光のラナンキュラス

Act.1 秘められた才能


 見上げれば長く続く階段。どこまでも、どこまでも続くその道に軽く嫌気が差してくる。最上階からほんのり差し込む光はまだ遠い。すたすたと昇っていくセルディアの後を追いかけるユーフェミアの足はもう限界だ。弱いとは言えども騎士として鍛錬を続けている彼女に体力で敵うはずもない。ふと苦笑すると踊り場まで登り切り、ぐっと体を伸ばす。奇妙な音を立てて鳴る背中に疲れ切った体を痛感する。

「あとどのくらいあるの?」

「もう着いてもおかしくは無いのですが……迷い、ましたかね」

『この子はいつもいつもやってくれるわね』

 頭の中で響く声に同感だ、と呟いてげんなりと顔を歪めてみせればセルディアは眉を八の字にして項垂れてみせる。だが、いつまでも学者塔でこうしている訳にもいかない。
 ユーフェミアはふと溜息を吐いてもう一度最上階を見上げる。
 その時、薄手の冊子が一つ階段から足下へ落ちてきた。それは薄紫の装丁がなされた小綺麗な本。拾いあげて中身を簡単に捲ってみれば、少し癖のある字が並んでいる。

「随分と古い本ね……かなり経ってそうだけど」

「うっわ、やっべ……失敗したな」

 かつりかつりと階段を降りてくる音にふと顔をあげる。ゆったりとした螺旋階段から降りてきたのは一人の男性。服装から見る限り武官の様な動きやすい格好はしていない。そして、その手には驚くほど積み重なれた本の山。

「やっと見付けましたよ、アルフ! 散々探したのに何処に行ってたのですか!」

「きゃあきゃあ騒ぐなよ、耳が痛てぇ」

 苛つくセルディアを軽くあしらって二人の間を擦り抜けていく男性に呆気に取られる。更に言えば、こんなに強気に出るセルディアを見たことがない。何時も弱気で時折ユーフェミアの背中に隠れていた幼い頃を思い出す。

「貴方に用があったから探していたのです! その様な扱いは無いでしょう! 大体貴方という人は……」

「その本、気に入ったか」

 階段を降りながら、ぼんやりと二人のやりとりを眺めていたユーフェミアは急に声を掛けてきた男――アルフに思わず戸惑ったが素直に頷いてみせた。

「えぇ、ざっと見た限りでは文章よりも字に特徴があるみたい。連綿だけどそんなに長く続いていない。まるで人が呼吸するみたいに緩やかな流れ。これは文学というよりも芸術じゃないかしら」

「やるねぇ、お前には芸術の目が備わってるみたいだ」

 そう言って空いた方の腕を突き出してきたアルフにそっと手をおいて、今まで上がってきた階段を降りていく。一段、また一段降りる度にアルフの濃い金の不揃いの髪がふわりと揺れた。

「文字の流れに着目できるなら文章も読めるな?」

「これは……今使っている文字よりもかなり前ね。第一世代の文字と似ているようだけど、中間かしら」

「ご名答だ。これは第一世代と第二世代の中間の文字。時代に直せば女神の時代より少し後かな」

『いいえ、これは私が書いたものよ』

 再び響いた声にえ、と息を呑む。この声の主は嘘を吐いたことは無い。心に静寂をもたらして声の主の様子を伺うが平然としているようだ。ユーフェミアは徐にアルフレートに向かって首を振った。

「いえ、違う。これは御筆だわ……女神の直筆」

 その言葉にアルフは足を止めてまじまじとユーフェミアを見つめる。まるで奇異なものを見るような視線に顔を逸らしたが彼は直ぐに王家の特権を思い出して納得したようだった。
 王家だけに入出を許された聖なる部屋、確か其処に王国の始祖フィーリが書いたとされる文字が飾ってあったと言われているがユーフェミアは入ったことがない。恐らく女王として女神の名を冠すれば見られるものなのだろう。

「さっすが博識だな、うちの王女さんは。なぁ、セルディア」

 完全に自分のことを知らないと思い込んでいた。彼女を【あんた】と呼んだ時点でそう判断したが、どうやら彼は元からその様な口調らしい。それにあの本を敢えてユーフェミアの目に触れるように仕向けたのだ。王女と知っているのなら彼女の不思議な噂の数々は耳にしている筈。
 それに漸く気が付いてアルフを睨みつければ、彼はただ笑っただけだった。

「学者の巣窟へようこそ、姫君。俺は此処の天才、アルフレート・ゲールダインだ。あんたの弟とセルディアの幼馴染み、且つ教育係だ」

 女神の後継者である王女でさえも【あんた】呼ばりするこの男。確か幼かった頃に弟から話を聞いたことがある。それにあの頃、王宮内でも注目の的だった。

「まだ十にも満たない子どもなれど、その知識は博士に引けを取らない……貴方だったのね」

「へぇ、俺とあんたはそう変わらないのに覚えてたのか」

 覚えていたというより強く印象に残っていたのかもしれない。多くの文官は自分を寵愛してもらおうと必死に取り入って来る。だが、その中で王位は継承できない王子だとしても流れを汲む者を頭から怒鳴り付け、大泣きさせていた。
 尤も、その後王子が泣きついたのはユーフェミアにだったが。

『“あの子”が出ていってから秀才の話は聞かなくなったものね』

 小さくうん、と呟けば響く声は昔を懐かしんでいるようだった。
 再び歩き出したアルフレートの腕に手を置いて階段を下りていくと大きく重厚な扉の前で足を止めた。何だろうかと、彼を見上げればその部屋が彼の執務室らしい。

「わりぃな、開けてくれ」

 王女でさえも顎で使う彼は恐れを知らないのだろうか。だけどもへつらわれるよりか、ずっと良い。それは彼と同じ人間として見られていることだから。
 ユーフェミアは素直に扉を開け放つとそのまま部屋の中に入る。締め切られたカーテンを開ければ、流石は学者塔、眺めだけは一級品だった。

「相変わらず埃臭いですね。姫様、ご気分は大丈夫ですか?」

「宝物庫よりはマシよ。それより……」

 余りにも殺風景な部屋に一枚だけ貼られている図形のようなもの。抽象化されてはいるが細かな情報が小さな字でぎっしりと書かれている。

「あぁ、これは俺の宝物。価値は人次第って奴……この世界の地図、さ」

「なら、此処はフィーリね。それにレイヴァス、アルディード……他にも色々。世界ってなんて広いの」

 軍師や政務官でさえもこんな細かい地形や情報、知らないはずだ。それを一介の学者がこんなにも詳しく知っているのだろうと疑問に思いながらも魅入ってしまう。感嘆の息を漏らすユーフェミアにアルフも満足そうににやりと笑った。

「おい、セルディア。奥からフィーリの地図を持ってこい。破ったらぶっ飛ばす」

「そんなに大切なら自分で持ってくれば良いでしょう!」

 全く、と呟きつつも素直に奥へと消えていくセルディア。そんな彼女を一瞥するとアルフはユーフェミアに向き直り、先程とは違う真摯な瞳を向けてきた。

「話はあらかた聞いている。騎士の失踪の件だったな……見たくないモノを見るかもしれないぞ」

 見たくないモノ、それは多分騎士達の死体。志半ばに倒れた彼らは国のために戦うことを決めた者達。戦いでも無いのに命を落とさなければならなかった彼等。弔いの意味でも、これ以上犠牲を出さない意味でも、このままにしておくことは出来ない。

「心配には及ばないわ。私だって覚悟があるから受けたのだもの」

「本当に、そうか?」

 え、と目を見開けば奥からアルフを呼ぶセルディアの声が響き渡る。彼は静かにやれやれ、と呟くと奥へ消えていく。その姿をただ見つめるしか出来なかった。
 自分の覚悟が本物かということを問いたかったのだろうか。自分自身にそれが本物かと問うても答えは帰ってこない。なぜなら未だ経験したことがない出来事で分からないのだから答えようが無い。

「ほら、さっさと運べ。騎士だろう!」

「騎士は肉体労働者とは違います!」

 奥から騒々しい言い合いをしながら入ってきた二人。その手で支えられている地図らしきものは意外にも小さかった。

「それが地図?」

「見てびっくりするなよ」

 そう言われて身構えた途端、軽い目眩がユーフェミアを襲う。それはいつもと変わらないあの前兆。

(――来る)

 ぎゅっと目を閉じて鋭い衝撃に耐える。
 脳裏に浮かんだ光景は暗い森の中で何かを見下ろす、純白の衣に身を包んだ女。ゆっくりと口元に添えた手は赤く染まっている。そしてそれとは別に此方を見つめる一対の漆黒の瞳。余りの気味悪さにうっすらと瞳を開ければ広げられた地図の一点が静かに輝いた。

「此処だわ」

 そっと指差して視線を二人に向ける。するとアルフは驚いた表情を浮かべた。セルディアは何回も彼女の能力を見ており、それがどうして祈祷魔術とは別なものと言われるのかも理解している。
 暫くすると立ちくらみのように白黒していた光景がどんどん鮮明になってきた。

「ジナステラ地方……まだ変死体は出てない所だぜ」

 ユーフェミアが指差した場所はフィーリ王国南部ジナステラ地方駐在騎士団。四方に別れている騎士団の中で唯一犠牲者は出ていない場所。
 まだ一度も行ったことが無い場所ではあるが、あの衝動は予知以外の何物でも無い。

「姫さまがおっしゃったことに今まで間違いはありませんでした。直ぐに行きましょう!」

「ちょっと待て! 俺が知る限りでは予知の能力を持っていたものはただ一人しか知らない。しかもそれはその一人だけに与えられる限定的な能力として言われてきた。――その法則を破ったものは見たことがない」

 そこまで言って口をつぐむならばいっそ言わなければいいのに、と思う。アルフの言いたいことはユーフェミアには良く分かっている。予知は神の示唆する未来を読み取る、つまり女王しか視ることのできない予知が何故ただの王女に視ることができるのか。

「――行きましょう、ジナステラへ」

 全ての疑問を遮るようにユーフェミアは静かに呟いた。



+++++++++



『君が笑ってくれれば、俺は親不孝と言われても構わない。君さえいてくれれば、俺は死ぬまで盾となり、矛となろう』

 愛する人がユーフェミアに誓ってから早半年が過ぎている。あの時の言葉が色褪せるかとなく鮮明に蘇った。
 砂利道をがたごとと大きく揺れながら歩く馬車に三人が腰を下ろした中は大の大人が三人も入っているのだ、落ち着けるわけがない。アルフレートが護身用にと持ってきた長槍のせいでかなり中は狭い。

「ジナステラは南部、だから穀物の生産が盛んだ。あとはその加工だな、結構珍味が多くて面白い」

 馬車に乗る前にいつの間に買っていたらしい飲み物を口にしながら話すアルフの話を聞き流しながらぼんやりと外を眺めた。

「フィーリ王国は中心に巨大な山脈を持った島国だ。鉄鋼石や特殊な金属、オリハルコンが眠っているとか言われているがあと三十年くらい経たないと開発が進まないと思うがな」

「オリハルコンとは……伝説上の金属でしょう? 見たこともありませんし、実際使われているかなんて……」

「馬鹿だな。オリハルコンはフィーリ王国特産って訳じゃない。南方のレイヴァスやアルディードになかった訳じゃない。加工できるのは片手で数えられるものだけ。それを考えればまだあるんじゃないか?」

 二人の話が熱くなっていくのを聞きながらふと思う。伝説上の金属、オリハルコンがあればもっと武器の発達をしているはずだ。だが、実際その二つの国とフィーリ王国の武器製作の技術はそんなに変わらない。ならばオリハルコンという金属自体が認識されていないような気がする。

「オリハルコン、ねぇ……」

 ぽつりと呟く。
 きっとその金属が加工出来るものとして民衆に広く認識されれば武器は増える。そうすればまた戦いが行われるようになる。
 ふと憂いの表情を浮かべたユーフェミアにセルディアが慌てて話題をすり替えた。

「……そういえば、アルディードやレイヴァス王族には特徴ある魔術が発達していると聞きますね」

「あぁ、そうだな」

 全く興味が無いという口ぶりをして見せるアルフにがっくりと肩を落として見せる。流石は学者、自分に興味のあることは素晴らしく分かるが、興味の無いことはからっきし知ろうとはしない。
 暫く異様な沈黙が続いた中、声を上げたのは馬車使いだった。

「な、なんだありゃ!」

 奇声とも、悲鳴とも言えるその言葉にアルフレートがいち早く馬車から飛び出す。それを追うように馬車を出たセルディアを追い掛けようとしたが。

「姫さま、なりません!」

 馬車から顔を出した瞬間にセルディアが立ち塞がる。その顔に緊張の色が浮かんでいる理由はただ一つ。

「死体でもあったの?」

 その言葉にびくりと体を震わせた彼女を押しのけて馬車から飛び出せば、そこには異様な光景が広がっていた。
 干からびた人間の体がふらふらとこちらへ向かって来る。それをアルフレートが長槍を一閃して弾き飛ばすものの、床を這っていた体は再び起き上がり、こちらへ向かって来る。

「久しぶりの運動は大歓迎だが……これは流石にしつこいぞ!」

 一体だけだから何とか保っているものの、これが複数だと思うとぞっとする。彼が勢いよく駆けて回し蹴りを放った瞬間、骨が砕けるような嫌な音が響き渡る。後ろに飛びのいて様子を伺えば、まだまだ死体は人間としては異様な形をしながらもやる気十分らしい。

 ――がちゃり

 戦いのせいで鋭敏になった聴覚が何かを捉える。馬車の扉が閉まる音でもないその音に振り返った瞬間、頬を何かが駆け抜けていった。

「あ、ごめん。掠ったわ」

 最近使い始めたから上手く当たらないのよ、と呟くユーフェミアの手にあるのは機械仕掛けの弓――即ち、ボウガンと呼ばれるもの。あっちこっち弄っては見るものの、命中が悪いらしい。だが、死体は矢を食らい、その勢いのまま木に打ち付けられている。
 壮絶な威力を発揮するボウガン、何故彼女が謝ったのかわからなくてぴりぴりし始めた自分の頬に触れれば血が少し滲んだ。

「そんなもん振り回すな、バカタレ!!」

「失礼ね、応戦してあげただけじゃない」

 呆れたような表情を浮かべたユーフェミアは静かにボウガンをセルディアに預けてそっと前へ出る。
 木に打ち付けられた死体はなんとか逃げ出そうとしているようだがボウガンの矢からは逃れられないらしい。その様子を静かに見つめると哀れむように呟いた。

「……死体を使うなんて酷すぎる」

「近付くと危ないぞ!」

 今はもうアルフレートの忠告する声も聞こえない。
 まるで人形でも扱うような行い。嘗ては生きていて、鼓動を打っていた肉体が必死にもがく姿を目に焼き付ける。するとユーフェミアはそれに敬意を払うようにそっと両手を組んだ。

「《女神の血の下に集いし力、我が切なる祈りを天へと捧げ、汝の安らかな眠りを望む》」

 その言葉は余りにも優しく、儚い声音で紡がれる。木に打ち付けられ、苦しみ続けていた死体は淡い光に包まれると静かにその姿を消していた。もう其処に死体があったということさえ、分からないだろう。血溜まりも腐臭もそこにはもう無かった。

「これが祈祷魔術……」

 じっとユーフェミアを見つめていたアルフレートの横にはいつの間にかセルディアが佇んでいる。祈ったまま、今だ動かない彼女を待つように二人はただ見守っていた。

「祈祷魔術は聖人の御心を持ったものが低確率で行うことができる魔術と言われています。世界に、いえ……三国で存在する三系統の魔術で唯一浄化、癒しなどの力を持っています」

 魔術には疎いアルフレートに説明するように呟くセルディアはどうやら詳しく知っているらしい。幼い頃からユーフェミアに付き添って生活していたが故に、その稀なる能力を見て来たのだろう。一切の動揺は見られなかった。

「姫さまは色々なものを背負いすぎているのです」

「あぁ、そのようだな」

 女神の血を汲んだ王女、予知即ち先詠みを行う女性、そして祈祷魔術を扱える魔道士。三つの顔を持つ彼女がどうして常人のように過ごせていたのか、それは恐らく王都の外に出たことが無かったからだろう。
 外部からの刺激は彼女の能力を駆使させ、更には名をも知らしめてしまう。その結果、生じる負担は想像以上である。能力を持つが故、持たぬが故の苦しさはお互い熟知しているつもりだった。

「さぁ、此処でのやるべき事は終わったわ。ジナステラへはあとどれくらい?」

「あと半刻もしないうちに着きますね。参りましょう」

 そう言って馬車に歩みよるセルディアとアルフレートにふと笑みを浮かべる。仲が悪そうに見えても実際仲が良いから喧嘩をするのだ。羨ましい、と思いつつ馬車に足を向けた瞬間鋭い何かが背中に広がる。
 粟立つ肌を押さえることが出来ないほどのどす黒い波動。動かない体を叱咤しつつ、視線だけをそちらに向けると黒い何かが見える。

 ――あれは人、だけど。

 もっと鋭い、獣のような殺気にはっと振り返る。そこに佇んでいたのは漆黒の髪の少女。木陰に潜む闇に紛れて此方を見つめる瞳は何処か狂喜に満ちている。目を離せば心臓をえぐり取られそうな、そんな雰囲気。

「おい、どうかしたのか」

「え? あ……」

 ぶっきらぼうに肩を掴んだアルフレートに慌てて目の前にいる少女を指差そうとした瞬間、もうそこには誰もいなかった。

「日暮れまでにはジナステラに着きたいだろう? さっさと乗れよ」

 普段の自分だったら文句一つ言い放つであろう自分。だけどもあの強烈な雰囲気と慣れない遠出に段々口数が減っていく。
 再び馬車に乗り込んだ彼女は変わらずに喋り続けるアルフレートをよそに一人、眠りに落ちたのだった。


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