光のラナンキュラス

Act.5 深緑の王子と影を纏う侯爵


 水鏡を通じてレイヴァス王国と連絡をして三日が経とうとしていた。未だ消えた騎士の行方は知れておらず、レイヴァス王国側からの責任者も未だ到着はしていない。そんな状況に苛立っているのかユーフェミアはセルディアの祖父、クレーメンスが与えてくれた情報に縋ることにした。
 フィーリ王国が支配する大陸の中央部インフォンティーノ駐屯騎士団に直接向かい、目撃されたという黒髪の少女を捜そうというのだ。最早後ろ楯が女王だと言うことを忘れたユーフェミアは直ぐに馬車をインフォンティーノ駐屯騎士団へと向かわせた。

「……姫様、流石に陛下に外出の旨を言うべきだったのでは?」

 馬車の中でおずおずと問い掛けるセルディアは相変わらず騎士とは思えない細身の剣を携えて端っこに座る。それとは対照的に学者である筈のアルフレートと言えば武器である槍が長いからという理由で一人で座席を独占している。
 ユーフェミアはそんな二人を観察しながらふと溜め息を吐いた。

「ねぇ、『あの人』が私が何処に居るか知りたいと思う? どうせ話している暇があれば事を解決しなさいの一言で終わるわ。『あの人』には過程より結果が全てなの」

 母でもあり、女王であるけれども娘とも王女とも認識してもらえない悲しさからの細やかな反抗。幼い頃からそれを間近で見てきたセルディアにとっても聞く度に悲しくなる。だけどもアルフレートは平然とユーフェミアを見つめ、不思議そうに頬を掻いた。

「なら、王女なんかやめちまえ」

 ぽん、と発せられた言葉にユーフェミアはアルフレートを睨み据える。予想外の反応に首を傾げた彼は肩を竦めた。

「期待とか、役目とか背負うのが嫌なんだろ?」

「アルフ……!!」

 何も分かっていない癖に、という言葉はユーフェミアに制される。普通ならばアルフレートの反応が普通なのだ。余りに苦しいと傷ついた部分を庇おうと体を丸める。それと同じで傷ついた心を庇おうとして辺りに目を向けることを忘れていた。
 ――知らないのは当たり前なんだ。

「私は王女という立場から逃れられないの」

 弟のように逃げ出せればこの人生も少しは変わっていたかもしれないけど。
 人間とは思えないくらい強大すぎる予知の力とその身に宿るもう一つの人格。それは逃れたいと思っても簡単には彼女を放してはくれなかった。

「私の中には……この国の始祖が居るの」

 一瞬それは誰だ、と問いそうになった口を慌ててつぐむ。この国の始祖――それはこの国の名に頂いた三女神の一人、聖翼神フィーリのこと。予想だにしなかったユーフェミアの言葉にアルフレートは静かに黙っていた。

「物心付いたときから彼女が私に語りかけてくるの。それに答えれば侍女達は私を不審な目で見つめてくる。それが嫌で私は彼女と心で会話するの。……彼女が言うには私はフィーリの生まれかわりだそうよ」

 魔法が一度は普及し、学問として成り立ったことがあったレイヴァス王国では魔法を操る力――魔力は肉体が宿す魂の力の強さだといわれていた。だけどもそれを証明する術は今はまだ無い。ユーフェミアを疑うわけではないがアルフレートにとっては信じられない話だった。

「この話を知っているのは私と王子殿下、王宮騎士団長のみです。くれぐれも内密にお願いします」

 念を押すように言うセルディアにアルフレートはただ視線を向ける。
 人はひたすら誰かの特別になりたいと願うと同時に平凡に一生を終えたいと願う生き物だ。これ以上無いくらいに特別、言い換えれば異質な存在であるユーフェミアは秘密を知られることを極端に嫌う。だけども念を押したセルディアは最早彼女の体で押し止められる事柄ではないと薄々勘づいているのだろう。
 アルフレートは皆が眼を逸らしている核心を突くように静かに言葉を紡いだ。

「それはもう無理な話だろ」

「……なんですって?」

 ただでさえ猫目の瞳が更につり上がる。

「お前が宿しているのは古代の女神の魂だぞ? それが知られればお前は現女王を上回る立場になる。現人神として君臨する女王は幾ら能力を備えていようとまやかし――ただの人となる」

「だからって……私は何も出来やしない!!」

 語調を荒げて両手で顔を包み込む。もう何も見たくも、感じたくなかった。自分の中にある女神の存在は余りにも大きくてまるで十字架でも背負っているよう。脳裏でただ静かにしているフィーリが憎らしかった。

「セルディア、来い」

 アルフレートが静かに馬車を止めて外へと出る。その手には護身の槍を手にしていたためか、セルディアも自然と剣に手を伸ばしていた。

「神を宿す、か……」

「姫様は生まれてからずっとフィーリ様に悩まされてきました。貴方も肖像画で見たことがあると思いますが容貌までも一緒です。だから、髪を伸ばしているのですが……――」

「見た目だけでは変われない。あいつも分かっているんだろ」

 セルディアの水色の瞳に影が落ちる。きっとユーフェミアは人生を賭けて探し出すのだろう、自分が生まれてきた理由を。定められた宿命を。

「私達は何も出来ないのですかね」

 いつも以上に気弱になるセルディアを背にアルフレートは静かに槍の穂先を包んでいた布を解く。馬車を取り囲んでいた異変に気づいて止めたのは良いが会話している間にどうやら囲まれてしまったらしい。ユーフェミアに真実を突きつけた事ではなく、馬車の歩みを止めたことに後悔をしていた。

「しっかりしろよ、一応騎士だろ? 力でくらい守ってやれ」

「一応ではありません、叙勲を受けた騎士です。貴方のようなアマチュアとは違うんです」

 そう言って細身の剣を抜き払って構えるセルディアに彼は薄く笑みを浮かべた。これで気配に気づかなかったら見習いからやり直せと罵倒していた所だ。
 馬車を囲む邪悪な気配に敏感なのは聖なる気で守られていると伝えられているフィーリ王国で生まれ育ったせいだろうか、異質な気配には敏感だった。その邪悪な気配が目視できた時、アルフレートは静かに舌打ちをした。

「獣型……」

 何故戦いづらいものばかり襲ってくるのだろう。獣型の魔物はその見た目どおり、卓越した機動力を持つために攻撃が当たりづらい。更にそれが集団であることに、二人は眉を潜めた。

「背中合わせですか……アルフ、一人で暴走しないで下さいね」

「お前がついてこれれば問題は無いだろうが」

 二人が臨戦態勢に入ったのを合図に魔物達が一斉に襲いかかってくる。宙に身を踊らせて牙を剥くものや様子を伺って隙を見出だそうとするもの。獣であるくせに本能に身を任せて襲い掛からない事に違和感を覚えながらもセルディアは剣を振るった。
 白銀に輝く刀身は細く伸び、その回りには細かな刃が渦を巻いている。普通の剣とは違い、切ることではなく突き刺すことによってその効果を遺憾なく発揮する剣の名はフランベルジュ。力よりも技術に頼る部分が多いのは非力な彼女にとっては大きな力となる。それとは打って変わって豪快に槍を振り回すのはアルフレート。彼女の祖父から仕込まれた槍術は彼の体に叩き込まれているらしく、この大量の魔物を前にしてもその鋭さは変わることがない。それに必死についていこうとフランベルジュを下段に構えると一気に魔物との間合いを詰めて突き刺す。一瞬の出来事に魔物達も動揺した隙を見出したアルフレートが魔物の集団に飛び込んで次々に止めを刺していく。それは本当に一瞬と言って良かった。
 彼が立ちつくす周りは紅色に染まり、美しい花が咲いたかのような錯覚さえ覚える。そんな彼の元に駆け寄ったセルディアは倒れた魔物達の亡骸を見つめては眉を潜めた。夥しい絨毯の様に敷き詰められたそれは見るに堪えない。

「一応は……助かったと考えて良いのですか?」

 ぽつりと呟く彼女の言葉にアルフレートは静かに首を振った。槍を握る掌が汗と共に滑り、魔物と呼ばれる由縁を思い出して微かに手が震えていた。否定も肯定もしない彼の姿を見たセルディアは思わず剣から手を離した。
 ゆっくりと地面に吸い寄せられるようにしてカラン、と音が鳴る。騎士たる者、人を守る道具を手放してはならない。だけども今まで戦ったことのある魔物ではあり得ないことが目の前で起きているのだ。二人が全力で退けた魔物達が微かに動き始めた。それは正に奇妙な光景だった。血みどろになりながら、失った四肢を庇いながら此方を睨み据えてくる獣達に背筋が凍った。

「嘘……」

「魔物――魔が作りし闇に堕ちた生き物。その理由がやっと分かった気がするぜ」

 日常的に見ている魔物ではあるがこのような習性は確認できなかった。恐らく今まで誰も見たことがないことだろう。――やはり、異変は確実に進んでいると言うことか。隣でそれを見つめるセルディアは既に後ずさりを始めている。勿論、彼だって永遠に続くであろうこの戦いは遠慮したい。だけども馬車に残してきたユーフェミアを助けなければ。その思いだけが彼等に武器を握らせた。

「《世界を等しく巡る風の加護よ、我が血と名の元に闇に堕ちし灯火を慈悲の心で吹き消せ!》」

 不意に響いた芯のある声と共に一陣の風が舞い踊った。その風の勢いに髪が乱れるのも気にせずに振り返る。そこに居たのは萌葱色の光に包まれて魔物達を見据える体格の良い男性とそれを静かに見守る銀糸の髪を持った細身の男性。二人は余りにも対照的ではあるが何処か自然に見えた。
 風達は優しく魔物達に触れるように間を縫っていくとまるで体はまるで土に還るようにぼろぼろと崩れて色を失っていく。

「上出来だ、加護が薄い割には浄化ができるのは意外だったが……流石は王子様だな」

「ぐぅ……王子様は余計だっつーの!」

 二人を気にせずにぎゃんぎゃんと喚き散らす謎の人物にアルフレートはあからさまに顔を顰めたがセルディアは何かを思いだしたかのようにあ、と呟いた。

「あの銀髪の御方……もしかしたらユーディト様の縁者の方、ですか?」

 ユーディト・エラ・フォン・デーベライナー――彼女は何年か前に祝い事でレイヴァス王国の使者として訪れていた。勿論、ユーフェミアの身辺警護に就いていたセルディアも数回会話を交わらせたが何となく似た雰囲気を感じたのだ。その問いかけに銀髪の男性は少し驚いたように見えたが優しく微笑んでみせると歩み寄り、そっと手を差し出した。

「ユーディトは私の従姉に当たります。私はカイザー・レオ・フォン・デーベライナーと申します、どうぞ、お見知りおきを」

「では……貴方がレイヴァス王国からの使者、ですか?」

 私ではなく、とカイザーは視線を後ろで大人げなく頬を膨らませている男性に視線を向ける。レイヴァス王国では一般的な茶髪ではあるが日の光にあたって紅玉を宿したような茶色が美しい。それにまるで森林を思わせる優しい緑瞳にはまだやんちゃさが垣間見えた。

「正式な使者は俺だ。カイザーは護衛に就いたらしいが……ぶっちゃけ俺、意味無いよな」

 拗ねたように文句を連ねる彼にカイザーは静かに悪かったよ、と呟くとめんどくさいと言わんばかりに頭を掻いた。

「こちらは我が王の弟君――すなわち王弟に当たるエリクレスタ殿下です」

「あ、長いからエリクでいいぞ」

「はぁ……」

 先程の機嫌の悪さから一変、陽気に笑う彼――エリクの性格を一言で言うならば気紛れ。そんな性格の片鱗を見たような気がした。

「レイヴァス王子エリクレスタ殿……だから精霊魔術の気配がしたのね」

 馬車からゆっくりと降りながら呟いたのはユーフェミア。漸く気も落ち着いたのだろう、いつも通りの様子を振り撒いている。

「初めてエリクレスタ様、私はフィーリ王国王女ユーフェミア・カヤ・フォン・クレティエン・フィーリと申します」

 纏っているスカートの裾を摘まんで静かに頭を垂れる。王宮での挨拶を思い出させる優雅な仕草にエリクも慌てて右手を胸に当てて静かに一礼した。だけどもその視線は何処か宙を漂っていて何かを気にしているようだった。

「……俺の知り合いにクレティエンという者がいる。名はクロードだ、知り合いか?」

 嘗てアルディード帝国で傭兵をした時に専属の仲介人として共に仕事をした男――クロード・クレティエン。最後に会ったのはレイヴァス王国を解放する前の事だった。縁者だとすればこれから共に行動するのにも話が弾むことだろう、そう考えていたのが甘かったようだ。
 彼女は少し驚いたように猫目を見開くとにっこりと微笑んだ。

「クロードは……私の弟ですわ」

 王宮を飛び出した弟、王族の責務から逃げ出して自由を得て、その代わりに故郷を失った哀れな弟。一年に一度だけ、王宮にいる者の目を盗んで彼女に連絡を寄越してくる。幼い頃はそれこそ羨ましくもあり、妬ましくもあったが、すべてを受け入れ諦めたユーフェミアに取っては様々な経験を顔を輝かせて語るクロードが唯一の家族団欒の時間だった。だけども今年はまだ連絡も取れていない。どうしているのだろうか、と思いながらユーフェミアはぼんやりする。そんな彼女を尻目にアルフレートは二人にインフォンティーノ駐屯騎士団に向かうところだったと説明し、共に馬車に乗るように促したのだった。


+++++++++



「どうする」

『気にしないでも平気、あれは私と違ってただの人間……私たちの力に敵う筈がないわ』

 囁き合う声の元には少女が一人で木の枝に腰かけている。視線の先には土に還った魔物だったもの。片眼を漆黒の髪で覆い隠しているが風に揺られては片手で押さえていた。
 去り行く馬車を見送りながらふと溜め息を吐く彼女に響く声は苦笑する。

『もう疲れたの?』

「あたりまえだ、神を体に宿すのは……とは言っても分からんだろうな」

 少女は体を宙に踊らせると軽やかに地面へと着地して見せる。それは背中に羽でも生えているような――人間とは思えない軽やかさだった。

「やっぱり狙うのは神を宿したあの人だな」

『賢いわね、ヴィラ……大儀の為よ。フィーリやレイが動き出す前に殺さなければ、ね』

 分かっている、と少女――ヴィラは髪を掻き上げる。黒髪に隠れていた瞳は左目の黒瞳とは違い、怪しげに輝く深い緑色だった。


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