月光のラナンキュラス
Act.19 伝説の終焉・後編
力を得たのは自分が神に選ばれ、それに準ずる立場に居るべきなのだ。
それはどんなに愚かで、人間の醜い権力欲に屈した意思の弱い人か疑うような思考。だけども彼女はいつかの正義に満ち溢れた心を忘れて、うっとりと人の上に立つ心地よさに酔っていた。
そもそも平凡の中に異質が生まれれば、人はそれを悪いことの前兆と考える。
だけども生物的な観点から考えれば、それは一つの種族の発展のきっかけでもある。つまりは、よりよい生活を送る為の生物としての進化。では、平凡と異質は共存できるのかと問われれば、人はどう答えるだろうか。
ある人は『可能』だと。
ある人は『不可能』だと。
そしてどちらの人も同じことを言った。
――それは人の『心』次第である。
星屑が散らばる空。時折、尾を引きながら遠く彼方へ散っていく流れ星に目をやりながら青碧の瞳を未だ動こうとしない三人へと向ける。
嘗て軍師として戦における兵の采配の経験を持つレイヴァス――レイはテオフィールの行動に興味を持っていた。少なからず自分の血を引いているのだから優秀だろうという見方とそれでも自分には敵わないだろうという自分至上主義の考え方が入り混じっているのを彼女は分かっていなかった。
(少し遊んでみるか)
そっと手を伸ばして炎を操る。光の角度を上手く調節してやれば幻影を作ることをは容易い。そうして出来上がったのはエリクとテオフィールには親しみ深い一人の女性。そして、あの少女は生れて初めてみる同族の姿をした皇に驚くことだろう。
彼女はにやりと口角を上げると出来上がった幻影を楽しそうに自分の傍らに置く。
――あいつら、どんな顔をするだろうか。
不気味に鳴り響く笑い声は彼女が作りだした空間に響き渡る。その声は三人の耳にも確かに聞こえていた。
「な、何だよ……」
「どうせくだらんことを思いついたんだろう……何が起こっても動揺するなよ」
頷く二人を確認すると直ぐにヴィラが声を上げる。
「目の前に気配がある!」
はっと顔を彼女が指さす方向に向けた二人は驚きの余り声を失った。その様子にふわりふわりと椅子に腰かけるような形で対峙するレイは薄らと笑みを浮かべていた。
『訳が分からないという顔だな。もしかして知り合いか?』
虚ろな表情でこちらを見つめるのは紛れもなく見覚えのある彼女の姿。
「フィリーネ……!」
咄嗟に駆け出そうとするエリクの腕を強く引いて、テオフィールは語調を強くしてもう一度彼に言い聞かせる。
「動揺、するな!」
滅多に出さない覇気のある声にエリクは驚いて目を丸くする。
この空間にあるものは全てレイの手中にあるもの。下手に手を出して、罠に掛かることを恐れているのだろう。エリクはぐっと手を握りしめると歯を食いしばった。彼女はきっと此処にはいない、騎士達に守られて自分の国に居る筈。そう自分に言い聞かせることでなんとか自制した。だけどもそれ以上に動揺していたのはヴィラの方だった。
初めてみる同族と同じ容姿をした人の姿。その人は余りに綺麗で近寄るのが怖い。だけれども、瞳や雰囲気は同族とまるで同じなのだ。閉鎖的な“神降の民”には衝撃が大き過ぎた。
震えながら後ずさるヴィラの足が何かを踏みつける。パリン、という乾いた音と共に何かに足を滑らせて尻もちを付く。混乱してどうしたら良いのか分からない自分に嫌気が差して、涙で目の前が霞む。
いつもの気の強い自分はどうしたの。
凛とした気高い人でありたいという願いは何処へ行ったの?
立ち上がろうとして何かに触れる。ぴりっとした感触に指を切ったのかもしれない。そう思った時、頭を殴られたのかと思うくらい酷い頭痛が襲いかかる。余りの痛みに吠えるように悲鳴を上げていた。
『これは……面白いことになりそうだ』
「うあああああ!!!」
体中が痛い、息が出来ない。朦朧とする目の前を必死に掴んでいないと我を失ってしまう。その時、視界の端に何か入る。砕けた金色の宝石。それを見て彼女の意識は奥深く落ちる――筈だった。
≪落ち着いて呼吸をしなさい≫
はっきりと頭に響き渡る声に習って無理矢理大きく息を吐き出し、酸素を強く求めるように大きく口を開けた。先程よりは幾分気分は良くなったが、体が動かない。
≪意識をはっきり保つことに専念しなさい≫
思いっきり瞳を見開けば視界には驚いたようなテオフィールとエリクの姿。砕けた破片が映す自分はいつもの手入れのしていない黒髪に隠れていた筈の左目は妖しく輝く葡萄色。そうしてヴィラは気付いた。
(神降ろし……でも誰だ)
神降の一族は瞳に魂を宿し、その願いを叶えてやる。瞳とは体中のあらゆる神経に通じており、宿した魂はその神経を操って時折宿った体を操ることがある。だけどもそんな力を持つ魂は極稀で、最近であったのは翠緑の魔女――リアぐらいだ。そしてそれに準ずる力を持つ人物は一体誰か。フィーリ王国の閉鎖的な場所で育った彼女に分かる訳がない。
「雷の宝珠が……」
驚いたように眼を見開くエリクにテオフィールは瞳を閉じて、読んだ書物から封じられていたであろう魂の名を探し出す。雷の宝珠はブラントミュラー家が管理、そしてブラントミュラー家の始まりの人物は――。
『久しいな、アイリーン』
眼を細めて、口角を上げるレイの表情は本当に懐かしんでいる訳でもなく。親しい友と再会した表情でも無かった。
『まさか力を得た所為で封じられるとは考えなかったな』
ヴィラの口調とは似ているが、明らかにレイの事を熟知している人物。恐らく彼女を操って言葉を紡いでいるのだろう。邪魔そうに髪を掻き上げれば、色鮮やかな左目が輝く。

それを見てテオフィールの背は粟立った。
炎の宝珠にヴィラを触れさせれば飛んでも無いことになっていた。勿論、今の状況が良いとは言えないが割れた宝珠は消えるしかない。
『嫌ならば、そのまま消えれば良かったものの』
『私がお前に一矢報いず、消えるだと? 笑止、この場を借りて借りを返してもらう』
ヴィラの細い腕が一瞬で電気を帯びる。だけども彼女はそれを直ぐに放とうとはせず、テオフィールとエリクをじっと見つめるとふと笑った。
『鎖を断ち切るか。援護はしてやらん、機を逸するな』
素直じゃない奴、と余りにも正直なエリクの言葉に彼女は気にする様子は無く、レイに向かって容赦なく電撃を浴びせる。だけども炎がそれを遮り、竜巻のように形をうねらせながらアイリーンを宿したヴィラに襲いかかる。それを直ぐ様雷で打ち抜いて空間を作り出すと彼女は身軽な体で空間に飛び込んで攻撃を避ける。遠回りするより、術者を打ち抜くより力と体力を使わずに身を守る。攻撃は身を守る盾、と言わんばかりに慣れた所作でレイの力任せの攻撃を凌ぐ姿に舌を巻かざるを得なかった。
「機を逸するなって……こんな中でどうしろと!!」
悲鳴のように兄に訴えるエリク。そんな彼に呆れながら、テオフィールは右手を強く握りしめると気を込める。眩い閃きに眼を細めるが、開いた掌を見てエリクはあ、と呟いた。テオフィールの掌に収まっていたのは剣と言うには短すぎるが、短剣と言うには長い剣。それは紅く、まるで炎のように常に揺らめいていた。
「あの攻防がいつまでも続く訳はない。アイリーンの体はヴィラ……俺達の魔法に慣れていない体は長く保つとは思えない」
此方からは見ることが出来ない彼女の異変。それは確実に体を蝕んでいることだろう。機を一瞬でも逸すればヴィラ自身が危うい。
すたすたと人とは思えない戦闘を繰り広げる二人の近くまで歩いていくテオフィールにエリクは慌てて兄と同じように魔力から武器を作り上げようと同じような動作をして練り上げようとするが、上手くいかない。此処で足手まといになる訳にはいかないのだが――。
+++++++++
『一矢報いると大口を叩いた割には切れが無いな』
背後に巨大な炎の壁を従えながら、こつり、こつり、と歩み寄る。透き通るほど白い腕を伸ばすと血色の悪いヴィラの首を捉えた。きりきりと締め上げられる首元に伴って、体は強く酸素を欲する。
『人の体とは脆いものだな』
その言葉に従う様にレイの背後にあった炎の壁がヴィラとレイだけの空間を作り上げる。迫る炎の暑さに額に珠の様な汗が噴き出る。右腕に再び電撃を宿そうと気を込めた瞬間、腕が上がらなくなった。何故、と必死に意識を保ちながら思うヴィラに答えるようにアイリーンが忌々しそうに呟いた。
『お前は祈祷魔術の加護の元に生まれている。私達の力に耐えきれないのだろう』
――でも翠緑の魔女を宿した。
そう反論しようとした彼女の口はアイリーンの言葉を紡ぎだす。
『あの女はお前の体が崩壊することを恐れて、乗っ取ることはしていない』
アイリーンの言う通り、翠緑の魔女――リアは彼女の中に宿り続けることは滅多になかった。宿った時は彼女が頼んだ時か、必要に迫られた時だけだった。それに、今もリアは此処にはおらず、自分に割り当てられたことを果たそうとヴィラから離れている。
知らず知らずのうちに人に身を案じられていた。そして自分の限界を知らなかった。それが自分が未だ未熟だという証明になるような気がして悔しい。一人前だと自負して『神降ろし』をしたにも関わらず、自分はまだ半人前でもなかったのだ。
漆黒の右の瞳が怒りに満ちた色を宿した。
――何故、誰も教えてくれない。
――幼い故の憐れみか?
――神降の一族と言う少数民族だからか?
そして彼女は気がつかない。誰も彼女に教えなかった理由は“分からなかったから”だ。特殊な一族であるのも一つの理由であるが、“神降ろし”という行為がその一族だけに伝わっていたこと。知識を持つ年長者が知識を与えなければ、知り様がないのだ。
『無知ゆえに激昂するか、これだから……――』
愚かとしか言いようがない。
そう溜息の如く呟こうとすれば、不意に右腕を雷が貫く。一体何が起こったのかと首を捉えた筈のヴィラを見れば、いつの間にか葡萄色の左眼は漆黒に戻っていた。
『お前、アイリーンをどうした』
問いかけるレイの言葉を無視して、人差し指でそっと首を掴むレイの手首に触れた。それに伴って触れた部分が炭化して静かに崩れていく。瞬く間に崩れた手から逃れたヴィラはそのまま膝をつくとそっと掴まれていた首を撫でた。
『私を利用するなら、利用し返す。嘘を吐くなら真実を掴んでみせる……神降の一族を嘗めるなよ』
『そこまで言うのならば、心意気存分と見せるが良い』
同族を憐れむことはしない。ただ、人が自分を崇める世界が欲しい。それを初めて思ったのは、共に乱世を生き抜いた仲間達にこう告げた時だった。
“皆が希望の光となる――私達が居なくても”
まどろむ意識の中でふと疑問が浮かんだ。
――でも本当に光となれるの?
人の寿命は驚くほど短い。一つの国が滅びるまで生きるのは余程その国が短命だった時だけ。そしていつか人はその国を忘れ、新たな国へと移り住む。そして頂きに立つ者は思うのだ。忘れられたくない、と。いつまでも自分の手で聖域(サンクチュアリ)を守っていたいと願うのだ。
それが間違った考えだとは思わない。賢君が治める世が続けば、国は栄える。その賢君が長く続くように彼女は呪いという制約を作りだした。それが――五行の宝珠。
宝珠は力を分け与えたちの魂を糧として彼女の生きた国に優しく安定した気候をもたらす。気候が安定すれば自然災害も起こることがなくなり、田畑も安定した収入を得ることが出来る。あとは自分の血筋を受け継ぐ者が賢く治めれば賢君は出来上がる。それが長く続けば彼女が描いた賢君が続く、国というサンクチュアリが出来上がる。
それをどうして壊したいと願うのか。
紫電が右腕を斬り落とし、左腕を炎が焼き尽くし、羽のような風が両足を斬り落とす。いつ、こんな日が来ると思っただろうか。まるで自然が暴れ出したかのような光景を縫うように胸元に飛び込んできた人を見て、彼女は瞳を閉じた。
茜色と常盤色をした刃がすっと胸へと吸い込まれる。その時、ぱきん、という音と共にレイの体に罅(ひび)が入った。それを確認すると胸元に飛び込んだ二人――テオフィールとエリクは顔を見合わせ、短剣を左右に引き抜いた。
それはまるで硝子を砕いたかのようで、レイの体は粉々に砕けた。それと共に星屑が散らばる空で埋め尽くされていた空間がレイヴァス王城へと変わる。砕けたレイの体はもう何処にも無く、床には紅色の宝珠と黄金色の宝珠が無残に砕け散った欠片が散らばっていただけだった。
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