光のラナンキュラス

Act.18 始まりの刻

 暗闇に艶やかな銀が舞う。まるで星空に瞬く天の川を彷彿させるような光景に誰もが息を呑むだろう。軽やかな足取りで空を駆ける一人。漆黒の衣に身を包んで何かから逃れるように駆け抜けていた。
 屋根を強く蹴って空高く舞い上がる。まるで豹のようにしなやかに舞い上がるその人は地面に軽やかに着地すると腰元の短剣を貫き放った。

「逃げ切れると思ったんだけどなぁー」

 ふと溜息を吐いて手の中で短剣を回してみせる。横にずらせば短剣は数枚に分かれた。使い慣れたこの剣は前の持ち主から受け継いだもの。それを投げてしまうのは忍びない。彼は静かに剣を元に戻すと視線を配って自分を取り囲む存在の気配を探った。

「動けば二度と太陽の光を見ることはないぞ」

 目の前には薄笑いを浮かべながら細身の剣を払う男が一人。そして三人程後ろに控えている。銀髪を掻き上げた彼――カイザーはふと笑った。

「それ、俺に言ってるんだよな」

「他に誰がいる」

 和やかに思えた雰囲気が一気に凍り付く。それを合図に男は一気に駆け寄ると細身の剣を下段から上段に振るう。しかし、それは意図も簡単にかわしてみせる。軽やかなステップで次々と攻撃を避けるカイザーについに男も苛立ちを覚えたのか、渾身の力を込めて鋭い突きを放ったのだ。
 斬りに専念していた刀が一気に刺す方向に転じられれば避けるほうも大きく体勢が崩される。カイザーも勿論、例外ではなかった。

「うわっ!」

 思わず尻餅をつきそうになったものの素早く手をかざし、水を吸い寄せて衝撃を和らげる。そのまま驚いて目を見開いた男に水弾を思いきりぶつけた。

「く……、これだから魔法は厄介なのだ!」

苛立ったように滴る水を拭う男に彼はにやりと笑った。これがただの水だと思ったら大きな間違い。カイザーを囲んでいた三人にも水は掛ったらしい、これは好機だ。

「俺の水を被ったらもう動けない。水が地面に落ちる事に重力が強くなる。まぁ、圧死寸前にはしといてやるよ」

「な……!」

 魔法とは元来、人を驚かせる幻のような手品を言ったという話を聞いたことがある。実際にそれが真実でなくても人は追い詰められると暗示にかかりやすくなるものだ。そして膝をつく彼等は安易にその術に陥った、かに見えた。

「舐めるなよ! 魔道士なんて嘘で生きてるようなもの、こんなのに騙されてたまるか!」

 中腰ではあるがしっかりとその足で立つ一人の男に思わず目を細める。この黒衣の者達――宰相直属の暗殺部隊に所属するものは普通の毛並ではない者達が多いと聞くがまさにその通りらしい。
 彼が放つ気に助長されて他の者達も気を取り直しつつある。

(まずいな……あんまり手の内見せちまうとやりにくいからな)

 カイザーの操る水というのは生命の象徴であるが為にどんな術式を用いても人を殺めることが出来ない。唯一出来るのは相手を怯ませたり等補助的なもののみ。ただ思考を巡らせるのみで手を拱いていた彼に凛とした明るい声が響いた。

「やっぱ、相棒はあたしだよね!」

 その場違いな明るさに誰もが辺りに目を向ける。その姿を探そうと躍起になる彼等に天帝の怒りが降り注いだ。

「雷……やるねぇ」

 青白い光を放ちながら四方に広がり、全員を見事に撃ち抜いた雷。カイザーの水弾を浴びていたせいで感電がより助長されたのだろう。既に息は無かった。

「無事だね?」

 何処からか身を投げてきたのだろう、静かに着地をして見せると口元に大きく弧を描く少女の姿。それは紛れもなくクレアに他ならなかった。

「テオフィールとエリクは……」

「心配しなくてもだいじょーぶ! ヘンゼルから教えてもらった所に送ったし、フィリ様も一緒、役者は揃ったよ」

 そうか、と呟いた彼は静かに息の無い人形と化した男達に歩み寄るとそっと膝をついた。既に彼等を包んでいた電気は何処かへ逃げてしまったのだろう。触っても電気が走ることはなかった。

「これ見てみろよ」

 宰相直属の暗殺部隊かと思いきやそうでも無かったらしい。黒い外套を捲ればその下には騎士が纏う制服。表舞台で誇り高く戦う騎士の身分であるのに、何故闇で静かに人に知られずに戦いを行わねばならぬのか。彼はふと息を吐くとそっと眼を閉じた。誇りを忘れた戦いに身を投じなければならないその酷さは彼は十分承知している。

「行こう、『陛下』が待ってる」

 その言葉を聞くのは何年ぶりだろう。待ちに待っていた日々が漸く彼らの目の前に舞い降りた。あとは全力でそれを勝ち取るのみ。

「いつもの頼む」

「おっけー」

 紫苑色の瞳を静かに閉じると彼女の小さな背中から背丈の二倍はありそうな巨大な翼。それは淡い光に包まれて幻想的である。それは直ぐに巨大な魔法陣を描くと光で構成された翼は霧散し、二人は光に抱かれた。

「――新しい時代がやってくる」



+++++++++



 煌々と光を放つ蝋燭を前にふと溜息を吐く。この場所に着いてからというもの、人々の視線が突き刺さって彼らには少し痛すぎる。外には広大な盆地と巨大な江河が見られるのだがやはりこの事があってから二人は外に出る気にもなれなかった。

「少しは外に出てみたらどうだ? この前来た時よりも天気は良いし、風も気持ちいい」

「俺達の加護の能力が安定したからな。その影響だ」

 そうなのか、と問うエリクに暫く考えて頷いてみせる。彼がレイヴァス王国に滞在していた記憶は幼すぎてその役割も承知しない内に脱出してしまった為に詳しい事は知らないのを漸く思い出した。

「王家と有力貴族にはそれぞれ王国を守るために加護が備わっている力だ。家には各々理に沿った力がある、王家は炎、司法の家は風、政治の家は闇、軍部の家は雷、魔術の家は氷。これらに属していない加護はどうなっているのかはまだ判明していない」

「もっと疎いと思っていたが、意外に博識だな」

 天幕の入り口で響いた声に振り返ればそこには懐かしい姿があった。

「カイザー……」

 隣にクレアを伴って現れたのは紛れもなく銀の侯爵。久しぶりに見たその姿は少し疲れて見えた。

「悪いな、イーナの事」

「もう聞いた。それは仕方がない、生きているなら此方もやりようがある」

 死んでは約束さえ守ることができない。だけども今彼女は王城に居てブリガンティアの本当の長であるユーディトの元に居る。下手な事が無い限りは危険に晒される事は無いはずだ。

「準備は万端。で、俺達はどうすればいいんだ?」

 開け放たれた天幕に次第に人が集まりつつある。皆、帰還したとされる王子達を一目みようと押し掛けてきたのだろう。次第に様子に気がついたエリクの顔が引きつっていく。その姿にフィリーネはくすりと笑った。

「そんなに固くなるな、自然にしていた方がいいわ」

 活気付いてくる天幕の入り口を見てはふと微笑む彼女にエリクはうんざりとした顔をしている。

「人の目に晒されるのっていうのは、ちょっと……」

「今更繊細だとか言っても説得力に欠ける」

 そう言うテオフィールも表情に少し陰が見える。今までは傭兵や剣士として自らの実力で名を広めた二人であるから、地位と好奇心を目的に人目に晒されるのは正直堪えるのだろう。

「王たる者、人に感情を読まれるな。常に一定の表情を出して相手に悟られないようにするんだ」

「漬け込まれるのを防ぐためだな。分かってはいるが暫くの間慣れるのが必要だな」

 ふと息をついたテオフィールは話を促した。準備を始めるカイザーとクレアを尻目にフィリーネは興味本意で集まる外野に目をやる。彼女自身、冷静でいられる自分に些か驚いているのだ。皇女としてその地位にいたのはたった数年。それなのに人の目に晒される事に慣れきった自分がいた。

(全く……自分が分からない)

 自分が自分らしくいるには一体どうすればいいのか分からない。何が真実で、何が偽りなのか。それを知るのに彼女は余りにも自分を欺き過ぎた。そして戻ることは出来ない。

「準備かんりょーう、いいよー」

 人が一人寝転がれる位の机を占めるように地図が広げられる。そこにはレイヴァス王国王都周辺の細かい地形が書き込まれていた。

「ちょっと待て、私はアルディードの者だ。国の詳細地図は普通機密扱いだわ」

 慌てるフィリーネにエリクは首を傾げる。地図はどんな場所にもあるもの。何故機密なのだろう。

「国の地図は他国に渡れば侵略を有利にしてしまう。例えその気がなくても、な。だが、俺は皇女サマを信頼してる、此処まで一緒に来たんだからな。それなりの覚悟があるんだろう?」

「勿論、私は“友人”として助力する」

 なら大丈夫だろう、と笑うカイザーはもうその事には触れなかった。多分、今は一人でも味方が欲しいからだろう。テオフィールは目を細めて彼を見やるが、対して変わった様子もない。一体何が彼を追い詰めているのだろう、それを見極めたかった。

「凄いな、こんな正確な地図は見たことないぜ? 今居るのが……セスタ盆地。左だから西に流れるのはエルドナ河。ふぅーん」

「北に王都、東にはロディウス丘陵。確かに攻めるには丁度良いかもしれない」

 地図に刻まれた文字を少しずつ読みといていく二人が見ているものはフィリーネには全く読めない。この世界の中心とされている三国に言葉の隔たりは無い。違う部分といえば少し訛りがあったり、語尾を上げるか、下げるかの違い。話が通じないというのは有り得ないのだ。

「あぁ、やっぱり読めないのですね。フィリ様」

「悔しいがな……」

 苦々しく呟くフィリーネにクレアも笑みを浮かべる。地図に書かれた文字は独特の形をしていて見たこと無い。そんな文字を容易く読んでしまう二人に彼女は眉を潜めた。

「あぁ、別に地名とか関係ないんだけどな。読めるのは何故か王族だけ、不思議だろ?」

「何故読めるとかは分からないのですけどね」

 そう言うクレアとカイザーは少し嬉しそうに見える。それもその筈、この文字が読めるものこそ王族。つまりは二人の正体が決定的なものとなったのだ。それは幾ら真実であっても形として目に見えるのはやはり嬉しい。長い間ずっと探し続けてきた人なのだから。

「このまま丘陵を背にして進軍するのか?」

「いや、丘陵は王都からは直ぐにたどり着ける位置だ。後ろからの挟み撃ちだけはどうしても避けたいんだが……」

「なら丘陵を通る部隊とそのまま直進する部隊に分けたらどうだ? その方が危険は避けられると思うの」

「いや、戦力は圧倒的に不利だ。出来れば一斉に動いた方が良いんだがなぁ……」

 眼を回してぼんやりと聞き入るクレアとエリクはどうやらこういう話は苦手らしい。凄まじい勢いで討論をする三人についていけないのが丸わかりである。だがその状態もある人物によってあっと言う間に何処かへ追いやられた。

「なんだなんだ、こいつは役立たずか、テオ」

 群がる人々を押しのけて出てきたのは紅の鉢巻に日に焼けて少し色素の抜けた茶の髪を持つ男。胡桃色の瞳が彼を嘲笑うように輝いた。その表情にあからさまに嫌そうな顔をするエリクだが反論はしない。役に立てるのは地名を読むくらいだけ。それならテオフィールでも出来ること。痛いところを突かれているのは事実。

「眠るよりはマシだ」

「鼾をかかないだけマシね」

「凄い言われ様ですね、エリク様!」

 にっこりと微笑んでみせるクレアにがっくりと肩を落とす。それに対してテオフィールとフィリーネは肩を竦めてみせるだけ。――それは事実でしょう、と言うように。悔しそうに口を尖らせる彼は元凶を見上げた途端に大きく叫んだ。

「船だ! そうだ船だよ! この盆地の西には大きな川がある。オズの船でも通れるはずだ! それなら挟み撃ちも部隊の分裂もしなくて済むぜ!」

 その言葉に直ぐ地図に視線を落とす。フィリーネの白く長い指先が静かに地図を這う。確かに型破りではあるが相手には悟られにくい。川の幅は見る限りではそんなに狭いものではないようだし、進もうと思えば出来ないことは無い。

「どうだ、オズヴァルト」

「俺達の人数だけじゃ辛いが、あんたらが暴走列車並みに頑張れば出来るぜー?」

 ふと青碧の眼を伏せる。先に伝えられていたカイザーの情報を考えれば宰相側に味方するのは十ある貴族のうち七。その内の二はライナルトによって人質を取られている為従っているらしい。ならば、その人質とやらを救出するなり、保護が出来れば彼らが宰相、ライナルトに従い続ける必要はなくなるだろう。

「オズヴァルト……何処かで聞いたことがある名前だと思ったぜ」

 卓上を挟んで向かい合う二人。胡桃の瞳と瑠璃の瞳がかち合う。二人が纏う雰囲気は何処か鋭く、冷たい。怪しい雲行きをいち早く察したエリクはさっと顔色を変えた。図体だけは大きい癖にそう言うことにだけは敏感に察知するエリク。心は小動物のように心優しく、一つのことに夢中になる。

「『ノアの方舟』の生き残りだろ」

「何だそれは」

 眉を潜めて問うテオフィールにカイザーは眉に深く皺を刻みながら呟いた。

「ライナルトの偽装で起きた魔道士虐殺の裏で逃がされた子息達だ。何隻かの船に分けられて脱出したからそう呼ばれている」

「流石はブリガンティアを継いだ男だな。確かに俺は王サマに両親を殺された。だけども別に恨んじゃいない。俺は魔法が使えない出来損ないだ、例え魔道士達が今生きていたとしても俺は厄介者でしかない。そんなのはまっぴらごめんだ」

 だから自分にとっては好機でもあった。皆、幼く頼りない中で最年長だったオズヴァルトは生きる為に皆から頼られた。船には十分な食料もあった、だけども直ぐに足りなくなったのは飲み水。辺りは海、それを飲めば何とか渇きは無くなる。ただ単純にそう思っていた自分が愚かだと思った。

「海の水は塩辛い。飲むには蒸留しなくてはならないわ」

「当時の俺達にはそんな考えなど無かった。ただ両親からは別れ際にこう言われた。子ども達を護る為相手に気を許すな。自分の利益、相手の利益が共通する時のみ心を開け」

 一人でも生きていて欲しい。その両親の願いが少し歪んだ形で彼に伝わってしまったのだろう。生きる為に彼らは行き交う商船を襲い、飲み水や食料を奪い取った。

「今は利害が一致している、そうだろう? テオ」

 胡桃色の瞳がそれを強く問う。陸に上がることは願いでは無い、ただ自分達が友のように、母のように過ごしてきた海と共に過ごしたい。そう願う瞳を逸らす事は出来なかった。そして呟いた。

「その通りだ」

 瑠璃の瞳を細めるカイザーはもう何も言わない。自分が願ったのは宰相軍に敵う戦力。それならば彼らは申し分ない。カイザーは静かに卓上に腰を掛けると両手を組んで顎を乗せた。
 ――信じるべきなのか、疑うべきなのか。ただそれだけなのだけど。

「なら作戦立てようぜ! 川が使えるならこっちが有利になる」

「そうね……だけど私が連れてきた部隊は戻す。この戦いにアルディードの影響を与えてはならないから」

 アルディード帝国は陸続きであり、レイヴァス王国に比べればその繁栄の差がある。国民からすれば軍の協力は二つの国に順位を付けてはならない。国力の均等こそが平和の欠片、それを守っている間は繁栄、破れば滅ぶ、それがこの世界の理。

「それは流石に仕方がない……カイザー、これで作戦を立てられるか?」

「問題はないな、皇女サマの頭を借りよう」

 両手に乗せていた顎を上げて漸く顔を上げたカイザーの腰元が煌めく。それは幼い頃に誓った忠誠の証。一生を捧げる相手である自分は本当にそれに見合う人間なのだろうか。あの銀時計が彼を縛っている様で心苦しかった。

「兄貴、聞きたいことがあるんだ」

 少し目を泳がせてテオフィールに語り掛けるエリクは何処かよそよそしい。彼はふと息を吐くとなんだ、と短く言う。エリクの口から出た言葉は予想外だった。

「本当の親父のこと、覚えてるか?」

 自分の血の繋がった父親。その存在を知ったのは最近の事だけども思い出したばかりの記憶は色鮮やかだった。

「此処では話したくない」

 誰もがその判断に人生を狂わされた存在。その人柄を今此処で話すには場所が悪い。複雑な表情で二人の背を見送るカイザーは強く瞳を閉じると再び地図と向き合った。

「テオフィールは自分の父親を覚えているのか?」

 地図に集中し始めたカイザーにフィリーネの声が降り掛る。その言葉に彼は手を髪に突っ込むと大きく息を吐いた。

「封印されていた記憶というのはそれまで自分の奥底で眠っていた記憶です。それが解術と共に表面に出てきたのですから、はっきりしているでしょうね」

 あまりにも詳しいクレアに驚いた表情を浮かべるが彼女も記憶封印をされている。それを解術するためにあらゆるものを調べたのだろう。博識であるのは当たり前である。

「兎に角、今夜中に進路やら決めるぞ! クレア、お前は宰相軍の行動パターンを解析した資料を。皇女はアルディードの用いる戦術方法で解析を。俺は……少し丘陵を見てくる」

 そう言って椅子に掛っていた黒の外套を羽織ると彼はそのまま天幕を出ていった。

「本当に今夜で完成するか? カイザーは……」

「心配なんですよ、取り巻くもの全てが」

 傭兵だった二人の王子、そして身動きが出来ないだろう従姉。そして多分、その中にクレアもフィリーネも入っているだろう。
 ただ、あるべき姿に国を正したいだけなのに苦しいほど動けない。そのもどかしさに常に追い掛けられているのだ。

「それはそれで哀れね」

 呟いた言葉は空に舞い上がり、儚く散った。



+++++++++



 闇夜を月が淡く照らす。地上は眩いほどに炎がともされているというのに月の光は芯がある。鮮やかな色のラナンキュラスは優しい風を揺り篭にするように優しく揺れた。二人を見つめる視線はもう無い。ただ、真っ直ぐ見据えて歩く彼等に興味を失ったのか、それとも何かを感じたのか。蟻のように静かに、素早く消えるその後ろ姿を二人は決して呼び止めなかった。

「ここなら良いだろう」

 優しく揺れるラナンキュラスを見下ろして静かに腰を下ろす。
 青碧の瞳にふともの悲しさが宿った。昔を思い出すのは苦痛ではない。ただ、当時の状況を大人になって思い返すと色々な事が理解できた。

「あの時、お前は二歳、俺は四歳だった」

 母親であるエルフリーデに抱かれて笑うエリク、その笑顔を見ればいつだって笑みが浮かぶ。ただ、そこに父親の姿は見えなかった。

「長い間父上は皆の前に出ていないと侍女達が噂していた。俺が多分最後に見たのはお前の誕生日だったな」

 久し振りに見た父親は少し頬が痩け、かなり痩せた印象を持った。いつもは無表情な父親もテオフィールやエリクの視線を感じると柔らかい表情を浮かべていたのを覚えている。

「動揺も感情も表に出さない静かな人だったと思う。とても背が高くて……実際はどのくらいかは分からない、俺も子どもだったから。だけど、髪や瞳は俺と同じだったな」

 目を閉じれば脳裏に浮かぶ父と母。そしてその後ろには育ての両親。自分は色々な人に支えられて此処にいるのだ。

「そっか……俺は少し誤解してたかも」

 萌黄色の瞳を天に向ける。曖昧でしかない幼い頃の記憶、それがどんなものであったのか詳しく知りたかった。首を討ち取られた実父の人格を――。

「好きで捕らわれて大人しくしてたわけじゃないだろうな。本当は優しくて俺達をしっかり想ってくれてた。もっと酷い人なのかと思っちまった、悪い想像したな」

 そう言って頭を掻くエリク。その思いは分からないことはない。もしも実父が残虐な性格ならばいつかは同じようになってしまうのではないか、自分の性格は何処かにうずもれ、消え行くのだろうか。

「王様って……想像したことなかった」

「当たり前だ」

 自分達とは完全に無縁のものだと決めつけていたのだから。それでも心の奥底から湧き出るように顔を覗かせる思いは波のように押しては引いてを繰り返す。

「だけど守らなきゃいけない、此処に住んでいる人達を。漠然的なんだけどそう思う。……いや、確実にそうだ。俺の理性が否定したがってるだけだ」

 虚空に青碧の瞳を向ける。自分で理解しているよりもその思いは血に、そして本能に深く刻まれているらしい。

「俺はずっと兄貴の背中を守り続ける、死ぬまでな」

 芽生えた宿命の芽は摘み取る事は出来ない。花を咲かせて散るまで彼等を縛る枷となる。それは思いを託すべき人に渡るまで。

 ――ブリガンティア行動開始まであと数時間。

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