月光のラナンキュラス
若葉が大きく揺れる外を見つめて、幾度となく迎えた季節に思いを馳せる。会いたいと思う友がいる。でも、もう願いは叶わない。何故ならば――。
「叔父上……どうか眼を覚まして」
中編・外伝小説
一つの終わりは一つの始まり
眠りに就いたまま眼を覚まさない皇帝。その人は自分の叔父であり、彼が後継者として認めたのはただ一人、フィリーネだけ。それは誰がどう足掻いても帰られない事実。そう、元老院さえも。
漆黒の瞳はいつ開いてくれるだろうか。
病は魔法では決して治せない。その進行を遅らせることは出来ても完治することはあり得ない。それを分かっているから何も出来ない。
「フィリーネ……」
「母上、どうして定められたものって変えられないんだろう」
様子を見に来たらしい母、サリアナはふと眼を伏せる。娘の嘆く言葉がもっともであるだけに何も言うことが出来ない。自分の娘であるが為に背負わせた重荷。それがどういうものであるかは重々承知している。
「私達、何か悪い事した? 何がいけなかったの?」
怒りを何処に向けたらも分からない。ただ胸に渦巻くのはどうして『私』なのか、その一つだけ。だれも助けてはくれない。
――時はレイヴァス王テオフィールの即位から一年が経っていた。
「皇女殿下……レイヴァス王の使いが参っておりますが」
「私の部屋に通しなさい」
扉ごしに聞こえた文官の声に凛とした声で返す。それは最早、癖と言っても良いだろう。
「……私、行くから」
そう呟いて扉に手を掛けたフィリーネの背に向かってサリアナは静かに語り掛けた。
「その人だけには自分を偽らないで頂戴、絶対に」
振り返れば真っ直ぐな瞳とぶつかる。だけどもそれをまともに見られなくて思わず目をそらした。
本当は分かっている。自分を演じ続ければ人はそれを本当のフィリーネだと思う。そうして弱音も吐けずに人の目が多いこの王宮で生きていくのだ。
自分の部屋へと繋がる回廊を歩きながら考えてしまうのは父のこと。こんなにも不安定な自分にいつも笑顔で笑い飛ばしてくれる父。騎士団の中でも肩身の狭い思いをしているだろうに一言も口にしないのは何故だろう。
そう思いながら自分の部屋に足を踏みいれる。暫くの間戻っていなかった部屋ではあるが侍女によって丁寧に掃除がされてあるのだろう。埃臭いとも思うことはなかった。
「ありがとう」
ぽつりと呟いてふと鏡に映った自分を見つめる。いつもなら侍女になど礼も言わなかったのに自然と感謝の言葉が溢れた。まじまじと顔を見つめれば表情が柔らかくなったように見える。
「いるか、フィリーネ!!」
「エリクレスタ王子、皇女殿下は只今戻られまする故……」
二重にされた扉の一枚目が開かれる音がする。案内を行う文官の立場からすれば未婚の女性の部屋に男性をいれたくはないのだろう。ましてや皇女という身分、子ども扱いする歳ではないと言うのに。
彼女はくすりと微笑むとそっと窓に歩み寄った。この賑やかな声を最後に聞いたのはいつだっただろう。そう、テオフィールが王として即位した一年前だっただろうか。
「もう……そんな経つのか」
その瞬間、乱暴に開け放たれた扉から飛び出してきたのは息を切らして入ってきた一人の茶髪の男とそれを追いかけるように入ってきた文官。窓枠に腰掛けてその様子を見つめていたフィリーネの顔を見つけると茶髪の男は眼を見開いた。
「おま……!!」
「ご機嫌麗しゅう、エリクレスタ王子」
暁色に染まりつつある太陽の光を受けて煌めく漆黒の髪は艶やかに結い上げられ、逆光に浮かぶその表情には微笑が浮かんでいた。だけどもこの他国の王子を自国の皇女の部屋に留まらせてはならぬと変な使命を胸にした文官は尚も引き下がらない。
「皇女殿下……」
「下がりなさい、この方は私の友人。無礼は許さぬ」
武勇で身を立てた皇女に敵わないのは分かっている。それでも引き下がれば優秀と称されたこの身の評価が落ちるかもしれない。そう思って瞳を伏せる。そして顔を上げた時に瞳に映ったフィリーネの眼光に思わず恐れ、戦いた。
まるで剣でも突きつけられているような威圧感。漆黒の瞳はまるで底の無い闇のように見えて――。
「失礼致しました!!」
まるで逃げ出すかのように部屋を出た文官にエリクはひたすら眼をぱちくりさせるだけ。その様子にくすりと笑うとそっと歩み寄る。久しぶりに見たその姿が懐かしくて、こんな近くに居るのがまるで夢みたいに思った。
「何で早く言ってくれなかったんだ。皇帝陛下の体調の悪さは分かっていたのに!!」
だんだんと口調を荒くするエリクに何も言わずにただ額を押しつける。肩にもたれ掛かるように来る重さに漸く彼は口を閉じた。旅立つ前に兄であるテオフィールから言われていた言葉が脳裏に浮かぶ。今は情だけで動けない、政治的立場があるということは身に染みて分かっているはずなのに。
『精神的に脆いと見抜いたのはお前だ、それをどうやって助ければ良いのか分かっているのもお前だ。……支えることの辛さを分かるのはお前だけだ』
――分かってないよ。
ただ一緒に居たかっただけだと思う。テオフィールやフィリーネ、イーナの様に目的を持って一人で歩けないから自分では動かない。助けるだけなら、自分は悲しくも苦しくもならない。弱かったのは自分。
「ごめん」
優しいと言えば聞こえは良いかもしれない。だけど結局は臆病なだけ。周りを気にして自ら動くことが出来ない、臆病者なのだ。
自分の声とは思えないような弱気な言葉に眼を伏せる。
「このまま叔父上が居なくなってしまっても……私にはテオフィールの様に王として何かをやり遂げたいと思えないんだ。目的も持たずにただ皇帝として頂きに立つのは意味がない。私、どうしたら良いんだろうな」
ぽつりと呟く彼女の声がくもって、そして掠れる。今まで気丈に保ってきた姿勢が一気に崩れる。それは唯一甘えられる人だからこそ。甘えても良いと思えたから頼る、認められた証。
頭一つ違う彼女の体を抱きしめて、ただ天井を仰ぐ。使者と名はうって来たもののやはりフィリーネに必要だったのは友、大切な人、守りたい、守って欲しいと想う人。微かに香る薔薇の花、それが百合でなかったことに少しほっとする自分を戒める気にもならなかった。
+++++++++
「で、行っちゃったんだね……なんかエリクらしいや」
紅の瞳を何処か嬉しそうに細めて呟くイーナは書類に追われるテオフィールに眼を向ける。気怠そうに書類を見ながら唸り声を上げる彼にくすくすと笑えば彼はどうした、と青碧の瞳を向けてきた。
「テオも人が良いんだから……」
本当は自分も一杯一杯なのに一番大変な人と思うものに気を遣ってしまう。それが彼の良いところであり、弱点でもある。
「畜生……ユーディトはフィーリ女王の誕生祭の使者に送ってしまったし、カイザーは国内を回ってる。クレアは学院で手が離せん」
「あっははー……文字を読むことがおっかなびっくりな子ならいるよー」
軽く手をひらひらさせるイーナにがっくり肩を落とす。アルディード帝国の辺境の村で育った彼女には辺境の村なりの教育しか受けてきていない。本を読むのでさえも仲の良いクレアが付き添ってるくらいだ。余り期待しない方が良い。それとは逆に引退騎士の村で育ったテオフィールにはそれぞれの分野にまんべんなく精通している為にこの仕事をしていても分からないことはない。逆に量が多すぎて辛いくらいだけども。
「なら、書類整理くらいなら出来るだろう?」
「うっふふー。なんか飲み物作ってくるね」
話を上手くはぐらかされたと眉をしかめるテオフィールに背を向けてそうそうと彼の私室へと足を踏み入れる。前王までは四大貴族でさえも足を踏み入れることが叶わなかったその場所だが持ち主がテオフィールになったことでその制約はただ一言、汚くしなければどうでも良いと一蹴された。
(……テオも苦労人だよね)
一年前に王冠を与えられたことによって普通の人ではなく、女神の血を引く子孫として生きることを定められた。それが一体どういうことなのかはよく分からない。でもきっと民にとっては至高の存在となったのだろう。そして今も歴代の至光の存在がこちらを見つめている。
「これがフォルクマール様……お父様、か」
「イーナ嬢?」
ふと振り返ればそこに今入ってきたらしい初老の男性――クラウスがそこにいた。
「あ、おじいちゃん」
「そう呼ばれるのもなんか良いわな。……こんな所で何しとる?」
やんわりと首を傾げるクラウスにイーナはもう一度肖像画を見上げた。変わらない表情で二人を見下ろしてくる王達に彼は微笑を浮かべる。
「フォルクマール様か……懐かしいことよ」
「私思ったのだけど、お母様――エルフリーデ様って何者?」
王宮内で勉強をするときによく耳にする人物。勿論、テオフィールとエリクの母親であることは分かってはいるけど出自まではよく分からない。
好奇心に満ちた瞳で見つめてくる彼女をまるで孫でも見るような優しい瞳で見つめると彼は口を開いた。
「陽気で楽天的で……草花に愛された緑の瞳、イーナ嬢のような美しい金髪。紛れもなくあの子は私の姪だよ」
「え……! じゃあ、テオとエリクの親戚ってこと!?」
信じられないとぱちくりするイーナだが、漸く落ち着きを取り戻してクラウスをじっと見つめる。
「私だけではない、イーナ嬢もユーディト、ライナルトも遡れば親戚だ」
どういうこと、と首を傾げる彼女にクラウスは肖像画を仰ぐ。全ての王が決まって金に近い茶髪と青碧の瞳を持っている。それは定めとして決めつけていたがそうではないように感じる。何故なら、エリクは確かにエルフリーデの萌黄の瞳を継いでいるのだから。
「いつからか分からぬ。風習として王妃は四大貴族の女性、または縁者と決まっている。年から言っても陛下と釣り合うのはお主だろうな」
「わ、わたし!? いや、ちょっとその……って、えええ!!!」
簡単に言ってのけるクラウスにイーナは顔を赤らめる。確かにテオフィールには好意を抱いてはいるが一気に其処まで行かれると頭がついていかない。
それよりも――。
「王様の気持ちは……無視、なの?」
少し悲しそうな表情を浮かべて尋ねる彼女にクラウスは声をあげて笑う。
「そんな事はない。フォルクマール様とてエル――エルフリーデを愛したからこそ結ばれたのだ。私たちとてそんな鬼ではない。だがな……」
「な、何?」
「お主は一族の力、時空を操る力を誰よりも強く持っている。今までその特殊能力者とは敢えて王は結ばれなかった。何故なら産まれてくる王子や王女に受け継がれては希なる能力ではなくなり、一族の権威が落ちてしまうからだ」
その希なる能力は一族の長子に受け継がれる力、エーレンフェルス家の特殊能力はクラウスに受け継がれている。だからこそ、姪であるエルフリーデはその制限に引っ掛からず、且つ王に愛された幸運の持ち主だったのだ。
「じゃあ、私とテオは結ばれない方が良いのかな……」
「やってみなくてはわからん。ただ、分かるのは容姿が乱れるだろうな。あの青碧の瞳は失われる、それだけは言えるだろう」
次へ
戻る