月光のラナンキュラス
Act.20 柵(しがらみ)から脱け出す者
荒れ狂っていた空はいつの間に変わらない蒼穹を見せると直ぐにしとしと、雨が降り出した。それは人知れず繰り広げられた攻防戦に癒しを与えるような、静かな雨だった。それを見つめながら漆黒の髪を持つ少女は桃色の唇をそっと開いた。
「神様など、二度と会いたくない」
五つの宝珠が砕けた理由を貴族達に説明しに行ったきり、戻ってこないテオフィールに頭を抱えてソファに身を沈めるエリク。謹慎という建前の理由の所為で部屋から出れない彼を嘲笑いながら、ヴィラは頬杖をついた。
話を聞けば、風の宝珠はアルフレート、闇の宝珠はユーディトによって破壊されたらしい。一体どのような経緯があったのかは誰も教えてくれない。だけども赤毛の少女が負傷したらしいという話は侍女を通じて知ることができた。
「今、なんとおっしゃいました?」
四大貴族、ならびに有力貴族が集まる玉座の間。そこにはいつもの顔ぶれの他にレイヴァス王国には珍しい人がテオフィールの隣に佇んでいた。
「フィーリ王国での事件で治める筈だったのに誠に申し訳なく思っております。……――まさか、この国の宝が破壊される事態に」
「その所為で守護士が負傷する事態になった」
その言葉に貴族達がざわざわと囁きだす。その様子に不機嫌な顔をするテオフィールであったが、不意に眼があったユーディトにそっと首を振られて、喉元まで迫っていた怒号を押し戻した。その様子をイーナはただ不安そうに見つめていた。幾ら打ち合わせをしたからと言って、貴族達がそんな愚かな訳が無い。中には頭の回転が速い者もいるのに公然とごまかそう、と言い放ったテオフィールと賛同した皆が信じられなかった。
だけども皆が皆、深刻そうな顔で額を突き合せながら話をする。その輪に上手く入れないイーナはもう一度テオフィールを見つめると下を向いた。
加護が無くなった世界では自分が必要とされない。これからの生き方を頭の中で描いていた。
(……アルディードに戻って、サラサの家に帰ろうか)
三年前に出て行ったきり一度も帰っていない。これを機に戻るのも悪くはない。彼女は鼻がつんと痛むのを無視してじっと自分の膝を見つめていた。
「で、その翠緑の魔女は……――」
『私のことかしら?』
立ち上がって発言していた中年の貴族の卓上に突如腰かけた形で現れた翠緑の魔女――リアは覗きこむように彼の顔を見つめる。それに驚いた彼は崩れ落ちるように椅子を突き飛ばしながら床に尻もちをついた。それを合図に他の貴族達が彼を庇うようにリアの前に立ちはだかるが誰もかれもが不安そうな顔を隠そうとはしていなかった。
だが、その表情を微かに明るくさせたのはユーディトが彼女の腕を掴んだからだった。
「お戯れも程ほどにしてくださいませんか」
『あら、私に歯向かうのね』
睨みあう両者だったが、先に折れたのは珍しくリアの方だった。彼女は姿を一瞬消すと誰も座って居なかった玉座へと移動した。堂々と玉座に身を預ける彼女は凛としていてそれを見た貴族達は顔を強張らせていた。
『私が何故堂々と此処にいるのか不思議そうな顔をしているわね』
彼女は立ち上がるとゆっくりとテオフィールに歩み寄り、自分よりも背の高い彼の頭に手を伸ばして少し乱暴に撫でた。
『妹が作り上げた揺り籠は貴方達にはもういらないわ』
「それはもう慈悲神が守護してくださらないということか」
「そんな筈はない、貴方は女神達を裏切った魔女だ。レイヴァス様を誑かしたか!」
怒りの眼を向ける貴族達にリアはにやりと笑った。
『そうよ、だから宝珠を壊したの。それで満足?』
その言葉と共にリアの首に長剣が突き付けられる。だけどもリアは一切動揺せず、今までに見たことが無いほど清々した表情をしていた。
本当は彼女は悪くない。鎖の所為で狂った理を正そうとしただけ。それを断罪しなくてはならない、それが心苦しかった。だけどもリアの顔を見ればまるで頷くように瞳を一度伏せ、そして真っすぐテオフィールを見つめた。
それを合図に彼は長剣を持つ右腕を引き、手首を回転させると刃を一閃させた。
『私は裁かれたかったのかもしれない』
百年戦争で様々な人を裏切って、罪の無い人を殺して。気がついた時には虚無感に襲われていた。誰も彼女を見てくれない、ただ恐れるばかり。周りからは人がいなくなり、彼女は一人になった。
『これは最期のお願い』
リアの瞳には迷いは無かった、それは一度死んだ身だからだろうか。
『鎖に捕らわれた哀れな人間の末路を語り継いで』
――忘れられたくないの。
その言葉を紡いだ一瞬だけ憂いを帯びていた様な気がしたのは、きっとその場にいた皆が感じていただろう。
そして神は、もういない。
+++++++++
一騒動の後、貴族達の間では加護の無い国の未来をどうするかの相談が続いている。テオフィールは話をまとめて持ってくるようにヘンゼルに命じると自室に戻った。
ソファには眠るエリク、窓際で外を見つめるヴィラは部屋の主の帰還にはまだ気づいていない。それを知ってか知らずか、テオフィールは堅苦しい外套を外すとエリクに向かって放り投げる。ぱさり、と体に落ちてきた外套に漸く眼を覚ましたエリクは軽く体を伸ばすとむくりと体を起こした。
「あ、終わったのか」
「リアは……もう居ないな」
視線を窓に向けたままだったヴィラも両腕を組んで瞳を伏せる。神降ろしをした張本人として少しは思い入れでもあるのだろうか。そんな事を聞く前に部屋には新たな客が訪れ、それを聞く機会を逃してしまった。
ノックと共に入ってきたにはフィーリ王女ユーフェミアとお付きのセルディア、アルフレート。少し疲れたような表情をしているが眼つきだけはしっかりとしていた。
「レイヴァス国王陛下、この度のご配慮に御礼申し上げます」
スカートの裾を摘まんで頭を垂れるユーフェミアに倣って、控えていた二人も胸に手を当てて頭を垂れる。その礼に片手を上げて応えると口元だけ弧を描いた。
「いや、特に力になれたとは思わない。だが、これからレイヴァス王国、フィーリ王国、アルディード帝国の三国は新たな時代を迎える。その時に心の許せる友人であってほしいと願う」
「そうですね……心より思いますわ」
本来ならば国の騎士同士の争いは戦争の火種に成りかねない。リアがフィーリ王国に駐在していたレイヴァス騎士を襲った時と同じ、国の問題となるのだ。一つの行動が大きな問題を呼び起こすことがある。ユーフェミアの後ろでセルディアは下を向き、気まずそうに眼を伏せていた。それを見ていたエリクはにやりと笑うとわざと明るい調子で彼女に声を掛けた。
「セルディア、お前の剣はまだ伸びる。近いうちにまた遊びに来いよ」
「お前、遊びはないだろう」
「ほら、うちの騎士達の訓練もできるし、一石二鳥だろ?」
「戯言ばかり言うと軟禁するぞ」
「あ、それ勘弁」
そう言ってクッションに沈んで、テオフィールの追撃を避けるエリクは世渡り上手と言えば良いのだろうか。苦笑するユーフェミアはセルディアに向き直るとその腕を掴んでテオフィールの前に引き出した。
「訓練の際には是非セルディアを筆頭に行かせますわ」
「ひ、姫様……」
「黙って行ってこい、お姫サマのお守くらい俺にだってできる」
アルフレートに背を叩かれて恐縮そうにセルディアはありがとうございます、と頭を下げた。きっと人を瀕死まで追い込んだ経験は彼女に無かったのだろう。当時の状況を語ってくれたイアンは彼女よりもユーフェミアが騎士らしく見えたという。肝が据わっているという身だろうが、ユーフェミアが魔術を使ってくれなかったらグレーテルは命を落としていた。
「一つお願いがあるのだが、良いだろうか」
「はい、何でしょう?」
テオフィールはそれまで大人しく黙っていたヴィラを一瞥した。
互いに別れの言葉を交わす人々の水を差してはいけないと黙っていたのだろう。だけども知らない環境に馴染もうとしていたヴィラとある人が重なって見えた。きっと彼女は帰りたいのだろう、だけども此処まで来たのは翠緑の魔女のお陰。誰かの支援が無くては神降の一族の元に帰ることができない。それを敢えて相談しなかったのは彼女のプライドの所為だろう。
「彼女を故郷まで帰してやってください」
その言葉に弾かれるようにヴィラは顔を上げた。
テオフィールがユーフェミアに願い事をすると思っていなかったのだろう。目があった瞬間、明らかに逸らされてしまった。まるで、余計なことをするな、とでも言う様に。
「えぇ、分かりました。このユーフェミア、責任を持ってお預かりします」
さぁ、と手を差しだす彼女を見つめるヴィラは少しずつユーフェミアに歩み寄る。そしてテオフィールと擦れ違いざまに本当に、本当に小さな声で囁いた。
「ありがとう」
意地っ張りなのは何処かの女帝と一緒だ、と苦笑すると彼はそっとヴィラの背を押してやった。閉鎖された小さな部族の中で育った彼女はどのような人生を送るのだろうか。見たこと、聞いたことを次世代に話し聞かせるときにきっと自分達のことを思い出して。
そして思った。誰かに忘れられたくないと願うのは一番人間らしい感情なのではないか、と。それを願い続けて狂った神々は一番人間らしいのかもしれない。
テオフィールは見送りをエリクに任せて部屋から追い出すと座りなれた椅子に身を沈めた。目頭に指を当ててじっと押さえる。じんと広がる心地よさにそのまま眠りに落ちそうになる。ここ数日熟睡したことは無かった。
浅い眠りに何度も目覚め、眠ったと思ったら既に朝を迎える毎日。それから解放されるならば、何でもしてみせると一人唇を噛みしめることがあったが、心配さえない今ではあの苦しみは何だったのだろうと思えてくる。
だけども心配ごととは一つ無くなっては、また出てくるものである。
テオフィールは勢いをつけて椅子から立ち上がると部屋をでて、蒼空の回廊を歩き出した。王族のみ居住を許されるそこには今はある人が一人使っていた筈。その場所まで来るとその部屋は開け放たれており、侍女たちが片づけを始めていた。
「イーナは居るか」
無駄の無い所作でテオフィールを迎え入れる侍女は中へと彼を導いた。
中に入れば、世話しなく掃除や身の回りの片づけをする侍女。そしてそれを監督するイーナの姿があった。だけどもテオフィールの入室に気がついた侍女たちが静かに退出するのを見て、イーナは漸く気がついたようだった。
「あ、会議は終わったの?」
「今は勝手に喋らせている……具合はどうだ?」
「うん、平気……だと思うよ。でも、魔法が無い感覚ってあんまり好きじゃないかも。テオが入ってきたのも分からなかったし」
不便だね、と苦笑するイーナの表情は暗い。確かにテオフィール自身も宝珠が無くなり、加護の無くなったことによって魔法を使うことはできない。
――だけども感じるのだ。
自分の中で煌々と燃え上がる炎が今か、今か、と暴れ回ろうとしているのが。
それが彼の血に受け継がれているレイヴァスの影響かもしれない。テオフィールはその感覚を振り切るように椅子に腰かけると、未だ立ったままのイーナを見つめた。
「どうした?」
我ながら間抜けな問いかけだ。彼は上手く紡げない言葉にユーディトの“口下手で一言足りない我が君”と言った言葉が蘇る。暫く押し黙っていたイーナの口から遠慮がちに言葉が紡がれた。
「私、サラサに戻ろうと思うんだ」
単刀直入の結論。テオフィールはまだ黙ったまま彼女が理由を話すのをじっと待った。
「ドレッセル家は他の三家とは違って魔法が無い場所では何の役にも立てないわ。もともと消えた筈の家だもの……所有している領地は王家に返還したいの」
猩々緋の瞳が微かに揺れる。それがどういう意味なのかは分からない。ただ、テオフィールは思った疑問を至極素直にぶつけた。
「サラサでやりたいことがあるのか?」
その言葉に堰き止めていた何かが崩壊する。思わず口元を押さえて彼の顔を絶対に見ないように外に目を向ける。
――ここで縋っちゃいけない。
――絶対に此処を出ていかねば。
それがあのテオフィールが仕組んだ茶番の中で固めた決意。彼らは新しい国を作る為に無駄なものは排除しなければならない。そして排除されるべき人物はイーナ自身なのだ。どれだけ彼らと絆が強くても恩情だけでは世界は回っていかない。
その時、優しいシトラスの香りが彼女を包み込んだ。その香りは彼が好んで付けている香り。そして初めてその香りを間近で感じた時のことを思い出した。あれはサラサの村から王城に行く時だった。上手く魔術を制御できない彼女を抱えて脱出した時。
もう押しとどめておくことは出来なかった。
「サラサに行きたくない!」
「あぁ」
「皆と一緒に過ごしたい! 笑ってたい、でも役に立たないのはもっと嫌なの!」
その腕に縋りついて、力いっぱい抱きついて、訴えるように胸を叩いても、彼は怒らない。素直に本音をぶつける彼女をまるで赤子のように宥める。優しく撫でてくれる大きな掌がどんなに血に濡れているかも、勿論知っている。そして優しい青碧の瞳が残酷なものを見てきたかも知っている。それでも彼でなくてはならない理由、それはきっと全てを晒せる安心感なのかもしれない。
彼が包み込んでくれる外套の隙間から表情を伺えば、ひどく優しい顔で見つめていた。そして徐に彼女の頬に手を当てると耳元で低い声がそっと響いた。
+++++++++
潮風が優しく髪を攫っていく。いつもならば苛立っただろうが、何故か為されるがままに紫暗色の瞳は太陽が再び空を支配する様子をじっと見つめていた。
毎日変わらない太陽の元に生きているのにも関わらず、世界はどんどん違う表情を見せる。それが良いとも悪いとも言わない。判断するのはきっと今の時代よりもずっと後。ユーフェミアは瞳を強く閉じた。
『不安?』
「少しね」
隣でユーフェミアと同じように手すりに腕を乗せて、彼女の顔を覗き込むフィーリは心なしか笑みが柔らかい。それはユーフェミアが素直に不安を吐露したからだろう。
傍から見る後姿は本当に双子の様で見合わせる顔は本当に鏡を見ているようだった。
『もうアタシはいらないね』
「えぇ……だけど私を守ってくれてありがとう」
『アンタらしくない言葉だね、最期に噛み付いてごらん?』
フィーリの試すような言葉に、ユーフェミアはもう一度海の先に広がる地平線を見つめた。生まれてから今までずっと見守ってきてくれた半身とも言える存在になんて言えば良いのか分からない。深呼吸するとフィーリに向き直った。
「私は貴方を否定し続けた、だからこれからも否定し続けるわ。貴方の生きる時代はもう終わったの」
彼女は静かに、満足そうに頷いた。太陽の光に包まれて、次第に色褪せていく体。
さよならは言わない。それは最後まで守った二人のプライド。
そして神は何処にも居なくなった。
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