月光のラナンキュラス
Act.4 レイヴァス王国の歪み
世界の全てを知りたいとは思わない。ただ、自分の身の回りで起こった真実だけでも知りたいと思う。それが悪いことだとは思わない。真実は誰にでも扉を開けてくれる筈、そう信じて開けた扉はもしかしたら開けてはいけなかったのかもしれない。
――もう後戻りは出来ない。
フィーリ王国の使者としてエリクとカイザーを送り出してからは執務から追われることが少なくなった。同様にヘンゼルから追いかけられる事も無くなったからつまらないと思いつつも彼は一人、王族のみに出入りを許された書庫に足を踏み入れていた。
少し埃臭いのは掃除をする侍女達が入れないからだろう、長らく誰も入らなかったその場所は薄暗く、日の光も入らないような場所だった。だけども歴代の王達がその場所を個人の私室として扱っていたのか、古びたソファーやインク、羊皮紙などが無造作に散らばっていた。
「歴代の王が片付け嫌いだったのか……もしくは父上がそうだったのか、だな」
独り言を静かに呟きながら彼――テオフィールは口許を布で押さえながら座る場所の埃を簡単に払った。国を閉じている間、国の長として頂点に立っていたライナルトでさえもこの場所を訪れていなかったらしい。足跡さえも残っていなかった。
ソファーに腰掛けながら本棚を仰ぎ見ると帝王学の初歩を記した本や王家の歴史を記したもの、国を建てたとされる女神達の逸話などが並んでいる。
「端から読んだ方が早いか……女神の逸話は確かおとぎ話のアレか?」
辛うじて届く位置にあった本を指先を器用に動かして手元に落とす。今度からは椅子を用意した方が良さそうだと思いながら本を捲ると間から何かが溢れ落ちた。小さなメモ帳のような形をしたそれは人の手によって丁寧に本状に作られたものらしい。時折はみ出している紙や糸がそれを証明している。
「新しくもなさそうだな……」
埃臭さを覚悟して表紙を捲れば少し癖のある字で統一された文章が並んでいた。その時、背筋に冷たいものが走る。感じる気配は以前会ったことがある人物のものだった。
『懐かしいな、この場所も』
ぼんやりと淡い光に包まれて現れた人物は記憶を取り戻したときに出会った女性――レイ、又の名を慈悲神レイヴァス。
「お前は確か建国の王だったな……だからか」
『歴史を知るならば正しく認識するのだな。私は百年戦争の時にリア……姉と共に死んだ身。此処は嘗て文官時代に使っていた部屋だ』
自分と全く同じ口調で話すレイヴァスは懐かしそうに部屋を見回す。そんな彼女にテオフィールは若干眉を潜めながらも再び本に目を落とした。何も言わないテオフィールを気にすること無く、生前の部屋を歩き回るレイヴァスに彼はふと浮かんだ疑問をぶつけた。
「何故、出てきた。此処に思い残したことがあるのか?」
此処が彼女の部屋ならばそれで納得が行くが幽霊と共に本を読んで過ごすのはどうも居心地が悪い。そんな心情を読み取ったのかレイヴァスは苦笑を浮かべるとソファーに身を委ねた。
『まだわからないのか。私はお前、お前は私だ……幽霊では無いから覚えておけ。お前が持っている日記帳は死ぬ直前まで書いていた私のものだ、ローレンが遺品として片づけたのだろうな。それを媒介にしてお前の前に立っている』
記憶を取り戻した時と同じ長い薄水色の外套を纏い、新緑の衣装に身を包むレイヴァスの刃のように鋭い瞳は変わらない。三年前に言われた言葉が今更ながらに蘇る。
『忘れるな、お前が何かを得て、何かを失った時、それが私が思いを託すときだ』
この言葉を思い出さない日は無かった。王位という地位を得て何を失うことになるのか。未来が見えないが故に不安に襲われることもある。王として守るものは見つけた。それは二十一年の空白を必死に埋めようとする臣下や民、そして共に国を取り戻した仲間達。それらを全力で守りきり、助けるのが王の役目。レイヴァスの言うことが本当ならば、王位を知らない彼女に何が見えているのだろうか。一度は思いが分からないと言って突き放したのは彼女の方なのだ。
「で、俺の前世は何がしたいんだ」
両腕を組んで静かに問いかけると彼女の薄水色の外套が翻る。こちらに向き直ったレイヴァスは静かに手を翳すとテオフィールの持っていた日記帳にその視線を向けた。すると日記帳はふわりと浮き上がり、彼女の手に吸い込まれるように収まった。
『かつて百年戦争の際に私は残り少なかった自分の寿命を延ばす為に理の力を仲間達に与えた。だがそれは呪いによって生まれた力、長い年月が経てば立つほど歪んでいく。それを押さえる為に私はこの日記帳を書き記した。約六百年経ったこの時代、慣れ親しんだ魂が集まるこの時では無いと歪みを正すことが出来ない』
「お前の言い方だと俺の他にも『生まれ変わり』とやらが居るように聞こえるが?」
『……否定はしないな』
と言うことは肯定か、と内心呟きながらテオフィールはレイヴァスを見据える。過去に踊らされるのは自分とエリクだけで十分だと思っていたのに彼女の謎めいた言葉に眉を潜めることしか出来ない。過去に縛られる余りに何が真実で、何をやらなくてはいけないのか分からなくなる。
『望まぬ過去は夢で逢うべし、止まったままの時間は動くことはない。一条の光をもって制するものは人の罪に苦しみ、理に生きる者は世の末を見つめる。世の終りは業火をもって終焉へ、そして始まりとなる……この言葉に何かを見出せたなら、お前の勝ちだ』
紅の光に包まれて霞んでいくレイヴァスの姿に咄嗟に手を伸ばしたが触れるか、触れないかの瞬間でぱん、と音を鳴らして消えてしまった。残っていたのは彼女が持っていた日記帳が一冊。テオフィールはそれを拾い上げると静かについてしまった埃を払った。
彼女との対話で読書する気も完全に失せてしまったが、特にやることも見つからない。執務室に戻ろうと部屋を出た瞬間、侍女達が何故か走っていく姿が多く見られた。
「……何事だ?」
一国の主人であるテオフィールの声や存在にも気が付かないほど慌てている侍女達に一人、首を傾げる。誰も報告に来ないと言うことは彼が何処にいるのか掴めていなかったからだろう。王族のみに出入りを許された書庫にいるなど想像もしなかった筈だ――その存在を誰も知らないのだから。
テオフィールは静かに気配を殺すと侍女達の後をつける。傭兵時代に培った技術がこんな所で役に立つのかと内心思いながら歩みを進めていった。幸いなことに、侍女も元は一般人であったり、貴族の娘である。人の気配に敏感なわけでもないためテオフィールにとって後をつけることは雑作もなかった。
だが、辿り着いた場所を見て彼はあからさまに眉を潜めた。出入り口にはユーディトとヘンゼルの姿。何やら深刻そうに会話をする姿に嫌な予感が過った。
「……ユーディト、どうした」
「陛下、一体何処におられたのですか……くっ」
叱責しつつも頭を押さえて崩れ落ちるユーディトに慌てて腕を取る。体調を崩すことがあまり無い彼女にしては珍しい。その表情は青いと言うよりも土気色に近かった。
「イーナが……」
テオフィールの腕に寄り掛かってしゃがみこむユーディトの荒い息を聞けば体調が悪いことなど直ぐに解る。何処かで休ませなければと彼女を抱き抱え、部屋の中に足を踏み入れれば、既に寝台に横たわるイーナの姿、そしと側にはクラウスが控えていた。
「一体どうなっている。ユーディトもイーナも倒れる等……」
広い寝台は一人では広すぎるくらいに大きい。それを良いことにテオフィールはユーディトをイーナの隣に横たえると近くにあった椅子に腰を下ろした。
「今、グレーテルが調査に行っています。病、もしくは呪術の影響など考えられますので……他にも倒れた者がいないか探しています」
今体調を崩していることが確認できているのは四大貴族の当主である二人だけ。その時、不意にレイヴァスの言葉が不安と同時に頭を過った。
『私は残り少なかった自分の寿命を延ばす為に理の力を仲間達に与えた。だがそれは呪いによって生まれた力、長い年月が経てば立つほど歪んでいく』
もし彼女の言った通りならば、古代に力を分け与えた同志達は今の四大貴族にあたる。そして先程、レイヴァスが消えたときに放っていた紅の光が歪みを正すものだとしたら、影響が出るのは今の当主達。だがエーレンフェルス当主であるクラウスに異常がないのは何故か――。
「クラウス……風の宝珠の同調はイアンにやらせているのか?」
四大貴族と王族が代々守り続けている宝珠はレイヴァス王国を守る理の加護である。そしてそれを同調し、増幅させることが当主の役目である。クラウスに何も異変が起こらないとなると思い当たるのはそれだけ。
「はい、数日前から……」
我に返ったかのように皺を刻む表情を見て静かに頷く。倒れた理由は病でも呪術でもない。
「ヘンゼル、グレーテルに伝えろ。イアンとクレアを早急に探し出せ!」
国の要でもある加護が乱れればテオフィールの持つ炎の加護だけではどうにも出来なくなる。否――寧ろ、強すぎる炎の魔力が暴走するだろう。それだけは避けなければならない。
慌てて部屋を飛び出すヘンゼルを見送りながら彼は静かに――苛立ったように爪を噛んだ。
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ふと意識が目覚めたのは闇の中だった。奥行きも高さも感じられない場所で自分が立っているのか、座っているのかも分からない。辺りは漆黒の闇と称するに等しい暗さなのに何故か自分の姿ははっきり見える。
ただ、微かに感じ取れる懐かしい気配に思わず声を上げた。
「親父?」
木霊して消えていく自分の声に考えを巡らせる。どうやら自分がいる場所はかなり広いらしい。彼――イアンは立ち上がると足元を確かめながらゆっくりと気配がする方へと足を向けた。歩けば歩くほど近くなっていく気配だけど、どうしようもなく足が重くなる。まるで体が警告しているかのように思えた。
――行ってはならない、と。
だけどもそれで臆している場合ではなかった。今いる世界が現実ではないのは当に気がついている。だからこそ進まねばならなかった。
「……めんどくせぇのに巻き込まれたな」
そう呟いた理由はただ一つ。目の前で無心に読書に没頭する、自分よりも少し年齢が行ったかくらいの容姿を持つ男性の姿があったからだ。こういう時に出てくる人物は大層めんどくさいだろう、と空想したことがあったがまさか本当に出てくるとは――。
「よう、……御先祖様」
そう声をかければ、栗色の髪がさらりと流れてイアンと同じ深緑の瞳とぶつかった。彼は少し驚いたような表情を浮かべたが直ぐに合点がいったらしい。手にしていた書物を霧散させると穏やかに笑って見せた。
『あぁ、君が今の当主かな?』
「俺は当主じゃない」
『本当に? じゃあ、君の回りに漂う強い風の魔力は何だろう』
穏やかに問いかけながらも顔をしかめる男性――ユリウス・エーレンフェルスの問いかけの意味を掴むことが出来なかった。
エーレンフェルス家が司るのは風と司法だということは怠け者のイアンでも理解はしている。それ以上のものを彼は知らない。
『風の宝珠を制御するものこそ、今の当主なのに自覚もないのかい?』
「もう一度言う。俺は当主じゃ、ない」
当主という仕事に興味を示したことはなかった。勿論、環境ゆえにそれなりの知識や情報は求めなくても入ってくる。当主となったユーディトやイーナ、クレアには簡単な任命儀式があっただけで宝珠をどうすることが当主であると言うのは一言もなかった。
――でも、もし宝珠の存在が隠されたものならば?
各家が理を司るのは宝珠を持っていると知られればレイヴァス王国に仇を成そうとしている輩に簡単に破壊されてしまう。
『宝珠は慈悲神レイヴァスの力。古に託された力は普通の人間である私達には大きすぎて馴染まなかった。それを秘術で肉体から切り離し、形を為したのが宝珠。今の君達が魔法を使えるのは宝珠と密接に関わっているお蔭なのさ。……でも君は違う、わかっているだろう?』
「……何を言っている?」
甘く囁くように語りかけてくるユリウスは背筋が粟立つくらい妖艶で逃げ出したくなる足をもその笑みだけで強く縛り付けた。
『君は僕、僕は君……運命の時代がやってきた。だから慈悲神自らがこの世にいる――歪みを正すときだ』
暗示するかのように連なる言葉が頭の中を駆け巡る。視線だけをユリウスに向ければ自分と同年代の印象は消え、代わりに何回も戦場を生き抜いた戦士のような鋭さのある表情がそこにあった。
『理に生きる者は世の末を見つめる――これがエーレンフェルス家の歪み』
「……歪み?」
そう言われてもよく分からない。素直に首を振れば己をイアンの前世と称するユリウスはあの鋭い表情を消して子供のように彼を抱き締めた。するとユリウスの体はまるで溶けるようにイアンの体にまとわりついて、――消えた。
それと同時に霞む目の前。何事かと膝を着いたときには意識はまた違う世界へと飛んでいた。ふわふわと頼りなく漂う自分が実感できて何かにしがみついていたくなる。だけども頼るものは何もなく、風に流されるまま。
(――これが歪みを正す? まさかな)
先程の不安も何処へやら、イアンはユリウスの言った言葉を思い出していた。
その時、突然頬に衝撃が走る。鋭い一撃に一瞬だけ頭の中がはっきりした。もしかしたら意識を失った体を覚醒させようと誰かが殴っているのかもしれない。余程の馬鹿力では無いことを願って、次に来るであろう衝撃に強く奥歯を噛み締めた。
「起きろ、馬鹿イアン」
頬に直撃したのは勢いの付いた小さな掌。その衝撃に深緑の瞳を開ければ頬を擽る赤毛と灰色の瞳。
恐らくイアンの異変に気がついた彼女――グレーテルが起こし続ける名目で叩き続けていたのだろう。頬がじんじんと熱かった。
「痛てぇ……馬鹿はねぇだろが」
「怠けて眠ったまま永眠したか、と。陛下、呼んでる」
年の頃も変わらない二人は余り顔を合わせることはない。だけども公式の席で余り喋ることがない二人は大抵一緒にいることが多かった。それに喋らなくとも互いの性癖は何となく把握できるものである。
「あぁ、俺も報告しなきゃならねぇことがあるからな」
あれは確かに夢ではない。ユリウスが彼を子供のように抱き締めた感触、幼い顔をしている癖にしっかりと筋肉が付いていて力強かった。それに決めては暖かかったこと。
二人は王城へ向かう途中も会話することなく、胸には疑問や不安を抱えながら自然と寄り添って歩いていた。周りの兵士達は二人が現れたことに特別な不信感もなく受け入れる。そして密かに噂するのだ。
『怠け者の御曹司が守護士に絞られた』、と。
そう認識してくれているのは今は都合が良い。少しでも国を動かす人間に微細な心の変動があれば兵士は不安になる。イアンは少しだけ頬に残った掌の跡に感謝した。
漸く最上階に当たる蒼空の回廊に辿り着けば痺れを切らしたヘンゼルが歩み寄る。そして叩かれた跡に気がつくと苦笑を浮かべ、彼だけに部屋に入るように促した。
「グレーテル、少しは身分を弁えたらどうだ?」
「仕事、しただけ。手段、選ばない」
それは守護士の鑑だね、と皮肉混じりに呟いても彼女は冷たく彼を一瞥して部屋に足を踏み入れる。暫くしてグレーテルが王の私室に入ったときにはクラウスの驚いた声が響いた後だった。
「ユリウス……ユリウス・エーレンフェルスだと!?」
「俺は自分の見て聞いたしか言っていない。もう一度言う、ユリウス・エーレンフェルスに『歪みを正す』と言われて、あいつは俺の中に消えた。それが事実だ」
二対の深緑の瞳がぶつかり合う。一つは疑念の瞳、もう一つは確信の瞳。それを見守っていたテオフィールは静かに記憶の糸を辿っていた。
確かユリウス・エーレンフェルスは古の時代――セーヴェリング王国時代の軍人で慈悲神レイヴァスと共に隣国ブルグナー王国に制裁を下した人物。それに現在まで続く四大貴族――法と風を司るエーレンフェルス家の始祖にあたる。
レイヴァス――レイやユリウスが言う歪みを正すことが何なのかそれを突き止めなくては寝台でこんこんと眠り続ける二人を救うことが出来ない。
「クラウス、イアンを連れて屋敷に一旦戻れ。異変がありしだい報告を……グレーテルは二人を頼む。ヘンゼル、直ちに歪みに関する資料を集めろ。俺は王家の書庫にいる……以上だ」
多分、これが今できる最良のこと。そして事の始まりであろうあの日誌にもう一度向き合わなくてはならない。テオフィールは純白の外套を翻すと足早に書庫へと向かった。
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