光のラナンキュラス

Act.2 異端の能力

 ずっと隠してきた真実は絶望と希望どちらを示すか。青碧の瞳はまるで試すように三人の表情を見つめる。人外の能力にリカルドや子ども達は何が何だか分からぬまま、ただ眼を見開いている。

「な、何が起こったんだ……?」

 扉にはまるで自然が長い時間を掛けて出来たような氷の鍵。魔法とい存在を初めて眼にした瞬間、大抵は震えて怯える。怯えた人々を幾度も目の当たりにしてきた。そして拒絶を示す。

「今度ブルグナー王国が攻めてくる時は私と同じ力を持った者が現れるでしょう。でも聞いて、私の忠誠は変わらない」

 眼を見張る子ども達の視線が痛いほど突き刺さる。だけども今は逃げてはいけない。彼女はそっと手を差し出すとぽつりと何かを呟く。その言葉を言い終えた時、現れたのは蒼い炎だった。

「恐れないで」

「恐れるも何も……一体どういう事だ」

 訝しげに彼女に問いかけるリカルドは双子を手元に引き寄せようとするが二人はその手を払いのけるとレイにぎゅっと抱きついた。それが何を思ってかは分からない。だけどもこの小さな子どもの体温が心地良いと感じるのはきっと人だから、そう思った。

「殿下はきっと情報を確認しない限りは何もなさらない……フィーリ、この先は何て出る?」

「ちょっ! 急に振られてもこっちはそんなホイホイ出来ないんだから」

 確かにフィーリの言うとおり、予知は神の領域。全て好きな時に先を視ることなどは許されない。力とはそういう理不尽なものだから。

「兎に角、信じて。同じ力を持つ者相手じゃこの国は滅びる。その時は私達を兵として使うことをお考え下さい」

 ぎゅっと張り付いたままの子供達の銀糸をゆっくりと撫でれば震える肩。彼らが泣きじゃくっていることが容易に想像できる。きっと真実は二人の人生を大きく変えてしまうかもしれない。それでも隠し通すほどレイは非情になれなかった。

「二人には……謹慎命令を出す。部屋からは一歩も出るな、いいな?」

「レイの力、世界が知ったらきっと動揺が起こるわ。それなのにそのままにしておくの!?」

 容赦の無いフィーリの言葉に彼は強く机を叩く。その衝撃で書類が何枚かはらり、はらりと舞い落ちた。
 部屋に緊張が走る。信じるか、信じないか。事実か、虚偽か。求める答えは違うのに焦る気持ちは同じ。微妙にかみ合わない双方にこれ以上進展はない。リカルドはふと息を吐いて気を落ち着かせるともう一度はっきりと彼らに告げた。

「部屋に、戻れ」

 はっきりと芯のある太い声が微かに揺れていた気がした。



+++++++++



 セーヴェリング王宮図書館、長らく続く国の歴史から文化までを網羅しており様々な伝承が調べられる施設の一つである。学者のみ立ち入れる部屋と一般人に公開されている部屋。それぞれに公開されている書籍の内容は違う。
 だが、一般に公開されている書籍も普通に城下で運営されている図書館とは比べものにならない蔵書数。まるで壁が迫ってくるような感覚に思わず逃げ出したくなるのも頷ける話である。

「す、凄いわ……」

「驚くのはまだ早いですよ? 学者専用や王族専用になればこれだけでは済まされませんし」

 慣れた手つきで本を取るローレンに倣って何か本を取ってみるが殆どのものが分厚いものばかり。読むのが億劫になりそうだな、と内心苦笑しつつ頁を開く。
 そこに描かれていたのは大陸の成り立ちについて書かれている本。これは少し目的のものと違うなと思いつつ更に頁を捲り続けた。

「困りましたね……思い当たるものは殆ど確認してしまいましたし。後は王族専用なのですが」

 少し考える様子を見せるローレンにアルデシアは無言で見ていた本を差し出した。そこに描かれていたのは余りにも抽象的な絵画。古風な雰囲気を漂わせるその絵を見つめる。絵画に描かれているその絵は世界創世神話の一場面であり、以前出てきた絵本の話を大人用に書き換えたもの。やはりあれ以上は出てこないらしい。
 その事を言おうと思った瞬間、ローレンは弾かれるように顔を上げて眼を見開いた。

「もう此処には用はありません。レイ様達の元へ戻りましょう」

「え……はい!」

 半ば引きづられるように飛び出した図書館。疾走する二人に何事かと上級文官達が眼を見張るが気にしない。階段を駆け上がった瞬間、予想もしなかった事が起こった。
 突然光に包まれて現れた兵士達。彼らは直ぐにローレンとアルデシアの姿を確認すると剣を振り上げてきた。思わず足が遅くなるがローレンは駆けた勢いのまま兵士の顔を蹴り上げる。その凄まじさにただ唖然とした。

「このまま走り抜けましょう!」

 凛とした声を張り上げて叫ぶローレンに強く頷く。だが、逃げ込む部屋を選ばなくては被害が大きくなってしまうかもしれない。歯を食いしばる彼女たちに救いの手が差し伸べられた。
 彼女たちと擦れ違うように駆け抜ける一陣の風、かち合う金属の音に二人は思わず足を止めて振り返る。

「殿下!?」

 再び現れた謎の兵士たちの足止めをしたのは紛れもなくリカルド。ただ、その瞳は離れろと呼び掛けているように見える。だが、ローレンの悲鳴の様な声に騎士達も駆け付けてくる。今は離れるしかないと判断してアルデシアを自分の隣へと促す。

「ローレン様……見ましたか」

「何をです?」

 悲しそうに見つめるその視線の先には未だ光輝きながら限りなく現れ続ける謎の兵士と自国の騎士たち。だが、眼を凝らしても光以外何も見えるものはない。

「悲鳴をあげる何か……生き物のようなものが」

 確証は得られないけれど確かにそれは存在する。無意識下に感じる気配をアルデシアは感じ取っているらしい。その様子にローレンは合点がいったように頷くともう一度兵士を一瞥する。

「それは精霊ですね。リア様とレイ様が使われる魔法はその生き物が関連しています」

 話にも出ていたが彼女達姉妹は精霊を操って術を行うと聞いていたがこの悲鳴はまるで断末魔。残酷すぎる悲鳴は直接胸に突き刺さる。だがレイは故意に魔法を常用しない。だとするとこの魔法の術者は一人しか居ない。

「では、リア様が……」

「恐らくそうでしょう。セーヴェリングには私達、ブルグナーにはリア様ともう一方。数ならば私達が有利です、頭数を減らすつもりだったのでしょう」

 もう既に彼女たちの中では戦争は始まっているのだ。世界の覇権を求める者、安寧な生活を求める者。両者相反するが故に力を行使する。自分の利益を求める人の悲しき行動。彼女たちはリカルド達、騎士によって侵入者が排除されたのを確認するとそのまま廊下を歩き出した。
 静まりかえったその場所に歩く音だけが鳴り響く。レイの私室に足を踏み入れれば窓際に座り込んだままのフィーリだけが居た。

「レイ様は?」

「例の発作よ。隣で休んでるわ」

 憂いを秘めたその表情はただ心配そうに隣の部屋に視線を送るが彼女は動かなかった。何も出来ないもどかしさ、やり場のない不安。全てが彼女たちを先へと進ませないように道を塞いでいるように感じる。

「リカルドがね、私達に謹慎命令出したの」

 ぼんやりと宙を見つめて呟くフィーリ。その言葉にアルデシアの漆黒の瞳が揺れた。

「真実を告げた、という事ですか?」

 震える声音、知られたくなかった秘密を知られた今はまるで丸裸にされた気分になる。先程の襲撃の際に一切彼女たちに声を掛けなかったのもそれが理由なのだろうか。ただもう一度、あの瞳を見るのが怖い。
 その時、ゆっくりと隣室の扉が開かれる。壁に寄りかかりながら茶髪を掻き上げた青白い肌にはうっすらと汗が滲んでいる。リアが魔術を行使したことによって反動がレイに返ってきたのだろう。

「リアはブルグナー王家を完全に掌握した」

 冷静に、淡々とした口調で呟く彼女は少し蹌踉めきながら一気に水を煽る。少し青ざめたような顔色は未だ晴れることは無い。だけども少なからず心にはあった、何かを変えなければ、と。

「こうなったら潰しあいって言いたいところだけどリカルドの気持ちを変えるには諜報部隊の報告がなくちゃ」

 ブルグナー王国に潜入したという諜報部隊はもう帰還しているのかさえも分からない状況で八方塞がりと思いたい状況であったがレイは静かにローレンに問いかけた。

「ローレン、何か分かったか?」

「あれ以上は何も……残りは王家の書庫です」

 入れない自分達には為す術もないと首を振るローレンにそうかと呟く。この王宮に付けられた図書館以上に情報を持っている場所は知らない。旅をしていたアルデシアでさえ聞いたことがないというのだ。だけども諦めていた三人にフィーリが噛みついた。

「ちょーっと待ってよ。レイ、あんたなら出来るわ。王子様の家庭教師は王家の知識を身に付けなければ教えていけない。まだ出入り出来ないの?」

 確かに王位継承権を得る前のリカルドの家庭教師はレイ自身。家庭教師の利点は王族専用の図書館に足を踏み入れることができる。淡い希望を持って問うフィーリにレイはただ、黙って残念そうに首を振った。

「王家の書庫には歴代王の歴史やらなんやら、門外不出のものが多い。だが、あの絵本にあった世界創世神話も同じ内容でしかなかった」

「じゃあもう一回しっかり絵本調べよう。このまま何もしないのは嫌」

 だだをこねていると思われても良い。だけども大切に思っていた物がなくなってしまうのは耐えられない。手の届く範囲に居るのに手を差し伸べられない自分が嫌になる。

「私も賛成です。もしその絵本が……」

 ゆっくりと言葉を紡ぐアルデシアが先を言いかけた時、部屋にノックの音が鳴り響いた。思わず身構える三人にレイは軽く溜息を吐くとそのまま扉を乱暴に開け放った。

「殿下……」

 目の前で神妙な顔をして立ちつくしていたのはリカルド。その手には何か物が包まれて入るようだが彼は無理矢理笑ってみせると中に入っても良いか、とレイに尋ねる。肩を竦めて見せれば彼は静かに部屋へ足を踏み入れた。

「何の用なの、リカルド」

 細めた紫の瞳は少し怒りを交えながらも失望したような色。無理もない、秘密を打ち明けても何も行動しようとしなかった彼に苛立ちを覚えていたのだろう。彼女に言わせれば諜報部隊を送っているのかさえ、怪しい。
 セーヴェリング王国は元来より文化に秀でており、武術に明るい者も最近になって出てきたくらいだ。皆が皆とまでは言わないが平和に長く浸かりすぎて戦いの厳しさなど当に忘れてしまっている、そんな国だとフィーリは苦々しく呟いたのは昨日の事。外から見た国の状況を唯一知る彼女の言葉は厳しくも真実を語る。

「ブルグナーに派遣していた部隊が一人を除いて壊滅した」

「え……!」

 絶句するフィーリにたたみかけるように紡がれた言葉は彼女たちの証した秘密を証明することだった。

「最後の一人は俺達の前でこう呟いて息を引き取った。【翠緑の魔女】がブルグナーを操っている、と」

 翠緑の魔女、言葉から推測するにリアは自らの深緑の瞳を象徴としたのだろう。人にその名を知らしめる為だけに作った名前など、意味はないというのに。レイは衣服をぎゅっと握りしめてただ静かに耳を傾けていた。

「使者には驚くような火傷の痕があった。あれは普通の炎で焼けたものではないと検視をした医者が言っていたがもしや、と思ってな」

 彼女が目の前で出して見せた炎ならば可能な筈だと。そう呟いたリカルドにレイはただそうね、と答えた。抑揚の無い、ただ単調な答え。何を思うのかも教えて貰えない苛立ちに彼はレイの肩を強く壁に叩き付けた。
 
「お前達は一体何が目的なんだ! 国を駒の様に使って何をするつもりだ!」

「見当違いも良いところだ、殿下。私は常日頃貴方に言い続けてきたでしょう? 情報と状況を想像だけで関連づけるな、と。私達は貴方に真実を話した」

 決して侵略したい訳でもない、ただ平穏に暮らしていたい。ただそれなのに。萌葱の瞳に映る感情はただ一つ、疑念のみ。どうして人は自分と違うものに激しい拒絶反応を示すのだろう。肌の色、瞳の色、髪の色、秀でた能力。常に何処か一緒の部分が無ければ気が済まないのだろうか。人が人として生きるには何も隔てるものは無いと言うのに。

「翠緑の魔女とは何者だ」

「私の姉」

 初耳だなと呟くリカルドに肩を竦める彼女。ローレンやフィーリを見ればそれを既に承知していたように視線を合わせようとはしない。ただ、アルデシアだけは違った。

「でも、レイ様の姉君ならば話せば分かってくださるかも!」

 ブルグナー王国を制圧しているのが翠緑の魔女、リアならば妹が仕える王国を攻めるわけがない。何故ならレイの立場が悪くなってしまうから。だけどもレイの瞳は余りにも無情に彼女を映していた。

「姉さんが私のことを考えた日は一度だって無い。あの人はそういう人だから」

 自分の利益の為ならばどんなに犠牲もいとわない。寧ろ目的を隔てる壁となるならば彼女は全力で排除してくるだろう。リアはそういう人間だ。

「だけど、分かってほしい。私達、皆が皆同じではないことを」

 ただ、国を守りたい。人として己の利益の為に他を破壊することはあってはならない。長く続いたセーヴェリング王国の平和を壊したくないから守る。
 レイは静かにリカルドを一瞥すると掴まれていた手を払い除け、彼に背を向けた。今は立ち止まって考える時、時間が少ない今だからこそ大切な時間。静かに踵返して出ていく彼女を見て察したフィーリは呆然とレイがいた壁を見つめるリカルドにぶつけるように叫んだ。

「あたしだって嫌な未来ばかり見るわけじゃない、明るい未来だって見れる。役に立てるから!」

「私共の忠誠は変わりませんわ……セーヴェリング王家、ただ一つ」

 紅の瞳を伏せてフィーリと共に静かに出ていったローレンは不安そうに見つめるアルデシアに軽く微笑んで見せると静かに扉を閉めたのだった。
 静寂が再び支配を強める。本当は掛けてあげたい言葉は溢れ出ているのに、口にしてしまえば全て偽善に聞こえてしまう。だから、ただ黙っていることしかできない。悪循環なのは分かっていても今は静寂に頼っていたかった。

「【ディヴィーナ】の意味、知っているか?」

 漸く緊張の糸が切れたように口を開いた彼の瞳からは大粒の涙がこぼれ落ちる。それは止まるところを知らずに重力に従って頬に伝う。

「【歌の女神】って意味だよ。古い本に載っていた」

 ずるずると壁を伝って腰を下ろす彼は力なくアルデシアを見上げると笑った。

「君の事だったんだな」

 何も言えない。本当だとも、嘘だとも。過去の記憶を持っていたら多分簡単に答えられた返事なのだろう。

「私は……アルデシア。これはきっと昔も今も変わらないと思うわ。それに、きっと貴方の力になる為に選ばれたのかも」

 偶然の出会いが必然となっても生き方は変わらない。ただ一生懸命に自分の生を駆け抜けたい。そして振り返ったときにこう思えれば良い。

「でも貴方に会えて良かった」

 ふわりと笑みを浮かべた彼女は優しく涙を拭ってくれる。ほんのりと冷たい掌だけども確かにそれは人間と変わりはない。
 リカルドは頬に触れた手を強く引いて彼女を抱き寄せると流れる黒髪に顔を埋めた。微かな桜の香りが鼻を擽る。
 時期が来ればあっという間に花を散らせる桜の花。儚いその花をずっと守りたい。

「王子ではなくて、一人の人として君を守る」

「リカルド……」

 頬を赤らめて彼を見つめるアルデシア。その時に漸くフィーリが言ったことが理解できた。常に矛として動いてきた彼に盾としての役割を見い出す存在。どちらも中途半端にすれば矛盾を生じて騎士としては役に立たない。だけどもアルデシアの存在が盾の役割に徹しさせてくれる。
 そして、フィーリが予言者という証だった。



+++++++++



 闇に舞う焦げ茶の髪。美しく煌めくその髪を美しく靡かせながら彼女はただ月が支配する天空を見つめた。何も変化を見せない夜空は静かに雲を流す。城の頂上にただ一人、君臨するのはとても気持ちが良かった。

「翠緑の魔女……とても良い響きだわ」

 自分の為に両腕を広げる玉座。そして自分の為に頭を下げる臣下達、絶対的な力の前に平伏した人々を眺めるのはどうしてこんなに気持ちがよいのだろう。彼女はうっすらと笑みを浮かべた。

「抵抗軍はどうしたんだい?」

「みーんな、燃やしてやったわ。貴方にも聞かせたかったのに、あの悲鳴、命乞いする声」

 くすくすと笑う彼女に微笑を浮かべる麗人――ジークフリードはふわりと風に乗って体を浮かべる。それはまるで天使のように華麗で美しかった。
 ジークフリードから見てもリアの魔力はとてつも無く大きい。それは妹であるレイが魔力を使わない所為もあり、彼女の力を最大限に引き出す。それをあの知者は知らない。

「セーヴェリング王国も私が制圧したことは耳にしている筈だわ。だから一人だけ手加減してあげたのだもの」

 自分の存在を認めさせるには大々的にやる方が効果的だ。ましてやセーヴェリングにいる能力者達は極端に自分の能力を知られることを恐れている。名指しでは無いもののリアという存在は世界に能力者の可能性を示唆した。
 そしてこの女もそれを恐れている。

「何故兵士達に手を出したのだ!」

 まるで掴みかからんばかりに詰め寄る金糸の髪を持つ女性は目立たないように黒の外套を身に纏い、始終辺りを気にしている。

「アイリーン、貴方も心を決めなさい? 私に協力した時点で貴方は国を裏切ったのよ」

 彼女の言っていることは正しい、ブルグナー王国に潜入している兵士達の中に密かにリアを入れたのも指揮を執っていたアイリーンの采配。
 紫の瞳を細めて反抗的に睨み付ける彼女だが最早何の意味も持たなかった。

「ふふふ……やっぱり、君は頑固なんだね」

「黙れ」

 柔らかな風に流されながらゆったりと空を漂うジークフリードは人間でないことだけは分かる。この人は何かを知っている、自分達の力が力が何なのかを。

「君の『翼』は本当に美しいね。私も真似をしてみたが、やはり本家の君には敵わないらしい」

 ふわりふわりと漂っていたジークフリードは地に足をつけるとつかつかと歩み寄り、アイリーンの肩に触れる。その瞬間、内側に秘めていた何かが無理矢理引き出される。まるで心臓をえぐられる様な感覚に彼女は大きく顔を歪ませた。

「やはり、美しい……」

 彼女の身長の二倍はあろうかという、うっすらと紫を帯びた煌めく翼に実体は無く、ただ触れればその羽の様な感覚は感じとれた。かつて同じ翼を持っていた人物はそれを【幻影の翼】と呼んでいのをはっきりと覚えている。

「こんな翼より、私の魔法の方が役に立つわ」

「侮っちゃいけないよ。この翼は人の精神、肉体を最大限に引き出す光を持つ……彼女がセーヴェリング王国に有る限り、ブルグナー王国の勝ち目は薄いのさ」

 狡猾な笑みが此方に向いた瞬間、背筋が氷つく。
 ただ、邪魔な王子の元専属教師を失脚させたかっただけなのに丸め込まれているのはあきらかに自分に他ならない。 そして自分がひた隠しにしていた能力を無理矢理引き出してくる麗人の存在は予想外だった。

「本当はね、君が此処に来た時点で羽をもぎ取ろうと思ったのだけど、それじゃあ余りにもつまらないからね」

「貴様に慈悲を掛けられる筋合いは無い!」

 紫暗の瞳が怒りに燃え上がる。国の存亡を左右してきた軍師として勧誘されるならまだしも、嘲笑され、更に哀れみの情など彼女が求めていたものではなかった。二人の言いなりになる事など彼女の誇りが許さない。

「見てろ、お前がこの大地に足を踏み入れた事を後悔させてやる」

 身軽にバルコニーの手摺に立ったアイリーンは静かに唇を噛み締めるとそのまま宙に身を踊らせた。

「な……!」

 驚いてアイリーンが身を投げた手摺に駆け寄ったリアは突然地上から舞い上がる鋭い風にとっさに身をかばう。風が舞い上がった方向に視線を向ければ淡い紫の翼が大きく羽ばたき、東へ去るところだった。

「いいの? 私達の力を知られてしまえば対抗策を練られてしまうわ」

 少し苛立ったような視線を向けるリアにただ微笑を浮かべて見せる。
 ジークフリードにとっては国がどう動くかなど些細なこと。目的はただ一つ。彼女が生きていようが、死んでいようが、関係はない。
 力さえ手に入れればこの麗人は満足するのだろう。



+++++++++



 最初のブルグナー王国による襲撃から既に二年の月日が経とうとしていた。
 常に緊張感に晒される人々にはこの二年が大きな変化をもたらした。その一つにリカルドの母君である王妃の逝去、そして生命の誕生。一つの悲しみが来ては、一つの喜びが追い掛けるようにやってくる。
 疲れきった心を宿す王宮内は束の間の喜びと死者への畏敬の念を表していた。

「レイ!」

「フィーリか……国に戻れたと聞いていたが」

 二年前のリアによる帰国妨害を受けて一年間のセーヴェリング王国に滞在したフィーリはブルグナー王国の沈黙を受けて無事帰国を果たした。
 レイが首を傾げてみせると彼女はただ金茶の髪を揺らして嬉しそうに笑う。

「水臭いわね。レイ二世は何処〜? あんたみたいに目付き悪かったら可哀想」

「ふ……お前に言われたくない」

 柔らかく笑うようになったのは母の証。穏やかになったその表情から推測すれば予想より穏やかな生活を送れているようだ。

「殿下とアルデシアは喪が明けたら婚約するらしい……が、大丈夫か?」

「平気よ、あたしがリカルドに離しちゃ駄目って言ったんだから」

 覚悟の上での宣告。その先に悲劇を見い出しても彼等が少しでも幸せにいられる期間はまだある。それを分かっているから見守りたいのだ。
 暫く騎士達が生活を行う【山嶺の回廊】を和やかに歩く日々は本当に久しぶりである。何時までもそんな日々が続いて欲しい、ブルグナー王国が沈黙を続ける限りその日々は不安定ながらも続いていく。

「騎士と結婚したと聞いたけど?」

「えぇ……」

 少し言葉を濁す彼女に首を傾げる。確か知らせを受けてから既に一年が経つがこの表情は――。

「今は潜入に行ってしまった」

 ブルグナー王国への潜入は定期的に行っているが危険な事に変わりは無い。今までにも何回か行っているが、その半数は殉職してしまっている。生き残れる確率は五分五分。
 残されたレイとその子供は不安な毎日を過ごしていることだろう。陰りのある表情を見せたのはそれが理由。
 だけども希望ある未来を掴むには誰かが行わなければならない。その任務の大切さを知っているレイは何も言わずに送り出したのだった。

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