月光のラナンキュラス
Act.18 一つの器、二つの魂(中編)
横を駆け抜けていく兵士を一瞥して、唇が切れんばかりに噛みしめた。
「なんだっていうんだよ! 一体何が……!」
「行こう」
彼の肩をぽんと叩くとファレノプシスは城への階段を歩き始める。その一歩が重く感じるのは彼だけではなかった。アルディード帝国では年に何回か地震は起きたことはある。だけども今回の地震はいつもと違ってかなり大きく感じた。
階段を登りきった二人は視界に広がる光景に眉をひそめた。円を描くように何かを囲む近衛騎士達。その中に一体誰が居るのか、ファレノプシスは近衛騎士達を掻きわけるとその正体を目にした。それはアルディード帝国の複数存在する諸侯たちの姿。彼らは通常自分に与えられた領地を治め、税を帝国に差しだすのが目的だ。
――それなのに何故彼らが此処にいる?
「バルシュミーデ侯、クリスタラー侯、フュルステンベルク侯、私兵を引き連れて玉座で何の真似ですか!」
「何の真似? 見れば分かるでしょう、陛下に上奏するのです……直ちに退位し、その権力を地方領に分散して頂きたい! 政治は民の意思によって行われるべきなのですよ」
近衛副団長であるアルフォンスが問えば、彼らはまるで当たり前のように言葉を返してくる。だけども彼らは話し合いに来たのではないことはその場にいた近衛騎士は皆分かっていた。玉座に私兵を連れてくる時点で皇帝に危害を加えようとしているのだろう。
「が、肝心の陛下がおられない……どういうことですかな?」
上奏する面々を率いているバルシュミーデ侯がにやりと笑えば、アルフォンスは心底嫌そうな顔をして彼を見る。
「地方領主如きが知ることではないでしょう」
その言葉にアルトゥールははっと顔を上げた。漸く今になって元老院が計画していた信用を落とすことの意味が分かったのだ。近衛騎士は政治を良く知らない。幼いころから血族である皇帝やその後継者を守ることだけを考えさせられたから。だからこそ、世の中に疎く、民が何に心を動かすかがわからない――否、考えないのだ。政治に関心を持てば後継者よりも有能な者が生まれてしまう。それでは皇帝の権威が無くなってしまうのだ。
(つまりは近衛騎士がその餌食だったのか……!)
元老院の考えていた真実が理解できた瞬間に怒りで腸が煮えくりかえる。そしてこの地方領主は自分達の為すことの結果を知っているだろう。元老院の面々から権力が手に入る、とでも吹き込まれて。
「おやおや、そんな言葉を掛けても良いのですか? ねぇ、アルトゥール・レンツォ・フォン・バイルシュミット」
不意に家名まで呼ばれた彼は歯を食いしばって目の前の男を睨み据えた。恐らくこの男は自分を協力者として名を呼んだのだろう。一斉に近衛騎士達の視線が集まる。その中にファレノプシスの問いかけるような表情もあった。
「君も私達を蔑視しますか? ……卑しい民、と」
彼の視線がアルフォンスと同じように見下せ、と言う。
アルトゥールはふわりと外套を払うとそっと膝を付き、頭を垂れた。
「我らが主は城には御座いませぬ……ですが、陛下は貴方様のお話を親身にお聞きになられることでしょう。城の秩序を保つように言い遣っております我らの面目を立てて頂く広い御心があれば、今宵はどうかお引き取りを」
まるで一国の主人に対する言葉遣いのように聞こえるが、頭を垂れた彼の表情は妖しく輝いていた。誇り高い近衛騎士が頭を垂れるなど思いもしないだろうあの三人はどんな顔をしているだろう。ちらりと覗き見たい欲望を抑えていると周りが動いた。
アルトゥールの行動を救いとするようにアルフォンスが跪くと一斉に他の騎士達が同じように膝を付く。恐らく玉座から見るその姿は圧巻だろう。ちらりとアルフォンスの方を見れば微かに彼の唇が動いた。
(は・な・し・が・あ・る)
眉間に皺を寄せている彼の苛立ちが間近に感じる。だけどもそれも致し方が無いと言い訳をして深く頭を垂れれば、玉座から離れ、皇の間から消える三人の気配がした。何も彼らに言わないのは自分達の面目を保つため。近衛騎士に張り合おうとしている心が手に取るように分かった。
「三交代制に切り替え、各自警備を更に強化しろ。解散!」
鋭い声が皇の間に響いて皆が我に返る。慌てて自分の持ち場に帰っていく流れを遮るようにアルトゥールはアルフォンスに近寄った。
「おい、さっきの地震は何だったんだ?」
「は、地震?」
極限まで顰めていたアルフォンスの額が急に緩む。薄い銀色の瞳が正気を疑う様に彼を見つめた。
「地震なんかここ一カ月起きてないぞ……ってファレノプシス、お前は非番だろ」
一旦皇の間を出たらしい彼女はアルフォンスに目礼だけすると掠れた声で呟いた。
「街……変わり、ない」
そんな筈はない、と体よりも大きい窓硝子に歩み寄って城下町を覗きこむ。ファレノプシスと城に戻ってきたときには確かに倒壊した建物がたくさんあって、あちこち逃げ回る人々の姿が見えたのに――。
「何もない、本当に何も……ない」
街はいつもと変わらぬ活気と人の巡りをしている。地震など一度も起きたことがないとでも言う様に。幻影を見たというならば凄まじいほど現実的な幻だ。そして太陽はその理由を応えることなく一番高いところに君臨するとゆっくりと西へと歩み始めた。
+++++++++
その日戻らない筈の玉座の主は黒曜石の髪を靡かせながら颯爽と紅の絨毯を踏みしめる。暮れ行く夕陽に朱のドレスの色がさらに色濃くなった。そしてその影に隠れるように一人の近衛騎士が付き従う。
「居ても居なくても騒動は起きるものだな」
「申し訳ございません」
溜め息のように呟いた言葉にスヴェンは瞳を伏せる。玉座を守るように跪くのは近衛騎士副団長のアルフォンス。謝罪の言葉を幾度並べても拭いきれない失態を犯したのは紛れもなく彼。
「玉座に触れさせるなど言語道断、そこに座るべき存在は誰だ」
「陛下にございます」
「違う」
え、と驚いたように顔をあげたアルフォンスは玉座の主――フィリーネの表情を見て、直ぐに頭を下ろした。今までにない険しい顔をした彼女が彼を見下ろしていた。怒りを沈めるには彼女の求める答えを提示すべきなのに彼には答えが見つからない。じっと耐えるように彼は唇を噛み締めた。
「考えよ、そして行動しろ」
まだ年若い皇帝はそう言って玉座へと腰かける。その行動が異様に様になっていて、どくん、と鼓動が強くなる。覇者たる仕草一つが皇たる器を持つ者というのだろうか。自分よりも一回り若い彼女にあって自分にないものを強く痛感させられる。
「……御意」
絞り出した声の弱々しさに唇を噛みしめながら下がる。その哀れな姿をスヴェンはじっと見つめていた。近衛騎士として熟練した経験を持つ彼の失態は初めて見る。昔は輝かんばかりに生き生きとしていた彼には何があったのか、そして輝きを失った彼には何がないのか。彼個人、強くその答えを求めたがっていた。
「で、地震があったとか?」
その言葉が自分に向けられたものだと気がついてスヴェンは直ぐ様頭を垂れてはい、と呟いた。丁度城下町にいたファレノプシスとアルトゥールの報告によれば大規模な地震だったということ。だけども城下近くのベーレンドルフ邸にいたフィリーネにも体感できるほどの地震だっただろうにまるで感じなかった。それに加え、代わりの無い城下の様子に彼女は頬杖をついた。
「嘘を吐くとは思えない……分からないな」
「明日調査を命じましょう。陛下も予想外の移動にお疲れになったでしょう……少しお休みください」
そうだな、と呟いて玉座から微かに見える街の様子を瞳に移す。体力的に疲れていなくても、気力が疲れているのは分かる。ここはスヴェンの助言通り休むべきだと思うとフィリーネはすくっと立ち上がりゆっくりと自室へと歩き始める。すると二人の兵士が敬礼し、彼女を先導し始めた。振り返ると心配するなとでも言う様にスヴェンが一つ頷いた。
部屋に戻るといつもの懐かしい香りを肺一杯に吸い込む。普段生活している分には感じないが、この部屋と城下にある実家にはいつもこの香りに慰められる。多分、これは彼女の家として安心する香りなのだろう。フィリーネは深紅のガウンを放り出すとそのまま寝台に身を投げた。太陽を一身に浴びたシーツが彼女を包む。その心地よさにうとうとしていた時だった。
『貴方もお人好しね』
はっと目を開ければ両腕を組んで呆れたように見下ろしてくる人物が一人。それは誰にも見えず、彼女だけにしか見えない――。
「……アルデシア」
体を起して立ち上がれば、若干フィリーネがアルデシアを見下ろす形になる。まるで威圧するようなフィリーネの態度だが、アルデシアはふとほほ笑むだけで怖気づく様子はない。
『元老院はいつか貴方自身を脅かす。それは分かって居る筈なのに何故見過ごすの?』
「そんなことは必要ないだろう。民の心はまだ私にある」
『明日には消えてしまうかもよ?』
――それは怖いでしょう?
そう告げるアルデシアの瞳が鋭くなった。
『だから彼らの領にちょっと悪戯をしたわ。玉座に簡単に触れた過ちを思い知ればいいのよ』
「どういう意味だ」
『賢い部下が貴方に報告してくれたでしょう?』
その言葉にフィリーネの顔色が一気に変わった。建物を壊すほどの地震を感じた、という報告。それはアルデシアの怒りに触れた結果だったのだ。もしかしたら今も苦しんでいる民が居るかもしれない。彼女が廊下に出ようとしたその時、アルデシアが立ちふさがる。
『貴方の答えを聞かせて。玉座に座るべきは誰かしら?』
夕方に近衛副団長アルフォンスに問うた問いかけ。それさえも聞いていたのかと苛つく心を抑えてアルデシアを見下ろした。
「皇族のみ、だ」
――私だ、と答えるのかと思ったわ。
そう呟く彼女はつまらなさそうにくるりと円を描く毛先を弄る。そんな彼女はフィリーネを分かっていない。アルデシアを振り払うように扉に手を掛けた時、冷たい掌が彼女の手を包みこんだ。
「離せ」
『行かせないわ、朱の女帝様……私が代わりに皇となってあげましょう』
一気に跳ね上がる殺気。本能的に重ねられた手を振りほどいて間合いを取る。にっこりと優しい笑みを浮かべるアルデシアの周りでは黒い何かが踊るようにまとわりついていた。それにそっと手を差し出せば、黒い何かが弓となって彼女の手の中に収まった。
『私が皇になれば、今までにない位強い帝国が出来上がる』
「……婚約者を殺された恨みを晴らす為に鎖に縋っているんじゃないのね」
『お前は私と言う人間を知らないでしょう。教えてあげる時間は、そうね……少しだけあるかしら』
彼女が紡ぎだす一人の人間の物語にぞっとした。アルデシアという女性が消えた理由、そして子どもが一人戻ってきた理由が生々しく語られたから。
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