月光のラナンキュラス
Act.0 籠の中の小鳥
――私の言葉が聞こえる?
その声は物心ついた幼い頃から消えることはない。
実態の無いソレに返事をすれば、世話をする侍女達が気味の悪いものを見たような表情を浮かべる。それが嫌で無視しようと決めたあの日からずっとあの声は消えることはない。
常に問いかけてきて助言を与えてくれる。だけども何時からか、その言葉が煩わしくなって無視し続けた。それでも諦めずに問いかけてくるこの声の主の正体を知った時、人として生きられないと思った。
何故ならばその声の主は自分の祖先だったから。
『ねぇ、いつまで祈ってるつもり? アンタの願いはもう分かったわよ』
「少し黙っててくれない?」
儚いくらい白く細い指を組んで再び祈りの形に入る。色とりどりのステンドグラスから差し込む光を一身に浴びて神々しい姿を見せ付ける始祖の女神の銅像。
王族に脈脈と継がれるきつい猫目の瞳と王位を受け継ぐ女性のみに現れる濃紫の瞳。まるで女神の再来とまで称された自分の容貌、それが嬉しいとは一度も思わなかった。それはきっとどんなに歳をとっても変わることはない。
(祖先と同じ顔、私らしさなんて無いじゃない)
心の中で毒づきながら組んでいた両手を解く。見上げれば自分と同じ顔をした銅像の冷たい表情が映る。違う部分と言えば伸ばした髪くらいしか思いつかない。銅像の女性は肩よりも上で前下がりに切り揃えた特徴のある髪型をしている。
『来たわよ?』
知っているわ、と小さく呟いて視線を下に落とす。
彼は自分の事を祖先と重ね合わせて見ているのだろうか。それとも私らしさを彼は知っているのだろうか。そんなことを悶々と考えているとふわりと逞しい両腕に体が包みこまれた。
「今日も不機嫌かい? 俺の姫様」
暖かいその場所がどんなに安心できるか、彼女は勿論知っている。だけども身を委ねないのはふと過ぎった疑問の所為。だけども彼女は敢えてそれを口にせずに呆れたように呟いた。
「リディアス、祈りの妨害は女神への冒涜よ?」
「だいじょーぶ、だいじょーぶ。取り締まるのは俺だぜ。俺が自分を部下に突き出すと思うか?」
軽い言葉で簡単に受け流す彼――リディアスはフィーリ王国王都守護騎士団長の立場。そして歴史上で最も有名な英雄の血筋を持つ家、ファーレンハイト家の長子でもある。近年は全くと言っていいほど戦乱のないフィーリ王国だが、“防衛の要”と称される程の戦術を持ち、海を越えて南に位置するレイヴァス王国国王にも匹敵する剣術を持つと言われている。実際彼の戦いを見たことが無い彼女にはその話に胡散臭ささえ感じる。何故ならば――。
「大体、婚約者が目の前に入るのに抱きつきたくない男なんか居ないぞ!」
「止めてよ、変態」
素早く切り返されても決してへこたれない王都守護騎士団長。こんな一面を見てしまったら騎士の憧れと称されることの真偽まで疑いたくなる。彼女は腕の中から無理矢理抜け出すとスカートに付いた埃を払って立ち上がった。
「もう……用があって来たのでしょ」
長い金茶の髪を手櫛で整えながら視線だけをリディアスに向ける。すると彼は穏やかな表情でそっと片手を差し出した。
「陛下が君を呼んでおいでだ」
その言葉に思いっきり顔を顰めてみせる。きっと自分は酷い顔をしているだろうなと思いつつも表情を崩すことはなかった。一番会いたくない人に呼びつけられて良い気持ちをする人は居ないだろう。彼女は天を仰ぎながらふと溜息を吐いた。
「セルディアが命令を賜ったが俺が来て正解だったな。あいつじゃ君に丸め込まれちまう」
「私ね……」
どんな顔をして会えばいいのかわからない。多分、最後に会ったのは半年前だっただろうか。母としての役割を一切してくれなかった女王に情を抱く事が出来ないのだ。彼女の心の中で家族は今、国を離れているたった一人の弟だけ。
「何も気にしなくて良い。別に焼いて食おうとしてらっしゃる訳ではないんだ」
「分かってる、分かってるわ」
その言葉はリディアスに告げるというより自分自身に言い聞かせているようにも聞こえる。彼女は静かにフィーリの銅像を見つめるとふと息を吐く。今だ神々しく輝いて冷たく見下ろす視線。母の視線はまるでこの銅像と同じようなもの。
二人の確執を知る彼は黙りこくった彼女をじっと待ち続けた。幼い頃から反発し、恨んでいたのを知っているリディアスも無理強いするつもりは無いのだろう。だけども命令を下された彼を蔑ろにできない彼女の優しさも知っている。彼女は意を決してリディアスの手を取った。
今、その手は守ってもらいたいものではない。今回だけは見守ってほしい手。
「行きましょう、ユーフェミア王女殿下」
二人の居た教会は王都にあるものの随分外れにある。その理由は女神の考え方にある。何年か前に会ったレイヴァス王国の使者が言うには、王とは女神の血を引く者であり、継ぐ者ではないという。
それに対してフィーリ王国では女王、則ち女神の生まれ変わり。言い換えれば女神と同一視をされることになる。母といえども女神、親しく触れ合うことは王配以外許されない。例え、子であっても。
だから教会にある銅像は偶像であって国民に取っては大して意味の無いものである。存在する理由はいつでも女王の目は民を見ていると示す、ただそれだけの為。
(それでも王族は人よ)
率直にそう思う。
女神達は元々人であり、後世に神格化された存在。
決して女神達も神格化されることを望んだわけでは無いのだろうが、ユーフェミアに取っては既に死んだ人である。死んだ人にどんな力があると言うのだ。神などに頼らず、何故自分を信じないのだろう。
王族と上級騎士のみが知る抜け道を通って城へと戻る。暗い洞窟に所々置かれた蝋燭の炎。柔らかな光をたたえて燃えるそれにいつ炎を燈しているのかなと思いながら、リディアスに手を引かれる。
暫く歩くと段々と道に施された装飾が多くなっていく。その中、一際美しい玉をはめ込まれた鏡にリディアスが武骨な手を翳した瞬間、目の前の景色が揺らいだ。
「レディーファースト、だ」
そう言って笑う彼に微笑を浮かべるとそのまま揺らぐ景色に瞳を強く閉じて身を委ねた。
何か冷たいものが体に纏わり付くように感じるがそれは直に終わる。ゆっくりと目を開くとそこは見慣れた城の景色。後ろを振り返ればリディアスが壁から顔を出してにっこりと笑っていた。
「何回やっても思うけど水風呂に入ってるみたいだよな」
「遊んでないで早く出てきて! 知らない人が来たら困るわ」
確かに生首で壁から顔をだす王都守護騎士団長を見れば誰もがとうとう気が触れたかと囁き合うだろう。女官達に話の話題を与えるほどユーフェミアは寛大ではない。
えー、と頬を膨らませるリディアスの顔を両手で掴むとそのままこちら側へと引き寄せた。
「あだだだだ」
半ば引きずりだされる様なその体勢に思わず噴き出す。お腹を抱えて笑うユーフェミアに何故かリディアスも何処か満足そうにしていた。
「此処からは私一人で行けるわ、大丈夫」
にっこりと笑って言ってのける彼女に強く頷いて見せる。例え虚勢だったとしても彼女が大丈夫といえばそれなりに覚悟が出来たということ。彼女が決めた決定を支えるのが自分の役目。
「行っておいで……俺はちゃんと待ってるから」
えぇ、と大きく頷いてリディアスに背を向ける。
いつか、また彼に同じ言葉を言われるかもしれない。ふとそんなことが頭を過ぎる。その言葉を深く心に刻んで前を向いて歩きだす。
深紅の絨毯を踏み締めて一歩一歩階段を上っていく。目の前に広がるのは開け放たれた女王の間。ユーフェミアは自分の服装を見下ろして静かに整える。纏っている衣装は絨毯よりも濃い深紅のドレス。
彼女はふと息を吐いて気持ちを落ち着かせると真っすぐを見据えて再び歩きだした。
控える兵士達は彼女の視界に入れば直ぐに敬礼をする。それを視界の端に捕らえ、玉座に腰掛ける母――否、女神に恭しく頭を垂れた。
「参りましてございます」
頭を下げたまま何時になったら声を掛けて貰えるのだろう。そう思い始めた時、漸く懐かしく聞かなかった穏やかでゆっくりな声が彼女に語りかけた。
「ご苦労、貴女にはそろそろ女神の名を継ぐ者として自覚を高めてもらおうと思う……例のものを持て」
久しぶりも、元気だった、もない単調な会話。私をしっかり見てほしい。目を見て名を呼んでくれたっていいじゃない。
文官から手渡されたものは数枚の新聞の紙切れ。それは国民が独自に編集しているもの。何回か読んだことがあるが大して面白い内容では無かったはず。だけどもざっと目を通してユーフェミアは顔を顰めた。
「此処一年で起きた未解決の事件。その共通点を見つけ、解決なさい」
共通点、そう言われて再び皺を濃くする。自分と同じ紫の瞳を見つめても無機質な輝きしか帰ってこない。少なくとも娘が女神の血から引き継いだ能力を知っていても良いのに。
その瞬間、急に漠然とした光景が脳裏を彩る。光景を見ることは何回も経験しているけど、願ってもないのに見たのは生まれて初めてだ。
「お母様……」
そう呟いてぐらりと体を揺らすユーフェミアの姿に女王も思わず立ち上がろうとするが控えていた騎士に腕を押さえられ、首を振られる。渦巻く思いを振り払ってゆっくりと言葉を紡ごうとした時だった。
「……十数年後」
それまで今にも倒れそうだったのに急に生気が高まる。そこから感じ取れる力に思わず目を見開いた。
「大惨事が起きます」
それだけ呟いて逃げるように踵返したユーフェミアの後を誰も追うことはしない。女王――アンジェリカは漸く我に返ると肌に直に感じた強烈な力に思わず恐怖を感じた。
倒れそうになった時、思わず駆け寄ろうとした自分に苦笑する。腹を痛めて産んだ子供が憎いはずが無い。だけども自分が女神の血から受け継いだ聡い頭脳がそれを選んだ。
――親を信じない心を教えることを。
「アンジェ……ごめんな」
傍らに控えていた中年を過ぎた騎士がそっと腰を落し、彼女と視線を合わせる。その謝罪の言葉にただ首を振るしかない。娘であるユーフェミアを王女として扱い、王位を継げない彼女の弟を放り出すのを決めたのは自分だから。そして父すらも明かさない様にしたのは自分。残酷な選択をしたのは全て自分。
ただ、願ったのは前例を覆せる王となること。だけどもユーフェミアの能力を話では聞いていたがあれ程までに強烈だとは思わなかった。――だけど怖じ気付いてばかりはいられない。
「今はあの子の予知に従って。想像できる災厄を全て洗い出して、対応策を」
「かしこまりました」
例えそれが数十年後に起こる事だとしても最小限に食い止めるにはいつから始めても早すぎることはない。
遠からずこの立場を明け渡す日が来る。その時に少しでも重荷が軽くなるように、愛してやることが出来なかったあの子への罪滅ぼし。その思いがいつか届くと願って。
+++++++++
重々しい足取りで一人の廊下に立ち尽くす。先程の急激な予知にまだ体がふらついている。いつもならば耳鳴りと共にやって来る予知の衝動。予知の光景は余りにも無惨で吐き気がこみあげてくる程だった。
『ちょっと、大丈夫?』
(あんな未来……来なければいいのに)
頭の中に響き渡る声を無視して思わず蹲る。
予知は口に出せば変えられる運命となる。多くの場合、人の宿命を乱してはならないと言うが死ぬ運命が待ちどおしい者などいる筈がない。
「ユーフェミア様……どうかなされましたか」
蹲る王女の顔を覗き込むのは空色の瞳を持った女騎士。少し気弱そうな表情はいつもの事。ユーフェミアは一言大丈夫、と掠れた声で呟いた。
「リディアス団長からユーフェミア様の任務に同行するようにと命令されました」
「リディアス……? 彼、私が賜った命令を知っているの?」
困惑の表情を浮かべて問われてもどのように答えれば良いのか分からない。彼女はただ言われたことを言ったまでで内容の詳細など知る筈がない。
「あの……えっと」
「セルディア、自分の言葉には責任を持て」
団長、と思わず呟いてしゅんと項垂れる。話を終えたのを見計らって迎えにきたつもりであったが、どうやらこの女騎士――セルディアに先を越されたらしい。
「元から話を知っていたの?」
「途中から立ち聞きしてこいつを呼んだんだ。セルディアなら事務仕事だけは完璧にこなすからな」
にやりと笑ってセルディアに眼を向ければ貴方が仕事を押しつけるからです、とぷんぷん怒って見せる。そんな二人のやりとりに一人納得するとユーフェミアは握りしめてクシャクシャになった資料をもう一度眼を通した。書かれてある記述には怪しい少女、干からびた死体、犠牲者、レイヴァス王国など奇妙な記述ばかり。これをセルディアが調べるとすればかなりの時間が掛かってしまうだろう。
――それでは遅い。
犠牲者が出ている以上、迅速に動かなくては更に増えてしまう恐れがある。それを補うにはやはり、学者の力を借りずしては出来ない。だが、果たして戦うことが出来る学者などいるだろうか。
「俺は一緒には行けないがな、助言だけはしてやれる。もし、何かあれば来い」
そう言ってくしゃりと不安そうに見上げてくるユーフェミアの金茶の髪にそっと触れる。柔らかな感触にふと笑みを零すとリディアスは外套を翻して二人に背を向けた。
悠々と消えゆくその姿を見つめながらふと思う。本当に自分がこれを解決できるのだろうかと資料を見つめる。
『一年前より発生した不審死の件。レイヴァス王国の騎士留学から始まる。多くの死体は干からびた形状で発見されているが詳しい死因は不明。生き残った者の話によると事件が起こる直前に黒の少女が目撃されている。その人物の関与は大きいだろう』
大まかな内容だけのそれに詳しいことを推し量ることは出来ない。眉を潜めて唸る彼女にセルディアがどうしたのだろうかと首を傾げる。
「悩んでも仕方が有りません、ひとまず学者塔に参りましょう」
「心当たりでもいるの?」
えぇ、ちょっとと笑ってみせる彼女にユーフェミアはただ片眉を上げて見せただけだった。
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