月光のラナンキュラス
瞳の色彩とは受け継がれる際には必ず優劣が付けられる。特に滅多にみられない瞳の色、つまり王属が持つ青碧、漆黒、濃紫は劣性に分類される。更に言えば四大貴族の当主が持つ色は優性。それが交われば必ず青碧の瞳が失われる理由。
「この事実は私やライナルトしか知らんかった。まぁ……ユーディトはもしかしたら先代より聞いていたかもしれん」
あいつは変な所で小賢しいからなと笑うクラウスに釣られて笑みを浮かべる。この老紳士は深刻な話でも簡単に笑い飛ばしてしまうのだろう。イーナは茶缶から葉を温めたばかりのポットに入れる。手慣れてきたのは皆が紅茶が好きだから。それまであまり紅茶が好きではなかった彼女もよく飲むようになった。
「おじいちゃんも飲む?」
「あぁ、戴こうか」
差し出された陶器の杯を鼻に寄せて香を楽しむ。それが紅茶の一番の醍醐味、贅沢なまでの果実の葉の香を肺一杯に吸い込みながら茶を一口、口に含む。砂糖の入っていないせいか、ほろ苦さが口全体に広がる。それはイーナが入れ忘れた訳ではない、クラウスがそれを好むのだ。頭の中の霧が一気に晴れ渡る。
「私、テオに注いで来るね」
軽く頷いて見せれば彼女は嬉々として執務室へと消えていく。
空白の二十一年間は余りにも長かった。今まで当たり前と決め付けていたものが変わっていく。それが悪いことだとは思わない。寧ろ自然の事だと割り切れる。だけども新しい道を行く彼等が昔を振り返った時、それは空白のまま。誰かが知らなければその歴史は失われてしまう。
(貴方は忘れられる事を望みますか……?)
端正な顔立ちが刻まれた肖像画に静かに問うてみるものの返事は帰ってこない。虚しい静寂が広がるだけの空間、クラウスはただ味わうかのようにたたずんでいた。
+++++++++
軽やかな音楽が流れ、それに合わせてはステップを踏む。優雅な舞を踊る男女が多くの視線を釘付けにする中、音楽は終りを向かえた。この国では滅多に見ることが出来ない銀髪を揺らす女性はドレスの裾を軽く広げて頭を垂れる。休むことなく始まる曲に男はもう一曲、と手を差し出すがやんわりと首を振った彼女を見ると苦笑を浮かべた。
この国の舞踏会の暗黙の了解、一度踊った人物とは二度は踊らない。様々な人が舞う中で互いに交流を深めるための会でもあるのだから。
席を回る給仕係から飲み物をもらった女性は人が少ない席を選ぶと腰を落ち着かせる。もう何曲踊ったかも覚えていない。痛む足を擦りながらふと息をついた。その時、拍手が鳴り響く。ふと顔を上げれば端正な顔立ちをした騎士らしき男が歩み寄ってくる。胸には階級を表す章、そして特徴的な金瞳から思い当たる人物はただ一人。
「見事な舞でした、ユーディト殿。是非一曲踊っては貰えませんか?」
「光栄です、リディアス殿。でもユーフェミア様に申し訳ありませんわ」
目の前に立つ男――リディアス・ファーレンハイトは微笑を浮かべるとそっと首を振った。
「我が姫は心の狭き方ではございませんよ。さぁ、御手を」
「少しはユーディトに気を使いなさいな、レイヴァス王国から態々来てもらって無理に参加してもらったのだもの。……やはり無理な靴を履かせてしまったようだわ」
手を差し出すリディアスの手を払い除けて彼に冷たい濃紫の瞳を向ける女性を見た瞬間、ユーディトは反射的に立ち上がったが足の痛みのせいでよろめいた所を女性に支えられる。
「無理はダメよ」
「申し訳ありません、王女殿下」
にっこりと笑って見せる王女――ユーフェミアはそっとユーディトを椅子に座らせると自分も腰掛けた。
「私の方が靴が大きいと思ったのだけど、ね。部屋に戻ったら直ぐに治療させるわ。大切な使者の方を歩けなくさせてしまったら、テオフィール様に申し訳ないもの」
「いえ、御気遣いなく。女王陛下や王女殿下、ましてや未来の王配殿下に御挨拶出来たのです。それにこれからの交流も御約束できましたもの……我が君が立腹なさるはずがありませんわ」
二年後に約束された両国の騎士隊を留学させる件、元々前王フォルクマールの時世に行われるはずであったが国の乱れにより流れてしまった。それをもう一度可能とさせたユーディトの功績は大きい。
「本当は私が行きたいくらい。レイヴァス王国はフィーリ王国と比べてとても広いもの、いろんな場所を見に行きたいわ……まぁ、無理な話よね」
諦めたように肩を竦めて見せるユーフェミアにただ苦笑することしか出来ない。それもその筈、女系で支配されているフィーリ王国においては彼女だけが後継者を名乗ることが出来る。その代わりに失うものは山ほどある。
確か彼女には弟が居たという話を聞くがその行方を知るものは居ない。姉である彼女も心配だろうに。
「代わりに私どもが嫌というほど参りますわ。楽しみにお待ちくださいませ」
ふわりと微笑んで見せるユーディトに釣られて笑みを浮かべるとそれまで押しやられていたリディアスが間に入ってくる。同じような年齢の三人、やはり統治者が若年化しつつあるこの世で恐らく重要になって来るだろう。
「姫さま」
金髪の頭を垂れる女性にふと目を向ける。その存在に気がつかなかったユーディトだが、二人はとっくに気がついていたらしい。落ち着き払った声で何、と問えば顔を上げぬまま女性は徐に口を開いた。
「女王陛下からレイヴァス使者様と共にバルコニーへ、と」
「……分かったわ」
そう呟いたユーフェミアに女王、と聞いた瞬間顔をしかめたのがありありと分かった。噂では二人の間は冷たく親子の情も無いように見えるという。それが微かに垣間見えた様な気がした。
「ご心配なさらず、私の足はまだ動きますわ」
「何なら私がおぶろうか、ユーディト殿」
そう行ってふざけて彼女の手を取ろうとするが、ぱしりと制される。その様子につれないな、と呟くリディアスにユーフェミアは漸く笑った。
「もう……ありがとう」
もしかしたらこの王女はアルディードの皇女と同じ想いを抱えているのかもしれない。世を治めなければならないと知っていても何をすれば良いのか分からない。それは多分当たり前の事なのだと思う。生まれ落ちた瞬間に定められた運命に誰もが納得する訳ではない。
テオフィールの様に意思を明確にしている王は歴代でも数えるほどしかいない。普通は王という役職は継ぐ者にしては漠然としたものであり、実態の掴めないものである。
「バルコニーになんて久し振りだな」
そう呟いてユーフェミアとユーディトを先導するリディアスは微笑を浮かべて此方へ振り返る。そんな彼に子どもなんだから、と呟くユーフェミア。
「……でも何故です? 城には沢山あるではありませんか」
「客人には言ってはならないのだけどね……色々あるのよ」
率直にはぐらかされた、と思った。それでも国には国の事情がある。それを十分に承知しているユーディトはそれ以上追求することはなかった。
バルコニーには三人の他に女王の言葉を伝えた女騎士が一人。先ほどは顔は伏したままで分からなかったが、少し幼い印象を受ける。晴天の空のように明るい瞳はユーディトよりも薄い色、主に暗い色をした髪や瞳を持つ者が多いフィーリ王国にしては珍しい容姿だろう。どちらかと言えば金髪の多いレイヴァス王国よりの血筋ではないだろうか。
そんな事を思いながらぼんやりと夜空を仰ぐ。少し肌寒い風が通る中、側に控えていた騎士が静かにストールを差し出してくれた。
「まぁ、ありがとう……えっと」
「セルディアと申します、使者殿。フィーリ王国はレイヴァス王国と比べて北に位置します故、肌寒うございます」
金髪の女騎士――セルディアは淡く微笑んで見せるとそのまま後ろへ下がる。
星達が瞬く中に流星が一つ、軌跡を残して消えていった。冴え渡る空を見上げて何が起こるのだろうか、と辺りを見渡せば下の方で人々の声が聞こえる。
「さぁ、始まりますよ」
何が、と問おうとした時、爆音があたりを支配する。驚いて身を竦めれば、ユーフェミアは彼女を安心させるように腕を絡ませて空を見上げるように促す。
そこに広がっていたのは空に満開に咲いた大輪。花のように見えたがよく見ればそれは違うと直ぐに解った。
「あれは……炎?」
「花火、と言うのよ」
そういって天を仰ぐ彼女に倣ってそれを見上げればやはり花のように見える。だから花火と言うのか、と内心納得する。
「古代から様々な王家が此処を支配していたけど総てが必ず誕生祭に行う行事なの」
「ある説にはこの炎と模様を組み合わせる技術が外部から入ったとされています」
「……でも私達の国にはそんな技術は有りませんわ」
その通りです、と頷くリディアスに首を傾げるしか無かった。二人の意味深な言葉はまるで世界は三国だけではないと言うようで――。
「その"まさか"……よ」
世界を知らない篭の鳥の王女は未知なる世界を指し示した。それは知を深める更なる欲求となり、糧となる。
繋ぐ未来があるならばそれは物語が奥深くなるきっかけとなるかもしれない。ユーディトはまだ見ぬ世界に思いを馳せた。
+++++++++
レイヴァス王都、南東アルクディア。そこは四大貴族、ブルクミュラー家が治める地。かつては前当主ライナルトがそこを支配していたが先の戦いで反逆をした彼は討ち取られた。
殆どこの地にいなかったライナルトに民達は大して情など抱いてはいない。なぜならば彼は民を苦しめた。その責を女神の子孫である王に問われるのは当たり前。
だからこそ、卓越した雷の魔力を操る少女、クレアは頭を抱えていた。
「ヘンゼルぅー、手伝ってよー」
「私の頭はそれを解決するのには適してません。率直に言えば無理です」
「じゃあ、何のために来たのさ」
「サボらないようにの監視です」
「ケチ!」
頬を膨らませて紺髪の青年をにらみつける彼女はまだ成人に達していない。それでも国を背負う四大貴族に名を連ねる事が出来たのは一重に天賦の才のお陰であった。
クレアの目の前にある黄色の宝玉は四大貴族、ブラントミュラー家の家宝とされる歴代の家長の魔力が秘められた宝石。掌にすっぽりと収まるそれが過去何百年も存在し続けてとは思えない。
だけども、彼女は新たなる家長として認められるため、宝玉と向き合ったのだが――。
「跳ね退けられちゃう……正式じゃないからかなぁ」
流石に何度も挑戦して拒絶されればだんだん弱気になってくる。本来ならば前家長の血縁者が引き継ぐべきなのだが、ライナルトは近年、妻を亡くしたと聞いている。子の存在は詳しくは聞いていないが死んだらしい。
「例え正式ではないとしても、十分に媒介の役割を果たしているではないですか」
「それじゃあ駄目なの! 全ての加護が同等じゃなきゃ安定しないのだもの。陛下やユーディトやじいじが押さえてくれても……」
確かに国王テオフィールやユーディトは生来より秘める力は凄まじい。ユーディトはその力の制御にたけているがテオフィールは難しいはずだ。
そして、彼女の言う『じいじ』――クラウスは長年家長を務めているが故に巧みに操る。クレアと同じ頃にドレッセル家の家長となったイーナも弱い力ではあるが、正式な跡取りのためか、すんなりと輪の中に加わった。
「宝玉に秘められた加護は家長を媒介として国内に発散させられる。その強さは長次第……ジークリード様の書かれた本をお読みになられましたね?」
「勿論だよ、無知で長は引き受けられない。力だけはあるって自信があったのに此処で阻まれるとはねー」
クレアが読んだ本はユーディトの父、ジークリードが書いた本。後世の四大貴族を担う者の為に書かれたと聞いているが、その本人は魔道の申し子と呼ばれた人物。全てが上手く行っていた人物が全て知っているとは限らない。
「もっと違う同調の仕方が有るはずよ! 絶対……!」
「クレア……」
どうして此処まで躍起になるのかは分からない。勿論四大貴族の責任を果たすという立場に置いて加護との同調は大切な仕事。全てに全力で打ち込む彼女が妥協を許すはずが無い。ヘンゼルは静かにクレアを一瞥すると背を向けた。
ブラントミュラー家は軍を司る家。廊下を歩くとまるで装飾の様に美しい見惚れる武器の数々。正に芸術と言えるような品じなが揃っている。
「まだやっているか?」
陰に潜むその人物を視界の端に捉えるが、敢えて見ることはしない。闇に紛れて現れた者を態々光の元に晒すのは無粋である。
「はい……ですが、本当にいいのですか?」
「もう始まったものを止められはしない。全て彼奴の意思なんだ」
少し悲しみを孕んだその声にヘンゼルは静かにうつ向く。彼は必死に国を安定させようとしている彼女を放っておけて言っているに等しい。
本当にこのまま、分かりあう事が無いのだろうか。少しの希望にさえも見切りをつけた彼に異議を唱えることは出来ないだろう。部下とは従うことしか出来ない。
「そのまま監視を続けろ。何か異変を感じたら……」
「報告、ですね。分かっています」
国の再生という大義名分を前に汚いことを色々してきた。だけども再生をしても尚、その汚れ仕事のツケは回ってくるものである。
正義の裏の悪を正当化するつもりはない。だけどもあの時の自分は必死だったのだと言い聞かせる。
――そうしなければ、笑って向かい合うことなど出来なかった。
彼は去り行く足音にじっと静かに耳を傾けていた。
戻る