光のラナンキュラス

Act.19 伝説の終焉・前編


『気配が、消えた』

 そう呟いた女の焦げ茶の髪は風に強く煽られて大きく乱れる。
 終わりを告げる虚無感は一体どんな感情を彼女にもたらしてくれるのだろう。未だ来ることのない終末に恋い焦がれながら彼女はデーベライナー邸の屋根に一人佇んで、微細な変化にじっと感覚を鋭敏にさせていた。瞳を閉じれば直ぐにでも感じ取れる濃厚な血族の気配。
 それはまだ狂った歯車が直っていないことを示していた。







「兄貴、どうした?」

 久方振りに顔を出したエリクは物思いに耽るテオフィールの顔色を伺う。長らく執務を兄に任せっきりだった所為で多大な負担をもたらしているのは分かっている。何も言わない兄の思いが分からなかった。

「いや、何でもない……そこの娘は平気そうか?」

「少しすれば元通りだと思うよ、多分」

 ソファで冷たい紅茶を一心不乱に呑む黒髪の少女――ヴィラは自分の話題だと分かると苛々したように二人を睨んでいた。

「で、首尾はどうなってるんだ」

「闇の宝珠、風の宝珠は壊れた。……空を見てみろ」

 テオフィールに促されて見た空は、いつか見たように気持ち悪いほどに黒い雲で覆われている。自分達が王城に潜入するまでは曇り空か、と思う程度だったが、宝珠が壊れたことによって次々に異変が生じている。

「長引けば民の不安を煽りかねない。準備が出来次第、直ぐに取りかかった方が良いだろう」

 真剣な表情で口元に手をやるテオフィール、じっと空を見つめるエリク。この二人を比べると似てないと感じるが、その根本は一緒なのだと気づく。ヴィラはストローを口から離すと暫く二人を観察した。
 見た目は理論家のテオフィールと行動派のエリク、感情を表に出さないテオフィールと豊かなエリク。相手を思いやるテオフィールと主張を通すエリク。目についたものだけを比較してみてもほぼ対称といえる。だけどもどちらも自分を優先させるか、後回しにするかの違い。根本的には二人は同じ考えを持っているということ。
 けれども本当に王に向いているのは、やはりテオフィールだろう。一歩下がった物の見方。他者との意見の衝突を避けるにはこの見方が必要になる。時にはエリクの様な強引さも必要だが、それは多用するべきではない。
 ヴィラは冷たい紅茶を飲み切るとそれをテーブルに戻して立ち上がった。

「それで、どうやって壊すのか教えてくれ」

 振り返ったテオフィールは微かににやりと笑うと布に包まれた何かをそっと彼女に差しだした。何が何だか分からぬまま、それを受取ろうとしたヴィラをエリクが咄嗟に止めた。

「触るな、ヴィラ。……兄貴、何のつもりだよ」

 四大貴族と王族にしか伝わらない宝珠。それを一般人に触れさせればどんな影響を与えるか分からない。それを触れさせようなど正気とは思えなかった。だけども“神降の民”であるヴィラにどのような影響があるのか、心の隅で興味を持ったのは間違いなかった。そして徐ろに包んでいた布を剥ぐと怖気づいたかのように彼女は伸ばした手を引いた。

「この宝珠から人の気配を感じる……」

「人?」

 漆黒の瞳を閉じて、その気配を探る。はっきりした感覚では分からないのは、きっと長らく宝珠に宿った所為だろう。彼女はすっとテオフィールを見上げると強い口調で告げた。

「人の魂が宿ってる」

「あぁ」

「それを知っていて、使っていたなんて正気を疑う」

 人柱として込められた魂など様々な思いを抱えているだろう。それを考えるとこの国が恐ろしくなる。とは言え、自分の住むフィーリ王国が素晴らしいと思うかと問われれば、そうは思わない。

「宝珠に宿っている人の魂は四大貴族の始祖。だけども彼らは心からこの国を愛していない……恨みを抱えながら死んでいった。その恨みを制御してこの国の守りにしたのだろうな」

「それはレイヴァスも同じということか?」

 人とは思えない力を持って、人々に受け入れられたか。時に人は力ある者に助けを乞い、必要が無くなれば簡単に切り捨てる。情が深い、感情的と称される人でも残酷さはある。
 ちらりとエリクを見れば、複雑そうな顔をして二つの宝珠をじっと見つめていた。人の恨みを糧に自分達が平和に生きていることに疑問を感じているのだろう。エリクが生まれてからの付き合いのテオフィールはそんなことさえもお見通しである。だけども口に出せば、言いあう内に自分の意見を押し付ける形になってしまうことを見越して、何も言わなかった。

「神降の民は王族のように魔法は使えないが、感覚は鋭い……長い年月で気配は薄れているが間違いない」

 断言するように言い放つヴィラの声に反応するようにテオフィールの手の中で静かに煌めいていた炎の宝珠が自ら輝きを放ち始める。それに慌てて放り投げるように宝珠から手を離せば、意思を持ったかのようにふわふわと宙を漂う。

「な、何だよ」

「気配が……濃くなる!」

 テオフィールとエリクがヴィラを自分達の背中に隠して縦横無尽に漂う宝珠の行動を眼を鋭くして伺う。その瞬間、辺りの風景が一変する。レイヴァス王城の王の私室であった場所がまるで陽が落ちた空に投げ出されたような世界。
 星空が絶えず流れるようなその場所は自分が地に立っているのか分からなくなる。その感覚はヴィラも感じていたらしく、二人の外套を力いっぱい握りしめていた。
 剣を抜こうと背中に手を伸ばすが、いつのまにか装備はすべて外されている。苛立つ二人を尻目に宝珠はやがてその動きを止めた。

『黙っていればいい気になって……好きなこと、やり放題だな』

 巨大な火柱が宝珠を飲みこむ。不意に吹き込む熱風に顔を守りながら見た姿は、漸く現した一柱の神――否、人間。

「黙認していたのはお前だろう」

『貴方達如きに宝珠が壊せるとは思わなかったからだ』

「それは俺達の所為じゃない。お前の驕りだ」

 テオフィールのきつい言葉にすっと眼を細める彼女――レイヴァスは一点の曇りの無い純白の衣をさっと翻すと、こつり、こつりと歩み寄る。その足音に三人は少しずつ後ろに下がった。

『宝珠などまた作れば良いこと』

「人の魂を封じ込めるんだろ? ふざけんなよ」

『愚かな……その魂を壊している自覚もないのか』

 宝珠に封じ込められた人間の行方など考えなかった。ただ、宝珠を壊せば良いのだと考えてきた。エリクはふと視線を二人に向ける。二人が宝珠に閉じ込められることを良しとするだろうか。否、二人はその力を利用させることを拒むだろう。
 それに、これ以上の犠牲は出したくない。

「だから、これで終わらせる」

 決意を孕んだようなテオフィールの言葉にレイヴァスは静かに鼻で笑う。それがまるで愚かで馬鹿馬鹿しいことだとでも言う様に。
 それまで三人と向き合うように立っていた彼女がふわりと宙に舞い上がる。それはまるで重力を失ったかのように見えた。

『神に挑むか、愚か者。ならば探すが良い……私の魂が封じてある宝珠を、な』

 薄らぐ気配と姿を消した彼女にヴィラは漸くほっと胸を撫で下ろした。が、急に腕を強く掴まれて思わず悲鳴を上げた。

「な、何をする!」

「油断するなよ。あっちは姿を消していてもこっちの行動は見えてるんだぜ?」

「宝珠が見つかりそうになったら容赦なく行動してくるだろう……気配は分かるか?」

 漆黒の瞳を瞼の裏に隠して、気持ちを集中させる。テオフィールに宝珠を差しだされた時、察した感覚は焼きついて離れない。気配を探るのは簡単かと思えば、そうではなかった。
 まるで砂の中から金を探すようなもの。辺りを支配する不思議な空間が気配を曖昧にさせているのだろう。
 ――だけど、探せないことは、ない。



 黙り込んだヴィラを見つめ、眼を伏せる。
 艶やかな黒髪と強い意志を宿す黒曜石の瞳を見ると大切な人と重なって見える。自分が国に反旗を翻すような行為をしたが為に彼女は窮地に陥っているかもしれない。自分の行動が全ての人に影響を与えていく。
 それは王族だからとかではない。民衆の一人ひとりが一つの行動を選択したことによって世界は答えを出す。毎日がそれの繰り返しで、世界は静かに回っていく。考えていたよりも世界は人間に厳しい。

「エリク」

 聞き慣れた兄の声に何、と顔を上げる。
 レイヴァス王城に来てからはテオフィールの顔をまともにみることは無かった。それは裏切った罪悪感のせいかもしれない。だけども兄らしく、彼はエリクの一歩先を常に見つめている。それに幾度となく救われた。
 久しぶりにまともに見た兄の顔は少しやつれていた。

「お前の考えは正しいかった」

「うん」

「だけども、お前の行動は立場上、間違いもあった」

「……うん」

「王族は民の信用が無ければなりたたん」

 テオフィールはエリクの緑柱石の如く輝く瞳を見据えた。

「王太子として、それを取り戻す自信はあるのか?」

 エリク個人としてではなく、王太子として。頂きに立つ者とは多くの人の目に晒される。その為に一つの行動で民衆の一人ひとりが評価を与えていく。まず、皆が皆良い評価を与えることはない。それは傭兵として働いていた経験からも分かっている。だけどもその時とは桁が違うのだ。
 一つの過ちで失った信頼を取り戻すのは、気が遠くなるくらい難しい。

「俺は、俺を信じて動いた」

 エリクは緊張を解きほぐすように深く深呼吸をすると兄の表情を見据える。
 いつも遠いと思っていたその背中は、本当はとても身近だったのかもしれない。遠いという固定観念を捨てれば、頼る心を戒め、助ける意思を掴める。それを理解できたのはここ最近だった。

「だから俺は、俺のやり方で信頼を取り戻す」

 ――だから、兄貴は心配しないで。
 そんな言葉は恥ずかしくて言えるわけがない。だけどもテオフィールの表情はまるでその言葉を聞いたかのように穏やかで優しかった。

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