月光のラナンキュラス
Act.3 旅立ちと異変
アルディード帝国帝都城近くにある大きな時計台が正午の鐘を鳴らす。遥か昔、女神が武器を握った戦い――百年戦争の終戦記念に建てたものだと言われる時計台。その頂に陶磁器で作り上げられた白亜の鳩が今にも美しく羽ばたこうとしている。
時折、立ち止まって祈りを捧げる人々が見られたのは、今の平和があるのは過去の人々の理念と犠牲があったからと言う考えがあるから。例え、当時の戦を知らなくても歴史はその記憶を刻む。悲しい戦いの系譜を知る時計台は街全体に響き渡る音で時を告げた。
「遅いな」
そうぽつりと漏らしたのはエリク。萌葱色の瞳を時計台へと向けながら苛立ったように指は休む事無く膝を打ち続けている。立ったまま何も言わないテオフィールを見上げると流石に眉間の皺が濃くなっている。
大地を優しく照らす太陽が二人を真っ直ぐに照らす。茶に帯びた髪は光に透けて微かに金色に輝いた。アルディードでは一般的に見られる色であるがそれよりもくすみの無い透き通った色をしている。
「遅れてすまない」
早足のかつり、かつりという音と共に現れたのは艶やかな黒髪を結い上げた女性。寒さ避けの純白の外套を靡かせながら二人の前に立っている人物の声音は確かに昨日テオフィールと会話した女性と同一人物。背には矢筒であろうか、二人には滅多に見ない武器が背中に背負われていた。
「えーと、君が依頼主?」
思わず声を上げたのはエリク。まさか魔物退治という物騒な依頼など女性が頼むとは思わなかったのだ。それに今朝は分からなかったが恐らく自分達と同じ様な年齢だろう。それにしては異様に落ち着いて見えた。 唖然とする彼にからかい半分にテオフィールは一つ付け加えた。
「一緒に来るそうだ」
すると彼女はすこし首を傾げて見せると手に持っていた弓を振って見せた。年相応の仕草に埋め込まれた黄色の宝珠が光に反射して虹を作り上げる。昨日出会った時は線の細さが印象的だったが純白の外套から覗く腕はそれなりに鍛えられている。
「その辺の駆け出し傭兵よりも腕は立つと自負しているけど」
「へぇ、流石は王様の騎士だなぁ」
のんびりと呟くエリクに彼女――フィリーネは眉を潜める。確かに、知る人から見れば彼女の出で立ちはアルディード王国近衛騎士隊の制服である。だが、それは帝都城内で通じる常識。一般人には制服に隠された階級制度など分かる筈が無い。
「階級が分かるの?」
「昔、組んだ奴が近衛騎士だったからな。同じものだろう」
テオフィールの言葉にあぁ、と呟く。確か帝都城に帰還したときに会話を交わした近衛騎士団長スヴェンの事を言っているのだろう。彼も二人の事を知っているようだった。きっとこれも何かの縁なのだろう、フィリーネはそう自分を納得させると話を進めた。
「それなら誰の依頼かも分かっているのでしょう?」
「近衛騎士が守る者から離れてまで任務につくんだ。そりゃ、主君様々の命令だろ」
傭兵は誰にも忠誠を誓わない。騎士は自分の主君に忠誠を誓い、その身を捧げる代わりに主君は騎士の生活を保障する。そう言った仕組みの無い傭兵にはそう言う意識は無いに等しい。だが、彼女はそれを受け流すと両腕を組み、ふと微笑んだ。
「なら話は早い、この任務は失敗が許されない。その為に貴方達を雇ったのだから」
その言葉にエリクはあからさまに面倒くさそうな表情を浮かべた。嘗て背を預けた茶の瞳を持つ優男と同じ様な口調は近衛騎士の性質だろうか、それとも一族の血筋か。テオフィールは彼が嫌な顔をするのに諌めることはしなかった。何故ならその時の戦いは余りにも壮絶なものであったし、若い彼等の能力を最大限まで使って果たした任務だったのだから。生きるか、死ぬかの戦いは勘弁して貰いたい位なのだ。
「目的地は南のサラサの村だ。馬は此方で用意させてもらう」
御丁寧にと肩を竦めるエリク。その重い腰を上げるのには些か時間が掛かった。
「君の名を聞いていなかったな」
気合いを入れようと呻いているエリクを一瞥すると彼女は漆黒の瞳を真っ直ぐテオに向ける。意思の強さを感じさせる瞳に引き込まれそうになる自分を押さえるのがこれ程に難しいとは思ってもみなかった。普通の人が宿す瞳の強さとは――違う。
「私はフィリーネ」
敢えて正式な名前は言わない。皇帝の位に一番近いとされる自分に流れる血は余りにも高潔で、低俗で、背負うには自信がなかった。
漸く立ち上がったエリクは手の汗を紺の上着で拭き取ると元気よく手を差し出す。
「俺はエリク・アーベントロート。兄貴の事は知ってるんだろ?」
「えぇ、宜しく頼む。エリク、テオフィール」
彼女は差し出された手を取りながら兄弟を見比べる。顔立ちなどは何となく似ているものの、性格は全くといって違うらしい。兄のテオフィールは慎重派、物事を良く吟味してから結論を下す。だが、他人の事には余り興味は無いらしい。名を尋ねたのも失礼があってはならないと思ったからだろう。それに対して弟のエリクは自分のペースは崩さない、が無機質な印象を植え付けやすい兄を和らげるように笑顔を常に浮かべていた。だが、細かいやり取りは苦手なのだろう、今朝顔を合わせることが無かったから。
すると三人の会話に入って良いのか、悪いのか戸惑う三人の兵士。その手には三頭の馬の手綱が握られている。テオフィールはフィリーネに顎で合図を送ると彼女は漸く気が付いたように兵士に振り返った。
「あ、……ご希望の馬をご用意致しました」
「ご苦労だったな、下がれ」
黒の腕章を身に付けた兵士――内務武官が持ってきた三頭の馬。一頭は艶やかな漆黒の色を持つ馬。それに体格の良い茶色の毛並みを持った馬が二頭。素人の目から見ても手入れが行き届いた素晴らしいものばかりだった。
「凄いな、穏やかな気性にこの体格」
ひらりと宙を舞って馬に乗ったテオフィールは満足そうに茶の鬣(たてがみ)を撫でた。芯の強い馬の毛は彼の手に吸い付くように収まる。腰の辺りにぶつかる物に視線を向ければフィリーネは思い出したかのように付け加えた。
「道中必要になりそうなものは其処にあるから」
華麗に黒色の馬に跨がった彼女は数歩馬を歩かせながらぐるりと一周させて見せる。だが、二人にならって馬に跨がったエリクであったがどうも違和感が拭えないらしくそわそわしていた。
「馬に乗るのが久し振り過ぎて……ぬおお!」
普通に手綱を握り締めて腹を締めるものの中々思い通りに動いてはくれない。だが、少し強く腹を蹴った途端エリクが乗っていた馬は勢い良く街から出る道へと駆け出した。
「いきなり走るなぁぁああ!」
「黙ってろ! 舌噛むぞ!」
物凄い速さで駆け抜けていく馬にどう対処をしたら良いのか分からないエリク。しかし、幸いな事に馬は木々を避けながら南の方向へと進んでいる。テオフィールは馬をエリクと並ばせると素早く呼吸を合わせる。生き物は呼吸を合わせることによって言葉は通じないが意思を伝えることが出来る、そう言われたことがあった。
「はっ!」
二人の横から追い抜かすように駆け抜ける黒い馬。テオはそれを確認すると早さを緩めること無く馬を走らせ続けたのだった。
*
*
*
「予想外であったがかなり進んだな……明日にはサラサに着く」
そう言って絶えず燃え上がる火に枯れ枝を投げ入れた。少し離れた所にはエリクが伸びきってしまっている。慣れない馬は相当大変らしい、その上馬の暴走に付き合わされたのだから。呆れたような顔もしながらしっかり応急処置まで施すのはやはり兄だからだろうか、その手つきは慣れた物だった。それに安心したように鼾(いびき)を立てて寝入っているエリクを一瞥するとテオフィールは持っていた水を飲み干した。
「サラサは昔から魔物が多かったのか? 一つの村に皇帝が動くとは思わなかった」
「多かった訳では無い。ただ……レイヴァスから流れてくるらしい。その中でも力の強いものに目を付けられたんだ」
報告によれば既に三、四人の村人が犠牲になっているらしい。被害を最小限に止めるためにも早々に魔物と決着を付ける必要があった。
フィリーネはふと溜め息を吐くと周りへと目を遣る。静まり返った漆黒の森には既に動物達が羽を休めていることだろう。だが、一つだけ違和感があった。夜行性の動物が何処にも見られないのだ。すると何かと目が合った。闇に浮かぶ一対の紅の瞳。瞳孔は縦に入っており、殺気に満ちている。思わず立ち上がったフィリーネにテオフィールは素早く剣を取る。
しかし、剣の音に反応したのかその瞳はいつの間にか闇へと消えていた。
「魔物か」
「……居なくなった」
苛立ちと不安が募るなかで彼女は苦々しく呟く。だが、火を焚いていたことが幸いしたのだろう、魔物は大抵火を恐れる。
「幸いだったな。火を絶やさない方が良さそうだ……エリク、起きろ」
そう彼が呼びかけるでもなく普通の声量で声を掛けると閉じていた萌葱色の瞳がぱちりと開く。そしてエリクはその体勢のまま腕を組んだ。
「此処までやってくるってことは明らかに俺達を警戒してるよな」
「起きていたのか」
鼾までかいていた癖に、と呟くとエリクは口を尖らせ、肩を竦めて見せた。
「兄貴が剣に手を掛けるまではね、習慣さ」
起き上がって背に付いた埃を払う。テオフィールといえば火から離れない程度にある小枝を広い集めていた。この場所から離れられないとすると火を絶やさずにするのは非常に難しい事である。
「二人は休んで。私が最初に見張る」
その言葉にエリクは了解とだけ呟いて毛布にくるまるがそれはテオフィールによって呆気なく却下された。
「最初の番はお前だ。星が読めなければたった時間など分からん。俺は適度な時間に起きるから時間になったらフィリーネを起こせ」
有無を言わせず持っていた小枝をエリクの腕の中に収め、持っていた折り畳んだままの毛布をフィリーネに投げる。それは吸い込まれるように彼女の掌に収まると微かに土の匂いがした。
「野宿は馴れてないだろう。寝ないと明日に響く」
受け取った毛布を広げてみれば体をすっぽりと覆う事が出来そうな大きさ。フィリーネは大きく体に巻き付けると自分の外套を枕にして漆黒の瞳を閉じた。ぱちぱちと崩れていく枝の音が絶えず響き渡る。時折投げ入れられる枝に一瞬現実に引き戻されながらも少しずつ夢の中へと引き込まれていくのだった。
次へ
戻る