光のラナンキュラス

Act.5 魔女と呼ばないで

 一瞬にして奪われた平穏、人の温かささえも忘れさせる戦争を前に言葉さえ紡ぐことが出来ない。暖かなアイリーンの腕に抱かれながら必死に言葉を探していた。

「私……わたし」

「泣くなら黙って泣け。……セーヴェリングに戻るぞ」

 冷たい瞳が地面にいる兵士を一瞥する。必死に矢を番えては放つ彼等の攻撃は二人には届かない。アイリーンは静かに馬鹿め、と嘲笑を浮かべると力強く翼を羽ばたかせた。

「待ってください、セーヴェリングに戻るって言ったって王都は陥落、リカルド様も戦死なされてしまってますわ。……それに」

 姉や母のように慕っていたレイやローレン、フィーリも何処に行ったか分からない。ただ分かっているのは忌々しいウィレムの腕の中でぐったりと眠るアルデシアの姿。彼女は王太子妃の身分に決まっていた者、ブルグナーの国王に座ったウィレムが利用しようとしていることは子どもであるイシュメルにもお見通しだ。

「案ずるな、私とて闇雲に飛んでいるつもりはない。レイの波動は特に強い、感知するのは簡単だ」

「そう、ですの……」

「お前は私を問いつめないのだな」

 え、と顔をあげれば少し悲しそうな表情を浮かべるアイリーン。その背にあるのは人としてはあるはずの無い異形の翼。だけどもその白さは余りにも眩しくて、そして神々しくて――。

「綺麗ですわ、とても」

 まるでその姿を例えるならば神から遣わされた天使。彼女の色素の薄い白い肌と金髪が際立って見える。
 その言葉にアイリーンは静かに目を伏せるとそうか、と呟いただけだった。
 それから暫くは静寂が支配していた。否――羽ばたく音だけが空を支配していた。辺りの様子が分かる程度の高度で空を舞うと彼方にセーヴェリングの城が見えてくる。その城下街は炎に包まれついて黒い煙を静かに立ち上らせている。そして、城の頂を支配する国の旗はブルグナー王国の文様。

(私の浅はかな考えが国を一つ潰したのか……)

 国など脆いものだとぼんやりと眺める。だけども両腕に抱えられた少女は違った。抱えるアイリーンの手が震える。何かと思えば大粒の涙を流して城を見つめるイシュメルの姿。

「お父様……兄様」

 悔しそうに呟きながら片手で必死に涙を拭う彼女を見て思う。高が一つの国ではない、この少女にとっては故郷だったのだ。それを自分は一つの国という客観的な目で見てしまう。軍師とは客観的な判断が命の職業。このような豊かな感情を断ち切ったのはいつだっただろうか。
 アイリーンは静かに小脇に抱えていたイシュメルを両腕にしっかりと抱きしめた。少しでも辛い感情が和らぎますように、と願って。

「――うああああん!!」

 大声を上げて泣きじゃくる彼女を諌めることはしない。こんな出来事で人生を達観などしと欲しくない。
 アイリーンは静かに柔らかく細い銀髪を櫛削る。そして自分の中に眠っていた温かな感情にやっと気がついたのだった。



+++++++++



「リカルド様が……戦死?」

 女性にしては低い声が確認するように響き渡る。真偽を問うような青碧の瞳に報告に参上した兵士は思わず臆する。何もかも見透かすような瞳は余りにも強烈でずっと目を合わせているのも辛い。

「はい。アルデシア様、護衛についていたジェレマイアも行方知らずとなっています」

「皆、ばらばらになってしまったのだな」

 ふと息を吐くと思い出されるのは愛する人の事。潜入から一度も再会することが叶わなかった彼。せめてもの救いは赤子が無事であること。腕の中ですやすやと眠る顔を見れば見るほど、横で嬉しそうに微笑んでくれている筈の人が恋しくなる。

「カブリエル王子も、と言うことね。そして血筋は絶えたと言うこと」

絶望するような口調で呟く青碧の瞳を持つ女性――レイはそっと立ち上がり冷たい風が吹き抜ける草原に立ち尽くす。厚い布で包まれている赤子はまだ眠り続けている。

「恐らく」

 いつもならレイに直接詳しい報告が上がって来る事はない。だが、今は城に残っていた高級文官、並びに高級武官が全滅したと言うことだろう。今此処にいる分かる範囲での地位の高いものは客人であった筈のクラルヴァイン王国王女フィーリ。次点には上級武官となったばかりのレイ、中級武官のローレン。

「頼りないわね……私たちじゃ」

 せめてリカルドさえ生きていてくれれば士気もまた違っただろうに。そう思わずにいられないのが自分の弱いところだと戒める。だけど、込み上げる不安は変わることは無かった。

「ですが、翠緑の魔女に対抗できるのは貴方様しかおられません! あやつが城を占拠しているといいます!」

「ウィレム王ではないのか」

 大きく目を見開く彼女に兵士が強く頷く。ならば、好都合だったかもしれない。翠緑の魔女――リアの力に対抗できるのは力を分け与えたジェレマイアを除いて三人だけ。

「私を除いた五番目までの地位にあったものを呼んでくれないか、対抗策を考える」

 はっ、と敬礼をして去っていく兵士を見送るとレイは抱いていた赤子を見てふと思う。そういえばジェレマイアに自分の"闇"の魔力を委譲したことで自分の中に変化が起きていたことに漸く気がついた。

(……体が軽い。この子が持てる)

 力を委譲するまでは、体は鉛のように重く、赤子を抱くことも困難だった力。だけども長時間抱いていることも、戦場に立てたこともそうでなければ説明が付かない。
 自分自身に一体何が起こっているのだろう。それを考えると自分という存在に恐怖を感じた。

「レイ?」

 鋭い声音だけども優しいその声に振り返ればそこには紫暗色の猫目が特徴的なフィーリの姿。呼んでからそう時間が経っていない筈なのだが、と首を傾げて頭を掻く。

「どうしてるかと思って寄ろうと思ったら兵士さんに呼ばれてね」

 彼女の纏っている衣装はいつもの深紅のロングドレスではなく深緑を基調とし、襟を詰めており、足元はスリットとブーツが見える。流石にあのような格好では戦場で目立ちすぎる。それを気にして着替えたのだろう、それでもあの深紅のドレスは戦いで無惨にぼろぼろになってしまっている。

「これから先ね、どうしたら良いのか分からなくなっちゃった。こんな乱世、誰が想像できたんだろ」

「未来など、神だけが知る。私達は存分にあがいてやるさ。短い命だからな」

 自嘲するように微笑む彼女にフィーリは少し悲しそうな表情を浮かべる。この力を持ったが為に様々なことを狂わされてきた。このまま甘んじて運命に身を投げる覚悟はあるとは思えない。――更に言えば私達はどのくらい生きられるのだろう。

「お前に聞きたいことがあったんだ」

 何、と首を傾げればレイは眉間に皺を寄せたまま、口元に手をやった。

「今でもクラルヴァインに連絡は取れるのか?」

 そういえばこの戦いが起きるなんて予知は出来なかった。だからこそ、城の者に何かを託すことも、知らせることも出来ていない。

「伝書鳩があれば出来ないことはないわ。届ける相手を間違えなきゃ良いけど」

「ならば、話が始まる前に頼めるか?」

 了解、と悪戯っぽく敬礼してもレイは笑顔さえ見せなかった。
 静かに天幕を出て空を見上げる。大きく流れ行く雲が早い。もう少しすれば風が強くなるだろう、それを見極めて伝書鳩を飛ばしてやれば早くクラルヴァインに着ける筈だ。
 だが、伝書鳩など何処に行けばあるのだろう。王宮では侍女に頼めば直ぐに持ってきてもらえた。だけどもここは男ばかりの野営地、そんな気の利いた人がいるとは思えない。

(……兎に角、誰かに声をかけなきゃ始まらないよ)

 そう強く自分にいい聞かせて辺りを見回す。だけども回りには身分の低い兵士、恐らく民兵で集まったものだろう。寝ころんで休息を取る者や武器を研ぐ者。誰も伝書鳩とは掛け離れたような人ばかりの中で一人の人物に目が吸い込まれた。
 辺りとは明らかに違った雰囲気とその逞しい腕に摺よる鳩達。きちんと餌付けをされて人に慣れた様子の鳩達は嬉しそうに鳴き声をあげている。
 この人なら助けてくれるかもしれない。そう思って駆け出した瞬間、鳩達はフィーリの姿に驚いて空高く舞い上がってしまった。

「そ、そんなー……」

 がっくりと肩を落として紺色の空に去り行く純白の鳩を恨めしそうに見上げる。

「お前、正真正銘の馬鹿だろ」

「なっ!」

 真っ直ぐに侮辱されれば流石にカッとなる。猫目がちの瞳を鋭くさせた先にいたのは美しい流れる金髪に海のような深い青の瞳を持つ青年。だけどもその表情は明らかに彼女に対して嘲笑を浮かべている。

「で、伝書鳩は人に懐いているんでしょ! 何で逃げるのよ!」

「だから馬鹿だっつーの。駆け寄れば逃げるぞ、俺も」

「やだー、レイに怒られる……最悪」

 更にがっくりと肩を落とすフィーリに青年は静かに形の良い片眉を上げた。

「レイ……? あぁ、青碧の魔女のことか」

 その言葉に思わず目を見開く。その言葉はまるでリアが力を示すために自らを名付けた名前、翠緑の魔女の様な響き。だけどもレイはリアと違う。戦いを止めて安らかな世界を目指すために戦っているのにそんな呼び名、あんまりだ。
 気がついた時には自分でも信じられない勢いで彼を怒鳴り付けていた。

「レイをあんな侵略者と同じにしないで! 私達は普通の人と変わらない、ただ静かに暮らしたいと願っているだけ! それに、こんな国、好きじゃなければ守ろうなんてしない。好きだから守ろうとしているのに侮辱するのはあんまりだわ!」

 怒りを一気にぶつけて残ったのはただの虚しさだった。自分達は人と違い、人に分類できないと言われてしまうのだろうか。そんな恐怖が支配していく。

「……悪かった。気にしてたんだな、紫暗の魔女姫」

 その言葉にキッと青年を睨みつければ彼は肩を竦めて見せるだけ。言葉では謝っても表情は平然としていた。
 どうせ、人は皆自分と違うものをのけ者にする。そしといつか人類の敵だと決め付けるのだ。そうして歩む世界など先は見えている。
 悔しくて、言い返せない自分がいることもまた確かだった。

「だけどな、俺達には羨ましいんだ。お前らみたいな力があれば今回の襲撃だって乗り越えることが出来たかもしれない。殿下を戦死させずに済んだかもしれない。そう思うと――お前らが羨ましいし、憎い」

 どうやら、この青年は思っていることを真っ直ぐ口に出す性らしい。だけども思っていることを隠されるよりはずっと良い。
 青年は静かに指を口に挟むとまるで笛のような音を奏でる。これが口笛、というやつだろうか。その瞬間、遠くに逃げ出していた筈の鳩が帰ってきたのだ。

「鳩……帰ってきた」

「見ず知らずの奴は流石に驚いちまう。だが、世話をしている俺の様子を見て、害が無いとわかったんだろ。怖いと思ったなら帰ってこない」

 クルル、と鳴き声を鳴らして擦り寄る姿が愛くるしいと思う。その感情は確かだし、この小さい生き物が可愛いと感じる。
 ――私は胸を張って一人の人間だと言いたい。
 そんな願いでも込めるかのようにフィーリは静かに座り込むと持っていた紙に文を書き込んでいく。それを小さく纏めると鳩の足にくくりつけた。

「お願い、――あの子に届けて」

 そういって青年から鳩を受け取ると空高く、放り投げる。数枚の羽がはらりと落ちるのも気にせず鳩はぐんぐん高度を上げて、そして彼方へ消えていった。

「お前、誰に――」

「エルヴィン様、並びにフィーリ様、戦略会議が始まりますのでどうか天幕へ!」

 青年――エルヴィンの声を差し置いて響く兵士の声に彼は軽く舌打ちをすると兵士を睨んでいた。恐らく自分の言わんとしたことを割り込んで報告してきたことに苛立ったのだろう。竦む兵士をフォローするようにフィーリは兵士の背中を押す。

「わかった。直ぐに行くから、ね?」

「は、はい」

 まるで蛇に睨まれた蛙のように震える兵士にそっと助け舟を送ってやる。すると兵士はほっと息を吐くと慌てて逃げ出すように駆けていった。

「ほらエルヴィン、行くよ」

「……一国の王女がどうして此処にいるんだよ! お前達クラルヴァイン王国は中立なんだろ!?」

 引きずるように腕を掴んだフィーリの手を振り払って真っ直ぐ睨みつける。その瞳にはこれまで無いくらいに憎しみが篭っていて、余りの強さに思わず後ずさってしまった。
 この襲撃が行われる前にもブルグナー王国とセーヴェリング王国は百年に渡り戦いを続けている。その争いを激化させないようにクラルヴァイン王国は不干渉の条約を両国に締結させた。それは戦いを好まなかったクラルヴァイン王国の残した希望の光であり、唯一の理性。それが崩れてしまえばこの世界は崩壊の一途を辿る。だけども王女であるフィーリがこの場にいることでその締結は最早無意味。王位継承権を持つ彼女は生きているだけで絶大な影響力を持つ。ましてや、女性主権国家ならば。
 だけども、フィーリの様子が変わることはなかった。

「そうね、後継者ならば国自体に干渉できない。だけどね、あたしなら出来るんだ」

 口元に人差し指を置くとレイにも言ってないから言わないでね、と前置きする。そんな彼女が何故か実に楽しそうに見える。そして彼の予感は的中した。

「剥奪されたの。王様になる権利」

 そういって笑う彼女は何故かとても清々しくて、綺麗だった。

「あたしは異端だから必要無い。あたしが王様になるんだったら禁を破って弟を王様にするって。そのぐらい嫌われてるんだ」

 女性主権国家に生まれた世継ぎの第一子であり、且つ望まれた女性。それなのに人と違うから王位を継ぐに適さない。元々政治に興味がなかったフィーリにとっては願ってもない話ではあるが巻き込まれてしまった弟が不憫でならなかった。

「お前……」

「だから、私はやりたいことをやる。だから、友達を助けたい。これでも文句ある?」

 真っ直ぐに見つめて来るフィーリに彼はもう何も言わなかった。王族は皆太陽のように明るくて、夜に潜む月を知らないような人ばかりだと思っていた。だけで違う、彼等も自分達と同じ人であり、傷つけば涙を流す。
 決して自分の力に酔いしれる"魔女"ではないのだ。先を歩く彼女にそれ以上言葉を発さずに後を着いていく。数多くある天幕の中で間違いもせずに入っていくフィーリに舌を巻ながら続いて足を踏み入れた。

「エルヴィン・ドレッセルは……貴方?」

 入口から真正面の位置を陣取るのは赤っぽくも、黄色っぽくも見える茶髪と青碧の瞳が印象的な背の高い女性、紛れも無くそれはレイである。彼は早く返事をしろ、と小突くフィーリに押される形であぁ、と一言呟いた。

「これで全員揃った。話を、始めようか」

 その言葉で場の緊張感が一気に高まる。中央に陣取るレイ、その左側にはローレンが控え、右側には見慣れない茶髪に深緑の瞳の青年。恐らくエルヴィンと同じくらいの年齢だろうか。その容貌はどことなくリカルドと似ているが色だけで、他人の空似だと納得した。

「セーヴェリング城が翠緑の魔女に乗っ取られた今、フィーリを通してクラルヴァイン王国に書状を出した」

「ですが、クラルヴァイン王国は不干渉条約で立入は出来ない筈ですが……」

「問題無いよ。あたしが一番信頼している人に送ったもん。絶対約束を取り付けて見せる」

 訝しげにフィーリを一瞥する青年に彼女は自信を持って頷いて見せる。クラルヴァイン王国を説得できる唯一の人物はフィーリだけ。例え、彼女が王位継承権を剥奪された身だとしても生粋のクラルヴァイン人である彼女を見過ごすことは出来ない筈だ。

「ユリウス殿、クラルヴァイン王国は決してフィーリを見逃さない。国の者の失態は国の失態になる」

「確かに、その風習は我等と変わりませんが……」

 緑の瞳の青年――ユリウスは暫くして漸く納得したように頷く。その時、急に外が騒がしくなった。どよめく兵士達の声、それを蹴散らす苛ついた声に確かに聞き覚えがあった。

「まさか、生きておいでだとは……」

「あの戦いで指揮を取っていた筈では」

 兵士達はどうやら此処で会議を行われているのを知らないらしい。その声は一番出入り口に近かったフィーリとエルヴィンが聞いていた。

「レイ様は何処ですの!?」

「そこの天幕に……。お、お待ちください、軍師!!」

 もうそろそろ来るかな、と頬杖を突いて待ち構えたレイは苦笑を浮かべる。普通の人とは違う波動、異様に高い自尊心。全ては一言で片づけられる。
 ――貴方も私達と同じだと。
 突如、乱暴に開け放たれた天幕に決して驚きはしなかった。乱れた髪をも整えず、息を乱して余裕のない表情はありありと分かる。
 そしてその後ろから入ってきた少女に目を見開いた。

「イシュメル……!」

 おずおずと入ってきた少女にレイが声を掛ければ曇っていた表情が一気に晴れわたった。先に入ってきた女性――アイリーンの手を離れて飛び付いてきたその体をしっかりと受け止めた。

「ご無事で何よりですの。兄様はあれか行方知れずで……アイリーン軍師と羽で飛び回ったのですけど全くでしたの」

 あぁ、それでか、と納得する。いつも完璧で頂に居ないと気が済まない彼女がこんなになったのはイシュメルの兄、ジェレマイアを探すため。今だ行方の掴めないのは彼だけだからだろう。

「羽、だと?」

 イシュメルの言葉にエルヴィンが眉を潜める。それはレイ達も同様だった。漂う雰囲気が一気に変わったのを察してイシュメルはしまった、と恐々とアイリーンを見上げたが決してその表情は変わらなかった。

「ふん、私がお前等と同じ能力を持っているのが気に入らない。虫が良いだろうが、今頼るべきなのはお前達。私の選択肢は既に潰えていた」

「その言い方、気に入らない! 驕り高ぶるのもいい加減にしなさいよ!」

 思わず怒鳴り付けるフィーリの声を聞いても動揺することは一切無い。その代わりにアイリーンの瞳に宿す光が一気に温度を下げた。

「そういうお前達はどうなのだ。私がいなければ兵一つ満足に動かせない癖に。理論だけで成り上がった奴が軍師……笑えるな」

 理論と現場、それは光と闇のように対を成す。だが、どちらが欠けてもうまくは行かない。互いに欠かすことのできない存在。だからこそレイは反論はしない。だが、彼女は珍しく不敵に微笑んで見せた。

「なら、理論しか出来ない私達に何を求める?」

 滅多に見せないその笑顔にぞくりと背筋が粟立つ。それに憶する表情を押さえ込んでアイリーンは静かに呟いた。

「人員、それだけだ」

「それは余りにも都合が良すぎると思いますわ。私達も命からがら逃げた身。今更兵士達が再び戦おうと思うとは思えません」

 それまで黙っていたローレンが口を開く。言い争いを好まない彼女がそこまできつく言うのは珍しい。

「あんたなら兵士を戦う気にさせられるって言うのか?」

 城を占領され、世継ぎを奪われ、家族を人質にされていることを忘れたわけではない。だが、戦わねば取り戻すことは出来ないことをこの場にいるもの達は承知している。
 それを知らずにただ怯える兵士達に無理強いすることは出来ない。だが、レイは漸く合点がいったようだった。

「クックック……なるほどな」

「無駄に頭の回転が良いのは助かるものだ」

 二人は冷たい視線を混ぜ合わせながらも逸らすことは無かった。その間には憤りというよりも呆れが漂う。その異様な空間に何が交わされているのかわかった者は誰も居なかっただろう。それを察したレイは徐に口を開いた。

「私達が象徴となった反乱軍。異端の存在を大きく出すとは、な」

「異端だからこそだ。セーヴェリング王国を乱したブルグナー王国に怒りの鉄槌を下すために現れた神の化身。幾らでも言い表すことができるだろう」

 言葉は操ることで如何様にも変えられる。そう断言するアイリーンにローレンは軽く目眩を起こしていた。何故なら自分達の目的は平穏に過ごすこと。それを願っていたのにいつの間にか表舞台へと引きずり出されている。勿論、異端の自分達が神の怒りと言う名を持って前に立てば兵士達はついて来るだろう。だけども実際を考えれば騙しているようで心苦しい。

「……面白い」

「レイ!」

 咎めるように叫ぶフィーリを片手を上げて制す。
 自分達の能力を知っても尚力を隠していたアイリーンを信用することが出来ないのは当たり前である。だけども自分達の扱われ方を見れば明かすか、明かさないかは当然戸惑うに決まっている。

(――魔女、だもんね)

 翠緑の魔女、青碧の魔女、紫暗の魔女姫。まるで自分達が力に陶酔しているような名前。そんな扱われ方、人間性を知っている人ならそんな呼び方、絶対にしない。

「その代わりに兵士達は私達に絶対に従え、象徴なりに扱わせろ。そうでなければ信憑性はない」

「元より、そのつもりだ」

 ならば良い、と呟くレイ。段々二人のペースに引きずり込まれつつある五人に漸く二人は目を向けた。
 今更同意を求めるつもりはないのだろう。訳が分からないという表情を浮かべるエルヴィンとユリウスを除けば半ば呆れ顔だった。

「ならば私達は救いの女神"ブリガンティア"となろう」

 ――ブリガンティア、それはある神話における守護女神。その意味は高貴なる者。神の怒りの具現化ならば丁度良い名前だろう、とレイは少し悲しそうに笑った。
 その瞬間、どん、と空間が乱れる。押し潰されそうな程の圧力に思わずひざまずく。本物の魔法を知らないユリウスとエルヴィンは目を見開いた。異変の根源――レイを見れば淡く輝く魔法陣に包まれる姿。未だ見たことない後継にうずくまったまま、動くことが出来なかった。

「リア――翠緑の魔女に対抗するには私の力が必要。まぁ……神から遣わされた力でもなんとでも言っていい」

 少し投げやりな言い方ではあるがその額にはうっすらと汗が滲んでいる。一体なにをやるつもりなのか、その挙動を見逃さないよう必死に見つめつづけた。
 すると白銀の光を中心にして色鮮やかな光が球状になって回りはじめる。そしてそれは標的をみつけると真っ直ぐに飛び出した。圧力に平伏す彼等に向かって。
 淡い水色の光はふよふよとイシュメルに溶けて霧となって消え、黄緑色の光は真っ直ぐにユリウスに纏うと衝撃波を放って消える。金色の光はまるで矢のようにアイリーンを貫き、深い青の光はエルヴィンに纏って結晶をなす。
 そして最後の紅の光の行方を見たものは誰も居なかった。



+++++++++



 誰かが私を呼ぶ。
 その声に着いて行きたい衝動を必死に押さえていたのに、その枷は簡単に外れてしまった。
 辺りを見回せばそれは色の無い、灰色の世界。その世界が変だと感じて夢の世界だと悟る。それでも漂う香りや感触、全てが本物の様だった。

「本物……いえ、夢だわ」

 改めて自分に言い聞かせないと間違えてしまいそうになる。確か、今の自分はまだセーヴェリング城にいるはず。ウィレム王のブルグナー王国への帰還準備が整うまで一室に監禁されている。そこで泣き疲れて眠ってしまったのだろう。彼女は暫くシーツに顔を埋めて瞳を閉じたのだった。

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