月光のラナンキュラス
Act.2 傭兵の仕事
波のように揺れる水平線から一筋の光と共に太陽が顔を出す。日が当たるとじんわりとした暖かさが身を暖めてくれる。ぼんやりした頭を動かそうと目を擦りながら体を起こした。
雪が降ってから幾日も経つと言うのに均等に立てられた木々の根元に茶色に染まった雪がまだ形を残している。冬と春の丁度境目にあるこの季節。桜の蕾はまだ眠ったまま起きようとしない。立ち上がって外を見れば既に人々の往来が見える。彼は寝癖の付いた茶髪を掻き上げると紺の上着を手に部屋を出た。
「……ったく、あの馬鹿」
苦々しく呟いた理由は散乱した卓上の所為。剣を手入れする為の道具があちらこちらに置いてある。多くの傭兵は鍛冶屋に剣を預けるのだろうが厳しい父親のお陰で彼等は自分で手入れを行う術を知っている。放置された大剣を鞘から抜けば完璧なまでに磨き上げられた刀身。それは光に反射して鏡のように彼を写し出していた。
彼はこの様な光沢は出すことは出来ない、エリクだけに出来る技。自分には出来ない事が出来て羨ましくも思えた。だが、剣術はエリクよりも秀でているつもりだ。全て完璧に出来る人間はいないと信じている。
彼は台所のバスケットから小さめのパンを口に加え、必要なものを掴むと家を出た。通りに面しているエリクの部屋からは豪快な鼾(いびき)が聞こえる。それを背に彼は道をぶらぶらと歩き出した。依頼人との交渉まであと数分。手に持ったままの紺の上着に袖を通せば寒さが和らいだ。
傭兵だけに着用することが許されるそれは国の登録を経た傭兵だと言う証になり、交渉時と任務中の着用が義務付けられている。その為、何度新調したかは分からない。戦いの度に返り血を浴びたり、傷で避けてしまったり、もう少し戦う者の気持ちにもなって欲しいと思いながらも既に慣れてしまっている自分がいる。手慣れた様子で水色の柔らかな絹を釦に止めるとくわえたままだったパンを掴んだ。
いつの間にか足は交渉場所近くの高台まで来ていたらしい。そこから見下ろすことが出来る街並みは美しいとしか言いようがない。町外れに見える湖は目映いばかりに太陽の光を浴びて輝いていた。
「アーベントロートか?」
振り向けば、そこには外套を頭から深く被った人間。予想よりも長身だが歩く度にヒールが鳴る。鼻から下しか顔が分からない姿に彼はふと溜息を吐いた。正体を知られたくないと願う雇い主は多くいるが殆どはその姿を隠すことは無かった。どうやら今回の依頼は厄介ごとらしい。そんな思考を何処かに追いやると彼は静かに手を差し出した。
「あぁ、俺はテオフィール・アーベントロート……依頼人だな?」
差し出された手をじっと見つめてくる依頼人は少し躊躇していたようだがすんなりと彼の手を握った。掌の冷たさと所々固い場所を感じながらテオフィールは手を離した。ほんの少ししか耳にしなかったが、中性的な声。瞬時に依頼人を見極めた彼は依頼人の姿をもう一度、一瞥すると再び町の光景を見渡していた。
「依頼は恐らく君達には簡単だろう、だが油断はしないで貰いたい」
「それは俺達が依頼を軽視しているってことか?」
そういう意味ではないが、と呟き口元に手をやると依頼人の口角は弧を描く。艶やかな唇、指先の冷たさ、歩くたびに鳴り響くヒールの音、それは全て依頼人が女性だと言うことを示していた。
「魔物討伐の依頼だ。今日の正午に出発するが私も同行する」
「珍しいな。依頼人同行の依頼なんて聞いたことが無い」
通常の依頼では魔物討伐の証とされる魔物の角や瞳を持ち替えることが習慣となっている。だから同行するということはあり得ないということになる。だが断るわけにもいかない。テオフィールは両腕を組むと了承の頷きを返した。
「任務の所要日数は?」
「予定ではそんなに掛かるつもりは無い。だが、魔物の詳細な報告が入っていないからな」
――その場での対応と頼む、と言えるのは二人が何かに縛られている存在ではないから。傭兵という仕事だけで生計が成り立つ者ならば二人のような者もいるが殆どはその知名度や実力において一歩劣るために副業を持っている。
ややこしい事にならなければ良いがと内心呟きながら町はずれの湖に眼をやった。煌めく水面から爽やかな風が吹いてくる。迷う心や疑う心を消し去るようなそんな風。彼はそんな湖から視線を外すと一言、告げた。
「分かった。その依頼、引き受けよう」
彼女も深い外套を被ったまま一つ頷く。それを見届けるとテオフィールは再び背を向けて街並みを飽く事無く眺め続けていた。
*
*
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かつり、かつりと歩く度に靴が鳴く。歩き慣れた城下町を離れて急ぎ、城へと戻る。頭から被っている外套は風に揺れる度にさわさわと音を奏でていた。時折聞こえる鳥の鳴き声、恐らく先日の雪を凌いで餌でも探しに来たのだろう。彼女は外套を深く被り直すと階段を一歩一歩踏み締めた。
「止まれ! 此処は由緒正しきアルディード帝国王城であると知って、その様な格好をしているのか!」
立ちはだかる門番の兵士に思わず溜め息を吐く。たかが格好に一々文句を言われたくないが、今日の出で立ちが怪しさを増幅させるような格好をしているのが悪かった。門番は二人と上から監視する兵士が一人、その左腕には黒の腕章。主に城や街などの警備に当たる内務武官の証。
彼女が静かに腕を伸ばせばそれに警戒して身構える門番達。しなやかな腕は宙から釣られた様に真っ直ぐ伸びる。外套がはらりと腕から落ちて見えたのは緑色の腕章。それを一目見ると上から三人の様子を見ていた内務武官が二人に向けて門を開けるように叫んだ。
「悪いな。……勅命だ」
密かに覗く黒曜石の瞳。門番達は息を飲むと静かに門の開閉をし始める。それに乗じて隙間を潜ると門の開閉は直ぐに終わってしまった。
門の上に居た兵士は彼女が無事に入れた様子を確認すると直ぐに背を向けた。どうやら兵士達は見て見ぬ振りをしているらしい緑色の腕章を持つ騎士――皇直属の近衛騎士を引き留めたとは報告はしたくないのだろう。彼女はそれを理解すると足早に階段へと踏み出した。
長い長い階段が連なる王城への道程。そこから見えたのは綺麗に並んだ青の腕章を着けた兵士達。この国の騎士達は腕章によってその身分を示す。例えば門番の兵士は黒の腕章、これは主に国内を対象に働く騎士――内務武官。そして彼女が見ている青の腕章を着けた騎士達は国外を対象に働く外務武官。簡単に言ってしまえば他国との戦争に向けて訓練している騎士である。だがこの二十年以上国同士で戦いは起こっていない。唯一隣の国レイヴァス王国で内乱があったと言うくらい。それ以降鎖国をしているその国の情報は全くといって良いほど入ってこない。
そして、彼女の属する皇直属の近衛騎士団がある。主に皇帝の護衛を務めているがそれぞれの騎士の出自は皆皇位継承権を持たない皇族だという。そして彼女自身も――。
「フィリーネ?」
その言葉に被っていた外套を払って振り返る。目の前に不思議そうな表情を浮かべて佇む人物に素早く敬礼をした。
「団長、此処でお会いするとは」
「僕も驚いたよ。……例の任務の報告かい?」
柔らかな笑みを称えて尋ねる彼は王族の血筋を持つものだけで構成された近衛隊を率いる実力者、近衛騎士団団長スヴェン。戦場で彼の剣を見た者で生き残った者は数えるほどしかいないと言う。
「はい、これから傭兵を率いて現地に向かいます」
「あの兄弟だね、一回だけ共に戦った事があるが筋が良いよ」
それに楽しかった、と語る上司。彼と対等に戦いを生き残ることが出来る者はそういない。況してや昼間の優男がそうだとするなら、ある意味恐ろしく思えた。
「僕もこれから北で殲滅作戦なんだ。君は確か南のサラサだったね。分かっているだろうが……」
「レイヴァス国境は魔物が異様に強い、ですね」
「レイヴァス国内では王子が生きているという噂で持ちきりらしいし……変な動きが無ければ良いんだけど」
噂が立った理由が分からないが大体は予想は付く。今、レイヴァスには王が不在だ。それが関係しているのは学者達が発表しているため街娘でも知っているがそれでも動きを示さないレイヴァス王国が不気味だった。。
彼女はご武運を、と彼に呟くと再び敬礼をした。
「君もね」
軽く敬礼を返して背を向ける。
近衛騎士団を率いる彼、スヴェンは何かと彼女を気に掛ける。昔に一度問うた時、彼は言った。
「家族だからさ、か」
フィリーネはそう呟くと美しく整えられた深紅の絨毯の上に立つ。近衛騎士団に入るまでを過ごしたその場所に懐かしさは感じない。 彼女は思いを振り払うように一本道の廊下を突き進んだ。自分の身長の二倍はあろうかという大きな扉は開け放たれている。
その場所はアルディード帝国皇帝が臣下の報告を聞き、様々な命令を下す所。女神の血を引くとされる皇が君臨する神聖な場所。そう、言われてきた。皇の間の奥を見れば、皇帝を取り囲むように一段下がった位置に座る議員達。全てが彼女に背を向けている為、彼女の存在を知るものは皇帝しかいない。彼女は此方に気が付いた皇に一礼すると素早く中に入り片膝をついて頭を垂れる。すると背を向けていた議員達も彼女の存在に気が付いたらしく驚いて立ち上がった。
「急に現れるとは無作法にも程があるぞ!」
「申し訳ありません。お邪魔を致してはと思いまして」
「実に気味が悪い。音もなく近づくのは魔物か幽霊じゃろう」
その言葉にどっと笑いが起こる。不愉快な笑い声が響く中、自分自身を押さえながら必死に張り付いた笑みを浮かべた。寧ろ、笑みなど浮かべる必要はない。そう悟ると彼女の表情は鉄のように固くなった。
「我が後継者を弄ぶのもいい加減にしないか」
ゆっくりと玉座から離れ、悠々と此方へ近づいてくる皇。その距離が縮まる度に体が硬直する。口では説明できない覇気にきっと名乗らないでもこの国を治める皇だと察することが出来るだろう。
「恐れながら、陛下。女の身でありながら侵入者と対峙し、衛兵が来る頃には全員を惨殺。皇位を継ぐのであれば慈悲の心が必要だと存じます」
一々過去の事を話に出す議員達を前に何も言う気を無くした。
王位、慈悲の心、政治。それでどれだけの民が守れるだろう。自らが盾となった方が大義を実現できると彼女は思った。
「だが、我が慈悲の心。そなた等にはこれ以上やるつもりは無いぞ。今日の会議は終わりだ。下がれ」
「ならば誰か騎士を……」
「それには及ばぬ。血を分けた一族。我が首を取れば粛清される、主らが決めたことだろうに」
皇帝は目を細めて進言した議員を睨み付ける。それに自らの危機を感じた彼らはまるで波が引いていくような速さで部屋から退出していった。
「まるで蛆虫の如く、かな」
「恐れながら陛下、彼等も政治の一部に御座います。皮肉を申してはなりませぬ」
その言葉に漆黒の瞳を細めて笑う姿は一国の元首に到底見えない。先程の覇気は一瞬にして消え失せる。白髪の混じり始めた年齢にあるにも関わらず、子供の様な気持ちを忘れてはいないらしい。
「だが、お前を後継者にするのは本気だ。アルディード帝国第15代皇帝 ベネディクトゥス・ヴォルフ・フォン・アルムホルト・アルディードが女神に誓ってもいい」
「陛下、そう簡単に女神に誓うものではございません。それに私は一騎士、国を率いる事は恐れ多くも……」
本気で眉をしかめるフィリーネの姿にベネディクトゥスは少し寂しそうに微笑む。
「そうだな、……お前は立派な騎士だ。今日旅立つのだったな」
「はい、母上が陛下にも報告に行くようにと」
――家族なのだから。
そう言って彼女の背を押した母の姿が目に浮かぶ。自分とは違い社交的で明るい母。顔だけは瓜二つなのに弓の修行に明け暮れ、きらびやかな場所が苦手な自分。全く正反対な彼女に母はお父さん似ね、と優しく抱きしめることが良くあった。
「気を付けて行ってこい」
力強い言葉に軽く微笑むと背を向けて部屋を出る。
そして、ベネディクトゥスはその後ろ姿に何故かこのまま帰ってこないのではという予感を微かに感じていた。
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