光のラナンキュラス


 戦場では修羅の如く、華やかな場では百合の如く。その表情を自由自在に操り、人を惑わす女性。あの日にもう一度帰れるならば、俺は君に史上最大の感謝の言葉を告げただろう。
 ――二度と会えない親愛なる君へ。

中編・外伝小説
紅の瞳

 レイヴァス王国も週末になれば多くの騎士や使用人達は自由な時間を過ごすことができる。街に降りて買い物をする者や部屋に閉じ籠って昼寝する者、平日と変わらず鍛練を続ける者、人それぞれである。それは国を治める統治者も変わらなかった。

「週末って幸せー!」

 人、一人が過ごすには大きすぎる王の私室。そこに備え付けられたソファに身を投げてクッションを力一杯抱き締めると柔らかな羽が二、三枚宙に浮いた。いつも掃除をしてくれる侍女のお陰で部屋は太陽の匂いが一杯、壁に掛けられた肖像画にも埃一つなく、完璧に磨きあげられていた。

「……平日でも特に仕事はないだろう」

「スミマセンねぇ、田舎育ちなんで都会の事はちんぷんかんぷんなの!」

 疲れきった表情で纏っていた外套を外すテオフィールに頬を膨らませるが表情を見られる前に放られた外套が顔に直撃した。
 顔で受け取った外套を広げて少し眉を潜める。長く椅子に座っているせいか、皺が酷い外套を壁に掛けてそっと埃を払う。その時、何かが掌に当たって床に落ちた。
 なんだろうか、と手を伸ばしてみれば彼には似合わない桃色の花を象ったペンダント。どうやら別の用途に改造されているらしく外套を止める金具の飾りのようになっている。

「……綺麗ね」

 光に反射しては桃色から白銀に見えたり、時には深紅にも見えるそれを眺めてみる。時々薫る優しい香りはどうやら此処からしていたらしい。一番大きな花弁の一枚に香水などを入れる小さな入れ物がついている、凝ったデザインである。

「気になるのか?」

「だって、テオの趣味じゃないでしょう?」

 柔らかな紅茶の香りに笑って振り返る。だけども予想に反してテオフィールの表情は少し悲しげで見ていると何故か胸が締め付けられる気がした。

「昔の仲間の遺品だ」

 短く呟いてテオフィールはゆっくりとソファに歩み寄ると静かに腰を下ろした。触れてはいけないものなのだとは直感的に分かっていても自分で答えたテオフィールが珍しくてイーナは彼に背中を預けた。

「珍しいね、ちゃんと喋るの」

 からかうように身を預けるイーナにそうだな、と苦笑する。確かに自分は過去に触れることを避けてきた。今生きている時間が大切だと信じていたし、そうしなければ戦場では命を落とす。生きる厳しさを知っているから前を向き続けてきたのだ。次に来るかもしれない荒波に備えて。それがいつも癖になっていたのだろう。

「丁度、思い出していたんだ」

「ねぇ、聞かせて? その人のこと、私も知りたい」

 桃色の花を象ったペンダントをそっと握りしめて笑う。自分の想いを寄せる人にとってどれだけ大切で、どれだけ忘れられないのか。全てを受け止められるようになりたかったから。テオフィールはイーナの猩々緋の瞳を見つめると自分が確かに過去の世界へと戻っていくのを感じていた。


+++++++++



 あれは確か十九歳の秋だった。傭兵として四年経験を積んだテオフィールにとって初めて大きな仕事が舞い込んできたのだ。弟であるエリクと共に組んで仕事をしていたのが珍しかったのだろう。仲介人のクロードに言わせれば傭兵の中でも異質だったらしい。
 死と隣り合わせである傭兵――不慮の事故でも死ぬことはある。例えば、誰かの犠牲になったとか。誰もが負い目を感じないように死んだ傭兵の親族にはただ一言。

『剣神オルトリンデに愛されて、彼女の尖兵となった』

 と告げられるだけなのである。何が起こるか分からない傭兵の仕事でそれが互いにとって唯一の救いとなるのだ。

「で、呼び出されたのが俺と兄貴って訳か」

 カウンターごしに書類を片付けるクロードを見ながら溜め息を吐く。大きな仕事と分かってはいてもいつもと変わらない様子の兄に何故か意欲が削られる。

「兄弟ならば強さも能力も似ているだろう? 俺様がわざわざご足労して取ってきた仕事だ、きっちり仕事をしてこい!」

「あー、はいはい」

 いつも上から目線でものを言うクロードには二人とも完全に慣れきっていた。少し猫目の灰色の瞳が気位の高さを表している。だけども彼は決して自分の事を語ろうとはしない、そういう男だった。

「おはよー、クロード。私の仕事ちょーだい」

「おう、エル姐さん。ちょっと待ってな、直ぐに出してやるぜ」

 不意に現れてクロードと親しげに会話する人物に視線を向ける。そこに居たのは明らかに異質な女性だった。この世界では有り得ないような奇抜な紫紺の髪色に血を思わせるような紅の瞳。そして透き通った白い肌は肩や腹部が剥き出しになっており、若い二人にとっては眩しく感じた。

「ん、この子達もクロードの管轄?」

「まぁな、秘蔵っ子だぜ」

「へぇー、あんたが其処まで言うの珍しいよねぇ」

 そうか、と首を傾げながら惚けて見せるクロードは口角を微かに上げながら彼女に書類を渡した。それにざっと目を通したエルと呼ばれた女性は面倒臭そうに溜め息を吐く。

「また近衛騎士団と組むのぉー、勘弁してよー」

 アルディード帝国皇直属の近衛騎士団と言えばエリート中のエリート。その構成は皇族に限られ、武術に卓越し、更に魔術を扱う集団である。この世界で魔術が使えるのはほんの一握り。女神の血を引く皇族や王族、数は少ないが時折平民にもその能力が出てくるという。テオフィールもエリクも魔術は一度も見たことがなかった。

「近衛騎士団と組むのは実力者の証、良いじゃねぇか」

「そーゆーことにしとく。だけどあたしだけじゃないんだよねぇ、任務要員が」

 ほら、とエルは書面をクロードに指し示す。印刷技術で丁寧に打ち込まれた文字には彼女の他に二人の名前。それを確認すると彼はにやりと笑った。

「全く俺様の采配に狂いはないぜ? 何のために此処に三人集めたと思ってる」

 ぽかん、と口を開けたままのエリクの顎を叩いて閉じさせるとかちり、歯が当たる音がした。テオフィールは失礼、と告げてエルの書面を覗き込んだ。其処にあったのは明らかに彼とエリクの名前。

「じゃ、君達がテオフィールとエリクね?」

「……あぁ」

 綴りも名前も登録番号も間違っていない。これが夢でなければ初めての近衛騎士団と組む仕事。急に冷静だった心臓が強く鼓動を打ち始めた。

「ならいいね、あたしはエルヴィラ・カルヴァート。相棒はこの大剣と魔術を少々」

 ――女性なのに大剣、と首を傾げる。確かに彼女の背中にあるのはエリクが扱う大剣と大きさは変わり無い。大剣が目立つほど彼女の身長は小さくはなかった。
 宜しくね、とテオフィールとエリクの頭をがしがしと撫でる彼女との出会いは普通と言えただろう。
 だけども此処からが普通じゃなかった。



+++++++++



「それから俺達は近衛騎士――スヴェンと合流して西へ向かった」

「ちょっと待って、スヴェンってフィリーネの……」

「あぁ、元上司だな。確かに彼奴だった」

 テオフィールは詰め襟を緩めると足を組む。昔を思い出す度に遠くなる瞳が今は近く感じた。

「西にあった筈の村はもう壊滅していた。本当に村があったのかと疑うほどにな……亡骸や村の状態を調査する内にエリクがある物を見つけた――漆黒の羽だった」

 魔物の殆どは知能が低い。自分の足跡や匂いを消すことに優れているとは言えない。だからこそ、壊滅した村を見れば襲ってきた魔物の形態が分かるのだ。

「羽ってことは鳥?」

「いや、違う……俺達には不相応な相手だったよ」

 再び瞳が遠くなる。脳裏に思い描いたのは思い出す度に溜め息を吐きたくなるあの場面。願わくば二度と遭遇したくない。



+++++++++



 手掛かりを頼りに辿り着いたのは山肌に作られた巨大な洞窟。いくつもの似たような羽が散らばっていることから棲みかが此処だというのは間違いなかった。たが、その入り口は断崖絶壁。わざわざ山を登り、頂上から綱を降りて棲みかに入り込まなければならない。面倒な仕事ね、とスヴェンに嫌みを含んだ視線を向けたエルヴィラだったがそれは意図も簡単に砕かれた。

「なぁなぁ、兄貴」

「何だ?」

「いや、全く喋らないから意識あるかなーって」

「ある」

 単語しか返さないテオフィールにあぁ、そうですかと呟くと大きく息を吐いた。見下ろすのは垂直の崖、万が一綱が切れたら真下の樹海に吸い込まれるように落ちるだろう。ごくり、と唾を飲み込むとエリクは弾けんばかりの鼓動を押さえつけていた。

「ねぇ、テオフィール……不安?」

「別に」

「ううん、不安だよー。手、震えてるもん」

 エルヴィラのしなやかな指先がテオフィールの腕を指し示す。微かに、と言っても殆ど分からない。

「俺の感情まで知る必要はないだろ」

 威嚇するために鋭くなった瞳だが百戦錬磨の女戦士には子犬同然。彼女はふと微笑むとテオフィールの隣に腰掛けた。微かに漂う花の甘い香りが鼻を擽る。

「あたしは必要なことしか言わないよ、君が今感じてる不安も自分を守るために必要なこと。だから弱音も言って欲しい……背中を預けられる人は一杯いる、抱えなくて良いよ」

「俺が強がってるとでも?」

「その通り」

 自信たっぷりにぴしゃりと言い放たれると反論しにくい。確かに思考は常にスヴェンやエルヴィラ、万が一エリクが死んでしまったらどうするべきか。自分一人で任務を終えられる確率は、など常に最悪の状況を考えている。だけど、テオフィールは決してそれが強がりだとは思わなかった。

「最悪の状況を考えて行動を考える、それの何処が悪い」

「考えるのは悪くない、でも仲間に伝えなきゃ。自分が思っていることや感じてること。そうじゃなきゃ、皆生き残れないよ」

「あ……」

 正論過ぎて非の打ち所がない。仲間ならば思考も感情も共有すべき、それが言いたいのだろう。するとエルヴィラはくるりと上体を後ろに向けるとにこりと笑ってエリクに手招きをした。渋々歩み寄る彼に自分の隣に座るように促すと両腕を兄弟の肩に回した。力強く彼女の方に引き寄せられるのが少し気恥ずかしくて反抗したくなる。だけどもエルヴィラの複雑な表情を見たら抵抗する気も消え失せた。

「まだ若いんだから弱くて良いの。年を取ったら強くならざるを得ないんだから」

 わかった、と二人に微笑みかける姿はまるで故郷にいる母親と重なって見える。それはエリクも同じだったらしく少し驚いたように目を見開いたが直ぐに強く頷いていた。

「決心はついたようだな」

 偵察に行っていた筈のスヴェンはいつの間にか戻っていたらしく、汗の滲む額を拭うのと一緒に髪を掻き上げた。別れた前髪からのぞく灰色の瞳は既に敵の動きを探る騎士の瞳。
 彼はエリクに命綱を投げると一緒についてこいと促す。どうやら先陣を切って主力であるエルヴィラを安全に穴の中へ導きたいのだろう。不安なのは皆同じと心に言い聞かせ、命綱を腰に巻き付けるとスヴェンの後を追いかけ、壁を降りていく。背中に抱える大剣の重さは二人とも同じくらい、だけどもまだ幼さが残る体型のエリクとは違い、スヴェンは既に青年。命綱に掛かる体重にも差が出てくる。

「……くっ!」

 勢いを付けて崖に空いた空洞へと降りるが足元が柔らかく脆い、それに何とか耐えて暗闇の様子をじっと伺った。動く様子も生き物の存在も確かめることが出来ない。偵察に来たときはこの中へ入っていく黒い鳥の姿を確かに見たのだが――。

「何か変な匂いしねぇ?」

 スヴェンの後から洞窟に降り立ったエリクが眉を潜めながら鼻を摘まむ。確かに金属が混じった腐敗臭と言うべきか、おかしな臭いがした。二人は大剣を抜き放つと片手で鼻を押さえながら闇の中を進んでいく。頼りになるのは外から入り込む陽の光だけ。

「これ以上先は無理か……」

「そんなこと言ったってまだ奥も確認できてないぞ!」

「はーい、それなら私の出番よーん」

 出口から響いてくる声に振り返れば既に降りてきたエルヴィラとテオフィールの姿があった。大きく手を振って存在を主張しながら跳び跳ねる姿はまるで遊びに来た子どものように見える。

「魔法を使うのか?」

「うん、ちょっとねー。まぁ、非常事態だし」

 テオフィールの問い掛けに笑って見せるとエルヴィラは辺りを見回した。
 生まれて初めて見る魔法は一体どういうものだろうか、手品を待つような気分である。だけども兄弟の予想に反して、案外呆気ないものだった。彼女はぱちん、としなやかな指を擦り会わせると掌を広げる。そこにあったのは宙に浮かび上がりながら燃え盛る炎の塊。

「精霊魔術は使いづらいけど火を出すにはこれしか無いからねー」

「聖歌魔術は補助的、祈祷魔術は治癒的。唯一人に危害を与えられるのが精霊魔術だ」

「あー、でも聖歌魔術でも魔物は倒せるよ。っていうか、スヴェンが此処で歌えば魔物が浄化できるんじゃない?」

 意味が分からない、と呆けたままの兄弟に彼も思わず苦笑する。無理もない、先日まで魔術がどういうものかも知らなかった人間がいきなり知ろうと言うのが難しいのだから。そんな二人を置いてスヴェンは眉間に皺を寄せた。

「確かに出来ないことは無いが私の聖歌魔術では弱すぎる、浄化にもならないだろう。恨むんなら血を恨めよ」

「はいはーい、しょうがないなー」

 そう言って迷いもなく先行するエルヴィラの背中を見つめながら一人彼は眉間に皺を寄せていた。何故ならば歌神アルディードに愛されたこの帝国では精霊魔術や祈祷魔術を使うととてつもなく体力を消費してしまう。それなのに飄々と歩く彼女の過去や生まれについて知るものは誰もいない。――そう、誰も。

「エルヴィラ」

「エルで良いって」

「――なら、エル。出身は何処なんだ?」

 テオフィールの問い掛けに一瞬彼女の足が止まった。が、それは直ぐに動き始める。スヴェンもここぞとばかりに耳を澄ませた。

「髪も瞳も不思議な色をしている、見たことが……」

「出身はこの国じゃないよ、髪は……染めてるだけ。あ、瞳は生まれつきなんだ」

 左右にくりくりと動かしておどける彼女。血のように赤い瞳は大きく、初めて見た時はそれなりに驚いたが今ではもう慣れてしまっていた。 さぁ行こうか、とエルヴィラが歩き出した瞬間彼女の体が大きく後ろに吹っ飛ぶ。それと同時に訪れる闇に相手が何だか見極めることも出来ない。

「下がれ、早く!」

「エル!!」


次へ
戻る