光のラナンキュラス

Act.11 銀と金との解逅


 精霊に愛された土地と称されたのも昔の事。今は空を見上げれば灰色の空が広がるばかり。今にも涙の様に溢れそうな雨を気にしながら歩みを早めるカイザーの後を難なく追いかける。それもその筈、彼の歩みは相当遅いもので普通に歩いていたら簡単に追い抜ける様な速さ。それも彼ののんびりとした性格を表している様だった。

「何処に行くんだろ……」

「取り敢えず行ってみて危なかったらぶっとばせば良いんじゃね?」

 不安そうに呟くイーナとは裏腹にもう考えるだけ無駄だと割り切ってしまったエリクには大して気になっていないらしい。険しい表情をしたまま歩き続けるテオフィールとフィリーネに彼は肩を竦めるばかりだった。

「着いたぞ」

 漸く足を止めたカイザーが空を見上げる。だが其処にはまだ森が続いているようにしか見えない。文句を言おうとするフィリーネをテオフィールが制するとカイザーは宙に向かってそっと手を差し出した。指先が何かを打ち、それが波紋のように広がっていく。そうして姿を表した光景に思わず目を見張った。

「凄い……」

 目の前に広がるのは一つ村。人が行き交い、生活を営む様子は普通の村と然程変わりはない。思い出されるのはサラサの村、そんな様な雰囲気である。

「皆様、ブリガンティアの本拠地へようこそ」

 まるで来訪者を歓迎する執事のような礼を取るカイザーはにっこりと微笑んで見せる。驚いた様子の四人に満足そうな顔をするとゆっくりと歩き出した。

「ここは二十一年前の魔道士大虐殺を生き残った者達やその末裔が住む村だ」

 未だ見つかれば即刻処刑されてしまう運命にある魔道士達には人としての権利を行使できる唯一の楽園である。だけども住人達からはそんな鬼気迫るものそんなに感じられない。イーナは見上げれば直ぐに見える城に眼を凝らした。

「あそこに見えるのは王城でしょう?こんな近くに村を作り上げるなんて……」

「無謀? ……灯台もと暗しって奴さ」

 自信満々で村を見回すカイザーは少し自慢げである。生きている魔道士を集め、村をも作ってしまったこの男――カイザーは称賛に値するだろう。そんな事を考えていると青碧の瞳がある人物を捉えた。まだ成人に満たない少女が此方の様子を伺っている。エリクに視線を向ければ肩を竦めるだけ。物珍しさに此方を見ているのかと思えば満面の笑顔を浮かべてカイザーに走り寄ってきた。

「ねね、お客様?」

「あぁ、クレア。お隣の皇女様と元貴族のご令嬢、更には……護衛が二人かな?」

 兄弟に向かって悪戯っぽい笑顔を向けるが予想より反応は薄い。更には怪訝そうな表情を浮かべる紫暗色の瞳が印象的な金糸の少女――クレアは困ったように頬を掻いていた。彼は慌てて軽く咳払いをすると取り敢えず家に入る事を提案する。それを受け入れると先を歩くカイザーと少女の背を眺めながら軽い足取りで追い掛けた。

「宰相軍に動きは?」

「今の所は全く無いよー。……あの緑の人かっこいいね」

 顔を赤らめてこっそりと耳打ちをするクレアに緑の人、と首を傾げて振り返ればただ一人萌葱色の瞳を持つ青年――エリクが目に入る。確かに瞳は大きく顔立ちは整っているように見える。その前に佇む彼の兄はにこりともせずに鋭い瞳を辺りに向けていた。そんな彼らの姿を一瞥するとカイザーは悪戯っぽい笑みを浮かべながら平屋の家の戸に手を掛けた。

「なぁ、王子だったらどうする?」

「いいねー、憧れてたんだぁ。身分差の恋ってやつ」

 紫暗の瞳を輝かせて口角を上げるクレアに女の怖さを思い知る。そんなことも露知らず、平屋の家に足を踏み入れようとするが、警戒した瞳を辺りに向けるエリクにフィリーネはそっと腕に触れた。

「『危なかったらぶっとばせば良いんじゃね』じゃなかった?」

「イーナを安心させるためさ、大体村の中で育ったんだろ? 人の悪意には鈍感だろ」

 そう言って家に足を踏み入れた四人はその場に立ち尽くしたまま動こうとしない、否――動けないのだ。豪華絢爛な装飾を施したその場所は見掛けに寄らず王宮を思わせるようなもの。その余りにも豪華な様子に圧倒されていた。

「ここ、本当にブリガンティアの村……」

「まっさかー、カイザー解いたらどう?」

 呆けたままのイーナにクレアが楽しそうに笑う。気に入っていたのに、と文句を言いながら手を翳した。ぼんやりと霞がかる風景は彼の掌に吸い込まれるように消える。隠されていたものは武器や貯蔵の食料、火薬、全て戦いに用いる事が出来るものばかりだ。

「霧で部屋に幻を出したんだ。これなら普通に御貴族様の別邸だろ?」

 爆弾を抱えた別邸かよ、と内心呟きながらも火薬の元へ歩み寄りその量を確かめる。部屋の三分の一を占める火薬の量は恐らく戦いが長引けば真っ先に無くなってしまうだろう。その状態でどうやって戦っていくつもりなのだろうか。

「魔術にも限度がある。個々が持つ魔力は魂の輝きによって異なる。幾ら魔道士の集団が特殊でもそう簡単には行かないはずよ」

 フィリーネもテオフィールと同じ事を考えていたのだろう。問うように彼らを見つめる彼女にテオフィールも立ち上がった。

「それは重々承知してる。だから俺達は王子を探してるんだ」

「王子が生きてると限らねぇじゃん」

 仮定の話をするカイザーに飽き飽きした表情を浮かべるエリク。だがそうだな、と彼は笑うばかり。何故か上手くはぐらかされた気がして苛立つ。だけどもカイザーはテオフィールに歩み寄るその瞳を見つめてにやりと笑った。

「生きてるよ、目の前にいる」

 覗き込んでくる瑠璃色の瞳は真剣で、哀愁を帯びている。何故か、それに嘘だということも出来ずに彼はじっと見つめ返していたが――。

「待てよ、俺達はアルディードの出身だぜ?」

「だけどお前等からは魔力を感じる。これに理由を付けることが出来るか? ここに居る誰よりも強い力を感じるのは……お前からだ」

「でも、使えない」

 反論するエリクをカイザーは簡単にあしらうがテオフィールの頭では様々な考えが飛び交い、もう考えたくなかった。魔法の力なんて知らない、傭兵として今までずっと生きてきた。――じゃあ、故郷にいる両親は一体誰なんだ。

「事実だけを言ってやる。三国の王族はそれぞれ女神と呼ばれた女性の容姿を受け継いでいる。髪の色や瞳の色に力、継承者にそれが色濃く出てくるのが特徴的だ……それは知ってるだろ、皇女サマ?」

「だが、その容貌は近親者にしか伝えられていない筈だ! アルディード帝国ではこの漆黒は目立ってしまうから……だけど、お前は一体何者なの?」

 皇族として知るべき知識を叩き込まれたつもりではあったが、それを全て知っているこの男が不審でならない。何も出来ないイーナはテオフィールの震える手を握ることしか出来なかった。

「俺は王の臣下、闇と政のデーベライナー家の者だ。この国で一般的に言われていた四大貴族の一人」

 彼はそう告げると懐かしい表情でテオフィールを見つめ、眼を細める。だけどもそれまで黙っていたテオフィールの掠れた声が部屋に響き渡った。

「俺は……そんな戯れ言、信じない」

「俺は信じてた! お前が絶対……生きてると、この銀時計に誓ったんだ!」

 突き放そうとする真実を逆に突きつけるようとするカイザーは持っていた銀時計を突きつける。古びた銀時計は鎖と擦れあって悲しげな音を挙げた。忘れもしないあの日、物事を知らなかった子どもとはいえ、友達を守ることが出来なかった。だから慈悲神レイヴァスに祈ったんだ。
 ――テオとエリクに会えますように、って。



+++++++++



 その日は久しぶりに従姉の家である本家に泊める予定を立てていた。父親と母親に手を引かれて嬉々として踏み入れた場所は御伽話に出てくるような家だったのをはっきりと憶えている。だが、直ぐに幼かった彼――カイザーは従姉であるユーディトと部屋を出ないようにと念を押された。

「ねぇねぇユーディ、外に遊びに行っちゃ駄目?」

「お父様達が言っていたでしょう、今日は駄目だけど明日なら良いって」

 自分と同じ銀髪を肩で切りそろえた少女はまるで姉のように両腕を組んで彼を諫める。父親達の仕事はよく分からない。ただ知っているのは王宮に出入りしていることだけ。その時、扉を叩く音が鳴り響く。顔を上げた二人が見たのは二人の男の子を連れた一人の女性。美しい金髪と緑の優しそうな瞳が眼を引いた。ゆったりとしたドレスに身を包んでいる姿からそれなりの身分を持っている人だろう。自分たちよりもまだ幼い子ども達は物珍しそうに部屋の中を見渡すがその手はしっかりと女性の手を握りしめたまま。

「こんにちわ、ユーディ……あら君は?」

「エルフリーデ様!! 隣に居るのは私の従弟のカイザーです。もしやその方々は……」

 何故ユーディトはそんなにも狼狽しているのかは分からない。だけども子ども達は彼らの姿を視界に入れると興味深そうに近寄ってきた。

「うん、ごめんなさい。少し預かってくれないかしら」

 そう言ってかなり年下の――それも我が子とそう年は違わないのに妙にしっかりしたユーディトに弱々しく微笑む姿に少女も放ってはいられない。

「わかりました。殿下達の遊び相手ならば勿論お任せください」

「ありがとう、ユーディ。テオ、エリク、母様が戻るまでこの方達と遊んでて頂戴な」

「うん」

 青碧の瞳を真っ直ぐに母に向けた少年は弟王子の手を握ったまま頷いて見せた。お願いね、と笑って部屋を出たエルフリーデを確認するとカイザーは恐る恐る二人に近づいてみる。

「君の名前はテオ?」

「うん、テオフィール」

 珍しい名前だねと頷いて見せればテオフィールは何処か自慢気に笑う。弟のエリクの方を見ればユーディトに抱かれて彼女の銀糸を弄んで楽しそうに笑っていた。

「何して遊ぶ?」

「本を読む」

「つまらないよ」

「じゃあ何をするのさ」

 そうだな、と少し考えて見る素振りをしたテオフィールは懐から何か銀色の物体を取り出すとそれをじっと見つめてから彼に突き付けた。

「父様がね、ずっと一緒にいて欲しい人に渡しなさいって」

 そっと両手を出して受け取ってみればそれは予想外に重くずっしりとしたものだった。中を開けてみようとしてみるものの、固くて子どもの力ではびくともしない。

「ユーディ、開けて」

 エリクを抱いてあやしていた彼女は彼を抱いたままゆっくりと近付くとテオフィールにエリクを預けた。

「これ時計じゃない? うーん、私の力でも開かないわ」

「やるー、やるー」

 駄々をこねるように手を伸ばすエリクだがテオフィールの両腕に邪魔されて鎖まで手が届かない。その様子を見たユーディトは手を離すようにテオフィールを促すとそっとエリクに差し出してみた。彼女と同じ様に開けようとするもののたかが二歳の力で簡単に開く代物では理解していた。だが、彼の行動は予想の範囲を大きく越えていた。

「えやぁ!」

 言葉にならない掛け声を添えて思いっきり時計を投げつける。精密な設計で出来ているであろうそれが砕けるのを誰もが想像をしていた。

「あいたー」

 嬉しそうに抱きついてくるエリクに押し倒されながら見たものは確かに扉を開けた懐中時計の姿だった。

「……う、嘘でしょ」

 寝ころびながら驚愕の表情を浮かべるユーディトはその中身を見て驚いた。既に教育を受けはじめている彼女にとっては文字を読むことなど容易い。書かれていたのは教育を受けたものが一度は必ず目にする名前――歴代の王の名。それは王たる証の懐中時計。本当ならば彼らの父親が持つべきもの、それが何故ここに。

「ただいま! ごめんなさいね、待たせちゃって」

 息を切らせて駆け込んで来たエルフリーデが見た最初の光景はエリクに押し倒されるユーディトの姿。一瞬眼をぱちくりさせていたが、呆れたように肩を竦めた彼女は歩み寄るとエリクを抱き上げて彼女を起こした。

「一瞬、この子の未来が見えたような気がしたわ」

「そうならない事を祈ります」

 こっそりと囁き合う女性陣に子ども達は首を傾げるばかり。

「母様、……父様は?」

「先に王宮へ戻られたわ、私達も帰りましょう。二人ともお騒がせしてごめんなさいね」

「謝らないで下さい。私達も殿下とお話しできて楽しかったです」

 快活に笑ってみせたユーディトは二人の頭を撫でるとそっと手を振る。手を引かれながらも振り返るテオフィールにカイザーは叫んだ。

「また遊びに来いよ!」

「うん!」

 嬉しそうに瞳を細めた少年の笑顔が印象的だった。そして、最初で最後の出会いだったのだ。床に転がっていた懐中時計を閉じて、また来たときに返そうと決めていたのに。
 真夜中に突如として起きた轟音、恐ろしいくらいの揺れと燃え上がる炎。深い眠りについていた子ども達を恐怖で駆り立てた。

「ユーディ! どうなってるの?!」

「分からないわ! ……だけど動いちゃ駄目、せめて父様が来るまでは」

 身を守る術も分からない、ただ自分の内に秘めている魔力を恐怖の余り暴走させないようにするのが精一杯だった。先に泣き出してしまったカイザーを抱き締めながらぐっと涙を堪える。自分までも泣いてしまったらこの場を切り抜けることは不可能。そして想像していた事態は既に迫っていた。

「子ども達は何処だ!」

「居たぞ! 殺せ!」

 感じたこともない強烈な殺意にユーディトの中で何かが弾けた。それは暗い暗い憎悪の波。今にも自分を飲み込もうとするが何故飲み込まれなければならないのか、と自分を叱咤すると怒りの対象にそれを叩き付けた。

「来ないでぇ!!」

 翳された掌から禍々しい物体が放たれる。勉強した術式も何も分からないままに純粋に力をぶつけた。律されていない力はまるで炎の様、触れた途端に焼き付ける痛みが走る。

「このクソガキが!!」

 次々と放たれる魔法をかわしながら剣を振り上げる姿に咄嗟に自分の背にカイザーを隠す。斬られると思ったが衝撃は中々来ない。その代わりに部屋に響いたのは何かが倒れる音。それでもまだ怖くて目を瞑ったままいれば優しい声が二人を包み込んだ。

「間に合いましたか」

 顔を上げれば服を鮮血で汚した父の姿。泣きそうな顔で見上げれば私の血ではないから、と優しく宥め、抱きしめてくれた。

「カイザー! 何処だ!」

「ヴァイド、見つけましたよ」

 廊下で必死に息子の名を呼ぶ父親、ヴァイドに叫んで知らせる。慌てて駆け込んで来たヴァイドも同様に部屋着を紅色に染めていた。

「済まない、ジーク」

 先に足を踏み入れていた兄が居なければ息子は当の昔に絶命していただろう。庇うように座っていたユーディトに深々と頭を下げる。ヴァイドにとってユーディトは家を継ぐ者。傍系の立場にいる自分達がジークリードとユーディトを全力で守らなくてはならないのに、と内心焦っていた。

「父様……! こわ……かった!」

 わんわんと腕の中に飛び込んで泣き叫ぶ息子の姿を見てしまったらどうしてもまだ役目を押し付ける気が失せてしまう。だけどももうそんな優しいことは言ってられなかった。四大貴族デーベライナー家への襲撃は王家の信頼失墜の証。自分達だけでは無く、子ども達にも容赦なく火の粉となって降り注ぐ。

「父様、これからどうなってしまうの?」

 見上げれば、片眼にはめられた眼鏡が悲しそうに燃え上がる炎を映している。

「ユーディ、今は耐えなきゃいけない時なんです」

 その言葉は妙に重苦しく彼女にまとわりついた。怒りの勢いで放った魔法の影響だろうか、心まで疲れきっている気がした。


 ――数年後。

「王への反逆ですって? ……四大貴族も思いきったことをしたわねぇ」

「いや、四大貴族じゃないらしいぜ。なんでも軍と雷を司るブラントミュラー家の独断とか。だから反抗した氷と時のドレッセル家を潰したんだろ」

「魔道士虐殺に反対したからだろう? 可哀想にね、あそこは小さい子が産まれたばかりだったらしいじゃないか」

「王陛下の所も二人、王子がいらしたのに……」

「結局は臣下の傀儡になってしまったんだろうな。虐殺もブラントミュラー家の提案だとか」

 囁き合う民衆に無関心な顔を向けながらも耳はしっかり情報を聞いていた。精悍な顔立ちをした青年はもう幼くはない。恐怖の余りに従姉の背中に隠れていた自分とは当の昔に別れを果たした。たった半刻程の出会いは彼の人生に多大な影響を与えていた。

「ブラントミュラー家……ライナルトか」

 人々の目が離れた場所でぽつりと呟く。最近になって急に政権を握り始めた軍部は力にものを言わせて闇と政(まつりごと)を司るデーベライナー家を敬遠しているのは事実。法と風を司るエーレンフェルス家も三権分立の法によって口出しすることは出来ない。

「早かったわね、お帰りなさい」

「散歩してきただけさ。それよりも叔父上は」

 一年前から床に就いたまま動けないでいる家長・ジークリードは仕事を弟であるヴァイドに任せている。だが、彼自身政治は初心者。ユーディトが補佐として付いているがその立場は苦しいらしい。

「分からないの……お医者様が言うには似たような症状が王都に沢山出ているって」

 その後、数日も経たない内にヴァイドも倒れる事態に追い込まれた。レイヴァス王国を一気に恐怖のどん底に突き落とした病は多大な犠牲者を出して漸く過ぎ去った。人々はそれを王を討った報い、又は魔道士達の祟りだと言って恐れた。



+++++++++



「それが俺の知るレイヴァス王国の実態だ。反乱の際に出た棺の中に子どもの姿は何処にもなかった」

「酷い……酷すぎるよ」

 ぼろぼろと溢れ出る涙は止まることを知らない。猩々緋の瞳から流れたのは両親の死よりも民や国への哀れみの涙。のうのうと生きていた自分がこれ程憎らしいと思ったことは無かった。

「その後、俺は王子達が一般兵だったヴィルヘルム・アーベントロートによって逃がされた事を知った。そして王子生存の噂を流し続けた」

「親父……」

 ふと出てきた父親の名前にやりきれない気持ちが渦巻く。思い出す父親は頑固だが快活な性格。どうして二人に真実を打ち明けようとしなかったのだろう。そして何故自分にその時の記憶がないのだろうか。思うことは沢山あるのに何故か言葉が出てこない。誰も真実を証明してくれない。
 その時地響きと共に爆音が鳴り響く。何事かと窓に駆け寄るカイザーとクレアとは反対に扉から飛び出してその様子を見る。するとカイザーの魔術を破って入り込んでくる兵士達の姿。村の人々と言えば逃げ惑うでも無く、魔法をぶつけては武器で対等に戦っている。流石はブリガンティアの本拠地と言えば良いだろうか。だが、さっき見たばかりの此処の武器を考えると有利で居られる時間は差ほど長くない。テオフィールは長剣を片手に飛び出していた。

「兄貴!?」

「ライナルトだと……!? クレア、裏から出て脱出の準備しろ。絶対に見付かるなよ!」

「任せて!」

カイザーの視線の先に居る茶髪の髪を掻き上げた中年の男はさも面白そうに口角を上げて村全体を見渡す。目を放せば直ぐに集まり、何かを企てる彼らを鼠の様だといってくつくつと笑い、紫暗の瞳を細めて馬から飛び降りた。

「全くしつこいですね」

 細身のレイピアを抜き払うと恐怖で固まっているであろう魔道士を斬り捨てようと剣を振り下ろした瞬間、力強い剣撃に弾き返される。重い一撃に思わず後ずさると背を向けたまま立ち尽くす青年の姿を凝視した。

「貴様ァ!」

 睨み据えたつもりであったのに青年の瞳に吸い込まれるように視線は釘付けとなる。まるで生きていた頃の前王を見ているような感覚、青碧の瞳と顔立ちはまるで瓜二つ。

「嘘です……そんな筈は」

 焦るライナルトにざっと突き付けられた長剣。思わず後ずさるような覇気を纏いながら歩み寄る彼に兵士達も怖じ気付いて動くことも出来ない。向けられた瞳はまるで獲物を追う獣のようだった。

「お前の蛮行、ただでは済ませぬ!!」

 怒りに満ちた表情を目の当たりにした瞬間、爆発が起こる。何事かと顔を庇いながら辺りを見渡すライナルトだが、煙のせいで確認することが出来ない。
 霧が晴れてた時にはもうそこには誰も居なかった。



+++++++++



 漆黒の外套を纏った小さな人物に腕を強く引かれて森への入り口へ疾走する。最初は何者かと暴れたが一喝されて大人しくその人物を観察する。時折見えた金糸に戸惑いながら彼女の名を口にした。

「クレア」

「はい、此処から脱出してアルディード帝国にお送りします」

「何故だ、俺は王子なんだろう?」

 全く息も乱れずに木の枝を蹴り、宙を走り続ける彼女にわざと『王子』という言葉を強調して問いかける。だけどもクレアは一番細い手頃な幹に手を伸ばすと速度を緩めて着地してみせるだけ。テオフィールもそれに習い、足を止めた。

「兄貴! 良かった……カイザーが足止めをしてるから今の内に船へ行けって」

「アルディードに帰還するのが良策だわ。それに聞くべき事もあるでしょう?」

 ほっとした表情を浮かべるエリクに問いかけるように見つめるフィリーネ。確かに万が一でも可能性が無いわけでは無い。船へと足を向ける三人に一人だけ進むことは無かった。

「クレアちゃん、外套貸してくれる?」

 有無を言わせないその言葉にクレアは金具を外してイーナに差し出す。そっと受け取った彼女は大きく外套を広げると体に巻き付けた。

「何をする気だ」

 杖を片手に踏み出そうとしたイーナを呼び止めるとびくりと体が震える。別に怒る気は無いが先程の感情の昂りがまだ残っているらしい。だが、テオフィールは言い訳すること無く答えを求めた。

「テオもエリクも実感無いよね。自分がレイヴァスの王子だなんて……でもね、私には此処が故郷なの! 産まれた、場所なの」

 残るつもりだと察したテオフィールは咄嗟に腕を掴もうとする。戦いになると怖さの余りに腰を抜かし、恐怖の余り動けなくなってしまうのにこんな場所で生き残れるはずがない。だけども、見事に三人に制される。それぞれの瞳は複雑で彼女の安全を願っているのは分かる。自分も知らなかった真実を知りたいという願いに誰もが希望を賭けたかったのかもしれない。

「必ず生きなさい」

 優しく背を押すようなフィリーネの言葉に強く頷いた彼女は少し悲しそうにテオフィールを一瞥するとそのまま駆け出した。燃え上がる炎に紛れて消えていく人影をもう止めることは出来ない。空を掴んだ掌は無情にも何も得ることが出来なかった。崩れ行く自分自身の存在意義も止めることの出来ない、哀れな掌だった。


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