。
「大丈夫だ、あいつ等なら必ず見つけてくれる。今は耐えるんだ」
はい、と呟いてアイリーンの紫暗の瞳を真っ直ぐ見据える。動揺で微かに揺れる瞳は苛立ちにうごめく。張り付いた金糸は同じものであるのにどうしてここまで違ってしまうのだろう。ローレンは紅の瞳を細めた。
「現実を見ていないのはお前だ、アイリーン」
凛と言い放たれた言葉にほっと安堵の表情を見せるローレンは声の主に向かって漸く穏やかな笑みを浮かべる。
扉近くで待機する銀髪の二人の子どもとフィーリ。彼等は国の政策に関与する事は許されない為、扉を越えることはできない。ただ、黙ってレイを見つめるその視線は緊張していた。
「民との信頼関係はブルクナー王国兵を共に排除しようという思想に繋がる。それを突き崩そうとするお前こそ愚か者だ」
「貴様……! 言わせておけば!」
歯を食いしばるアイリーンはその小綺麗な顔を大きく歪ませると苛立ったように彼女を睨み付けるとレイと入れ替わるようにその場から立ち去った。恐らくこれ以上侮辱される事は耐え難いと思ったからだろう。子ども達とフィーリの間を擦り抜けて去りゆく彼女の後ろ姿は少し寂しそうに見えた。
「レイ・ブルクミュラー、お前の考えを聞かせてはくれまいか」
「喜んで、陛下。先程述べましたように今の民との信頼関係を利用する事が出来れば、民のこの国を思う気持ちが敵を排除することに繋がるでしょう」
「ならば俺達はどうすれば良いんだ」
理論上はそうなるとしても実際に此方からの働きかけはレイの言う信頼関係にも繋がる。それの崩壊を懸念したリカルドが眉を潜めて問いかける。だが彼女は大して考える素振りも見せずに簡単に結論を言いはなった。
「答えは至極簡単です。――何もしないのです」
「私達はその間に対ブルクナー戦線を築くのですわ」
ローレンが後を引き継げばレイは満足したように頷いて見せる。
つまり、二人の考えは国内に潜伏する兵士達を民が排除しようと躍起になる間に此方は更に攻撃を仕掛けて来るであろうブルクナー王国に対して防衛線を張る事が出来るという寸法だろう。なんとも策略的な戦法だ。
「直ちに騎士団出撃準備、各部隊長は報告を上げさせよ!」
その場に出席している騎士団長に命令を下すリカルドも腰元にある剣を握りしめる。あちらから仕掛けられたのだから両軍がぶつかる事は避けられない。それならば勝つしか生き残る道は無い。
解散、の言葉に皆が一斉にやるべき事に手を付ける。そんな国の重鎮達を前にフィーリは俯いた。何も出来ずに国に帰る事も出来ない自分が余りにも無力で情けなかった。そんな彼女にジェレマイアとイシュメルはそっと手を差し出す。
「行きましょう、フィーリ様。私達にもやらなければならないことがあります」
「やらなければならない事って……?」
何も言わずに彼女の手を引く二人の子ども達に連れられながら城内を駆け抜ける。一体自分に何をさせようと言うのかこの二人に戸惑いながらも素直に促されるまま従った。
「此方です」
「まって、ジェレマイア。此処は……」
目の前に立ちはだかる扉は客人としては入ってはならない個人の部屋。特に王妃が良く出入りする部屋だと聞いているがその役割は知らない。
「大丈夫ですの、許可は頂いてきましたの」
「じゃあ、入る前に聞かせて頂戴。此処はなんの部屋なの?」
「王后様の趣味で芸能に秀でた方々が暮らしている大部屋です。今は大多数が城下に戻りましたが、たった一人だけ帰るところの無い方がおられます」
もしかして、と呟いたフィーリは二人が取っ手に手を掛ける前に扉を大きく開け放った。大きく広い部屋にただ一人残された少女。漆黒の髪は緩くうねって大人っぽく見せているものの実際は自分と同じくらいの年齢では無いだろうか。フィーリの扉を開ける音で此方に視線を向けた漆黒の少女――アルデシアは彼女の顔を見た瞬間、緊張の余り顔を強ばらせた。
「フィーリ様、ご、ご機嫌麗しゅう」
「そんな悠長なこと言ってる場合じゃ無いでしょ! あたしに着いてきて、貴方が何者か知りたければね」
呆気とした表情を浮かべるアルデシアは直ぐに我に返ると強く頷く。フィーリは子ども達に向き直るとしゃがみ込んで二人の頭を無造作に撫で回した。
「此処は危険になるわ。家に戻りなさい」
「ですが……!」
反論しようとするジェレマイアの唇に人差し指を当てて、それ以上は言わないで、と微笑むフィーリに二人は何も言う事が出来ない。それでも尚、退こうとしない彼をイシュメルが宥めるように手を引いた。
「私達はまだ無力な子どもですの、でも頼って欲しい時だってありますの」
子どもだからって守られるだけでは嫌、自分にしかできない事があると信じられるからこそ自分に自信が持てるし助けたいと思える。彼女が言いたいのは子どもだからと言って侮らないで欲しいと言ったところだろうか。
「ありがとう」
今言える最高の言葉はその一言。幼い二人にはまだそれがどれだけ大切な言葉かどうか分からないかもしれない。いつか、大人になった時その言葉を沢山の人に贈れるように、と祈りながらフィーリは二人に背を向けたのだった。
「お待ちください、フィーリ様! 私は一体どうすれば……!」
早足で廊下を疾走する彼女を必死に追い掛けながら問うアルデシア。だが、今出来る事はただ一つ。フィーリは足を止めるとすっと窓からある一点を指差した。
「今はブルグナーと交戦状態に突入しようとしてる。あたしの勘……いえ、予知では貴方も力を持っている、そうでしょう? あたしはこの国の友人達を助けたいの、力を貸して!」
彼女の指先に示されたのは闇に存在を強調するように灯された幾千の松明。それはもう直ぐに迫っていた。――もう時間はない。
「わかりました」
見下ろせばセーヴェリング王国騎士団が城の防衛に走り回っている。その中で一際目立つ白銀の騎士が一人、静かに敵陣を見つめている。その緑眼は闘志に燃えて、背に担いだ大剣は月光に瞬く。
「《我が旋律、力となれ、勇気となれ》」
忘れてしまったかもしれない大切な人は何処にいるのだろう。だけども今、この場所で自分を真っ直ぐ見てくれた人に捧げたいと思った。
アルデシアは喉元にそっと手を置くとゆっくりと音色を紡ぎはじめる。頼りない細い声は次第に強くなり、伏せていた瞳は天空を仰いだ。
+++++++++
「この歌は何処から」
兜から覗く灰色の瞳がすっと細められる。このブルグナー帝国軍がセーヴェリング王国に攻め入ろうとしているのに宴会騒ぎか、と男は嘲笑を浮かべた。
城下には多くの兵士達が配置され、城に攻め上がる準備をしているだろう。彼はあまりにも呆気ない奇襲を早々に終わらるべく、自ら愛用する武器を取っていた。
「ウィレム皇子、中央部廊下付近だそうです」
「やはりな。全軍前へ、このまま城を落とす! 私についてこい!」
彼は大剣を片手に口元に笑みを浮かべる。
今宵、城を落とせれば大陸全土が自分のものになる。幾度も詰めが甘く、制圧しきれなかった城であるが、宴に酔いしれている相手を狙うのだ。先程放った攻撃も一部の人間しか気が付いていないだろう。
だが、中央の大通りを駆け抜けようとした時に突然馬が暴れ出したのだ。何事かと思えば地面にはまきびしやロープが張られ、馬が躓くようにしてある。いつの間にこんな罠を、と苦々しく唇を噛み締めた途端にあらゆる場所から松明が出てきたのだ。
「くっ……退け! 城下から退却するのだ!」
奇襲を掛けたと思いきや敵は既に準備万端で迎え撃とうとしていたというのか。城に仕掛けた秘策も無駄だと気が付いた時、ウィレムは舌打ちした。
「久し振りだな、ウィレム! 策略にたけたお前らしくないじゃないか」
「ちっ!」
やはり立ちはだかるのはお前か、と内心呟く。城下からウィレム達を追い出したのも狭い中での戦闘と民衆を巻き込まない為だろう。彼は素早く剣を片手に馬を走らせる。擦れ違い様に突き出された大剣同士がかち合い、互いに弾き飛ばす。白銀の騎士と金色の騎士は互いに睨み合うと静かに剣を構えた。邪魔するものは何処にもいない。
「飽きずに邪魔をしてくれるな、リカルド」
「そっちもまだ諦めてないんだな、世界の覇権……だったか?」
歌声が鳴り響く戦場、それは血生臭い戦いを一時的に華やかにもり立てるが最終的にはやはり生の奪いあいでしかない。リカルドは余裕の笑みで緑玉の沿えられた大剣を大きく振り回すと馬ごと体当たりを放った。
「世界を統一してどうするんだ!」
「決まっている、私の支配の元に完璧な国を作り上げるのだ」
嘗て数える程だったが成人する前に二人には何度か言葉を交す機会があり、その時に話した話題も今と同じ様な事だった。
「お前は甘い、人が人らしく生きる世界など何処に秩序があるのだ!」
「だからと言ってお前のように力だけの支配は御免だな」
何処まで行っても決して交わることのない平行線。いつも最後に二人は決まってこう言った。
“俺の理想とお前の理想、最後に決定を下すのは戦争だ”
強い者が残り、弱い者は死んでいく。それはある意味世界に与えられた取捨選択の機会でもある。
「右翼隊、並びに左翼隊到着! 全軍深追いはしてはならぬ、これは主席軍師アイリーン・ブラントミュラーの命令である!」
リカルドの直ぐ後ろに控える騎馬兵の一群、その中に戦場には不似合いな女性が二人、緊張した面持ちで馬に跨り、佇んでいた。
「やるな、お前の所の頭脳は」
「あぁ、俺の誇りだよ」
兜から除く萌葱の瞳は嬉しそうに細くなる。
これが二人の違いなのだろうか。彼は人に頼ることを知っている。だけども自分は人を統べることを知っている。どちらも王になる者としての素質の一つ、それに彼らは自信を持っていた。そして互いに敬意を表している。
「今日は退くのが得策のようだな。……だが覚えておけ」
ウィレムは真っ直ぐ彼に大剣を突きつけると灰色の瞳で彼を睨み据える。
「相反する思想は一つの大陸に必要ない。どちらかが覇権を握る、それがお前でも俺でも」
正しいか、正しくないかを決めるのは世界だから――。
ウィレムはにやりと笑うと素早く配下の隊長達に撤退命令を下す。最後まで彼は佇むリカルドの姿を見つめていた。
「ブルグナー軍撤退完了、我々も直ちに退くぞ。アイリーン、頼む」
「はっ!」
後方に回って騎兵達に撤退の指示を回す彼女の背を見送りながらリカルドは静かに呟いた。
「彼奴は次は本気だ、恐らく完全に此方を潰しに掛かる」
「我らも完全に準備を整えなければ生き残ることなど出来ない、そういうことですね」
ブルグナー軍が撤退していった方向をじっと見つめる彼にレイはふと息を吐く。
どうして平和な世をわざわざ乱す必要があるのか、彼女の論理からはそれは見出せない。だけども人という生き物を追求すればするほどたった一つを求めるものなのだ。
+++++++++
「私が“同じ”、ですか?」
漆黒の夜空を凝縮したような瞳は少し困惑したように目の前に佇む女性達を見つめる。そんな彼女の側に腰掛けていたローレンは無理もありませんわ、と苦笑いを浮かべた。
共通する異端な能力を持っていると言うだけで同じとは限らない。記憶の抜ける前の自分は彼女たちと対立していたかもしれないし、追われていたかもしれない。それでも自分に対して手を差し伸べる彼らに悪意は感じられなかった。
「記憶が抜けてる点、先日の戦場を支えた歌、紛れもなくそう言えるだろう」
足を組んで背もたれに寄りかかる茶髪の女性はぶっきらぼうながらもそう答える。そんな彼女に微かな恐ろしさを覚えながらもアルデシアは恐る恐る尋ねる。
「でもこれから戦争が始めるのでしょう? どうやって私達は記憶や力と向き合えば……」
「そう簡単にはいかないみたいだしねー」
窓際に座るフィーリがレイに眼を向ける。
彼女がクラルヴァイン王国に帰れない理由はただ一つ、港に現れたレイの姉、リアの強行。そして珍しい紫紺の髪を持つ中性的な麗人。二人の関係が未だどのようなことかも分からないし、フィーリをこの国に置いておく理由。更にリアが正しい答えといったものが何を指し示すのか。
――それが知りたい。
「リア様とお会いしなければ光明は見えませんわ」
「でもどうやって探す? あの変な人と一緒にいるんだし……あーー! もう訳分からない!」
茶金の髪を掻き乱して叫ぶフィーリに呆れたような眼差しを向けるレイはそっと首を振ると立ち上がって壁に備え付けられた鏡をじっと見つめる。鏡に映る青碧の瞳は鋭いけれどもその奥は怯えているように見えた。
そう、怖い。心底怖いけれどもあと数ヶ月すれば戦が始まる。今しか自由に動ける時間は残り少ない。彼女はもう一度鏡に映る自分を見つめると大きく呼吸をした。
「私とリアの繋がりは深い、見つけるのは容易い筈だ。私が探そう」
二人の関係は強者と弱者。弱者に位置するレイは本能的にリアの存在が感じ取れる。だけども一度前にしてしまえば臆して動くことも叶わなくなるだろう。彼女がその定義を覆そうと動かない限り――。
「なら、あたしも行くわよ。このままリアに従うのは嫌」
今にも掴みかからん勢いで言い放つフィーリにローレンはそっと立ち上がった。
「私とアルデシア様はこの城で他の資料を探しますわ」
行きましょう、と促すローレンについて立ち上がるアルデシアは二人に会釈するとそのまま開け放たれた扉をそっと閉めたのだった。
突き刺さるような静寂が支配する中、青碧の瞳がそっと閉じられる。脳裏に浮かび上がるのは姉の顔。薄く笑みを浮かべるリアの深緑の瞳の先に映るのは巨大な神殿のような所。神々しくもあり、優しく懐かしいような気がする。
『いつまでも生きる永遠の生を……そして』
手を伸ばした先には目映い光。それが何だか分かる前に激しい頭痛が彼女を襲った。
割れそうな頭と霞む視線、レイを映していた鏡が粉々に砕け散る。煌めく鏡の破片が更に風に紛れて何処かへ消えた。
「レイ!!」
慌てて駆け寄るフィーリの手を弾く彼女に思わず後ずさった。
「姉さん、分からない……分からないよ!!」
鏡の破片で切れた肌から鮮血が流れる。悔しさの余り叩き付けた拳に鋭い破片が突き刺さった。
溢れる涙を拭うこともせずに物に怒りをぶつける彼女にフィーリは何も言うことは出来ない。リアとの繋がりにどれ程の強さがあるのかは分からない。だけども彼女がリアをその瞳に表した事によって事実と向き合ったのは如実だった。
「永遠が欲しいの? 何故……力を見せつけるため?」
ただ平穏に暮らしていたい。そのささやかな願いでどうして満足できないのだろう。人の頂点に立つことによって名を知らしめれば、同じように力を示さねばならない。そうすればレイの体に強い影響がもたらされる。それが長い間続けば彼女は普通に生きるていくのもままならない。
それを知っても尚、永遠の生と、地位を求めるのなら――。
(私が姉さん……リアと立ち向かわねば)
鏡の近くに置いてあった純白の布で血濡れた指先を拭うと漸くフィーリは割れた破片を避けながらそっと彼女に近寄ればレイの表情は覇気に満ちていた。
「レイ……見つけたんだね」
「あぁ。神殿のような場所だった……この国では無いな」
今まで何年か掛けてセーヴェリング国内を見てきたが神殿のような建物は見当たらなかった。それにこの国は特に神を奉る風習もない。
「クラルヴァインには何ヶ所かあるけど」
「光が生き物のように姉さんと呼応していた……そんな神殿など聞いたことない」
神を奉るのはクラルヴァイン王国が主流とされているが殆んどが偶像崇拝であり、生きているような光など見たことがない。
それでもリアが目をつけたのは世界の覇権。ここ数日で一度戦いが起きているブルグナー帝国、セーヴェリング王国のどちらかに彼女は確実に現れる。
「リアはブルグナー帝国から手をつけ始める……」
「分からないじゃん。セーヴェリングにも来るかもしれない!」
それは絶対に無いと断言して見せるレイに首を傾げた。
「私とリアは絶対に同じ道を歩くことは無い」
それは今までずっと共に過ごしてきた経験が証明していた。
社交的で明るく、自分のためなら人をも利用するリア。内向的で人見知りをしやすいが、努力家のレイ。姉がわざわざ自分と同じ道を行くとは思えなかった。
「ブルグナーは強敵になるわ……もし、リアが力を行使するのだったら私達も使わざるを得ない。あたし達は異端者としてめでたく世界に認められる、そういう訳ね?」
猫のように釣り上がった紫の瞳がふと揺れる。
今まで隠し通してきた自分の能力が公になる。その反動は想像するだに恐ろしい。だけどもレイが止めると言うのだ。ならば力を貸したい。
「兎に角、理解が必要だ。リカルド王子ならばきっと聞いて下さる」
時計を見上げれば時間はもう昼過ぎ。いつもは騎士達の指導をしているが先日のブルグナー帝国の襲撃の事後処理に追われていることだろう。彼が一人でいる時間が多い今ならば彼女たちにとっても好都合である。
部屋を出れば静まりかえった廊下に青碧の瞳が見渡す。人一人いないのは昼だからということもあるが元々賑やかでもない。もう既に居なくなった王后お抱えの芸人達がいない所為だろう。今残っているのは身寄りの無いアルデシアのみ。
この城は四層構造となっており、レイとフィーリが歩くこの階は【雲珠桜の回廊】と呼ばれる場所。其処は主に客人や上位文官、上位武官が書斎を構える場所である。その上には【蒼空の回廊】と呼ばれる王族のみが生活をする空間、そこにリカルドは居る筈だ。
王子の私室、彼女たちは扉の前に立ちつくした。
「覚悟は良いか、フィーリ」
「出来てないって言っても行くんでしょ? 行きましょう」
そう言うなりフィーリは扉を割らんばかりに思いっきり叩く。乱暴な動作ではあるが早くこの瞬間を終わらせたい。きっとその想いが強かったのだろう。自分が人と違うなんて簡単に認めたくない。
がちゃり、と開けられた扉。期待と不安に渦巻く胸を落ち着かせようとする。だが出てきたのは意外な人物だった。
「まぁ、フィーリ様にレイ様ですの?」
「イシュメル……」
扉から顔を出したのは蒼の瞳を持つ幼い少女、イシュメルだった。
彼女はにっこりと笑うと二人に中に入るように促す。部屋に足を踏み入れた二人が見たのは興味深い組合せだった。
「ジェレマイアにリカルドの組合せ……滅多に拝めないわー」
肩を竦めて呟くフィーリにリカルドが声を立てて笑うとジェレマイアはあからさまに気まずそうな表情を浮かべる。
「では、私の用は終わっておりますので……」
「待って! 私は終わってませんの!」
用を口実にしようとして退出しようとする兄ににっこりと笑って前に立ち塞がるイシュメルは素早く背を押して椅子に座るように促す。
そんな二人にフィーリは困ったようにレイを見るが彼女はただ無表情に子ども達を見つめるだけ。彼女は仕方なしに二人に歩み寄り卓上に腰を掛けた。
「ごめんね、追い出す気は無いのだけど大切な話なの。外してもらえるかしら」
「勿論です、フィーリ様。イシュメル、行くぞ」
言わんこっちゃない、といった視線で妹を見つめるジェレマイアはリカルドに一礼するとイシュメルの手を引いて扉へと歩み寄る。
だがその時、目映い閃光が扉を包み込んだ。皆が眼を覆って光から免れる中、その光景をじっと見つめていたのはレイ一人だけ。
「その必要は無いだろう、フィーリ。この子達も知る必要はある」
閃光が収まると扉には綺麗な氷の結晶が隙間無く添えられており、凍り付いている。これでは自ら出ていくことも、外部から入り込むことも出来ない。ただ一瞬の出来事だった。
後に双子はこう言った。あの日知った真実は私達の常識を覆した、と。
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