光のラナンキュラス

Act.6 狂う空間、嗤う声


 ――僕達は今を生きる為に生を与えられた。では僕達は何のために死を与えられるのだろう。
 海を思わせるような瑠璃色の瞳は儚げに遠くを見つめる。幾度と無く生を廻っても分からない死の意味。今度こそは、と流れる風に身を委ねた。


「黒の少女……だと?」

 砂利道を走る馬車に揺られながら聞き返すようなエリクの言葉が響く。巨大な剣を手に抱え、柄に頬を寄せながら唸る情けない姿にカイザーがすかさずアルフレートに問いかけた。

「黒の少女とは黒髪の容姿を持った者と解釈をして良いのだろうか」

「あぁ、ジナステラ駐屯騎士団で数日前に得た情報だ。黒髪黒瞳の少女を確認した、と」

 黒髪黒瞳で思い付くのはやはりアルディード皇家しか居ない。エリクは不安そうに視線を落としているがカイザーだけは何か考え込んでいるようだった。

「如何なされましたか?」

「いや……アルディード皇家を庇う訳ではないが学問的に興味深い話がある」

 セルディアの問いかけにカイザーはゆっくりと話を紡ぐ。内容は学者であるアルフレートにとっても至極興味深いものだった。
 百年戦争の際にはアルディード皇家と同じ、黒髪黒瞳の民達がいたと言う。彼らはその容貌のせいで行く先々で恐れを抱かれてしまい、旅人として舞や歌で生計を立てていたらしい。そうなるとアルディード皇家と同じ容貌を持つ可能性がある人間が他に居ることになる。

「あくまでもこれは伝承だ。アルディード皇家で少女と呼べる年齢の者はいないと聞いている」

 そうだろう、とエリクに問いかければ彼は強く頷いた。レイヴァス王子として隣国との友好を深めているのに対し、やはりフィーリ王国は海という壁は高いものである。
 彼らが言うには今回は中々捕まえることが出来ない友人を丁度良く見つけることが出来たから海を渡れた、と言うほど。山を越えるのと海を越えるのではそれ程までに違いがあるようだ。

「ならばカイザー殿の言う話は有力的になってくる。実際に証明できれば文句も無いのだけどなぁ……――」

 流石に生きた証拠で実験を行う訳にもいかないし、伝承上の話であってその一族が何処にいるかも知られていないのだ。
 どうすることも出来ないもどかしさが馬車の中に沈黙をもたらした。その後、半刻過ぎる時には日も暮れ始め夕暮れ色と闇色が入り交じり、鮮やかな紫色が空を彩っていた。
 馬車の中を照らす光も次第に弱くなり、船旅で疲れて眠る二人の客人の肌をまるで蝋人形のように無機質に輝かせる。恐らく、インフォンティーノ駐屯騎士団につく頃にはもう空は月に支配されている頃だろう。ユーフェミアは押し黙ったまま窓の外の風景を眺めていた。

「姫様……お休みにならなくて大丈夫ですか?」

「私は平気、それよりも貴方は休んでちょうだい」

 隣に座るセルディアを見れば少し蒼穹の瞳を充血させている。幾ら彼女が騎士だとしても慣れない土地を飛び回れば疲労は溜まる。彼女やアルフレートを振り回している事実にユーフェミアは漸く気がついたのだ。自分は事件を解決することに躍起になっていたが為に大事なことを忘れていた。

「今日はこれ以上何も起こらないと良いのだけど」

 ふと肩に重みを感じて視線を向ければ既に眠りに落ちたセルディアが規則正しい呼吸をしている。ユーフェミアはそんな友の姿に苦笑すると外套を彼女の剥き出しの肩にそっと掛けたのだった。


+++++++++



 私は今までの自分の行いが正しかったと信じている。それは揺るがない誇りとして自分の中に聳え立っている。だけどもそれはいつ崩れるのか、少しでも緩んだら崩れてしまいそうな気がした。

『君は傲慢だよ。仇を為すと決めつけて、敵を排除する。君は王家を守ろうとしたんじゃない、自分を守ろうとしただけだ』

 突き刺さる言葉に何も言えなくなる。瑠璃の瞳を真っ直ぐ見つめてくる少年にただ臆することしかできなかった。頬を伝うのは何年か振りに流す透き通った涙。自分が今までやって来たことが全否定されて悲しかったのか、それとも漸く背負っていたものを認められて安心したせいかは分からない。
 止めどなく溢れる涙は枯れることを知らなかった。
 事の始まりを正せば、自分が夢の世界に引きずり込まれたこと。『夢』だと認識できたのはイーナの異変に気付き、テオフィールにそれを伝えようとしたからだろう。気がつけばあの少年と向かい合っていた。

『こんにちわ、ユーディト』

 爽やかに笑う少年は彼女と同じ銀鼠色をした髪に懐かしい父親と同じ瑠璃色の瞳を輝かせていた。勿論、彼女の知識では彼がデーベライナー家の縁者だと言うことは分かっていた。あの容貌はそれ以外に見たことがない。
 微かに漂う闇の魔力の香りは自分よりも強く、父よりも強い。先代四大貴族当主達の中でも屈指の力を誇っていた父――ジークリードよりも強い魔力に魂の奥底が震えた。

『君の当主としての行い……僕が見定めるよ』

 にっこりと少年が微笑む突然ユーディトが見ていた風景が高速で変わっていく。それはまるで走馬灯と表現するに相応しく、どの光景も彼女が見てきた経験の断片だった。
 笑顔で笑う兄弟王子、炎に包まれるレイヴァス城、嘆き悲しむ民達と父の死――そしてブリガンティア。どれもこれも明るい表情の中に潜む彼女の暗黒部分が渦巻いている。羨望、復讐、絶望、憎悪に――嘘。どれもこれも生きるためには仕方がないと銘打って自分を欺いてきたけれど彼には全てお見通しだった。余りにも隠すこと無く晒される感情にユーディトは叫んだ。

「見ないで!」

 ずっと心で悩み続けていた負の感情を押し殺して、鍵を掛けていたのに。少年によって開け放たれた扉はあまりにも無慈悲に真実を突きつけた。壊したもの、乱したもの、失ったものを。

『また目を反らすの? そうして人を傷つけるの?』

「……違う!!」

 ――心から傷つけたいなんて思ったことはない。ただ、冷静に事実に向き合った結果が今、此処にある。闇に身を投じた従弟に、自分を救いの女神と崇める仲間達。嘘で塗り固めた自分という虚像が音を立てて壊れ始めた。

『過去を憂い、未来に希望を抱くには現在を生きるんだ。そうじゃなきゃ、止まったままの時間は動くことはないよ……これが現世と闇、政を司るデーベライナーの歪み』

「何を言っているの……!?」

『巡り巡る生はもう疲れたんだ。だから眠らせて、ユーディト。歪みを正せばこの国の理は失われる……もう必要ないから』

 微笑を浮かべて囁く少年の名が不意に脳裏に浮かんだ。今までのデーベライナー当主よりも濃厚な闇の魔力の香りを漂わす人物で思い立った人――ジェレマイア・デーベライナー。昔から二つの流れに分断されているデーベライナー家の主流に当たる初めの当主。
 彼が告げた理に守られた国の崩壊。ユーディトの紅をさした唇は微かに震えていた。

『デーベライナー家の創始者として君に命ずる。この国の変化を目に焼き付けるんだ。……理に頼らない本当の国を見つめて』

 レイヴァス王国を守る五つの加護は天候や大気、生物にまで影響が及ぶ。それぞれ王家や四大貴族がそれぞれの宝玉から加護を引き出す形で今が成り立っている。その加護が欠けた状態のこの国の姿を知っているユーディトにとっては民を苦しめる要因を作る訳にはいかない。
 消えかける少年――ジェレマイアの姿に駆け寄ってひたすら訴えた。

「破滅に向かう姿なんて……見たくないわ!!」

 だけども微かに口を開いたジェレマイアは何かを思い止まるように口元に手を伸ばすとゆっくりと首を振り、少年らしい屈託のない笑みを浮かべてその姿を霧散させた。
 答えが決して見つかることがない問題。それは国の明暗を分けるかもしれない重大な問題。政を司る一族ゆえに様々な決断を下してきたが根本から覆すような選択を容易にすることは出来なかった。

『あるべき姿に――』

 それは彼女がブリガンティアとして唱え続けてきた事であるけれど自分が知る正しい姿が過去の人にとって正しかったかどうか等分からない。微かに漂う消えかけた魔力の残り香が憎らしかった。

「目、覚めた?」

 何処かふわふわした感覚にあの夢から覚めたのだと実感する。顔に張り付く銀糸を重い腕を動かして払い除けると声を掛けたグレーテルは安堵の色を瞳に浮かべてパタパタと何処かへ走っていく。
 待って、と呼び止めたくても喉がまるで張り付いたようで上手く声が出なかった。光が差し込む窓に視線を向ければ外は既に茜色に染まっている。長い長いあの夢は一体自分から何日間を奪ったのだろうかと思いながらゆっくりと這うように体を起こした。

「ユーディト様! お目覚めになられて安心しました。まる一日も眠ったままだったのですよ?」

 グレーテルの知らせで駆け込んできたのであろうヘンゼルは紺色の髪を振り乱し、床に両膝をついて荒くなった息を整える。それとは対照的に平然としたグレーテルは枕を彼女の背中に当てて体勢を調えさせるとちゃっかりと椅子に腰かけた。

「陛下のご様子は?」

「王家の書庫です。イアン様、イーナ様もお倒れになられたのですがクレア殿が……――」

 そう言って視線を反らすヘンゼルにユーディトは嫌な予感が胸を過った。彼女の予想が当たっているならば答えはただ一つしかない。

「居なくなった。……そうではなくて?」

「はい」

 やはり、と舌打ちする。
 ヘンゼルもグレーテルも彼女の異変に不思議そうな表情を浮かべるものの何も問うことはしない。デーベライナーを支える者は私見で思考を遮ってはならないと叩き込まれているからだろう。ユーディトはその仕来たりに心の端で感謝した。

「なら探しに行かなくては、ね」

 口元に浮かべる微笑になぜか寒気が走る。それはあまりにも美しかったせいか、それとも本能が危険だと叫んでいたせいかは分からない。

「心当たりがお有りですか?」

 恐怖心を圧し殺して静かに問いかけるヘンゼルに向けられたのはいつもと変わらない微笑だった。

「えぇ、だから陛下には私は大丈夫と伝えて。グレーテルと一緒に散歩に行ってくるわ」

「……か、畏まりました」

 一礼して退出したヘンゼルはまるで関切ったように溢れ出す汗を拭うので精一杯だった。回廊を曲がって階段が見えると安心して膝をついて息を整える。まるで貧血でも起こしたようにちらつく目の前に強く瞳を閉じて治まるのを待った。
 彼の記憶では前にも一度だけこのような症状を経験した事がある。それを祖父に相談したところ、『魔力にあてられた』と言っていた。魔力を持たないヘンゼルやグレーテルは力の強いユーディトに仕えている為に滅多に症状を起こさない――つまりは耐性があるということだ。
 魔力に一度も接触することなく生活する人には四大貴族に近寄るだけでも倒れてしまうだろう。それを考えると村娘として生きていたイーナは一体どうしていたのだろうか。
 そんな事を考えている間に視界が戻ってくる。急激に下がっていた体温は元に戻りつつあるらしく、深呼吸をすれば自然と背筋が伸びた。

「おい、ヘンゼル。何してるんだ」

 階段の踊り場からのんびりした声が響いてきたと思えば其処には寝惚け眼のイアンがいる。邸宅で待機を命じられている筈なのに、と眉を潜めれば彼はそれを察したかのように言い訳をし始めた。

「俺さ、おかしくなっちまったみたいだ」

 ユーディトよりも先に目覚めたイアンには病の気はなかったと報告を聞いている。それでも異変を感じたと言うならば話を聞くしかない。不安そうな表情を浮かべるイアンをもう少し早く気付くべきだった。濃緑の瞳が今にも泣き出しそうだった。

「エリクの兄貴がさ……――」



+++++++++



 突然、誰かに呼ばれたような気がした。
 ふと気配を感じて顔を上げれば自分と瓜二つの顔が目の前にあった。その姿を見る度に心がぎゅっと締め付けられる。だけども無表情で此方を見つめてくる女性は何を思っているのか分からない。彼――テオフィールは横たえていた体を起こした。

「まだ、俺に何か言いたいことがあるのか?」

『フィーリ王国でリアが動き出した』

「レイヴァスにいる俺ができることじゃないだろ。今は手一杯なんだ」

『お前の弟が人を殺めることになってもか?』

 風もない場所で女性――レイの茶色の髪がさらさらと揺れる。
 傭兵として人を殺めることは本当に数回しかなかった。だけども殆ど手を掛けるのはテオフィール自身でエリクの手は決して汚さなかった。それは兄として明るい弟には重荷になると思ったからだ。だけども彼女が言った言葉には何処か重みがあった。


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