月光のラナンキュラス
Act.3 崩壊する平和
再会とはそれまでの空白を一気に埋めてくれる。滅多に来なかったフィーリの訪問は単調だった日常に刺激を与えてくれる。レイは口では告げないながらも感謝していた。それは新しく生まれた命と同じくらい大切な存在だから。
フィーリを導くようにレイは静かに扉を開けると覗き込むようにそっと部屋に足を踏み入れた。其処には赤ん坊を胸に抱いたまま眠る女性から溢れる髪の色は金。
「ローレン……?」
そっと覗きこめばすやすやと寝息を立てる幸せそうな二人。いつも表情を崩さないレイも思わず破顔する。一つの命が去って、また一つの命がやってくる。それを人は魂の循環というがそれだけではないと思う。つまり、人の別れと出会いは悲しみと喜びをもたらす感情の循環とも言えるだろう。
「ん……レイ様、お戻りでしたか」
紅の瞳を覗かせてゆっくりと体を起こすローレンの胸にはしっかりと赤子が抱かれている。彼女が体を動かしていてもまだ眠りに就いたままだった。
「途中、フィーリと会って遅くなった。済まない」
「良いんですよ。このままの姿勢で申し訳ありません……フィーリ様にもお会いできて嬉しいですわ」
二年前と変わらない物腰柔らかな態度にフィーリはそっと首を頷いて同意する。例え国に戻っても忘れたことなんてなかったのだから。
「クラルヴァインも緊張が続いているわ……もしもブルグナー王国が大陸を制覇したら次は此方だからね」
島国と言えども三国の一つ。均衡が崩れればそれに巻き込まれかねない。二つの国の動向はクラルヴァイン王国にも気になるところである。
「私達も気配を探ったりして様子を窺ってるが全くもって何もない……不気味すぎる」
「予知は無いのですか?」
一番先を知る可能性があるのはフィーリの予知能力。例え漠然的であってもきっかけさえ掴んでいられれば少しは有利でいられる。
だけども――。
「最近全く無いの。あたしもおかしいとは思うんだけど、こればかりはどうにもならないわ」
気まぐれすぎるのよ、と忌々しそうに呟くとなにやら部屋にうめき声が響く。何事かと視線を向ければローレンの腕の中で赤子が大声で泣き出したのだ。
慌ててあやし始める彼女に追い討ちをかけるように更に泣き出す赤子。するとそっとレイが手を差し出す。
「おいで」
「ですが、レイ様……」
慌てて止めようとするローレンを制すると赤子に手を伸ばすが、持ち上げようとした瞬間体勢を崩してしまった。元々力が弱いレイだけども二年前はイシュメルさえも持ち上げられる力を持っていたはずだが、今は赤子さえも持ち上げることは敵わなくなっていた。
「レイ! あんた……」
再びローレンの膝の上に戻った赤子は既に泣きやみ、再び規則正しい寝息を立てている。彼女は静かに流れる金糸で赤子の頬を擽りながら寝台に寝かせると二人に向き直った。
「ここ一年でレイ様のお力は衰退の一歩を辿っているのです」
「リアが力を使い続けているという事ね……着実にあっちは準備しているってことか」
物言わぬレイにフィーリはただ歯を食いしばる。我が子も抱けぬ体になっていることをリアは承知しているのだろうか。このまま力が無くなっていけば次第に身体を動かす心臓を打つ力さえも無くなってしまうのではないか。言い知れぬ不安に苛まれながらも、今はただ何も出来ないのだ。
「姉さんは何に対して答えを出したのだろう……国を動かさなくては掴めない答え、それが分からない」
「そんなのどうでも良いわ、リアがその道を選んだのだもの。それよりもこのままだったらあんた、死ぬのよ!」
半ば怒鳴るように叫ぶフィーリにローレンは慌てて静かに、と呟く。漸く落ち着いて眠りに落ちた赤子を起こしてしまうのは忍びない。
「勿論……それも私の運命ならば受け入れる。でも今はまだ死ねない、死にたくない」
父親は得体も知れぬ国に派遣され、母親は力尽きて亡くなる、そんな辛い思いを子どもにさせたくないのが親心。
「それならば早く動けば良いと願ってしまうのは罪でしょうか」
ふと呟くように漏らすローレン。いつもの彼女ならばそんな事は口にしないのに、この追い詰められた状況が穏やかで争いを好まない彼女にそれを言わせている。
だけども漏らさずにはいられない状況を改めて認識させられる。
「あたし達も少なからずそう願ってるのは事実だわ」
束の間の再会の喜びは既に消え、見えぬ未来に不安を抱くしかなかった。
+++++++++
軽い薄衣が擦れる音が響きわたる。薄桃に染められた絹は美しい光沢を放ちながら太陽の光を照り返した。丸みを帯た肢体に触れる度に少し擽ったく感じるがきっと慣れれば気にすることもなくなるだろう。
彼女は長くなりすぎた黒髪を簡単に結うと優しく降り注ぐ日差しに目を細めた。
(――何も無いのは良いこと?)
自分に問うように語りかける言葉は帰ってくることはない。それは自分自身、答えを知らないからである。
リカルドの好意で城に住まわせてもらってからは城下と同じような緊張感が流れているのに気が付いた。城下に住む者達は不安の余り、此方からブルグナーに攻めてしまえば良いと口走る者もいる。彼女は政治には疎い。その方法が本当に良いのかとリカルドに問うた時、彼は笑ってこういった。
『国同士って言うのは恋人みたいなものさ。押しが強ければしつこいと思われるし、弱ければ興味がないと思われてしまう。ま、俺と君みたいなものさ』
少し話をはぐらかされた様な気がしたが改めて考えてみれば例えはしっかり的を射ていた気がする。
「アルデシア様、少しよろしいですか?」
男性にしてはかすれ過ぎた声に思わず顔をあげるとそこには銀髪の少年、ジェレマイアが立っていた。初めて会った時は十歳程度だったがもう二年も経つ。早い子どもならもう変声期なのだろう。かすれた声は恐らくそのせい。
「手紙が届いております」
「手紙……?」
手紙を貰う相手など思いつかない。記憶がしっかりしているのは二年間だけどもその間城からは一歩も出ていない。行く場所は決まって【蒼空の回廊】か、レイ達のいる【山嶺の回廊】ぐらい。あとはそう――。
「【乱舞の間】くらいしか行ったこと無いのだけど……」
「えぇ、そう思ったから私が渡しに来たのです」
そう言って自信ありげに口元に弧を描く少年にくすりと微笑む。あの二年の間で簡単な武術を身に付けていた彼だが、知識を得る方が性に合っているらしい。様々な本を貪るように読み漁る光景から妹のイシュメルには本の虫とさえ呼ばれている。だけどもそれは知識では誰にも負けないという彼の自信でもあった。
「アルデシア様をご存じなのは恐らく私達とブルグナー王国の翠緑の魔女、並びにウィレム王でしょう」
「ウィレム王? 私達が最初に見た時は……」
「はい、彼は王子でしかありませんでしたが恐らく翠緑の魔女の出現により地位を得たと聞いています」
そうなの、と呟いて思案する。例え手紙の主がその二人だとしても実際に言葉も交わしたこともない。恐らく名も知らない筈なのにどうして手紙を出すことが出来たのだろうと思って漸く気付く。リカルドの母が亡くなったから伏せているとはいえ、二人は婚約したも同然。その中は城下にまで響いていると聞いたことがあるから他国が知っているのもおかしくはない。
彼女は本気で自分の政治の疎さを嘆きたくなった。
「レイ様からのお話に寄れば翠緑の魔女は対極の能力を持つと言います。理を操る力を精霊魔術と名付けるならば、翠緑の魔女の能力は心繰魔術――心を操るのだと」
彼の話は少し難しく感じるが良く考えればそんな事は無い。リアが心を操る力を持っているのなら精霊に助力を求めずとも意志に反してその力を引き出し、理を操ると言うことだろう。
だからこそ助力を求める立場にいるレイが強い影響を受けるのだ。
「それじゃあ、この手紙に心を操る魔術が掛けられているの?」
「私が知る限りの知識ではその形跡はありませんので安心を……とは言えませんが」
魔術と言うものが不確定なもので明らかになっていない。その為に何が怪しいとははっきり言えないのだ。ならば――。
「開けちゃおう!」
「ちょっと、アルデシア様!」
戸惑って何もしないよりも、変化に対して何でも良いから考えていたい。全てはなるようにしかならない、先詠みのフィーリはいつもそう言う。神の気まぐれで未来を与えられる彼女の教訓を今ここで従わず、何処で生かそうというのか。
「特には無さそうだけど……どう?」
「普通の手紙のようですね」
中身は少し百合のような花の香りが焚かれた手紙。その中に目を通せば小綺麗な字で文字が綴られていた。だが、生憎アルデシアにはその内容が読めない。生きていた期間を旅芸人と共に過ごしていたせいだろう。彼等には文字がなくても生きる術がある。
「これは……直ぐにリカルド様を呼びましょう」
「内容は何?」
顔色を変えたジェレマイアはただ首を振るだけ。内容さえ教えてもらえない悔しさに頬を膨らませたが軽く流されてしまった。
「誰か」
鋭い声で呟けば控えていた騎士達が直ぐに駆け付けてくる。纏う白銀の鎧はリカルドが身に付けるものと似ている気がした。それもその筈、彼等はリカルドが指揮をする王宮騎士団の面々。王子であるリカルドにはその指示系統の頂点にたつ役割がある。
「殿下と直ぐに面会を、緊急ですので」
「待て、デーベライナー殿。リカルド王子は王陛下と面会中だ。それを差し置いての面会は許されん」
優先事項を知る上級文官の卵と義と階級を重んじる武官の王宮騎士。鋭い瞳をぶつけあう二人に掛った声は聞いたことがない女性の声だった。
『見たことも無い子だったけどやろうと思えば出来るものね』
流れる漆黒の髪を一房摘んではにやりと笑う。その笑みはアルデシアが浮かべる屈託の無い笑顔とは違う、含みのある笑顔。ジェレマイアの背筋が凍り付いた。
「アルデシア様……!」
『あぁ、アルデシアだったわね。あの子には少し眠ってもらってるの。一つの体に二つの精神は崩壊しやすいのよね。今は私――翠緑の魔女、リアが支配させて貰ってるわ』
妖しく浮かべる妖艶な笑みにぞくりと背筋が泡立つ。誰もが怯むその笑顔だが、先程ジェレマイアと向かい合っていた騎士が直ぐ様剣を抜いて立ちはだかった。
「貴様、殿下の姫を操るとは!」
『そんなの私には関係無いわ。うちの王様がこの子を御所望なの、しっかり手紙にも書いたじゃない』
「戯言を!」
歯を食い縛って剣を振るう騎士に笑みを浮かべながら避ける彼女。ジェレマイアはとっさに叫んだ。
「止めてください! 精神は魔女だとしても体はアルデシア様、致命傷を与えてしまえば取り返しがつきません!」
『優秀ね、その通り。私はこの体を使って王子を殺害し、ブルグナー王国に戻って王の妃にする。完璧で非のうちどころがない計画だわ』
白く長い腕を大きく広げる彼女にただ唇を噛み締めることしかできない自分は激しく愚かだ。あれほどの自信をどうして持ってしまったのだろう。ジェレマイアはただリアが支配するアルデシアを睨みつけた。
その瞬間、微かに黒曜石の瞳が揺れる。人を見下していた視線が苦しみにあえぎだす。
『嘘……眠っている筈でしょう!?』
「それはどうだろうか、姉さん。貴方は自分の力を過信しすぎだ」
必死に体を押さえ付けて支配し続けようとする。そんな彼女の前には青碧の瞳を持つ妹の姿。今頃苦しみに喘いで動けない筈の彼女が何故此処へ。そう言って歯を食いしばる彼女に女性――レイは容赦なく翳した手から燃え盛る炎を出すと真っ直ぐリアに向けて放った。
しなやかな指先から放たれた炎は物凄い速さで彼女に襲いかかるがリアも黙って見ている筈が無かった。直ぐさま片手で薙ぐように炎を払うと距離を取るように後ろに下がる。眉をつり上げながら睨み付けるアルデシアの肉体を支配したリアは火傷を負った腕をむず痒そうに払うと軽く舌打ちをした。
「レイが魔法を使うなんて珍しいわね」
「私も本当なら使いたくはない。だが自分の信念がそれを許さない……対極だからといって屈することも!」
そう言って強く一歩を踏み出したレイは腕を大きく構えると鋭い鎌鼬を放つ。突如として起こる突風に騎士やジェレマイアは一歩も動くことは出来なかった。世の理を操る彼女が恐ろしかった訳では無い。皆事情は承知しているし、対する敵も承知しているつもりだ。だけどもその力が想像以上に強大だったのだ。戦闘に長けた騎士を怯ませる程に。
「どうしたの、翠緑の魔女とはそんなもの?」
両腕で顔を庇いながらも避けるリア。勿論避けるだけのリアでないことをレイは知っている。慣れないアルデシアの体だからこそレイに有利になっているのだから。
『それなら見せてあげる……身の程を知りなさい!!!』
どん、と重い衝撃波が走る。その瞬間アルデシアの体は糸が切れた様に地に伏した。慌てて歩み寄るレイがそっと体を揺らせば彼女は直ぐに眼を覚ます。だけども目覚めた彼女は一瞬で我に返ると顔色を変えた。
「大変……、あの方は世界の覇権を手に入れようとしています」
レイの手を借りようとして自ら頭を振る。戦神のような彼女の姿に皆は忘れかけていたが彼女は今鼓動を打ち、最低限の生活を行う体力しかない。アルデシアは静かに地面に手を突くとゆっくりと起きあがった。幸い、彼女の手の火傷は見かけよりも酷くは無いようだ。
「そこのお前、直ちに殿下に報告を。ジェレマイア、貴方は一緒に」
茫然自失していた騎士に声を掛ければ漸く夢から覚めたように回廊を一気に駆け抜けていく。例え、力の原理は分かっていても目の前にしてしまえば誰も手が出ない。それは分かっているつもりだった。一人唇を噛み締めて拳を握る幼い少年にレイはそっと問いかける。
「私が怖いか、ジェレマイア」
その言葉にふと答える言葉に迷う。怖くないと言ったら嘘になる。だけども幼い頃から見知った人が怖いだなんておかしな話だ。だけども嘘は吐けない。彼は静かに首を縦に振った。
「いつも私とイシュメルに優しくしてくれた貴方が怖いだなんて思いたくはないです」
どうやって笑みを浮かべたら良いのかわからない。それは傍らに佇むアルデシアも同じだった。
「私は夜眠る度に自分とは何なのかと問掛ける。人とは体力に劣るが子も産めた、話も出来るし考えることも出来る。眠りに落ちる時に達する結論はいつも私は人である……そうなってしまう。……人って何?」
人を傷付けない為に魔法を使うことを封じた。人らしく生きるためにはそれが必要だと信じていたからだ。だけども無制限に魔法を使う姉はそんなことも露知らず、彼女に体力減少の枷をはめた。
それでも良い、と言っていた日もあったのに、長く生きれば生きるほど欲張りのように守りたいものは増えていく。
「人は自らの欲望に順ずる生き物、私はそう思います。だからこそ、全力で生きる。それが人らしさではないでしょうか」
人の欲望や嫉妬、怒りなど全ての感情に意味がある。意味がなければ人は感情がなくても生きていける。彼が言いたいのは多分、そういうことだろう。
レイはジェレマイアに歩み寄ると大きくなった手を握りしめる。人が欲望に生きるのならばそれを止めるのもまた、人間ではないか。
「私は長くは生きられない。だからこそ今リアを止めたい。力を貸してくれるか?」
「私はレイ様個人に協力することは出来ません。ですが……それがセーヴェリングの未来に関わるのならご協力致します。――でもどうやって?」
「まずは私が魔法を使っても体力を消耗しないようにしなくてはならない。先程の魔法でもう眠気が途轍もない……そんな中で戦うのは無理だからな。その為には私が司る理を分けようと思う」
レイが司る理は主に炎、水、氷、風、雷、闇、光を指す。数が少なくなればリアからの影響も少なくなると考えたのだろう。理論的にはジェレマイアも合点がいった。
だけども隙の無いと思われた理論に慌てて抗議の声をあげるアルデシア。
「でも……そうしたらジェレマイアまで体力を奪われてはしまいませんか?」
「それはやってみないと分からないと思います。ですが、私に力を使う度量が備わっていれば問題はありません……レイ様にこの命、預けます」
わかったわ、と静かに頷いたレイはそっと銀色の髪をくしゃりと撫でて優しく微笑んだ。
その瞬間、凄まじい衝撃と共に彼女の回りを彩り鮮やかな球体が縦横無尽に飛び回る。それはまるで生きているかのように見えた。
「私の力は精霊の心と共感し、力を引き出す精霊魔法。貴方に闇の精霊と言葉を交す力を与える……覚悟は?」
「貴方を守る盾となりましょう」
そういって静かに膝を折る。それはまるで王に忠誠を誓う臣下のような二人。その姿をじっと息を飲んで黒曜石の瞳は見つめていた。
二人を包むのは漆黒の闇なれど夜空の瞬きにも似た優しい光を持つ、そんな闇。力の継承に眼を離す事は出来なかった。
+++++++++
「ブルグナー……動き出したか」
仕切りに扉を叩く兵士達は次々に城内に侵入したブルグナー兵士について情報を持ってくるが多くは討伐完了の知らせ。彼女は安堵したが表情は今だ固いままだった。
「翠緑の魔女……心を許したのは自分の罪」
アイリーンはそう呟くと持っていた兵法書を胸に抱く。その中の知識は当の昔に頭の中に入っているが、本を持っていると自然と落ち着くことが出来た。
ある日突然自分の身に起きた変化。それを甘んじて受け入れない世界が憎くて堪らなかった。どうせなら世界が私のような力を手に入れて混乱すればいい、そう思っていた。
そんな時に手を差しのべたあの魔女。それは彼女にとっては救いの手となる筈だった。だが、それは力を持つ魔女が覇権を握る絶対服従の世界。彼女に逆らえば消されてしまう、そんな世界。
(間違っていたのは私。少しでもこの国を守らないと……ブルグナーと同じ様になってしまう)
本当は間違いを認めるのも嫌だった。だけども自分が招いた結果は余りにも酷かったから。
「アイリーン軍師、いますか!?」
飛込んできた少年騎士は白亜の外套に見を包んで丈の短いショートソードを背に背負っている。よく城内でみかけるデーベライナー兄妹よりも少し幼いくらいだろうか。
「第二王子……何故此処へ」
第二王子、その名の通りこの少年は紛れもなく第一王子リカルドの弟であり、異母兄弟。瞳の色は鮮やかな萌黄ではなく、海のように綺麗な青。
「僕の名前をいい加減覚えてください! ガブリエルです!」
「ガブリエル王子、今は貴方は母君の側に……――」
この少年は確か十を過ぎたばかり。そんな彼が剣を握っても役立たず出しかない。軍師の目からそう見えても少年はきっと否定するのだろう。
「兄上が父上を助けているのです! 僕だって出来ます」
「はいはい、糞坊主の減らず口はそこまでだ」
そう言って上から押し付けられるようにくしゃりと頭を撫でられる。見上げれば心底憧れる兄の姿。自分が背負うショートソードも兄の大剣コルタナと比べれば可愛い玩具の様。
「アイリーンの言う事を聞け……今は修羅場なんだ」
悔しそうに呟く兄に思わず息を飲む。この年の離れた兄は母が違くても気を掛けてくれたし、本当の兄のように接してくれた。ガブリエルの母がどんなにリカルドを忌み嫌っていてもそれは赤の他人だから。血の繋がる二人には同じ様に守らなくてはならないものがある。それが王子としての使命。
「もう少しでブルグナーは本気で攻めてくる。お前は妃様と一緒に弟や妹たちを守れ、いいな?」
大人に話すように何も隠さず全てを話してくれたのはガブリエルが頼んだことを出来ると思ったから。勢いよく頷いて踵を返す弟を見送るとリカルドはアイリーンに向き直った。
「厄介を掛けたな」
「お気になさらず……それよりもブルグナー王国が」
そうだ、と頷いて見せるリカルドにアイリーンはただ唇を噛み締めた。引金を引いたのは紛れもなく自分。平和を求める者達を戦火に突き落としたのも自分。
「先程【蒼空の回廊】やらに侵入者があった。直ちに軍を出陣させろ、陛下からは許可を貰った」
「それでは……レイ達も?」
そうなるな、と眼を伏せるのには理由がある。何故ならレイを筆頭として能力者たちがこの国を守るために立ち上がった。問題はその中に彼の婚約者がいること。
本当は戦場なんかに立たせたくない。だけども彼女自身がこの国を守るために、と立ち上がった心を否定することなど出来ない。それに――。
「ウィレムが何故か彼女に執着しているらしい。報告によればアルデシアの体を乗っとり、陛下を暗殺してブルグナー王国に戻るのが翠緑の魔女の役目だったとか」
「アルデシア様……?」
訳が分からないという顔をして見せれば勿論リカルドも頷く。
ウィレム王と言えば国との間に亀裂が生じるまでは良きライバルであったはず。リカルドの婚約者として知っているであろう彼女に一体何の目的があって――。
「魔術なら魔術で対抗するしかない。お前は直ちに軍を城下に集結させよ」
「……御意」
本当は公に力を使ってしまいたい。彼女が操る転送魔法があれば接近しつつあるブルグナー王国軍などまとめて海に突き落とすことが出来るのだから。
――ならば、自分が一人で動けばいい。
出ていったリカルドを確認すると補佐の名を呼ぶ。静かに部屋に現れた中年の男に兵士達の招集命令と彼女が戻るまでの指揮権を託す。恭しく頭を垂れる男に退出命令をするとアイリーンは手際よくカーテンを閉めた。
(自分が冒した過ちは自分で片付ける……!)
気を集中させれば背中に感じる暖かさ。それは次第に形を帯て立派な翼に変化する。淡い光を放つそれは決して実体ではない。だけども空を駆けるには不可欠なもの。
アイリーンは静かに翼で体を覆い隠すとそのまま消えた。
+++++++++
西を支配する王国ブルグナー。嘗ての王は死に,ただ一人生き残った王子を王として立て、実権を握るはずであったのに何故自分が責められなくてはならないのだろう。国を奪うにはこの王、どうやら賢すぎたらしい。
「魔女、何故戻った。俺はセーヴェリング国王を殺し、歌姫を拐ってこいと言ったはずだ。その手の火傷は何だ」
「煩い! 予想外の事態が起きただけよ」
赤くただれた手は予想よりも酷く、神経は焼き切られてしまっている。これは直ったとしても手に障害が残るだろうか。
レイとリアは対極の存在。互いに魔法をぶつけあえばかなりの打撃を受けてしまう。対極の理の影響を受けないアルデシアに憑衣していたのはある意味幸運だったと言える。
「私はあんたを王にしてあげたの。それを忘れれば死へ繋がるわよ」
急激な圧力はリアが威圧するように力を高めているせい。それでもウィレムは平然として彼女を見つめた。幾度も威圧されたせいで強力な力に体が馴れてしまったらしい。
彼は軽く舌打ちをすると玉座から立ち上がり魔女を静かに見下ろした。
「セーヴェリング王国を制圧したあかつきにはお前に統治権を与える……いいな?」
それは自分とリアの距離を取ることを意味する事実上の左遷命令。いくら力があるものが統治をするべきであっても恐怖政治はいらない。力があっても穏やかな世界を――。そう思って思わず苦笑する。どうやらリカルドの平和主義の考え方が移ってしまったらしい。
「ふぅん、まぁいいわ。どうせ世界は私の手で踊るだけ。どこを支配しようとそれは変わらないわ。でもね、貴方は私と同じよ? 欲望のために自分の家族を見捨てたんだから」
くすくすと耳障りに笑うリアに怒りをぶつける訳でもなく、ただ哀れに思った。破壊でしか未来を見い出せない彼女。力があるからこそ、それにすがって生きているのが分からない訳でもないだろうに。嬉々として彼に背を向けるリアの背をただ見送った。
「賢い選択だね、人間にしては」
鈴のように転がる声に視線をあげるとそこには美しい紫暗の色を持つ艶やかな髪。いつも魔女につきまとっているこの人間は一体何を考えているのかも想像できない。
「あの子の世界は狭いからね。言うだろう? 世界は広いって」
「何がいいたい」
灰色の瞳を細めて見せればただ笑った。
その笑みはまるで世界の全てを知るかのようで問いたい気持ちと頼ってはいけない気持ちがぶつかりあった。
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