月光のラナンキュラス
Act.4 不安定な存在
火に焙られた枝が不規則に悲鳴をあげる。炎に包み込まれるようにして灰となり、崩れていく枝は黒曜石の瞳に焼き付いて離れることはない。消したくても消すことは出来ない、憎むべき過去と言うべきだろうか。拒否する心との葛藤を続けるなかで一人の女性が前に立っていた。顔は見えない。だが流れるような漆黒の髪と血で塗られたような唇は印象的としか言いようが無かった。
『分かってる癖に』
芯の通った声音が確かに告げた。諭すようでもあるが責めるようにも聞こえる。黒曜石の瞳はそれを拒否するように強く閉じられる。勿論、分かっている。眉を潜めて悲しそうな表情を浮かべる父親。平民として生まれ育った父には分からないのは当然、母親になら分かる筈と姿を探すが何処にも見当たらない。その代わりに現れたのは最も毛嫌いする人物だった。
『自らに流れる血の恐ろしさを思い知れ』
『神を継ぐ器に宿った悪魔だ』
強烈な腐臭が立ち込めて思わず目眩がした。よく知る元老院の化石達を前にフィリーネは後ずさる事しか出来ない。
「やめろ……寄るんじゃない!」
今にも折れてしまいそうな腕を伸ばして触れようとする手を反射的に叩き落とした。すると腕は意図も簡単に床に叩きつけられ、男は名残惜しそうになくなってしまった腕を見つめる。
余りの恐怖に自分の手が震え出すのを止めることができなかった。
『可愛いげの無い、姫よの』
『皇女殿下の御息女とはいえ、品の欠片もない』
皇女殿下、確かに母は何時だったかそう呼ばれていた日もあった、と言っていた。それがどのような意味であるのかも考えずに過ごしていた日々がある意味恐ろしく感じる。平民出身の一騎士である父にどうして皇女である母が嫁いだのかなど彼女には興味がなかった。
それよりも彼女の前に立つ腐りつつある元老議員の人ならぬ姿に吐き気さえ覚えていた。フィリーネが苦悶の表情を浮かべる度にくつくつと笑う彼らだが笑う度に体が崩れていくのを理解していない。それよりも崩れるほどに満ち足りた表情を浮かべているのだ。
『駒には駒の自覚はない、か……クックック』
最後に言い残した議員はぼろりと灰になり、強い風に流されて姿を消した。
「私が……駒?」
自分を道具扱いされたようで怒りが込み上げてくる。自分が知らない場所で相手に利用されるのは腹立たしい。
――だけど一体誰に、何の為に。
『悔しいなら立ち上がりなさい』
辺り一面に響く声に振り返ろうとした瞬間、強く背を押される。宙を舞う頼りない感覚と強く押された背は夢だというのにじんわりと痛みが残っていた。
*
*
*
波間をゆらりと漂うような感覚と不安定な浮遊感に身を預けながら夢と現実の狭間を行き来する。ぱちぱちと音を上げながら時折飛んでくる灰で胸が苦しくなった。
「フィリーネ?」
名を呼ばれて微睡みながら瞳を開ける。薄暗い森の中に溶け込むような萌葱色のの双鉾が自分を覗き込んでいた。その直ぐ側では紅に燃え上がる炎は頻りに火の粉を飛ばしている。胸が苦しいのはその所為か、と喉を整えると何か問題か、と問う。すると彼はただ話し相手が欲しくてと言ったものだから呆れ返ってしまう。
一瞬、風が強くなって炎が揺れる、木の葉がざわついた。漆黒の瞳が何かを探るように鋭くなる、それはまるで獣のように。
「何か心配なのか」
フィリーネをじっと見つめていたエリクが静かに問う。だが、彼女は首を振っただけ。確かに木の葉の音は気になったが眠る前に感じた気配は何も感じなかった。彼とて幾戦の修羅場を潜り抜けた傭兵。兄に能力は劣るとしても引けを取らない自信はあるだろう。
「大丈夫さ、此処には誰もいない。保証してやるぜ!」
驕りでも何でもない快活に笑う彼の姿。ただ純粋に安心させたかっただけだろう。子どものように振る舞うエリクが一瞬だけ憎らしく思う。だけども何故思ったのか理由も分からず、彼女はぷい、と顔を右に背けた。
「私は騎士だ。用心に用心を重ねるのが勤めだ」
表情を寸分も違えずに言ってのける彼女にエリクは大きく肩を落として見せた。素直じゃない奴、とだけ呟いて。だけど、自分で言ったその言葉が以前に口にしたような錯覚を覚える。
その感覚は聞いていた彼女も同じだった。右眼に一滴、涙がこぼれ降りる。――悲しくも何ともないのに。
「フィリーネ……あの弓皇女か、聞いたことがある名前だと思った」
寝ている筈のテオフィールはいつの間にか目を覚まして寛いでいた。両腕を枕にして二人に視線を向ける。青碧の瞳は曇り無くフィリーネを射抜く。その視線がまるで突き刺さるようで居心地が悪くなる。だけどもエリクは暫く硬直した後に動物たちが逃げ出さんばかりの叫び声を上げた。
「うぇぇえええ!? ……次の女帝とかなんとか言われてるすんげぇ有名人とかなんとか」
「動揺しすぎだろ」
テオフィールの鋭い突っ込みに辛うじて我に返るが呆けたままの表情は変わることは無かった。それに対して動揺もしない彼にフィリーネは眉を潜めざるを得なかった。
一般的に弓皇女と言えば現皇帝の後継者とされており、今は世間に身を晒すことを控えていると噂が立っていたが彼女に言わせれば元老院の情報操作である。
「……別に控えているつもりも無いけど」
「いやややや、一応顔だしちゃいけないなら毛布でも」
いつまでも呆けたままのエリクに二人の怒りが籠もった毛布が弾丸となって飛んでくる。あまりの早さに死に物狂いで避けると口を出してはいけないと漸く改めたらしく、それ以降は置物のように静かにしていた。
「後継者が居ないことは民に不安を抱かせる。私は名前を貸しただけだ」
「本当にそれだけか?」
そう問いかけるテオフィールの瞳がまるで彼女の秘めている想いを見透かしているようにも見える。だけども彼女はその瞳を外さないように自分に言い聞かせながらあぁ、とだけ呟いた。きっと視線を逸らせば嘘だと見抜かれてしまうだろう。そういった技術も持ち合わせているとしたら――。そこまで考えて一人、頭を振る。そんなことはあり得ない。忌まわしい出来事はとっくの昔に消された筈。
悶々と考えるフィリーネとは対照的に彼はあっさりとそうか、と肩を竦めるだけだった。
「でも帝都城の暮らしなんか想像できないぜ……畑や風車も見当たらないしな、この辺。やっぱ、俺達田舎者?」
「そう……なのか?」
「俺達が住んでいた村は何て言うかな……雰囲気が丸い気がする」
その言葉はいつだったか叔父――現皇帝が語っていた風景に似ていた。大きな風車が回り、辺りには田畑が並ぶ。子供達が原っぱを駆け回り、笑い声が響き渡る村。
城から出たことがなかった幼き頃に夢で描いたものは実際に存在していたのだ。それを夢見た皇帝は実際に彼等の家を見ていたのかもしれない。そう考えるとどうやら二人とは浅からぬ縁が有りそうだ。
「で、目的の村はどのくらいなんだ?」
「此処からならサラサの村までは南西に約一時間ほどだ。近くに聖泉があるから魔物の出現も押さえられてる……筈なんだがな」
そう言いつつフィリーネは素早く弓を構える。それに倣って二人は素早く剣を構える。背後に感じた殺気は確かに魔物のもの、予想通り居たのは鋭い爪を持った火を恐れないとされてる人型の魔物。紅に輝く瞳は不気味なほど大きい。
魔物は自分の存在が知られたと分かると一番側にいたフィリーネに襲いかかろうと素早く手を伸ばした。が、それは虚しく空を斬る。寸前の所で体を反らしたフィリーネの方が早かった。彼女は素早く体勢を整えると軽やかな足捌きで前に出、腰元の矢を番えて乱暴に放つ。外れる、と駆け出したエリクの予想とは裏腹に矢は目映い光を纏いながら魔物の額を見事に撃ち抜いていた。
「こんなもの……なのか?」
レイヴァス国境付近は魔物が異様に強い、と言ったスヴェンの声が蘇る。滅多に出てくることはない人型の魔物だったのは頷ける要因ではあるが、眉間を打ち抜いただけで倒れるとは――。
「うっひょー。綺麗に刺さってら」
振り返ればそこには死体を覗き込むエリクの姿。まだ動き出す可能性があるかもしれないと言おうと思ったが止めた。側ではテオフィールが死体の首元に剣を突きつけていたから。動いた瞬間に首を跳ねるつもりだろう。抜かりの無い人だと息を漏らした。
空を見上げれば木の葉から少し見える色が白み始めている。夜明けが近いらしい。
「サラサまで近いんだったな」
死体は完全に息を止めていたらしい。立ち上がったエリクを見計らうとテオフィールが声をかける。この時期だ、白み始めれば日は瞬く間に昇る。恐らく着く頃には昼間になっている筈だ。彼女は軽く頷くと荷物を掻き集め、馬へと括り付ける。エリクは燃えたぎる炎を付けた枝を取ると息堪えた魔物に放り投げた。煌々と燃え盛る炎は煙を上げて天へと上る。その光景はまるで狼煙を上げているようだった。
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