光のラナンキュラス

Act.12 鎖人


 夢を夢と認識出来るのは生まれて初めてだった。恐らく彼女がいるこの場所は雲珠桜の回廊だろうか。殆んど来客が多かった彼女にとっては誰かが居ないと直ぐに道に迷ってしまう。幾ら三年間、同じ場所にいたとしても癖は変わらない。

(確か、上が蒼空の回廊……リカルドがいた場所)

 ふと心に陰が落ちる。もしここが夢であるならば、リカルドに会えるかもしれない。夢でもいいからもう一度会いたかった。
 階段を上がると碧を基調とした道が長く続く。普通王が歩くのは紅の絨毯ではないのか、とレイに聞いた事があった。

『此処は東の国、古来より東は春を司ると言われている。だから、灼熱の赤よりも、濁りの無い白よりも若々しい碧が似合う』

 そういうレイの表情が少し自慢げだったのはつい最近のことのように思える。
 この灰色の世界に入ってから誰も擦れ違うことのない異様さに警戒心を高めながら辺りを見回した。

(……やっぱり会えないのかな)

 そう思ってそっと壁に寄りかかる。このまま居てもどうしようもないのは分かっている。だけど、目覚めればウィレムによっとブルグナー王国に連れ去られてしまうだろうし、目覚めなければ肉体は衰えて死んでしまう。
 ぼんやりと思案しながら溜め息を吐く。どうせならこのまま霧のように居なくなった方が楽かもしれない。一人で居れば考えは傾いていくのは重々承知している。だけども此処は夢の世界。誰も侵入することは不可能、な筈だった。
 ――がたん、と響く音。それはあるはずの無い騒音。彼女は慌てて壁から体を起こすと恐る恐る音の響く方へと足を向けた。
 時折聞こえて来る騒音に耳を澄ましながらそっと歩く。だけども彼女が予想していたところより騒音の根源は近かった。

「リカルドの……部屋?」

 壮麗な彫刻が施してある扉に手を掛ける。少し擦り減った金具に胸がちくりと痛むのを無視して彼女はそっと扉を開け放った。まるで時が止められたかのように変わらない部屋。
 最早泣き疲れている筈なのに溢れてくる涙は止めることが出来ない。瞳は現実を受け止めても心がそれを否定している。噛み合わない心と体、もう限界だった。

『……アルデシア?』

 幻覚が心を乱す。見ているもの、聞こえるもの全てを信じてしまいたい。だけども、信じてしまえばきっと自分が自分でなくなってしまう。耳を塞ごうとした時、強く腕を引かれた。

『アルデシア!』

 強く呼び掛ける声にはっと顔を上げる。
 会いたかった、だけど会いたくなかった。優しいあの人が今目の前にいる。

「リカルド……」

『気を確かに持つんだ、夢と言っても自分が作り出した心の混沌に飲み込まれるぞ』

 そう諭すリカルドの瞳は強く輝いている。だけども彼女は確かにあの時目撃していた。彼がウィレムの一撃に倒れ伏し、必死に傷口を押さえたけれども溢れて来る鮮血。まさか、あれが夢だとでも言うのか。
 ――そんな筈は、ない。

『分かってる、俺だって信じられないくらいだ』

 まるで心を読んだかのような口ぶりで話す彼にアルデシアは眉を潜めると静かにごめん、と呟いた。

『確かに俺はあの時、死んだ。それから気がついたら此処に居たんだ』

「訳が分からないわ。だって貴方は……――」

 力を持っていない普通の人。死して尚此処に留まる力も無いはずなのに。
 だけども何かを悟ったような表情をしたリカルドは静かに首を振った。

『俺は伝えなきゃいけないことがあるんだ。ずっと先の奴らに。だから俺は……』

「"鎖人"になった……君も馬鹿だねぇ」

 第三者の声に緊張が走る。だけども声の主はいつものように空に浮かぶ訳でも無く、扉に寄り掛かりながら笑みを浮かべている。その紫暗の艶やかな髪と血を思わせるような紅玉の瞳は爛々と輝いていた。

「貴方……!」

「ふふふ、そんなに眉を釣り上げて。美しい顔が台なしだよ、――歌のアルデシア?」

 くすりと綺麗に笑うのは確かリアと一緒にセーヴェリングを襲撃した麗人ジークフリード。人間とは思えないその容姿とはかりしれない能力、それ以前にどうして自分の夢の中にいるのか考えると怖かった。

「そんなに怖い顔をしないでおくれ。寧ろ感謝して欲しいよ……人の精神に入り込んだんだから」

 人の精神を一言で表すなら混沌の海。あらゆる方向から様々な考えが押し寄せてくるのだから人間が入り込んで正常でいられる筈がない。

「何が目的なの!」

「簡単なことだよ。長い目でみれば君を助けに来た」

 睨みつけるアルデシアに心外だ、と肩を竦めるジークフリードはふと視線をリカルドに向ける。それをあからさまに罰が悪そうに背ける彼にアルデシアは少なからず異変を感じていた。

「君はこのままウィレム王の妃になるつもりかい?」

「そんなの……真っ平ごめんよ! それなら死んだ方がマシだわ」

「それなら良かった」

 決意を秘めた瞳に満足したのだろう。何故かジークフリードの瞳はこれまでに無いくらい優しかった。だけどもその人が提示した条件は余りにも酷だった。

「私が君の本来の力を覚醒させてあげよう。そうすれば心のリリア――あぁ、今はリアだったね。彼女とウィレムを排除できる。だけども、いつか生まれ変わってもリカルドとは結ばれることが出来ない。則ち"鎖人"になる」

 ジークフリードが言う"鎖人"、それは何かを得たが為に大きなものを失ったもの。目的を果たしても完全に死ぬことは許されず、生まれ変わった未来の自分に取り憑き、しがらみを与える。一言で表すなら"永遠に切れない枷"。
 誰かが何かを疎み、願うのは止められないこと。だが、それこそが人間らしさでもある。

「一つだけ聞かせて――リカルドは何を捨てて、何を得たの?」

 真っすぐに問い掛けるアルデシアに少し怯んだような表情を浮かべたが彼は大きく息を吐くと真剣な表情で彼女に向き直った。

『俺は……自分の幸せを捨てて、君の幸せを得た――否、得ようとしてる』

「ふふふ。未来よりも今を選んだんだよ、彼は」

 死んだ自分よりも今を生きる彼女にどうか、この上ない幸せを。
 祈りにも似た願いに思わず目の前が歪んだ。未来は変えられる、だけど今を変えるのは難しい。その為に力に頼ったのだろう。

「結ばれないなら、私は幸せを捨てるわ。その代わりに誰にも負けない強さが欲しい」

『な……!』

 自分が与えたものを自ら捨てたアルデシアに信じられないといった表情を浮かべるリカルド。"鎖人"となった意味も意義も全て無駄になったとも言える。それでも彼女には一寸の迷いも無かった。

「私は貴方の居ない未来なんていらない。死んで共に居られるなら私はそれで構わない」

 手を取る相手も居ない人生ほど悲しいものはない。旅芸人達の旅に同行しながらアルデシアは少なからずそう感じていた。
 ただ、生き抜くために舞を踊る人生ほど悲しいものはない。それはもしかしたら自分に守りたいものが無かったからかもしれない。

「ごめんね……私は愚かだから」

 今にも泣き出しそうな表情でリカルドに手を伸ばす。そっと手に触れてみれば感じる体温。冷たくはないのだと分かって安堵した瞬間、涙が一つ溢れた。

「《目覚めろ、破壊と断罪の歌姫アルデシア。その力、誰よりも強く。その心、優しさに満ち溢れ。その魂、永遠に神の御掌に繋がれる》」

 崩れ行く自分が余りにも現実的に感じて、まるで自分では無いような錯覚を覚える。剥き出しになった感情はただ一つ。
 ――あいつらが、憎い。
 高ぶる破壊の衝動に自分が分からなくなる。それは人が自分の中の感情に負けた瞬間。理性が音を立てて崩れていった。

「羽ばたいておいで、君こそ本当の破壊の化身。全く……リアよりも、レイよりも恐ろしい力の持ち主だよ」

 夢から覚めるのだろう、淡く消え行く彼女の姿に目を細めて見つめる。傍らのリカルドと言えばやるせなさそうにその姿を目に焼き付けていた。ジークフリードにも彼女の本当の恐ろしさを知らない。優しく、無垢で戦いを好まない彼女が本性を出したとき、それはきっと国一つが滅びるくらいだと考えていた。
 だけども彼女の悲しみと怒りは余りにも深い井戸の様。それを癒せるものはきっともう居ない。

「……リカルド?」

 夢うつつでそう呟く。はっきりと覚醒しない頭で無造作に手を伸ばす。だけども触れたのは無機質な何か。はっと我に返って体を起こす。
 あの場所は夢、夢ならば現実は違う。あの触れた時の温かな手は無くて――。

「嫌ァアアーーッ!!」

 どうしてこんなことになったの。どうしてここにいるの。どうして――。
 駆け巡る疑問に頭が割れそうになる。
 目の前にあるのは質素な木製の棺桶。その開かれた窓からはまだ血に濡れたままの愛する人。
 アルデシアは静かに立ち上がるとまるで操り人形のように首を傾げる。だけども瞳は爛々と輝いていた。

「全て……壊れれば良い」

 あの人がいない世界なんていらない。手を取る人がいない世界なんてなんの価値もない。
 紡がれる旋律は破壊の歌。誰よりも誰よりも破壊を望んだ歌姫は自分でも知らなかった力を解放した。
 急激な地震が起こり、空は灰色に包まれる。奇妙なまでの変化に驚かないものなどいなかった。

「な、なんなの!」

「魔女王様、地震は城から起こっているようです! 他の領地には何も起こっていない模様、如何されますか!」

 焦る兵士達に苛立って爪を強く噛む。まるで天変地異が起きたような気候にセーヴェリング王国兵士の捕虜達は喜んでいることだろう。そして此処に居なかったレイ達も――。

「原因究明をしなさい! 逃げ出すものがあれば首を斬るのよ! ……畜生」

 苦々しく呟くリアはただ焦げ茶の髪を掻きむしる。全の力を持つジークフリードがいるのに、何故自分に幸運が来ないのだろう。

(まるで……世界が私をいらないって言ってるみたい)

 この力を持ってから常に叫んでいた。誰か私を見て、と。だから戦うことを決めたのに結局は誰も自分を見てくれなかった。寧ろ、恐れるが故に誰も見てくれなくなった。
 ――ただ、淋しかっただけなのに。

「珍しいね、翠緑の魔女の君が涙を流すなんて」

 はっと顔を上げて、掌に落ちた雫に目を見開く。目の前で意外そうに見つめてくるジークフリードを一瞥し、頬を流れる涙に漸く気がついた。淋しいと感じたから涙が溢れる、だけども無駄な虚勢のせいでそれは押さえ込まれていたのだろう。そう自覚すると溢れる涙と感情を止めることが出来なかった。

「わ、私何故生まれたの? ……世界がこんなに拒絶してくるのに……何故生きなきゃいけなかったの?」

 辛いと思うなら生きなければよかった。だけども自分をしっかりと認識する前の自分はきっと何かに希望を持って生きようとしていたのだろう。それが解らない自分は生きていても意味がないように思える。

「ねぇ、リア……君は兵士達が苦しむ姿を見てどう思った?」

「え……?」

 ただ、単純に良い気味だとかそれよりも先にあるもの、それは"羨望"。そして羨望は妬みへと変わっていく。

「君は人間らしさを存分に持っている。だからこそ、それに従って生きるべきだ……欲望のままに、ね」

 そう言って笑うジークフリードの言葉に何故か耳を傾ける。そして自然と頭の中にまるで暗示の様に響いた。

「欲望のまま……」

何処かで響く轟音に視線だけ向けるジークフリードとは違ってリアはただ一点を見つめるだけ。まるで外界から接触を絶たれたかのように。

「私は翠緑の魔女……そして王。皆平伏せば良い」

「そうだよ……さぁ、行こうか」

 そっと差し出された掌に戸惑うことなく応じたリア。そんな彼女にジークフリードは満足げに微笑む。
 籠から逃げた小鳥だけが幸せを掴むなんて許さない。皆、罪を背負って、自分を責めながら生きるべき。なぜなら自分がそれを強いられたのだから。
 子どもの様に腕に縋り付きながらうっすらと微笑むリアの手を引きながらふと外へと目を向ける。そこでは巨大な光柱と共に断末魔が響き渡る。きっと覚醒したアルデシアが無秩序に破壊を行っているのだろう。
 もう目覚めた彼女を止められるのは彼女自身しかいない。だが、我に返ればきっと破壊してきたものを振り返って自分を責めるだろう。
 ジークフリードはただ笑った。



+++++++++



 朝日が昇り、鳥が舞う。
 その姿に真剣に向ける瞳が二対。一つは猫目がちの紫水晶の瞳、もう一つは青碧の不思議な色を宿した瞳。何処か不安げに見えるのは決して気のせいではない。
 クラルヴァイン王国に書状を出して一日、早ければもう返事が届いても良い頃だ。海を挟んだ向こうにあるとはいっても船では半日で行けるような距離である。翼を持つ伝書鳩ならばそう時間も掛からない筈。
 だけども、もう数刻空を見上げて待ち続けているものの全く鳩がやって来る様子は無い。

「やっぱりダメ、かなぁ」

 ぽつりと呟いた言葉をレイは静かに聞き流す。考えたってどうにもなることではない。だけども、フィーリが嘆く分、自分が泣き言を言う訳にもいかなかった。ただじっと何も言わずに待ち続ける、それがどんなに虚しいものかひしひしと感じていた。

「戻るなら、一人で戻れ」

 突き放すように言い放たれた言葉にしゅんとしょげてみせるフィーリを敢えて視界に入れないようにする。冷たいと思われても今は伝書鳩が戻って来ることを信じたかった。
 もう一度空を見上げて群を為して飛び交う鳩を見つめる。変わりのない灰色の鳩達に交じって異様な色を持ったものが一つ。

「あ……アレ!!」

 フィーリが指差した先にはやはりレイが異様だと思ったものがあった。

「エルヴィンから借りた鳩、あれだ!」

 純白を思わせる白い羽、とふっくらとした体つき。こちらに近づいているように見えるがどうも誰かを探しているらしい。きょろきょろと辺りを見回しながら旋回する姿がかわいらしかった。
 だけども鳩はこちらを見ようとはせずにただ真下を気にしている。その事に不信感を抱いたレイは駆け出そうとしているフィーリをそっと制して眉を潜めた。

「おかしい……鳩が下を気にしている」

「あたし達の事探してるんだよ! ほら、行かなきゃ!」

 そう言ってレイの手を強引に引っ張りながら鳩を目指して駆け出すフィーリに半ば呆れ返る。普通の王女ならばこんなに平原を全力疾走することはまず、ないだろう。だけどもこの王女にはその常識は通用しない。
 だけども意気込んでいたフィーリも鳩が舞い降りた先に居た人物には度肝を抜かれた。それは彼女と同じ猫のような瞳が特徴的な青年が一人、純白の鳩を肩に乗せて微笑を浮かべている姿。開いた口がふさがらないというのは正にこの事だろう。青年は此方に気付くと大きく手を振って見せた。

「姉様、お久しぶりで御座います!!」

「げ……」

 人懐っこい笑顔で駆け寄ってくる青年にあからさまに嫌そうな表情を浮かべるフィーリに思わず腕で小突く。それでも尚嫌な表情を浮かべるフィーリに構わずに笑顔を浮かべ続ける青年もかなりの強者だと内心思う。

「ふふふ、冷たさは相変わらずですね」

「あー、あんたもね。まさか次期王様が来るとは思わなかったわ」

 次期国王、その名の通り目の前に居る人物は王位継承権を剥奪されたフィーリの代わりに王位を継ぐことを約束された青年。女性主権国家にあるまじき人物であるのだが彼はそれをあまり気にしていないらしい。

「フェリクス……殿だったか?」

「やはり、貴方なら覚えていてくれてると思ってましたよ。一度だけ会ったことがありましたよね?」

 にっこりと笑ってみせるフェリクスにあぁ、と頷いてみせる。確か初めてフィーリと出会った日、彼女を連れ戻しに来たのが彼だった気がした。その時の出会いは穏便にとは行かなかったがこのような形で再会するとは思っても見なかった。

「あたしは父様に援助をお願いしたの。あんたに来てとは言ってないわ」

「確かに、父上は姉上を溺愛なさっていますからね。自ら動かれようとなさっていたところを私が代わりに来たのです。……たまには姉上と会うのも悪くはないですから」

「あっそ」

 ぶっきらぼうに返事を返す姉に苦笑を浮かべながらもフェリクスは自分の役目を忘れては居なかった。彼はレイに向き直るとまじまじと顔を見つめていたが暫くすると真剣な表情を取り戻した。

「レイ殿、貴方は本当に姉上と共に“救いの女神”となるつもりですか? 私には人が神を名乗るほど愚かな事はないと思っています。勿論、姉上がそんな力など持っていないというなら私は否定をしましょう。一番近くで姉上を見てきたのですから」

「私がフィーリを利用するとでも言うのか」

 その言葉に少し悩むような仕草を見せるフェリクスであったが暫くするとそうですね、と頷いた。

「貴方の能力は何だか知りませんが姉上の能力は世界の運命を左右するものなのです。それを貴方が利用しないと保証できないでしょう」

「確かに、利用はするかもしれない」

 ふと不安そうに見つめてくるフィーリを一瞥するとフェリクスに向き直る。
 人は何かを利用しなくては生きていけない。それには人や物が犠牲となるのだろう。それを否定するつもりもレイには無い。もしかしたら自分が利用される側になるのかもしれないのだから。

「でも、私は何もしないまま黙って指をくわえて見てるつもりは無い。それには誰かを利用するかもしれない、そう……お前もね」

 まるで挑発するかのような言葉にきっとローレンが居たなら止めていただろう。だけども、今此処にそれが出来る人物は居ない。フィーリは二人のやりとりを黙ってみていることしかできなかった。

「……そうですか。それなら私は――」

 一瞬の沈黙。きっと彼にとっては簡単な事であっても二人にとってはこれからの自分達の未来を左右する重要なこと。

「協力をしましょう。姉上の言う“救いの女神”、組織として確立させてみます」

「フェリクス……」

「私だって人を利用することはあります。だけども貴方には人を利用することに罪悪感がある。それを背負う覚悟もある。……それには敬服しました」

 そういって深く頭を垂れる彼に直ぐさま膝をついて頭を垂れる。
 王族たる彼の行動に口を出すことは出来ない。その代わりに自分達が自ら相手を高めなくてはならない。それを知らなかったらしいフェリクスはレイの行動に慌てて顔をあげた。

「申し訳ない……私はまだまだ世間知らずなようです」

「……行動する前に考えなさい。それにしてもフェリクス、あんたどうやって私達を援助する気?」

 今、ブリガンティアがクラルヴァイン王国に認められた事によって組織としての行動を起こすことが出来る。だけども実際に行動を起こしていくには人員や資金が必要になってくる。資金に関してはユリウスの調査の結果、城主を失った寂れた城にかなりのものがあったという。それを除いても必要なのはアイリーンが言ったように"人"なのである。

「私が何も準備せずに来ると思いますか、姉上。些か私を見くびりすぎですよ?」

 そう言って手に抱えていた鳩を空高く放つ。大きく翼を広げて旅立つ行方に思いを馳せながら天へと続いていると思わせる丘を見上げた。その瞬間、その丘からこちらに向かって来る何かが見える。まるで行進して来るようなそれに思わずフィーリは声をあげた。

「あれは……王家の私兵じゃない!」

 漆黒の甲冑に身を包み、如何に月夜の明かりが酷くても闇に紛れてしまうような兵士達。

「言ったでしょう? 父上の姉上に対する溺愛っぷりを。姉上のためなら女王でさえも止めることができませんから」

「父上……」

 この能力を得てから嬉しいと感じたことは今の今までなかった。寧ろ自分は王家にとっては厄介者で人から見れば異端でしかない。女王である母はそんな自分を世間の目から外そうとして王位継承権を剥奪した。
 もう誰も自分を見てくれない、そう思って見知らぬ土地へとやって来たがちゃんと見てくれている人はいたのだ。そう思うと張り詰めていた糸が漸く緩んだ。

「姉上、自分の事を一番に考えてください。不肖な弟なれど見守っております」

 力に目覚めてから初めての涙かもしれない。ずっと孤独に耐えてたつもりだったけど実際は本当に苦しかったのだろう。
 ――人前で泣いたのは生まれて初めてだった。

「レイ殿、翠緑の魔女王は正体不明の何かと抗戦中と報告が上がっていますが……」

「それならグズグズしている隙はないな。直ちに出陣準備を行う。フェリクス殿は……フィーリを頼む」

 そう言って纏っていた外套を翻す。リアが今何かに手間取っているなら接近する良い機会である。
 もう力に臆さないと心に深く刻み付ける。皆に分け与えた力のお陰で体は軽い。だけどもこの快調が続くのはあと僅かだろう。そしてその異変は対極であるリアも感じ取っている筈だ。決着は迅速に着けなければならない。
 足に絡み付く草を振り払いながらただ前へと駆け抜ける。それが死へと道だとしても一向に構わなかった。先が見える自分に与える安息ではなく、未来を担うであろう我が子に平和を。

「一緒にいられなくて……ごめん」

 その言葉は風に強く吹かれて何処かへ消えていった。


+++++++++



「まさか、自分達の城を攻めることになるとは因果なものだな」

 そう呟くのは鋭い瞳を地図に向けるアイリーン。彼女が走らせる羽ペンは時折漆黒のインクに身を浸すと疲れきった軸を休ませる。思考は決して休むことはなかった。

「軍師! な、何をしてるんですの……皆出発準備に追われてますのに!」

「イシュメル……せっかちは幸運を逃がすぞ。準備はとうに出来ている」

 練り上げられた作戦だろうか、羊皮紙をざっと見返しながら答えるアイリーンに彼女は気がきではなかった。偵察部隊からは今だ翠緑の魔女王が正体不明のものと交戦中としているがいつそれが終わってしまうのか分からない。いっその事単身で行った方が楽なのだが、子どもが一人暴れてもどうすることもできない。

「皆はどこにいる」

「もう広場で待っていますの」

 そう言って天幕を飛び出したイシュメルの後を目で追い掛けると外套を纏い、ろうそくの火を静かに吹き消した。
 外に出て、人々が流れていく波に乗ってイシュメルが向かったであろう方向に足を向ける。追い抜いていく人々の表情は何処か輝いていながらも憎しみが篭っているように見えた。

「準備が出来たようだな」

「勿論、私に抜かりなど無い。だが兵士達はリア――翠緑の魔女に随分と怒りを持っているようだな」

 擦れ違った人々は皆口々に翠緑の魔女への怒りを口にしていた。レイにとっては自分の事ではなくても心苦しいだろう。そして自分は彼女を打ち倒すために動いている。打ち倒すとは言っても殺すこととなんら変わりはない。
 だが、アイリーンの嫌みを含んだ言い方にレイは何も反論せず無表情だった。

「どう思われようと構わない。……策を頼む」

「ふん、これに全てが印してある。指揮を執るものが間違えなければ完璧にうまくいく」

 渡された羊皮紙をぱらぱらとめくってざっと目を通す。陽動部隊が城に侵入し、それを守る守護部隊が出撃、最後に攻撃部隊が素早くリアを探しだして首を討ち取る。簡単な策ではあるが一つでも失敗すれば策は砂上の城となる。

「私達は何をすれば良いんですの?」



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