光のラナンキュラス

Act.16 本当の力


 蘇った記憶の代わりに失った傭兵の指輪は母との永遠の別れの証。
 さようならは言えなかった、手も繋げなかった、暖かみを感じたかった。だけど、それは叶わずにただ天に上る魂を見送って願った。来世では貴方らしく生きて欲しい、と。



 小高い丘を離れて街中を歩く。肩に添えた黒髪が歩く度に頬を擽った。暖かな雰囲気が漂う街は城下町よりも活気に劣るが人々は皆笑顔を宿しており、心休まる気がする。そして何よりも城下外に住む人々はというのは名乗らない限りは彼女を特殊な人と見なさない。それが一番心に安定をもたらした。

「お嬢さん、テオとエリクと一緒に来た子だろう? 別嬪さんだねぇ」

 気軽に声を掛けて来たのは中年の男女、好奇心に満ちたその表情は偽りようのないくらい思っていることがありありと分かる。だけどもその裏にあるものは何もないと悟る。

「あんたも傭兵なのかい?」

「……えぇ、同じようなものね」

 流石にここで難しい話をしては騒ぎを起こしてしまう。後々アーベントロート夫妻に迷惑を掛けてしまっては悪い。そういえばもうアリアの術は終わった頃だろうかと頭の端で考えながら中年の男女の話に耳を傾けた。

「あの子達は早くに自立したけれど、両親の所にはここ数年だよ、帰ってくるようになったのは」

「若い頃は実績を積まなきゃならねぇ、それだけ必要な時間だったのさ。あの剣の腕だったら魔物も一刀両断さ」

 その言葉に耳を疑う。フィリーネは思わず怪訝そうに尋ねた。

「もしかして、魔物の出没は日常なの?」

「んああ、此処はかなり外れだからなぁ。聖泉は見たことが無いな。この街は元々一般騎士の隠居生活の為に作られた街だからよ、いざとなれば剣を使った訳さ」

 漸く全ての話が一直線に並ぶ。前に失態を晒して逃げ込んだ聖泉でエリクは少年のように目を輝かせながら見回していたのを覚えている。それにいつも感じるはずの爽やかな気配が感じられないのもその所為。そして彼とテオフィールの故郷、ケテルの街には聖泉は存在しないという。幼い頃から魔物を目にし、それに討ち勝つ術を学んだからこそ、仲介人【レクサー】が目をつけたというのだろう。
 思案に心を奪われていたフィリーネを戒めるように鋭い悲鳴が街を駆け抜ける。はっと顔をあげれば青ざめた中年の女性が一点を見つめていた。

「魔物……!」

 がくがくと震える女性とは対照的に中年の男性は素早く女性の背に手を置くと家を指し示す。

「家に隠れろ! 俺達に任せるんだ、ほら嬢ちゃんも!」

 戦えます、と言い掛けて肩に背負っていた筈の弓を置いて来てしまったことに気付く。腰には矢筒と短剣があるだけ。だけどもフィリーネにはそれで十分だった。

「私は傭兵よ! おじ様は避難を誘導して、全員!」

「お、おう!」

 彼女の気迫に気押しされた男性は大声をあげて避難を促す。雪崩のように丘に向かって逃げ惑う人々の間を駆け抜けて前へと出るが古びた剣を持った人々が立ち塞がる。

「早く逃げないか!」

「退いて、私は戦える……!」

 腰の短剣を握り締めて構えた時、駆け抜けるような一陣の風がフィリーネを止めた男性の肩を踏み台にし、大きく跳躍した。
 紫暗色の瞳と目が合い、何かを投げられる。それは自分が置いてきた弓、見慣れたそれは回転しながらフィリーネに向かってくるとしっかりと手の中に収まった。

「逃がさないんだから」

 手の中で構えられた鈍い緋色に輝く銃、それは真っ直ぐ魔物に向けられている。辺りに発砲音が二、三発響くと魔物達は次々と倒れていった。見たことが無いその武器は剣や、弓よりも威力が高いのは確か。そして発射されているのは――魔法の結晶。

「此処から退いて、早く!」

「あ、あぁ!」

 クレアが放つ弾丸に呆ける村人を急かしてその場から離れさせる。この場で魔法など目撃されては厄介になるだけだ。フィリーネは完全に気配が消えたのを確認すると弓を番えた。銃を放つ彼女のお陰で大分数は少なくなっているように見えるが次々と現れているので今のところ変わりは無い。何処かに潜む魔物を率いているものを見付けなければ終りは来ないだろう。彼女は黒曜石の瞳を強く閉じて心を落ち着かせると森の奥へと駆け出した。

「フィリ様!! ……もう!」

 何も言わずにその場を離れたフィリーネに苛立ちが募る。今は普通に銃を撃つことが出来るが、レイヴァス王国にある精霊魔法の加護が無い為に暫くたてば威力も落ちてしまう。出来ればその事態だけは避けたい。だけどもその事態は既に始まっていた掌に集まりつつある電流も心もとない気がするのがその証拠だ。
 襲いかかってくる魔物を足で蹴り飛ばしながら難を逃れるがこれでは術を展開する前に体力がなくなるのが関の山と内心焦りが出てくる。すると突然、掌に集まる雷が彼女の意志に反して青白い光を放った。あまりにも鋭い光に思わず瞳を閉じたとき、叩きつけるように乱暴な、そして丁寧につむがれる詠唱が響いた。

「《業火の乱舞、今此処に解き放たん》」

「《世界を駆けめぐる風よ、全てを支える力となれ!》」

 どくん、と何かが耳の奥で大きく鳴った。それは余りにも大きくクレアは思わず震える体を押さえる。感じた事もない大きな存在と共に空から大きく螺旋を描きながら降りてくる炎は風に強く煽られて勢いを増すと魔物達が集まる中心へと落ちた。轟音と共に空へと伸びる火柱は強大な力の証。

「――これが王家の力」

 怖い、率直にそう思った。いつも呼吸するのと同じように雷を操るクレアだったが此処まで力が怖いと思った事は無い。共に戦い、共に生きてきたのだからそう感じても無理は無い。だが今の術は絶対的な力によって引き出された精霊魔術の底力。それを見せつけられた気がした。

「不相応な力だ……全く」

 低音の声が響く。振り返ればまるで自分を責めるように掌を見つめるテオフィールと片膝を付いて喘ぐエリクの姿。兄弟でありながらもこれだけ力に差があるのだろうか。クレアはエリクの元に駆け寄るとそっと声を掛ける。青ざめたその表情は驚愕よりも疲労の色が濃く見えた。

「エリク様、無理なさらないでください」

「こんなに疲れるとは思わなかったぜ、何で兄貴はそんなひょこひょこ歩けるんだよ」

 至って健康的な顔色をしているテオフィールは何故だろうな、と肩を竦めただけ。対して気にしていない様子ではあったが辺りを見回す瞳は怯えた子犬のよう。未知の力を自由自在に操る自分に疑問を持っていない訳ではない。ただ、やりたいことの為に思考を犠牲にすることも時には必要だということを彼は知っていた。

「立て、エリク。早く行かないと彼奴が危ない」

「ど、どういう事ですか!?」

 鋭い瞳はただ何も言わず、付いてこいと言うようにクレアに背を向ける。先程の桁違いの魔術で既に魔物の気配は断ち切られている筈。それなのに何故先に行ったフィリーネが危ないのだろう。クレアは焦って走り始めたエリクの腕を支えつつ、ただ走った。
 魔術を展開した場所よりも更に奥に行った森の中。其処は薄暗く、死角が多い村人も近寄らない場所。無造作に木々が入り乱れるその場所でクレアは紫暗の瞳を大きく見開いた。隣でエリクが強く歯を食い縛る音が聞こえる。彼女はただ見つめることでしか自分を保つことが出来なかった。

「何? これ……」

 禍々しい深紅の瞳が此方に向く。その瞬間、背筋に寒気が走った。今まで見たことが無いくらい大きな森を擬態した魔物。普通に生活しているくらいではその正体は見抜けない。彼女でさえも感知できなかったその存在。
 テオフィールはただ剣を抜くと淡い光に包まれて魔物を睨み据える女性を視界に映した。頬には一筋の血痕、苛立つように噛み締められた唇からは魔物を毒づく言葉が吐き連ねられる。

「ふざけるな……お前如きにやられる私では無い!」

 淡かった光が強さを増して天へと伸びる。優しいはずの光なのにどこか鋭さを持っているその輝きは触れただけで肌を裂かれてしまいそうだ。流れるような音色は何処から流れてきているのだろうか。甘い薔薇の芳香と共に流れてくるそれは誰かが歌っている訳では無い。するとエリクはそっと地面に手を当てた。

「大地が歌ってる」

 何処からともなく聞こえる歌声に耳を傾ける。神を讃える歌のような音色に思わず心奪われた。

「応戦しなきゃ!」

「待て」

 ホルスターから銃を抜くクレアを制して目を細める。テオフィールの目に映るフィリーネは一人ではなかった。背格好の似たもう一人の女性。それは記憶を解放したとき、エリクの前に同じ様な男性が立っていた時と同じ。だが、クレアとエリクの反応を見る限り、見えているのは彼だけ。
 殆んど重なるようにして立ち尽くす女性はゆっくりと此方に顔を向けるとうっすらと口元に笑みを浮かべて呟く。

“――レイ様”

 心臓がどくりと鼓動する。それと同時に寒気が走った。あの女性にも何かが見えているのだろうか、それとも自分を見てそう呟いたのだろうか。どちらにせよ、記憶の中に眠っていた過去の人物は簡単には彼を離してくれないらしい。

「テオフィール様!」

「兄貴!」

 はっと我に返ると目の前に広がったのは日の光に煌めく光の粒が降り注ぐ光景。何かと眼を凝らせばそれは水。歌い始めた大地から自然に湧き出したのだ。それに対して嫌がるように両腕を振り回す魔物。空から舞い降りる青碧色の滴は聖泉の色彩そのもの。
 佇むフィリーネはまだ淡い光に包まれたまま、動こうとはしない。暴れ回る魔物を睨み据え、憎むように唇を噛み締める。

「消えろ、大地の祝福はお前を滅ぼす」

 すっと差し出された指をぱちんと鳴らせば水はまるで生き物のように魔物に襲いかかり、巨大な水柱を上げて一気に飲み込む。それはまるで竜の様に猛々しく、獅子のように雄々しかった。魔物は意図も簡単に飲み込まれ自然の力に消えた。
 残ったのは青碧に輝く泉、それは大地がケテルの街にもたらした母なる大地の祝福、即ち女神の祝福だった。

「凄い!! 凄い!!」

 まるで子どものように泉に駆け込んでいくエリクはそのまま飛び込むと辺りを泳ぎ回る姿にクレアも笑顔を浮かべて追いかける。まるで子犬がじゃれ合うように駆け回る二人にフィリーネは力が抜けたように膝を付く。大地と口づけを交わす前に体を支えたのはテオフィールだった。

「皆、私を怖がらないのは何故だ。古来よりある聖泉をこの手で生み出したというのに何故だ」

「俺はそうは思わない」

 ゆっくりと木の幹に体をもたれさせるとテオフィールは隣に腰を下ろす。そこら中で折れた矢や剣が散らばってるのは何故か気にならない。今は戸惑う彼女を諭すのが先だと心得ていた。

「ケテルが魔物に脅かされていたのは昔からだ。その頃はまだ若い引退騎士がいたが今は違う、年寄りばかりの村だからな。聖泉があれば此処はもう心配ない。俺達は迷わずレイヴァスで暴れられる」

 年を重ねて弱りつつある両親――血は繋がっていなくても大切な人を残していかねばならぬのだ。彼らにとって魔物から守ってくれる聖泉の役割を知っているからこそ、その存在が大きく見えた。
 あとは本当に自分達が動かなければ世界は均衡を崩して滅びる。切羽詰まった状態まで追いやられたテオフィール達にはもう逃げることは叶わない。

「後戻りは出来ないな」



+++++++++



 故郷に別れを告げて船の針路を再びレイヴァス王国に向ける。もうこれからは傭兵としてでは無く、レイヴァス王国の王子としての道のりとなる。その言動には王族の枷がついて回る――別れ際にヴィルヘルムがそう呟いた。王たる者は民全ての注目を浴びることになる、それは厳しい目となるのを騎士として王を見ていたヴィルヘルムは知っている。

(――……私はそんなこと考えなかった)

 黒曜石の瞳が映すのは殺気に満ちた瞳。ただ、怖くて退けることしか考えなかった。組んだ両手にそっと額を押しつける。その時、空を滑空する一羽の純白の鳩が緩やかに此方に降りてきた。

「まぁ、伝書鳩ですか?」

 鳩を驚かせないようにゆっくりと歩み寄るクレアに頷きながら鳩の足から書簡をゆっくりと解いてやると鳩は船に備え付けられた餌場に真っ直ぐ飛んでいく。恐らく王城から此処まで飛ばされてきたのだろう、労いの言葉も鳩には関係ないようでひらすら餌を啄んでいた。
 鳩が届けた書簡にはアルディード帝国の正式な書簡とされる書式で書かれた文面を視て思わず眉を潜めたフィリーネにクレアは首を傾げた。

「何故知っているのだ……私はまだ伝えていないぞ」

 書面に書かれていたのは、テオフィールとエリクをレイヴァス王国の王子としてアルディード帝国が認めたという事とフィリーネに王族として全面的な協力をし、これからの両国の関係を確固たるものとする事であった。

「でも良かったんじゃありません? 王子にフィリ様がつくことは心強いですもの」

「そんな簡単なことじゃない。元老院はまた私を道具として扱うつもりだ。“確固たるもの”なんて……!」

 馬鹿にしている。書面を破り捨てたくなる程腹の中が煮えたぎる。国同士が絆を確固たるものにする方法は一つしかない。それは王族同士の婚姻、つまりフィリーネに二人のどちらかと親密になれということだ。

「王族の苦しみも分からぬ元老院め」

 歯を食い縛る彼女にとって二人は理解のある友。その感情を嘲笑うように否定する元老院がクレアにも憎く思えた。

「よーう! どうした、暗いな」

 使い慣れない魔法の反動から漸く立ち直ったエリクが緊張感溢れる二人に声を掛ける。未だ怒りを静めるのに時間が掛るだろうと察したクレアは紫暗色の瞳を細めると口元に笑顔を浮かべた。

「風の魔法、初めて見ましたけど見事でした!」

「使った俺がびっくりしたよ。でも傭兵の指輪が砕けちまった……参ったなぁ」

 残った紅の飾りを太陽の光にかざしてみれば微かに傭兵を証明する紋が残っている。うまく行けばこれだけでも仲介所には入れるかな、と苦笑いをしてみせた。燦々と降り注ぐ太陽の下でこうやって笑っていられる日々が続けばいい。そう思っていたけれど――。

「レイヴァスから情報は入っているか?」

 真剣な目つきで歩み寄るテオフィールを見てしまえばそんな時間などもう無いに等しいのだと思う。背筋を伸ばして歩く兄はもう風格さえ漂っているというのに、自分と言えばまだ甘い生活を望んでいる。

「はい、先程同志から連絡が入りました。ブリガンティアは真夜中に満月が空を支配する日……つまり、今日を除けばあと三日でレイヴァス城を襲撃し、クーデターを起こします。内部からはイーナ様、ユーディト様が宰相までの道筋を開きます。テオフィール様、エリク様に旗頭となっていただき、城を奪還するそうです」

「分かった。フィリーネとクレアは事態に備えて助けてくれればそれで良い」

 仰せのままに、と深く頭を下げるクレアにふと視線を逸らすテオフィールは苦笑いを浮かべると船首へと歩き出す。記憶の中に残っているレイヴァス城はただ一つ。それは王族が生活する【蒼空の回廊】だけ。四歳程度の記憶は普通青年になれば薄れてしまうが記憶を取り戻したことによって鮮明に脳裏に蘇る。恐らく宰相であるライナルトも其処にいるはずである。そして母が教えてくれたあの場所で王族の潔白を示す証をエーレンフェルス家に示さなければならない。やることは沢山ある。

「大丈夫か」

 思いに耽る彼にアルトの声が掛かる。横に並んで腰に手をやるフィリーネを横目で見れば再び影のように付きそう女性が見えてきそうになる。だけどもその姿は見えない。

「私も先程帝国から書簡が届いた」

「あぁ……これの事か」

 懐から出したのは一通の書簡。見慣れた紋をうってあるその書簡に思わず眼を見開いた。それを奪って内容に眼を通せばフィリーネに当てられた文面と同じものがレイヴァス王国王子テオフィール、並びに王子エリクレスタに向けて書かれている。

「親密……か。どんな臣下も考えることは一緒だな。俺は特にこだわるつもりはない」

「臣下が良いと言えばどんな相手でも?」

 愚問だな、というテオフィールは遠く海の彼方をじっと見つめた。記憶を取り戻す夢の中で慈悲神レイヴァス――レイに言われた言葉が蘇る。何かを得て、何かを失った時に彼女は思いを託しにやってくる。それは刻々と迫っている気がした。

「俺には過去よりもずっと昔に強い因縁がある。それに逆らうことは出来ない」

 その言葉は彼にとって深い意味を持つ。想いを託してもらえるようになった時、きっと眩い光が彼に道を照らしてくれると信じるしかない。希望を抱く彼を前にフィリーネはそっと視線を外してうつ向く。不安ばかりが胸に渦巻くのにどうして自分の中に大義を見い出せるだろうか。

「……深い因縁か。アルディードの王族は古来に始祖であるアルデシアが呪いを受けたことによって王族同士の婚姻が出来ないんだ。だから私の母も平民である父と婚姻を結んだ」

 惹かれても結ばれない。ただ、相手が自分でない人と笑い合う姿を遠くで眺めることしか出来ない。
 それが平民であるならば別だが――。

「なるほど……今は無理と言うことか。解除の方法は?」

「私が知る訳無かろう!」

 語調を荒くした彼女は慌てて平静を装う。だがそれも無駄な足掻きでしかない。テオフィールはただふと笑みを浮かべるとくつくつ笑う。それが何を意図しているのかは分からなかった。否、分からない振りをしていた。

「俺も鈍感な訳ではない。ただ見ていてもどかしいと思っただけだ。クレアがあれだけ攻めるから胸中平静ではいられんだろうさ」

 この人は全てを完璧に把握している、そう直感した。ただ口には出さずにいるのは相手への敬意から。だが、自らが知らぬ振りに徹すれば彼は容赦なく心を撃ち抜く。

「私は……――」

 あの萌黄の瞳が好き。人間らしい優しく見つめる温かさが心地好くて離したくなくなる。そう思うと何故か視界が涙で霞んだ。何と無く心では分かっていても向き合うとどうしても押し殺そうとする。

「ちゃんと理解しているなら良い。ただ、変えられるものから変えてみたらどうだ」

「性格、とか?」

 お前はお前のままで良いと首を振ると青碧の瞳が宙を泳いだ。そして徐に口を開く。

「例えるならこの手紙の主、とか――」

 書簡をちらつかせるテオフィールにすっと眉を潜めた。元々知識に関しては十分な位あったが、記憶を取り戻してからの彼の言葉は政治的鋭さを感じる。瞳を逸らして彼から逃れるも言葉は容赦なく彼女を責め立てた。

「この手紙の主は元老院だった。……皇帝の助言機関がどうしてそこまで権限を持っている」

「そんな事言われたって、私には分からないわ! 何が原因なのかも知らないのよ!!」

 出来ることならその原因を元から絶ってしまいたい。だけどもそれが分からないからただ彼らの掌で踊り狂うしかない。正当な皇帝の血筋なれどあらゆる枷からは逃れることは出来ないのだ。ただ漆黒の髪を振り乱して歯を食いしばる彼女にテオフィールはただ黙り込む。でも本当に彼女の言うとおり何も出来ないのだろうか。

「それは違うな」

 幼い頃に学んだことが鮮明に蘇ったお陰で頭の回転もこれまで無いくらいに良い。青碧の瞳が不敵に輝いた。

「基本を聞こう、アルディード帝国はどのような国だ」

「……私達の国は始祖である歌神アルディードの血を受け継ぐ者達が統治する絶対君主制の国」

 それは皇女として知識を叩き込まれていた頃に必死になって覚えた言葉。それが今になって役に立つとはと苦笑しながらフィリーネは答えた。

「では、絶対君主制とはなんだ」

「貴族、諸侯、議会よりも君主である皇帝の権限が優越する。簡単に言えば、何よりも皇帝に全て決定権がある……そう言うことか」

 見逃していたのは本当に初歩的なこと。叔父が何故自分を後継者と言い続けてきたのか、漸くその意味が分かった気がした。政治、後継に関することを全て拒絶してきた彼女だから見えなかった真実。そして拒絶する根本を築いた元老院の意のままにしか彼女は動いていなかったのだ。それを考えれば考えるほど、自分の弱さと元老院の狡猾さに苛立ちが募った。

「私はまだ皇女だったんだな」

「『まだ』じゃない、『ずっと』だったんだ。きっとお前の叔父上は元老院に抵抗できない何かがある。だから元老院自体を潰すことが出来ない」

「……そして、私にしか出来ない」

 フィリーネは黒曜石の瞳を細めると小さくなりゆくアルディードの土地に眼を向ける。傀儡としてしか動けなかった皇帝に漸く光が差し込むのだ、それは最も簡単な方法で。最も嫌っていた皇帝という地位に少しだけ希望を持てたような気がした。

 全てに決着がつく日まであと三日――。

次へ
戻る