月光のラナンキュラス
Act.14 対極の絆
背の高いレイが持つ羊皮紙が見えないとして彼女にしがみつきながら覗き込もうとするのはイシュメル。自らも防護の高い衣服に身を包んでいる様子から戦うつもりだろう。兄であるジェレマイアを探すためにも。
「分かった……攻撃部隊、則ち私達の指揮は私が執る。他の任命は頼む」
「……抜かるなよ」
にやりと笑って外套を翻すアイリーンは瞬く間に闇夜に消えていく。それを一瞥するとレイは静かにイシュメルに向き直った。
「正直、本当はお前には戦ってほしくない」
「残念ですが説得は無駄ですの。私はもう決めてました、レイ様から力を貰う前から。でもこうなったら一蓮托生ですの」
花のように笑う彼女はまだ幼い。それなのに戦いに巻き込んでしまったことを悔やむ。彼女に語りかけた通り、自分の子と共に来るであろう明るい未来を待っていてほしかった。そう口に出せばそんな自信が何処からくるのか、と言われるだろう。それは分からないけれど――本能が彼女に語りかけるのだ。『勝利』の二文字を。
「レイ、準備は全て完了した。始めるぞ」
エルヴィンの声にはっと我に返る。時間は彼女に猶予を与えてくれないらしい。ふと息を吐いて振り返る。もう後悔はしたくないから戦うだけ。アイリーンに言われたようにリアを罵る言葉には耳が痛い。でもきっとブルグナー王国では彼女と同じような言葉が自分に言われているのだろう。戦わなければ自由は勝ち取れない。
「ブリガンティア……救いの女神として行かなければ」
さらりとしたイシュメルの銀髪を撫でて微笑を浮かべる。
――もう迷わない。
颯爽と草原を抜けて小高い丘へと駆け上がる。そこには既に準備を完了した兵士達が見下ろせて、ローレンやフィーリ、ユリウスやフェリクス、アイリーンが彼女を待っていた。
こちらを見つめて来る兵士達の表情は意外にもしっかりとしていて少し驚いた。
「レイ殿、戦い前の景気付けです。……演説を」
普通ならばそれは国王がやること。だけども此処にはそれに値する人物はいない。ただ、皆国を取り戻すために戦うと決めた人達。
ユリウスの言葉にいつもなら嫌がるであろうレイだったがすっと前へと出ると高らかに言い放った。
「――自由を、安息を。次の世代に誇り高く生きてもらうために我等は立ち上がる。生きて会おう……出陣!!」
威厳を持った言葉にそれまでの彼女を見ていた人達は驚いただろう。短い言葉の中に秘められた長きの想い。光に煌めいた青碧の瞳に誰もが魅了されていた。
+++++++++
廊下を必死に駆けめぐる。時折襲ってくる爆発に受け身を取って避けながら彼女は必死に駆け抜けた。もう兵士が忠誠を持っていないという問題ではない。あり得ないほど強大な力を無慈悲に打ち込んでくるアルデシアこそ悪魔、破壊の化身、そのもののように見える。リアはただ駆け抜けるしかなかった。
「一体何処からあんな力が出てくるっていうのよ! ジークフリード、居るんでしょう!?」
全てのきっかけはあの麗人。自分も世界に存在を認められたいと願った時にあの人は音も無く現れて手を伸ばした。きっとアルデシアにも同じ事をしたに違いない。
「猫に追われる鼠の様だね……翠緑の魔女として恐れられた君がまさかあの非力な歌姫に追いつめられるとは」
「非力も場合によるわよ! 全部……貴方の仕業でしょう」
翠緑の瞳を細めて苛立ったように問うリアにジークフリードは笑うだけで何も言わない。まるで人を小馬鹿にしたような笑いにリアの堪忍袋の緒が切れた。彼女は手元にあった小さな飾り壺を掴むと思いっきり地面に叩き付けた。盛大な音を立てて割れたそれにジークフリードは再びくすりと笑った。
「そうだよ、今回の戦争は私が君達を操って作りだしたもの。それも歴史上には無い、人の心の残るようなもので無くてはならない。そうじゃないと『伝説』としては成り立たないからね」
人の間に常識として無いものこそが歴史では伝えられていく。それはどの分野に置いても『伝説』と称されたものは皆同じ。だがその事にどんな意義があるのかは分からない。ジークフリードの手の中で結局は皆が踊らされていたのだ。
「もう少ししたら本当の『伝説』が始まるよ。君達が主役のね」
そう言ってふわりと宙を舞ったジークフリードを追おうという気にもなれなかった。それは失望したからでは無い、窓の外から見えた軍勢に気を取られていたからである。夕方になりつつある日の光はもう紫暗色に近い。そこに浮かび上がるような松明の炎に気付かないものなど居ない。
「レイ……!」
感じる波動は以前と比べればかなり異質にはなっているが、逆に強く輝いて感じる。そこで初めて自分の中にある能力に異変を感じた。前までは全ての理の力を使えたはずなのにこの魔法を全て短期間でこんなに失われるとは。
レイとリアは対極の存在であり、同じ理を操ることが出来る能力を持つ。それ故にどちらかが他人に委譲した力は必然的に自分が使えなくなる。そして更には対極であるからこそ、もう一方も使えなくなるのだ。それは誰かが決めた摂理ではない。二人が生まれた瞬間に、二人の間に築かれた自然の規則。それに反することは出来ない。
自分の中に微かに残っているのは暗闇を照らす白銀の灯火だけ。
(……なるほどね。私達が主役の伝説、か)
此処まで来たら引き下がることは出来ない。恐らくジークフリードはレイをこの場所に引き寄せる為にアルデシアを使って城の兵士達を戦わせ、更には今迫り来る軍勢を相手にさせるつもりだろう。駒、として認めた者に対してはとことん使う筈だ。
そして、その時間はもう来ていた。
「姉さん……リア」
自分と同じ茶髪の柔らかな髪、人前に出ることが苦手で物心着いた時には自分の後ろに隠れながら様子を伺っていたあの子が此処までやるとは思わなかった。報告では【ブリガンティア】と称した集団を率いていると聞いていたがその統一軍服だろうか、漆黒の衣装に身を包んだ妹が何故か勇ましく見えた。
「やっと来たのね。……私、もう疲れたわ」
そう言って静かに瞳を閉じる。自分の中に残った最後の力、これが失わればきっと二人とも死んでしまうだろう。だけども彼女には一つの事実が欲しかった。例え、二人とも死ぬ運命であろうとも譲れないものはある、それはどちらも同じ。
素早く秘める白銀の光に手を伸ばした瞬間は同時だった。目映い光に城が包まれる。視界が何も確認できないはずなのにそれが止んだ時には二人は具現化させた力を剣としてかち合っていた。
「姉さんの考えていることくらい察しは付く」
「そうよね。私は此処でアンタに殺される訳にはいかないの。そうしないとね、事実としては認められない、私が救いの女神を殺した魔女だってね!!」
剣を大きく振りかぶって胴を薙ごうとするものの、レイの未だかつて無い俊敏な動きによって容易く避けられてしまう。だけどもそれで簡単に退くことはしない。素早く詰め寄ると息を吐く間もないような突きを繰り出す。二人とも剣技の習得は一切していない筈なのに此処まで軽々とやってみせるのは天賦の才といえるだろう。
それまで防戦に徹していたレイが初めて動いた。最後に放った突きをかわして素早くリアの背後に回り込むと鋭い動きで切っ先だけを動かして斬りつけるが寸での所で避けられ、リアの焦げ茶の髪が飛び散っただけだった。
「やっぱり簡単にはいかない、か」
ほぼ互角の戦いは体力勝負と集中力に寄るところが多い。未だ息さえ乱していない二人にとっては長い長い戦いとなるだろう。既に太陽は地平線の向こうへ身を隠してしまった。
+++++++++
城に侵入してから絶対に王の間には来るなと念を押されたけれども気になるのはその戦いの行方。兵士達の殆どは戦意を喪失していて直ぐに投降した。だけども手を焼いたのはリアを翠緑の魔女として崇拝する一部の兵士達。ほんの一握りではあってもその従順な態度が故に無鉄砲に襲いかかってくる彼らに何度肝を冷やしたことだろう。
「ローレン様、大丈夫ですの?」
「えぇ、このくらいの傷は怪我に入りませんわ。それよりも集中しましょう、まだまだ私達を囲む気があるようですから」
穏やかな口調ながらも真剣な表情を浮かべるローレンにイシュメルは気を引き締める。四方から耐えずに立ち向かってくる狂信者の諦めの悪さは今に始まったことではないだろう。だからこそ、厄介なのだ。
「くっ……《切り裂け、風の舞。断ち切れ、命の鎖!》」
ユリウスが放った鎌鼬の魔法をその身に受けても尚突進してくる兵士にすかさずエルヴィンが太刀で迎え撃つ。普通の剣をは違うその形状は初めて見たけれどその切れ味には身が竦んだ。
「もー、これじゃキリが無いよ!」
ボウガンを構えては矢を放つフィーリの腕は的確で一本で確実に敵の急所を捉える。それでも太刀の切れ味は落ち、矢は確実に少なくなっている。城外で戦っているフェリクス達に応援を頼むことも出来ないこの状況では何かを犠牲にしなくては乗り越えることは出来ない。それが人としての自尊心や倫理であっても。
魔法を放つことしか出来ないイシュメルと集中に時間の掛かるローレンは瞬く間に体力を奪われていく。元来軍人であったユリウスやエルヴィンもそんな二人を庇いながらの戦いは無理がある。
「やっと見つけましたよ!」
不意に頭上から降ってくる声に皆が眼を丸くして天井を見上げる。そこから降ってきた人物の懐かしい姿にイシュメルは思わず涙を浮かべていた。
「兄様……!」
それは銀髪はかなり無造作に乱れてはいるが、紛れもなくジェレマイアの姿。城を奪われた時に一緒に死んでしまったと思われていた彼の登場に皆が度肝を抜かれていた。
「イシュメル……ごめんな。父上を守りきれなかった」
幾度となく逆境を乗り越えてきたのだろう。あのひ弱そうな少年は彼の中にはもう何処にもいない。その代わりに少し大人になったジェレマイアがいた。泣きつく妹を優しく片手で抱きしめると優しく頭を撫でる。
「戦力は嬉しいけどよ、一人増えただけで事態が好転するとは思えないぜ?」
エルヴィンが片方だけ口角を上げながらもその視線は兵士達から反らされることはない。この何処からか現れた少年にそのような能力があるとは思えない。
だが、当の少年は怯むことはなかった。直ぐさま聞こえないほどの小さな声で何かを呟くと兵士達目掛けて手を翳す。その瞬間、漆黒の何かが吸い寄せられるように兵士達に近付くと途端に牙を剥いた。
悲鳴をあげて漆黒に吸い込まれていく兵士達。先の見えない景色は正に暗い永遠の闇。彼の術のお陰で兵士達の大多数に打撃を与えることが出来ただろう。
「へっ、やるな」
「私は少し前に継承をしたので体への定着が十分に行われたのでしょう。後は地道に制圧をするべきです」
エルヴィンの誉め言葉に謙遜しているのか控え目に進言するジェレマイアにフィーリは傍らで肩をすくめていた。
兎に角囲まれるのを避けようと静かに前に出る一行に剣を振り上げた兵士をエルヴィンが太刀で斬り伏せて、近付こうとする兵士達を牽制するようにフィーリがボウガンを構え、ユリウスが手にしていた短剣を強く握り締める。
「でもこのまま戦うんですの? レイ様は……」
「来るな、と言われて行く方が無粋だ。あいつを信じてるなら制圧……というより兵士を外に出すことだな」
心配そうに王の間への道を一瞥するイシュメルに静かに説く。武人だからこそ秘める誇りがある。それは文官から転身したローレンにも言えるだろう。特に口に出さないがレイと一番長い時を過ごした彼女が心配でないはずがない。それは彼女の性格が忠実である他には戦いの知識が彼女をそうさせているのだろう。
だが、そんな考えも一瞬にして吹き飛ばされた。何処かから漏れるように溢れていた光が一層の輝きを強めて爆発のように広がる。余りの目映さに顔を隠す一行。暫くして瞳を開けてみればそこはセーヴェリング城内では無く、白亜の空間だった。
「此処は……?」
影も何も無いその場所で静かに呟いたのはローレン。余りのまぶしさに眼を細めながら辺りを見回したのは皆同じだった。
「何にもないってこの事ね。先も何も見えない」
白と黒、正義と悪、聖と闇、全て対極であるが故に片方に寄ってしまえば均衡が保てない。そして今いる場所はそのどちらかに傾いてしまった世界。そんな感じがした。
「動かない方が懸命……とも思えませんね」
そう呟くユリウスにジェレマイアも頷く支配していた白はやがて灰色へと姿を変えていく。そうしてやっと気付く、此処は二人の絆が具現化された世界。白は恐らくレイを示しているのだろう。そして遠くから此方に迫ってきているの黒はリアを示している。そして灰色のこの場所は最も均衡が取れている場所という事だろう。本来ならばこの灰色こそが二人を正常に保っているのかもしれない。
『そうだな、動かない方が良い』
『此処は私達が主権を握る世界。今ではもう……どちらが此処を支配してるなんて分からないわね』
ぼんやりと浮かび上がるその姿は血みどろで二人とも疲れ切っているようにも見える。勝敗は決したのかも分からないが今は冷静な二人に何も問うことが出来なかった。
『結局私達は求めるものに直進してぶつかって砕けた、滑稽よね』
『でもそれが私達の宿命、そうでなければ生まれては来なかった』
抽象的な表現ばかり続ける二人にエルヴィンは眉を潜める。二人の真意が一体何なのか計り知れないからだ。世界に散らばる理の力を持って生まれてきた二人。だからこそ、その存在が疑問に思えた。
「レイ……」
『フィーリ、生まれた国を愛しなさい、きっとアルデシアもそうするから。私達はこの国に永遠の加護を与える、分け与えた私の力を使って』
『ま、実質的には二人の力だけど』
まるで釘を刺すようにレイの言葉に横やりを入れるリア。きっとこの二人の会話が本当の姉妹の姿なのだろう、二人はこれまでないくらいに穏やかな表情をイシュメルは初めて見た。すると直ぐに自分の胸から淡い水色を帯びた光が浮かび上がった。直ぐ横に居たアイリーンの胸からも同じ様ではあるが金色の光が浮かんでいた。
『この国に光の加護は入らない。皆が希望の光となる――私達が居なくても』
「嫌……置いていかないで!!」
薄れ行くその姿に抱きつこうとした瞬間、レイの体を通り抜ける。ほんのりと暖かかったのをはっきりと感じてイシュメルが振り向いた瞬間、二人の姿は何処かに消えて、辺りを見回せばセーヴェリング城に戻ってきていた。
「――あれは幻、だったのですか?」
未だはっきりとしない感覚にローレンの言葉に否定できない。アイリーンは溢れる金髪を耳に駆けるとふと何かを見つけた。それはいつもレイが身に付けていた紅のピアス。いつだったかまるで炎の様だと聞いたことがあったが、何故それが落ちているのだろうとゆっくりと体を起こした。
丁度彼女の居る位置から見えたのは開け放たれた王の間。ふらふらと立ち上がって足を向けてその室内を見れば散乱する鮮血とまるで人型をした焦げた跡が残っているだけ。玉座に微かに残っていた白銀の光は彼女が足を踏み入れた途端に霧散して消えた。
そうして漸く分かった、二人はもういないのだと。あの白亜の光景は決して夢では無くて事実なのだと。がらんとしたその部屋で繰り広げられた戦いを知るものはどこにも居ない、どちらに軍配が上がったのかも。全てが秘密のまま行われた戦いの跡をアイリーンは静かに、そして呆然と見つめていた。
+++++++++
魔女達の戦いは後に百年戦争と称され、魔女の扱いでは無く国を守ったものとして神格化されるようになった。その劇的な変化に一時は嘲笑さえ浮かべていたフィーリも漸くクラルヴァイン王国に戻ることが出来て安堵していると聞く。そして王子であるフェリクスが女王の意志に反して王位継承権を彼女に返還。自分は気ままな王子で居たいと呟いたとか。その報告を聞いてエルヴィンは腹の底からから笑っていたのついさっきの事だ。
「ローレン殿、城下町の復興状況報告はもう出さなくても良いだろうか」
ふと扉越しに顔を出したユリウスに中へ入るようにと進める。その彼女の気遣いを無下にするでも無く椅子に腰掛けた彼にローレンは書類を渡しながら微笑んだ。
「そうですね……あれから三年です。もう完璧に元の状態に戻ったと言っても良いでしょう」
「完璧……ですか」
そう反芻するのも無理は無い。実質的には王家は崩壊し、レイが与えてくれた加護が民の安心を辛うじて引き出しているような状態なのだから。失ったものを取り戻すことは出来ない、それは何かを代わりにする他には埋めることは出来ないのだろうか。
「今はまだこの状態を保つことしか出来ないでしょう……先のことはまだゆっくり決めることができますから」
そう言って微笑む彼女に釣られてユリウスも笑ってみせる。レイが言ったように自分達が希望の光となることそれが今は一番なのかもしれない。侵略者としても大打撃を受けた隣国、ブルグナー王国に眼を凝らす。きっと三国が本来の形を取り戻すまでは時間が掛かるだろうなと思い浮かべた。
「ローレン、ユリウス、此処に居たか」
遠慮無しに部屋に入ってきた金髪の女性は微笑むことなくユリウスの隣に座り込むとカップに注がれていた茶を一気に飲み干した。
「君はまた偵察に行ってきたのかい?」
「私とて出来るものなら余りやりたくは無い。だが今回は興味深い話を持ってきた」
金髪の女性――アイリーンの能力は移動術に長けていること。自らの背中に一対の羽を具現化させて飛び回る姿は正に天使とも言えるだろう。だけどもその性格は冷徹、合理主義という天使には似合わない性格。そんな彼女がわざわざローレンの元にやってきたのも理由があったからだ。
「誰も暴走したアルデシアを間近で見たものは居ない。そして彼女が今どこに居るのかも」
「あぁ、確かに。私達が戦っているときに下の方にいた兵士達を相手にしていたと聞いたが……」
ブリガンティアの兵士達が城に突入したときに見たものは凄まじかったという。まるで巨大な人間に体を弄ばれたような、そんな表現をしているものが多かった。実際に死体を確認したエルヴィンがげっそりとした顔をして帰ってきたのを覚えている。
「兎に角……見つかったのですか?」
「否、とある剣士と一緒に居たところを確認されたらしいがその後の足取りは掴めていない。黒髪は珍しいから覚えているものが多い」
「本当に私、何も覚えていないの……どうして?」
焚き火を目の前にして譫言のように呟き続ける彼女を前に男はひたすら肉を頬張り続ける。精悍な顔立ちと細身の体は極普通の人に見せてくれるが側に転がっている長剣の傷を見れば彼が屈強な剣士だということが分かる。だけども優しい色をした赤毛と金色の瞳は見るものを引きつける魅力があった。
「なぁ、いつまでもそんなに考えていたって分かるものも分からなくなるぜ?」
顔を伏せたままの女性はいつだったか人気の無い森で血溜まりに眠っているところを見つけた。それから長く一緒に旅をしているが彼女の笑顔は一度も見たことがない。笑わせようと努力すればするほど、彼女は悲しそうな顔をしていた。
「貴方は自分が今、此処にいる理由、分かる?」
泣き腫らした瞳を真っ直ぐに向けられて一瞬戸惑う。自分が今此処に居る理由はそうすることを望んだから。だけども何が理由でここに居ること望んだと聞かれてもそれは流石に困ってしまう。もしも答えるならば、自分の経験を運命が導いてくれたとでも言った方がしっくりくる。
「あんたがその答えを見つけたいなら俺も手伝ってやる。だけども後悔しないか? 本当の自分を見つけたときに苦しむかもしれないぞ?」
「それでも良いの。自分が分からないなんて嫌なの、人に導かれるままは嫌。それに忘れてしまった人が可哀想……」
「それはお堅い決意なこって」
もしかしたらこの感情はいつだったか持ったものかもしれない。同じ様なことを思い、経験し、そして繰り返す人生だったとしたなら自分はどれだけ時間を無駄にして生きていたのだろう。
「少し休め……見張っててやるから」
そう言って放り投げられた毛布を受けとって体に巻き付ける。記憶を失う前に野宿の経験はなかったらしい。彼が火を興す動作は何と無く見たことがあったような気がした。だけども眠りに入るまでどの体勢が眠りやすいのか分かるまでかなり時間が掛かった。
背中の方ではぱちぱちと火花が散る音が聞こえる。静かに瞳を閉じて深呼吸をする。そして率直に思う、この音は嫌いだ、と。脳裏に浮かぶ名も知らない人が悲しそうな顔をしてこちらを見つめて来る。
(貴方は誰なんだろうね……)
きっと側に居て会えば思い出すのかもしれない。だけども心の中ではこの人は二度と会えない人と決め付けている。何故、と問い質しても分からない。
この不安と悲しさを抱いて行かなければならないと思った。
+++++++++
私達は運命に振り回された訳ではない。ただ自分の信念に忠実過ぎたと言えるのではないだろうか。だけども心の底からこの世界を愛したいと思った。故郷は分からないけれどこの世界に他ならないはずだから。
いつか、また巡り合う日まで心に刻んでほしかった。――私達は神ではない、ただの平凡な人だということ、幸せを追い求めた人。
古い羊皮紙に記されたそれを見つめてふと溜息をついた。女神と同じ青碧の瞳の理由、それはやはり女神の子孫であるから。優しい色をした日記はそれを少し癖のある字で書かれていた。
「系譜にはなりきれなかった日記だな」
そう短い感想呟いて本棚へと戻した。彼女が願った幸せ、叶えることが出来るだろうかと思いながら彼は外套を翻したのだった。
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