月光のラナンキュラス
Act.6 少女の秘密
夢の中の君は何処か悲しそうな顔をしていた。溢れる涙が落ちて自分の顔を濡らす。それは美しく煌めいてまるで宝石みたい。泣かないでくれよ、と囁いたつもりなのに声は届かなかった。
それはずっとずっと昔の記憶。生まれるよりもずっと前、魂に刻まれた記憶は色褪せること無く残る。より鮮明に彩られて――。
はっと引き戻されるように意識が覚醒していく。霞がかった頭は若干ぼんやりと回っている感覚がする。体を起こせば額に当ててあったらしい湿った布が溢れ落ちた。まだひんやりとした布はまだそう時間は経っていないようだ。彼――エリクはそれを握り締めるとふらつく足で部屋から出た。
「お目覚めかい?」
芯の通った声に俯いていた顔を上げれば紅茶を楽しむ中年の女性の姿。一人でぼんやりしていたらしく、その表情は柔らかかった。エリクもその笑顔に釣られて微笑むと向かい合う席に腰を掛けて湿った布を手渡した。
「有り難う、ふらつくけどそのうち治るよ。……連れが居るんだけど見なかった?」
「ははは、二人とも心配してたがさっき外に出て行ったよ」
ありがとう、と笑って見せると彼女は不意に済まなそうな顔をして立ち上がった彼を見上げた。
「うちの娘がすまねぇな」
その言葉に意識を失う瞬間に見た少女が蘇る。扉から飛び出したのは金糸の少女。娘の非礼を詫びる母の姿はあまりにも似ていない。燃えるような鳶色の髪は短く切りそろえられ、瞳は穏やかな焦茶色。エリクは心の中で一人納得していたが、敢えてそれは顔に出さずに豪快に笑い飛ばした。
「気にしないで良いよ、慣れてるからさ!」
そういうと彼は家を出る。最初に門を潜ったときには大して気にはしなかったが、サラサの村はかなり狭いらしい。探し求めた姿は予想よりも直ぐに見つかった。
「兄貴ー」
手を目一杯振って駆け寄ればテオフィールの呆れたような顔が飛び込む。だけども口元が微かに上がっていたのをエリクは見逃さなかった。それを隠すように腕を組むテオフィールに彼は嬉しそうに頭を掻く。
「今日一日は様子を見る、お前の体調があるからな」
「くくく……あんなに慌ててた癖に何を言う。心配してたならそう言えば良いのに」
「言うな」
横で口角を上げて笑いを堪えていたフィリーネはとうとう我慢できずに吹き出したのを短く制された彼女は簡単に頷いては見せたものの、やはりからかうような視線をテオフィールに送っていた。
「三人揃った。娘が狙われる理由とやらを聞かせてもらいたい、村長」
テオフィールが視線を向けた先に居たのは中年の紳士。少しやつれたような表情であるがその身なりはしっかりとしていた。魔物や娘に頭を悩ませている姿は容易に想像できた。
「あの子――イーナはレイヴァス王国から逃れてきた魔道士の血を引く赤子。連れてきた男は瀕死でしたがはっきりとそう言いました」
今でもはっきりと思い出せる。
あれは二十一年前の冬。とても寒い寒い夜だった。船が近くに漂着したとの知らせを受けて駆けつけた彼はしっかりと赤子を抱き締める男を見つけた。恐ろしいまでに肌を白くした男は彼の姿を見つけると赤子を押し付けてこう言った。
『イーナ様をどうか……! レイヴァスの魔道士の血を引くお方で御座います……私はこの方を見届けられませぬ、お願いです!』
必死の形相の男を哀れと思い、この子を育てると告げると小さな包みを彼の手に握らせて力尽きた。すやすやと眠る赤子を死体の側に置くわけにも行かない。彼は村人に彼を丁重に葬るように命じると妻と共に赤子を育てることを決めた。
「それからは何事も無く平穏に過ごしておりました」
「だが、急に村を魔物が襲うようになったのだな?」
「ちょうど一年前からです」
毎回、月が消える晩に出てくる魔物は必ず村を訪れて村人を拐っていく。これが一年続いているのなら、村人達の恐怖や怒りも限界だろう。門の前で睨みを利かせていた青年達の精神状態も限界に近い。テオフィールがフィリーネに視線を向けると彼女は眉間に皺を寄せながら何か考えているらしかった。
「レイヴァスの魔道士……それが確かなら魔物は精霊魔法に釣られたか。稀なる力を持った為の災難だな」
この世界で言う魔法とは古代、その力を用いて大陸を分けた女神を始祖としてその血を受け継ぐ王家に連なるものが持つ力。そう考えれば自然とイーナは王家に何か縁のある人物、なまじ魔道士の血を引くと分かっているのならば普通の平民の娘では無いだろう。
鎖国する前のレイヴァス王国の情報は乏しい。だが、平民の中に魔法を操れる者が居たと言うことも聞いたことがあるし、それらを教育するための学院もあったらしい。曖昧な情報に振り回されたくないが、そうせざるを得なかった。
「フィリーネはどうなんだ、魔法が使えるんだろう?」
一連の仮定の話を聞き終えたテオフィールは難しそうな顔をしながら彼女に問う。彼女はそっと首を振る。
「私は然るべき師の元で訓練は受けたから制御する方法は心得ている。だが彼女はそういった師がいない。制御し切れていないのだろうな……だが、問題はこれでは終わらなくなる」
王家に縁ある者。そして国を閉じた異変は必ず彼女に関係がある筈。彼女を守るためにもこの村を襲う魔物を討伐し、その正体を見極めなくては――。
「最近この辺には噂が御座いまして……なんでもレイヴァス王国の王位継承者が生きているとか。変な騒動に娘を巻き込みたくはありませんが、真偽は如何なのでしょう」
不安そうにフィリーネに問いかける村長の瞳に彼女は黙秘や嘘を吐く気にはなれなかった。幾ら本当の親でなくても同様の愛情を注いできたのだろう。彼女はそっと首を振った。
「私達も真実は確実には見えていない。だが、レイヴァス王国の王位を継承権を持っていたのは王子が二人。それに巻き込まれることは無いだろう、確証は無いがな」
半月ほど前にその話は聞いたことがあった。
二十一年前に、レイヴァス王国で起きた事件だった。あの年で最も寒かった冬の日。以前から反抗していた宰相率いる反乱軍の一派が王都を急襲。国王と王妃、そして二人の王子の首を討ち取ったクーデターの知らせにこの地、アルディード帝国に激震が走った。今現在レイヴァスは王家が断絶し宰相である人物が頂点に立っている。だが、その人物は反抗する者を徹底的に弾圧して自分自身に権力を集めているという。もしも王子が生きているというなら宰相も王子を潰すために動き出すだろう。
「兎に角、あの国が開けない限り本当の素性はわからないと思うぜ?」
珍しく真面目に今は魔物に集中しようと言うエリクに二人は素直に頷いた。
もし王族に連なると知ったら彼女はどうするのだろう。澄みきった猩々緋はその場所をどのように写すのだろう。村の構図を頭に叩き込んでからは任務を終えるまで村長宅に泊まる事となってからはテオフィールは一人で椅子に腰掛け、思いを巡らせていた。元々は一人で過ごしたりすることを好む彼にとっては今が任務中で唯一自分の時間に浸れる大切な時。
だが、それは毎回同じ人物に阻まれてしまうのだが。
「兄貴、起きてるよなー!!」
「……何故断定する。何故扉を叩かない」
にこにこと笑いながら入ってきたエリクは彼の細やかな文句を簡単に聞き流しながらどかりと寝台に寝そべった。
「いやー、久し振りに帰ってきた気分だね!」
「悪くはない。だが早く用件を言え」
二人の会話はゆったりとした風の中に嵐が吹き荒れるようなやり取り。端から見ればいつ喧嘩をし始めてもおかしくはないが不思議と丸く収まる。流石兄弟と言ったところか。
「はいはい。村長にさ、イーナを連れ戻すように頼まれてさ……ほら、夜になったら女の子一人じゃ危ないだろ?」
「そうだな。頑張れ」
再び外に目を向けて黄昏ようとし始める兄にエリクはがっくりと肩を落とした。
「だからね? 俺も何も頼まれなきゃ行くさ。だけどこれから畑に行ってくるから無理な訳! わかる!?」
頼むよと泣きそうな顔をする弟にはどうやら弱いらしい。テオフィールは一息吐き、なぜ畑なんだと思ったが気にせず剣だけを持って立ち上がった。
「で、何処に居るんだ」
「さっすが兄貴!! 村から西の聖泉。出て直ぐ近くだってー、よろしくー」
ばっちり押し付ける気だったなと内心思いながらテオフィールはゆったりとした足取りで部屋を出て外に出る。空を見上げれば既に暁色、戻ってくる頃には夕闇が空を支配することだろう。彼は体を伸ばすとまだ緊張した面持ちで外を見張る青年達の間を擦り抜けて門を潜ったのだった。
*
*
*
燦々と明るい日差しが泉へ差し込む。辺りはもう暗くなってきているというのにそこだけ目映い光を放っていた。水面は既に今にも隠れそうな月を映し出す。新月までもう少し。少女は憂いを帯びた表情でそれを眺めると指先でそっと水に触れる。思い出すのは嫌な思い出ばかり。
昨日まで笑顔で会話していたのに次に会ったときは冷たく固くなった肉塊となった友人。彼女はこの聖泉の底でゆったりと眠れているのだろうか。
「エレナ……ごめんね」
焦げ茶の髪に緑の優しい瞳。暖かな心を持つ普通の少女はもう居ないのだと心に言っても涙は溢れた。出会った日のことがまるで昨日のように脳裏に蘇る。一緒に読んだ本や話した内容。一言一句思い出せるのに隣に彼女は居ない。何故と問いかけても誰も返事をしてくれなかった。
すると彼女ははっと顔を上げた。確かに今音が聞こえた、誰も居ないのは確認したし、魔物は此処に入って来られない筈なのに。
「誰!?」
凛とした声音が辺りに響き渡る。鈴のように高い声は何ものにも妨害されること無く通っていく。少女は護身用の青い宝玉を埋め込んだ杖を握り締める。だが、その手は直ぐに杖を離した。現れたのは先程村を飛び出すときに出会った青年の姿。アルディードでは一般的な茶髪は今や葉っぱや枝で見事に飾られている。
――道に迷ったのかな?
「すまない、驚かせた」
短く謝罪の言葉を放つ彼に余り話すのが得意ではないのだと察する。頭に付いた葉や枝に気が付いてそそくさと払う姿に彼女はくすりと笑うと彼に歩み寄り、背伸びして前髪に付いていた葉を一つ、摘んだ。
「ううん、大丈夫……傭兵さんでしょ?」
「あぁ、仕事でな」
そっか、と笑うと少女は美しい輝きを放つ湖面に向き直った。
「私が原因よ。私が皆を魔物に差し出した」
短く言い放った言葉には小さな棘が付いているような気がする。だが、それには自分を嘲笑うような感じも取れる。どれだけ自分を責めてきたのだろう。人が一人居なくなる度に自分を見る視線が少しずつ変わっていく。その恐ろしさは魔物より強かった。
「お父さんは女神の力を大切にしなさいって言った。……だけど、大切にしたせいで大切なものを失ってくのは耐えられない!」
今まで自分の心に閉じ込めていた感情が何故か爆発した。よく知らない人の前で感情を晒す事等は無かったのに。溢れる涙はどんどん視界を滲ませていった。
「俺はお前を連れ戻さなければならないのだが……もう少し此処に居るのなら待つ」
そうしてやっと気が付いた。助言が欲しいんじゃない。ただ、黙って話に耳を傾けて欲しかっただけなんだと。
「名前は?」
「テオフィールだ」
短く答えたテオフィールは湖面に近づくとそっと彼女の隣に腰を下ろした。月が雲に隠れ、姿を消した湖面には静かな揺らぎが漂っているだけ。それを眺めながら再び落ちて頭に付く木の葉を払った。ぱらぱらと水面を滑るように泳ぐ木の葉は風に惑わされてくるくるとその場を回った。
「私は使える魔法は五つの理を操るんだって」
フィリーネが漏らした精霊魔法という言葉が蘇る。
精霊魔法は自然界に存在する精霊を使役して行う魔法。場所や地形によって効果を左右されてしまうのは聞いたことがある。一般的に炎や氷、雷や風、闇を操ると言われ、その魔法を行使できるのはレイヴァス王国を故郷とする人だけ。
「イーナはお前の名だったな?」
「うん、当たり」
そう言って振り向いたテオフィールの瞳を見て思わず息を飲んだ。青碧の瞳は聖泉の色と似ていて綺麗だと不覚にも頭に過る。全てを癒す、自然に愛される色。間近で見れば目に掛かる茶髪も仕草も何処か違うものを感じた。それに思わず触れたくなって無意識に手を伸ばす。しかし、触れる間際になって自分がやろうとしたことに思わず赤面した。
会ったばかりの人の顔に触ろうだなんて非常識過ぎる、と自分が警告する。慌てて手を引っ込めて笑みを浮かべた。
「どうした?」
「な、なんでも無いわ」
片眉を上げて首を傾げて立ち上がったテオフィールは手を差し出した。もう大丈夫だろう、と口角を上げる姿に彼女も釣られて笑みを浮かべる。自分よりも大きな掌、豆を作った武骨な手。イーナは思いきって手を取ると勢い良く立ち上がった。弱すぎず、強すぎない力に体がふわりと浮いたような心地だ。
――誰かがこれを偶然と言うならば私はこれを必然と言う。偶然なんて存在しない。
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