光のラナンキュラス

Act.18 一つの器、二つの魂・後編

 時は百年戦争末期。ブリガンティア設立から間もないころだった筈。それが正確な記憶だかももう分からないが、確かにそこに『私』は存在した――否、『私達』と言うべきだろうか。セーヴェリング城での戦いに勝利を収め、ウィレム王のブルグナー王国への帰還準備が整うまで一室に監禁されていた。真っ暗な部屋に一人でいるのは寂しいが、兵士達に見張られているよりかは余程良い。

「逃げる方法、考えよう」

 泣き疲れて眠った筈なのに、起きた時には頭は冴えていた。今自分がやらなくてはいけないことはレイ達と合流すること。彼女――アルデシアは体をそっと起こすと手探りで蝋燭に火を灯す。ぼんやりと浮かび上がる部屋には見覚えがあった。確か此処は最上階の王族の身が使える回廊だ。ここならば幾度も足を踏み入れた覚えがある。
 アルデシアはそっと扉を開け、兵士が待ち構えているだろうと身構えたが誰もいない、静かな回廊に呆然とした。仮にも王太子妃候補の自分をこんな扱いして良いのだろうか。国のやることはアルデシアにはよく分からない。だけども人がいないことを良いことに彼女はひんやりと静まり返った廊下に出た。
 寒くもないが、暑くもない。丁度良い温度に保たれている廊下を静かに歩きだした。この回廊を歩けば嫌でも思い出す大切な人。その思いが無意識に彼女を一つの部屋に導いた。

「……リカルド」

 名を呼んでも答えてくれる人は居ない。
 彼が使っていた部屋の戸にそっと手を掛けるとゆっくり力を込めた。徐に開いた部屋に素早く入り込むと優しく扉を閉める。懐かしい彼の香りで満たされた部屋にずっと居たいという欲望に満たされそうになりながら、彼女はひたすら部屋の中を歩き回った。

「ん……誰?」

 はっと声のする方に顔を向ければ真っ白のシーツに珍しい紫暗の髪を広げた一人の人物。端正な顔立ちと言えば聞こえは良いが、何やら吸い込まれそうな妖しい魅力を持つ特徴のある顔立ちだった。
 思わず後ずされば、不意に足元が動かなくなる。動けない恐怖と妖しい人物にただ唇が震えた。

「あぁ、セーヴェリングの歌姫じゃないか。これはちょうど良い……少し困っていた所なんだ」

 “その人”は静かに片手をアルデシアに対してそっと差し出した。すると飴色の光が神々しく輝きを放つ。余りにもまばゆい光に目を細めれば、“その人”はにっこりと笑った。

「これの器に困っていた所なんだ。消滅させるには惜しい、だけど生かせば後々面倒になる」
「器……」

「そう理解しなくても良いよ。君はただの器だから」

 そう囁くように呟くと手の上で輝いていた光をアルデシアに放り投げる。するとそれは一瞬躊躇するような様子を見せてから真っすぐ彼女の胸に飛び込んだ。その瞬間にアルデシアは今までに感じたこともない感情を感じていた。嫉妬、憎悪、怒り、全てが入り混じって記憶として入り込んでくる。暴れまわるような感覚に思わず跪く。
 ――出て行って!
 心の中で強く思っても光は彼女の中で嘲笑うだけ。

 二つの魂の一つの器を巡る争いはその晩続いたという。そして飴色の光の正体は未だ不明であるが、ウィレム・クルト・フォン・ハリアが皇位に就いた記録が無いことも事実である。その後は歴史に書かれている通り、アルデシアはブルグナー王国を壊滅にまで追いやった後、姿を消した。その理由は本人にしか分からないだろう。




「お前はアルデシアではなかったの?」

 皇の私室で勝手に紅茶を淹れて飲み始めるその人に問いかける。幻影の筈なのに紅茶を飲む姿がおかしいが、そこは敢えて気にしないことにした。ふんわりと漂う温かな香りが鼻を擽る。

『私をアルデシアと呼ぶには相応しくない、アルデシアでもあり、違うのだからな』

「ならアルデシアは何処にいるの」

 堂々巡りの問いかけに嫌気が差したのか、彼女は紅茶の杯を苛立ったように卓上に叩きつけた。ぱんっという音と共に砕けた杯は卓上の上に無残に散らばる。

『アルデシアにそんなに会いたければ……』

 彼女はそっと天に掌を翳す。黒い何かが掌に集まって弓の形を形成する。それを手の中で一回転させると弦を強く頬に引きつけた。

『死して会え』

 幾度も生き映しと言われ、歌神の降臨とも言われた。それが嫌で反発をしてきたけれど、今目の前に居る女性は明らかにアルデシアではなかった。目の前から感じる波動は禍々しくて気を抜いたら屈してしまいそうなほどねじ曲がったもの。歌神は聖なる魔力を込めて歌を歌うことで人々に力を与えた言われからそう名付けられた。
 ――今まで自分の中に居たのがこんな禍々しいものだったなんて。
 自分の中に宿していた人格は少なからず、フィリーネに影響を与えた。それが全て負の感覚だとは考えたくない。
 その瞬間、腕に痛みが走る。悲鳴と共に腕に触れれば、ぬるりとした感覚。はっと彼女を見れば、それは本気で人を殺めようとする瞳だった。
 咄嗟に身を捩って、更なる追撃を逃れてソファに身を隠すが雨の様な矢にたまたま落ちていたクッションで受け止める。狭い部屋の中では標的を定めるのは勿論難しいが、逃げ回る方も難しい。だが、その壁さえも越えて的確に矢を射ってくる“彼女”の腕は確かなものである。

『一国の皇は逃げ回るだけしか能がないの? 皇ならば命を掛けて一矢報いなさい!』

 その言葉にフィリーネははっとした。これだけ“皇”に拘るのはただ一人しかいない。そしてその人物は皇にはなっていないのだから“彼女”の正体は自ずと導かれてくる。口調は別としてあの身体を操っている人物は野心に溢れる男だ。
 フィリーネは動きやすいようにドレスの裾を裂くとソファ越しに“彼女”の姿を窺う。近衛騎士をしていた時は体中のあちこちに武器を仕込んでいたが皇となった今では身を守る武器も身につけていない。

(魔術で切り抜けるしかない……けれど)

 フィリーネの操る聖歌魔術は発動までに時間がかかる。それに攻撃する魔術はなく、仲間を補助する魔法ばかり。即ち、体力の消耗の激しい体術を使うことを考えると勝機は薄い。思考を巡らせていると不意に耳の真横でドスッと鈍い音がした。

『何時まで待たせるつもりだ』

 苛立った声音に体が一瞬竦む。もう来るべき時は来た。そう思い、体勢を整えようとした時にふと懐かしいものが目に入った。それは皇なった記念に貰ったオルゴール。金縁の重々しい作りではあるがその音色は母の魔力が込められている。鳴らせば、母の能力が作動する筈だ。それを願ってフィリーネはオルゴールに向かって駆け出した。
 一瞬でも躊躇することを許さないかのように降り注ぐ矢の雨。持っていたクッションを“彼女”に投げつければ、当たったらしく羽が抱いていた空気を離す音が聞こえた。その隙にオルゴールを抱えて、力いっぱい螺子を巻く。その時、風を切り裂く音が二つ、耳元で響いた。

『何をするかと思えば……思い出の品と共に死ぬつもりか?』

 首を貫くか、貫かないかのぎりぎりの所で壁に突き刺さる矢じりが二本。少しでも動けば喉を裂くだろう、一歩も動けないまま、フィリーネはじっと“彼女”を睨みつけた。だけども睨むことで怯えさせることはできないのは分かっていた。“彼女”はにやりと笑うとフィリーネの足元に転がっていたオルゴールを手にした。
 徐にそれを開いた時、追い詰められていたフィリーネの口元が微かに上がった。
 ――オルゴールから流れてきた曲は。

「……パラディスム≪楽園≫」

 音色と共に柔らかな橙色の光が“彼女”を包み込み始める。
 この曲は母サリアナが激務とされる公務を終えたフィリーネを少しでも癒そうと自身の魔力を込めたものである。サリアナの魔力は人の心を操ることに長けている。そしてこのオルゴールには人の心を癒す魔力が込められているのだ。

「この曲は鎮魂歌でもある……本来の自分に戻るときには“皇”の自分は眠っているべき。そう考えた母上が魔力を込めて特別に作ってくださったの」

 ――ぽつり、ぽつり。
 オルゴールの中に涙が零れ落ちる。優しい橙色の光は“彼女”を慰めるように煌めいては、その光を落とす。その発光はまるで蛍のように見えた。黒の弓はその姿を霞め、存在もしないかのように消えかける。フィリーネはじっと“彼女”の様子を見つめていた。


 王になる為に生まれた古代の二人の王子。
 一つの王子にあって、もう一人の王子に無かったもの。
 それは――「情」。
 人を思う心に溢れた王子をもう一人の王子は嘲笑し、戦いの中で殺した。彼は「情」など無用なもの、と称して人に心を許すこともせずに一人、覇王の道へと突き進もうとした。だけどもその道のりは余りにも険しく、力で捩じ伏せてきた人々が反抗した時、彼は自分の力の弱さを呪った。そして絶望の内に死んだ王子は憎しみを胸に紡がれる歴史を見続けてきた。

 その無念の気持ちが部屋の中に充満する。思いに飲み込まれないようにフィリーネは唇を噛みしめながらそっと首元の矢をどけて、“彼女”に向き直った。

「ウィレム……アルデシアを解放して、幸せになる夢を見て眠りにつきなさい、悲しい夢は見飽きたでしょう?」

 鎮魂歌が静かに流れる中で漸く顔を上げた表情には二人の人物がぼんやりと重なっていた。一人は涙を流す黒髪の女性――アルデシア。肖像画でしか見たことの無いその姿は本当に自分と瓜二つで、この女性が先祖なのだと実感させられる。
 そしてもう一人は疲れ切った短髪の男性の姿。鎧を着込み、帯刀したその姿は武に長けた人なのだと分かる。だけどその顔立ちにフィリーネは息を呑んだ。明るい茶色の髪に伏せた眼もとは何処か優しげに見えたのだ。
 薄れゆくその姿を抱きしめようと手を伸ばした時、パンッと弾けるような音と共にアルデシアとウィレムは姿を消した。床に向かって静かに降り注ぐ光は床に着く前に欠片さえも残さずに消える。それが余りにも儚くて、フィリーネは本当は落ちる筈だった床を優しく撫でていた。






 自分の中に響く声はもう何処にもいない。

 そして歌は人に力を与えることを止めた。

 長く続いた神との絆は断ち切られたのだ。

 そして、思う。

 何の力も無い“皇”はどうやって民を導けば良いのか。

 その答えは誰も出してくれない。

 ――自分でつくりだすしかないのだから。


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