月光のラナンキュラス
Act.3 武の蒼王と朱の女帝
精霊の加護を一身に受けし国家、レイヴァス王国。そこは二十四年前に起きた悲劇を乗り越えて三年前に漸く待ちに待った安定が戻った国家。既に亡くなったとされていた王子二人が帰還したことによって即位当時はお祭り騒ぎではあったが今は落ち着きを取り戻している。
だが、昔を取り戻しつつある王国内で誰よりも奔走している人物が一人いた。
「陛下、お待ち下さいませ!! まだ執務は終わっておりませぬ!!」
「……少しくらい休ませろ」
「あと一枚の辛抱に御座いますーー!!!」
廊下を平然と全力疾走する国王を前に必死で追いかける紺髪の男性。だがその足は直ぐに遅くなり、終いには膝をついて息を整え始めてしまった。無理もない、かの国王は傭兵として腕を鳴らした人物。文官如きに体力に負けるはずがない。だが分かっていても追いかけなければ補佐官としての顔が立たない。
「ヘンゼル、また?」
しゃがみ込む彼――ヘンゼルの表情を伺うように覗き込んできたのは赤毛の女性、というよりはまだ幼さの残る顔。見慣れたその姿に彼はほっとしながら廊下に腰を落とした。
「グレーテル、済まないけど……」
「構わない」
無口な彼女は表情もあまり変わることはない。けれども長く付き合いがあれば纏う雰囲気だけで何が言いたいのか、何となく分かった。
ヘンゼルとは違い、グレーテルは生粋の武官であり、更には政を司る一族、デーべライナー家の守護士でもある。今では体力を有り余している王子率いる直属部隊の副隊長もこなしている。その華奢な身に関わらず体力はあの国王に引けを取らない筈だ。
「部屋にいて。ユーディ、居るから」
そう言い残して颯爽と駆けていくグレーテルに静かに手を振ると彼は溜め息を吐きながら立ち上がった。政治を知らない国王の相談役となってから二年が経とうとしている。即位後の一年は荒れ果てた国内を建て直すことで精一杯であったが復興の後にはすぐに政治が始まる。知識の乏しい国王を心配してデーべライナー家当主のユーディトが彼を相談役に推薦したのだが、想像以上に大変だった。
一つは根を詰めすぎると国王が気晴らしという名の脱走をすること。もう一つが自分の立場だった。
「これはこれは……ヘンゼル殿。ラドミアーナ家の家名を上げる画策は如何なさいましたか」
「陛下がまた脱走したようですが、つまらない話を聞かされてお怒りになったのでは?」
向こうから歩いてくる文官二人がくすくす笑いながらこちらを見る。政務についている時は部下として忠実に従うがこういうときの彼らは厄介極まりない。
反論する気力も失せてユーディトが待つ部屋へ戻ろうとした時だった。
「その言葉、上官に対する侮辱だな」
「い……イアン様!」
廊下の手すりに腰かけて頬杖を付きながら冷たい緑の瞳を向ける青年にヘンゼルは静かに膝をついた。
怯む文官に歩み寄る度にふわふわと柔らかな金髪が揺れる。それが逆に威圧感となるのだから不思議である。
「弁解はあるか。……まぁ、法のエーレンフェルスの前では無駄だがな。散れ、明日から来なくて良い」
失礼致しましたと頭を下げる彼らに軽く舌打ちをする青年――イアンはさりゆく文官に冷たい視線を向けていた。
「イアン様……その」
「あー。いいよ、めんどくさいから。どうせあぁ言っても来るだろうからさ」
先程の凛とした態度を一転させ、眠そうな欠伸をしながら目を擦るイアン。やる気があるのか、ないのか分からない人物であるがその正体は法のエーレンフェルス家の当主クラウスの息子である。
余りのやる気の無さと放浪癖に呆れ果てたクラウスが陰ながら嘆いてはいるが、その能力は父譲りである。本人は性格も、と主張しているが――。
「テオフィールの兄貴はどこいった? つーか、俺徹夜でまとめた書類渡して早く寝たいんだけど」
「今、グレーテルが追いかけてます。あと五分くらいで捕まるかと」
「あぁ、じゃあコレお前に預けるわ」
「駄目です、御自分でお渡しして下さい」
内心、どうして城の人々はこんなに曲者揃いなのだろうと思うときがある。能力は飛び抜けているのに性格に難がある人々は常識なのかと思ってしまう。ユーディトが待つ部屋へ向かう途中で寝始めるイアンを引っ張りながら中へ入ると既にグレーテルに捕獲されたテオフィールがそこに座っていた。
「ヘンゼル、任務完了」
表情のない目元とは打って変わってうっすらと口元に笑みらしきものが浮かんでいることから恐らく大分凄まじい攻防戦があったのだろう。テオフィールもどこかすっきりしたような顔をしていた。
「全く陛下も大人げない……」
「許せ、ユーディト。たまには暴れないと身が持たん。グレーテルにはすまないが良い運動になる」
呆れた顔をしてテオフィールの額の汗を拭うユーディトはまるで姉のように見える。その様子に微笑むと微睡んでいたイアンも漸く目を覚ました。
だが、彼はそそくさとテオフィールに書類を渡すと大あくびをしながら邸宅へと戻っていく。いつもなら用もないのに居座る癖に今日だけは違う。何かあったのだろうかと首を傾げた時、入れ違いのように入ってきたのはイアンの父親であるクラウスだった。
「陛下、少しお話が……ユーディトも来なさい」
まるで父親のようにテオフィールとユーディトを呼び出すクラウスはいつにも増して眉間に皺が寄っている。何かあったのだな、と薄々察しながら二人は彼の後に従った。
辿り着いたのは余り出入りすることのない地下の回廊。レイヴァスの城には回廊ごとにそれぞれ名前が付けられているがこの場所は数回しか足を踏み入れたことがないため、名を知らない。だけども漂う冷気に何が嫌な予感を感じたのはテオフィールだけではなかった。
「クラウス様、此処は……」
「昨日の夜に国家間で緊急連絡に使われる水鏡が作動しました。連絡の相手はフィーリ王国第一王女、ユーフェミア殿下でした」
先を歩きながら話を進めるクラウスの声にじっと耳を傾けながら長く続く階段を降りていく。漸く階段も無くなり最下層に来ると既にドレッセル家の当主イーナ、王太子エリク、ブラントミュラー家の代理当主クレアがそこにいた。
「連絡の内容は?」
「留学に派遣した騎士が行方不明となったそうです。生死は不明……ですが、居なくなった場所では血痕があったと」
それでは死んでいる可能性もあるのは否めない。テオフィールは難しそうな顔をして眉間に皺を寄せると静かに水鏡に歩み寄った。
重力に逆らって立てて置いてあるにも関わらず緩やかに水面は静寂を保っている。
「陛下、派遣した騎士は上位の実力の者ですよ? それを手負いにし、連れ去るなど難しいと思います」
長くなった金髪を耳にかけて真剣な表情で呟くのはクレア。軍を司るブラントミュラーとして、騎士の管理は抜かりないと自負している。本当ならば留学なのだから若いものを派遣すれば良かったのだが、国の体面上そうはいかない。レイヴァスの騎士としての誇りも保たなくてはならない。
「クレア、お前に責はないさ。ただフィーリ王国の王女が報告してきたのが気になって、な」
「確かに! フィーリの王女様って中々人前に出ないんだよね?」
「えぇ、私が一度客として行った時も余り前には出られなかったわ。ユーフェミア王女殿下の性格は控えめ、とは言い難かったけれど」
大きく頷いて問いかけてくるイーナにユーディトは手を口元に添えながら呟く。確かあれはブリガンティアの戦いに勝ってから一年後だった。皆は復興に忙しかったけれども国としての機能もしなくてはならないとして、社交場に慣れているユーディトが出向いて行ったのだった。
「結局王女様は報告だけか? 何か動いてほしいから連絡してきたんだろ、このでっかい装置で」
「うむ、その怪事件がどうやら一回ではないらしい。今まではフィーリの騎士だったから内密に出来たが他国の騎士ではそうもいかない。これはひとつの配慮です、エリク王子」
ややこしいな、と一蹴したエリクに厳しい顔をしたユーディトとクラウスに彼は慌てて小さくなってテオフィールの陰に隠れる。そんな弟の後頭部を小突いて話を戻すように促した。
「我らの成すべき事は立場を明らかにすることです。人の命が一つ失われております。強く出て何かを要求することも出来ますし、一歩引いて協力することも出来ます」
「強くでれば何かを得られる可能性はある、と?」
「でもあちらは女性主権国家、口が達者な女王陛下に口下手で一言足りない我が君が丸め込まれないとも限りませんわ」
その一言に思いっきり吹き出したエリクの背中をイーナが持っていた杖で思いっきり叩くと噎せたらしく、激しく咳き込んでいた。
本来ならば一臣下が次期国王に危害を与えたとなれば不敬罪で即刻処刑される。だが、元々旅の仲間だった彼等にとってそれは幾つ命があっても足りない法律の為にクラウスも敢えて目を瞑っている。
「王女が出てきたというなら俺かエリクが対応するしかない……まぁ良い、協力体制を取ろう。ただし、事件の詳細を完全に把握することが条件だ」
「それでは騎士を送りますか」
素早く進言するクレアにテオフィールゆっくりと首を振ると視線だけを動かして一点をじっと見つめた。
「……え、俺?」
集まる視線に動揺しながらも向けられた兄の視線に本気だと悟るのは少し時間が掛かった。
エリクとて元々は傭兵として兄テオフィールと共にその名声を高めた人物。フィーリ王国の監視と情報収集くらいは簡単である。だが、その見た目とは裏腹に自尊心よりも先立つものがあった。
「まさか、俺一人で?! 情報収集苦手なんだけど!」
「勿論分かっているさ。いつもその為に徹夜して仕事をしてくれば、お前は爆睡。この溜まった恨み、此処で晴らさずしてどこで晴らそう!!」
傭兵時代の鬱憤を今ぶつける国王とその対象となった王子。即位した頃には見られなかった二人の本来の明るさは母親であるエルフリーデと良く似ているとクラウスは呟く。だが、前に比べて最も変わったのはテオフィールの方かもしれないとイーナは笑いながら考えていた。
出会ってからの暫くは表情は本当に些細な動きしかしなかった。一言くらいしか離さずその視線は厳しく常に緊張感があった。そんな彼が穏やかに居られるのはきっと穏やかで仲間に囲まれた日々が訪れたからだろう。人は変われると彼女は確信した。
「殿下お一人ではもしもの時に困りますわ。目付けとしてカイザーをお連れください」
この場には居ないがカイザーはユーディトの従弟にあたる。両親を早くに亡くした彼女が当主としてたった時から全力で支えてくれている人。緊急時の対処はブリガンティアでの戦いの時に習得している。一緒に連れていくには申し分ない人物である。
「分かった……そうして貰おう。クレアは他に所在不明の騎士が居ないかどうか調査を、イーナはフィリーネと連絡を取ってくれ。繋がり次第、俺に」
即位してからの三年間一度も大きな事件は起こった事はなかった。だけども何度か経験しているかのように指示をしていくテオフィールにクラウスは彼の父親、フォルクマールを見ているような気がした。あのような悲劇がなければきっと今も王として執務をこなしていたのだろう。人というのはいつ何が起こるか分からない。それを息子であるイアンが早く悟ってくれればいいと内心感じながらユーディトと共に階段を上がっていった。
「はーい。テオ、繋がったよ!」
緊急用の水鏡を普段使われる通信具の魔力の波長と合わせて半ば無理矢理に回線を繋いだのだが、意外にも透き通った映像が送られてくる。流石は魔を司るドレッセルと言ったところだろうか。
『……テオフィール、か? エリクもイーナ、クレアまで』
鏡の向こうに写し出された人物は艶やかな黒髪を結い上げて簡単に髪飾りを着け、ゆったりとしたドレスに身を包んでいることから今日は執務に追われる日なのだろうと察する。
「忙しいところすまない。緊急の用件でな」
友人として、即位式典から言葉を交わしていなかった二人であるが、一国の王という立場上話し合わなければならないことは山のようにあった。
『先日の貿易関税の件は元老院の採決待ちだ。航海船の受け入れには少し時間が掛かるが当分は貿易用の港を使わねばならないんだが……』
「あぁ、でも今回はその話ではないんだ」
書類をまとめながら話していたフィリーネの手が止まる。視線だけをこちらに向けて暫く見つめると何かに気がついたように腕を組むと眉間に皺を刻んだ。
『……エリクが変なことを口走った訳ではないだろう? どうせ気の迷いだ、私にはまだそんな……』
「ストップ、ストーップ!! その話はまた今度行ったときに話すから最後まで話を聞けー!!」
真剣な顔をして話し始めるフィリーネを慌てて止めるエリクにあからさまに疑念の目を向ける。時々王宮を抜け出しているという話は聞くがまさかアルディード帝国に行っていたとは思いもしなかった。
傭兵時代の最後の任務を成し遂げた二人を見守った近衛騎士、あの時は一人の騎士として任務についてはいたがその立場は皇帝の後継者。その役目を全うする形となったがもう彼女は自分の決断に従順に従っている。
「フィーリ王国でうちの騎士が消息不明となった。そっちの騎士に異変は無いだろうか」
『今の所報告は上がってないわ……何故レイヴァスの騎士が消えるのだ。フィーリ王国からはそんな事一言も来ていない』
「だろうな。昨日連絡してきたのはフィーリ王女だ」
不思議そうに目を見開くフィリーネにテオフィールも頷く。本来国同士が関わる事項には頂点、つまりは王が王に報告しなくてはならない。それは一つの国としての常識であり、相手国の礼儀である。だが、王女――後継者が報告をするということは女王は無関係であるということ。
『アンジェリカ殿は何を考えておられる……』
「フィリ様、もしかしたら試していらっしゃるのでは……王女殿下を」
それまで黙っていたクレアが水鏡を瞬きせずにじっと見つめる。その視線に突き刺さる棘のようなものを感じながらフィリーネは考え込む振りをしてわざと視線を反らした。
「クレアの意見にも一理あると思うぜ、俺も同じ立場だからな! ……ていう事であの話はまた今度な」
『え、えぇ……』
手を振るエリクの後ろから睨むように視線を向けてくるクレアの行動の理由が漸く分かって苦笑を浮かべる。身分という壁も無く、親しい彼女達を嫉んで羨んでいるのだろう。通信魔道具から姿を消した友人の姿をそっと手でなぞりながら溜息を吐く。
この前久しぶりに来たエリクが彼女に告げた言葉を思い出すとクレアの気持ちを踏みにじっているようで気まずかった。
「だけど……私の答えは決まっているわ」
悲痛な表情を浮かべて母に言われた言葉を思い出す。どんなに皇帝らしく振る舞っていてもフィリーネという個人を皇帝に変えることは出来ない。せめてあの人の前では自分らしくいて。それが宿命を背負わせた母の願いだった。
だけどもいつか顔を見て自分の意志を伝えなければならない。その日がいつ来るかは分からないけれどそれまでに自分を保っていられるだろうか。
『大切だと思う気持ちを伝えればいいのよ、フィリーネ』
「貴方と違って私には立場もあるのよ。簡単に言わないで、アルデシア」
脳裏に響く声は幼い頃から微かに聞こえていたけれど此処まで強くなったのは皇帝に即位してから。彼女の想いは余りにも強すぎて飲み込まれそうになるのを必死で押し止めていた。
『【朱の女帝】だものね。皮肉が一杯込められてるけど私は綺麗な名だと思うわ』
朱の女帝――それは【武の蒼王】レイヴァス国王テオフィールの対として名付けられた二つ名。同時に血に塗れた王という意味を持つ。だけどもフィリーネにはそれを忌み嫌うつもりは無かった。近衛騎士として人を斬ったことは任務であったし、国を守るためと割り切っていたから。
「人からの評価など私には無意味だ。私は私の道を行く、決めるのは私だから」
『貴方は本当に強い人ね……』
感心するように呟いたアルデシアの声はそれからは聞こえなくなった。時折彼女と会話をして感じるのは何かに強い恐怖を抱えていること。大切なものは繋ぎ止めておくべきだと幾度となく諭されてきた、勿論彼女もそうするべきなのだと分かっている。
だから今度会ったときには正直に話すから――。
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