光のラナンキュラス

Act.8 心と立場の変化

 近しい人ほどその思いは分からない。離れて初めて真実を知る時もある。誰にも話されることの無い思いを抱いて彼等はひたすら前へと歩む。振り返ったらきっと泣きたくなるから――。



「陛下……陛下!!」

 扉越しに呼ぶ声にふと顔を上げる。窓から差し込んでくる光は既に赤みを帯びていた。どれくらい書庫に籠っていたのだろう、彼は両腕を高く天に翳して体を解すと気怠そうに扉を開けた。するとそこにはいつも以上に血相を変えたヘンゼルの顔。それを見て彼は目を細めた。

「どうした」

「どうしたも、こうしたもありません! 殿下が……」

 その先を紡ごうとしたヘンゼルにそっと片手を挙げて制する。そのまま彼の背中を押すと王の私室に向かうように促した。彼らが居るところは廊下も同然、よく声が響くこの場所では情報が直ぐに漏れてしまう。あの女が正しければ告げた通りの出来事が起こったのだろう、覚悟だけは無駄に出来ていた。
 私室の扉を開いても誰も居らず、いつもの様子を考えると実に静かなものだった。早く話さなければと落ち着かないらしいヘンゼルに彼――テオフィールは先程告げられたことをそのまま言い放った。

「エリクが人を斬った……しかもカイザーを、だろ?」

「何故それを!? ……今さっきフィーリ王国インフォンティーノ駐屯騎士団から連絡が入った所で、仰る通りカイザー様が殿下に斬られましたが居合わせたユーフェミア王女殿下のお陰で一命は取り止めたそうです。殿下の行方は不明、と」

 やはり、と口元に手をやる。王家の書庫でレイが告げた言葉は確かだった。だけどもいまいち彼女がやりたい事が見えてこない。想いを託す、と何度も言っているが託そうという片鱗さえ見えない。ならば、少し泳がせるべきか。眉間に皺を寄せた。

「殿下捜索班を直ちに編成しましょう、これ以上フィーリ王国側に迷惑をかけられません」

「それは違うな……面倒事を持ってきたのはあちらだ。だが、エリクを野放しにしておくのも――各国に通達してくれ、彼奴が現れ次第拘束を、と」

 驚きのあまり目を見開くヘンゼルにそれ以上の追究は許さなかった。これまで書庫で見つけた資料とレイがくれた助言で一つの事が見えてくる。それは至極複雑と思っていたが案外そうではなかったのだ。自分と同じような立場の者――つまり誰かの生まれ変わりという立場の者が巡りあう。それは偶然とは言い難い。それは誰かによって仕組まれた罠か、それともやるべき事を遠ざけていた事への時効を告げる鐘か。
 どちらにしろ、これには彼らを縛る過去という鎖が大いに役に立ちそうだ。テオフィールには少なくとも解決の糸口が見えていた。

「そうだ、ユーディトは目覚めていたな」

「あ……、はい。その事で伝言があります」



+++++++++



「私事を片付けて参ります、と伝えてくれないかしら」

 闇に溶けるだろう黒装束を纏い、輝く銀糸はいつもと違う結い方をして布を巻いていた。顔立ちだけ見てしまうとまるでカイザーを見ているようだが線の細さと柔らかさで辛うじてユーディトだと判別することができる。あらゆる所に短刀を仕込んだその衣装はかなり使い込まれているように見えた。

「陛下に嘘を吐けと?」

 顔をしかめるヘンゼルに彼女はやんわりと微笑むとそっと首を振る。

「嘘ではないわ。私はずっと問題を先伸ばしにし過ぎたの、それを片付けるだけ……簡単なことよ」

「それでその衣装は物騒だと思いますが」

「聡い子ね?」

 辛辣な表情で見つめてくる彼から視線を反らしたかったが瞳を閉じることでそれを耐える。隠してもいつかは暴かれてしまうとは分かっていたけれどユーディトが決心するまで皆が待っていたのだと漸く気がついた自分がいた。

「きっと、私の行動でまた加護を失って国が乱れる。あの男と同じことをしようとしているのはわかっているわ」

「ならば、何故――!!」

「復讐、かな……復讐だと思う。フォルクマール様が亡くなって、エルフリーデ様が亡くなって、父上や叔父上までも。ライナルトを殺す為に私はあの子を利用したわ。だけど今は怖いの……復讐を果たしたことで復讐されることが」

 初めて吐いた弱音、それは余りにも抱えているものが大きすぎて吐けなかった。だけども夢の中でジェレマイアに自分が行ってきた事を改めて見せられた時、一人の人生だけではなく関わった人の人生を狂わせたことを改めて認識させられた。――自分で狂わせた歯車は自分で直さなくてはならない。

「私が帰らなかったらごめんなさいと伝えて」

「それは、ご自分でお伝えください」

 素っ気なく横を向くヘンゼルにくすりと微笑むと静かにそうね、呟く。身に宿した闇の魔力を解放してちらりと彼の様子を見つめる。さっと顔色を変えたのを確認すると彼女は素早く背を向けた。彼女は優雅な手付きで窓に飛び乗るとまるで軽業師のように城下町の屋根を駆けていく。
 静まり返った街並みを視界の端に捉えながら空を彩る雲を見上げる。確か目的の場所はレイヴァス城下町の中でも南に位置する慈悲神を祀った教会の屋根の上。先に行ったグレーテルがその場所で待っている筈。久しぶりに舞い踊る屋根の上を走る冷たい空気を感じ取りながら彼女は約束の場所へと急いだ。
 見れば既に待ちくたびれた様子のグレーテルが彼女と同じような黒の装束を纏い、両腕を組んでいる。

「ごめんなさい、ヘンゼルを説得するのに時間が掛かったわ」

「嘘、威嚇した」

「あら、分かった?」

 わざとらしく肩を竦めるとグレーテルは少し悲しそうに瞳を伏せる。戦いに出たことが無いヘンゼルは日常生活で魔力に慣れていても、意図して放たれた攻撃的な魔力には弱い。それは籠の中で生活をしていた小鳥がある日突然強風の中に放り出されたようなもの。きっと今頃は怯えきっていることだろう。

「今日こそ本当に決着を着けなくてはならないわ……覚悟は良い?」

「うん」

 そうよね、と内心呟く。生かすと決めた時に最も反対したのはグレーテル。それを押し切って道具として利用すると決めたのはユーディト。守護士である彼女にとっては家長の意思は優先しなくてはならない、それが例え間違っていても。彼女が居るであろう、思い出の場所を目指して二人は闇夜を駆けた。

「こうやって二人でいるのも久しぶりじゃない?」

 考えてみればこうやって人の眼を盗んで城下に出るのも公爵となってから一度も無かった。大抵は護衛を付けてでないと歩くことは出来ない。勿論、それは自分が国の重要な立場にあるからだと言うことは心得ている。だけども自ら行動を起こすことは様々な出会いを彼女にもたらした。
 それがユーディトにとって救いとなるか、滅びとなるかは分からない。次々に捲し立てるようにやって来る人生の選択は無情という言葉がしっくりとくる。

「……ユーディ?」

「ごめんなさい、感傷的だわね」

 月明かりにぼんやりと浮かび上がる人影にユーディトは唇を噛み締める。運命とは恐ろしいくらいに人を引き合わせるなとひしひし感じていた。近づけば近づくほど美しい金髪がさらさらと風に揺れる。表情は背を向けているせいで窺い知れないのが怖かった。
 二人はとん、と屋根へ着地をすると何も言わずに武器を構える。
 ――もう言葉では解決できないから。

「あぁ、やっぱり来たんですね」

 二人に向き直ると屈託の無い笑顔を浮かべる少女に思わず身構える。瞳に宿した紫紺色はいつもより色鮮やかに見えるのは気のせいだろうか。

「“やっぱり”って言うなら記憶は戻っているようね」

「えぇ……クレメンティア・ブランケンハイムなんて人物は虚像。私の名はクレメンティア・アマーリエ・フォン・ブラントミュラー」

 久しく聞かなかったその名を耳にして目を細める。ブラントミュラーを継ぐ後継者、つまりは亡くなったとされていた先の宰相ライナルトの実子ということになる。クレア――クレメンティアにとって抱いていた疑問が取り戻した記憶が瞬く間に解き明かしていった。

「雷と軍を司るブラントミュラーの代理として私を立てたのも真実を知っていたからね?」

「勿論。最初、貴方はライナルトの指示でかなり暗躍してくれたわ。だから始末しようとしたの」

 だけども憎きライナルトを討った後、雷の加護を失ったこの国は直ぐに傾いてしまう。それを憂いたユーディトが彼女の記憶を封じて傀儡のように操ってきた。そして結果は彼女の父親を殺める結果となったのだが。

「ならば私にも貴方を殺める理由が出来た、という訳」

 徐に腰から外したのは一丁の銃。それはいつも見慣れていた緋色の銃だった。類い希なる技術で作られたそれはこの世で一丁か二丁あるか、無いかである。それ故にその仕組みは良くは知られていない。クレアはその銃の安全装置を親指でそっと触れるように外すとゆっくりとユーディトの眉間に狙いを定めて銃を構えた。


+++++++++



『一体どういうことか説明をしてもらいたい!!』

「女帝陛下、後生ですからお気をお鎮め下さいませ」

 今まで見たことのない様な剣幕で捲し立てるのはアルディード女帝として君臨するフィリーネ・テア・フォン・コルネリウス・アルディード。姿を見ながら会話することが出来る魔道具越しに瞳をつり上げた理由はただ一つ。ヘンゼルによってエリクの拘束を求めるテオフィールの言葉を伝えたからだ。
 ――各国に通達してくれ、彼奴が現れ次第拘束を。
 その言葉にヘンゼルとて衝撃を受けなかった訳では無い。だけども国王の命令ならば私情は挟んではならない。それが彼ら臣下の務めでも有り、支える立場にある者の誇り。

『取り乱して済まない……私は皇帝失格だな』

「いえ、陛下は情が深くおいでです。私は悪いとは全く思いませぬ」

 紺色の髪を左右にゆっくりと振ってにこやかに笑うヘンゼルにフィリーネもふと笑みを零すがその様子は何処かぎこちなかった。だが彼はそんな様子を敢えて見逃した。

「お前にまで気を使わせるなんてね。兎に角、私はテオフィールと話さなくては気が済まないわ……今は居る?」

「申し訳御座いません、陛下は所用で」

「ならば、私がそちらへ参ろう」

 問題は無いでしょう、と真剣な瞳とぶつかって思わず視線を逸らす。一国の主がそう簡単に他国を訪れて良いものかと自分自身に問いかければ勿論否だ。だけどもそれを答えたのは彼では無かった。

  「それは困るな」

 はっと顔を上げればそこには国王テオフィールの姿。眼の下に少し隈を作っているが平然とした表情を見れば大して目立ちはしない。毅然とした態度で要請を却下する姿は苛立っているように見えた。

「女帝と二人で話がしたい」

「畏まりました……失礼致します」

 退出を促すテオフィールに敬礼をし、フィリーネに向かって一礼するとヘンゼルは静かに部屋から出ていく扉の音が短く鳴る。

『しっかりと納得いく説明をする気があるようだな、テオフィール』

「お前の所に、これはあるか?」

 ばさ、と机に放り投げたのは丁寧に装丁された日記帳。それはレイヴァス王族専用の地下書庫にあったもの。だけどもその日記帳を見て何故かフィリーネは目を見開いた。

『な……!?』

「その様子じゃ色々と知ってるんじゃないか? 古の女神、百年戦争、とかな」

『どうしてそれがあるの!? 彼女は書く暇もなく死んだ筈……あ』

 動揺して叫んだ言葉に自分で言ってはならないことを言ってしまったと悟る。罰が悪そうな表情を浮かべるとそのまま黙り込んでしまった。

「その様子だと誰かに聞いたような口振りだな……――まぁ、良い。さっさと手の内を見せなくては進まん」

 彼はふと溜め息を吐くと魔道鏡が写す中央から少しずれると空虚に向かってでてこいよ、と呟く。その仕草にフィリーネにも思い当たるものがあった。そして予想通り姿を現したのはテオフィールに似た女性の姿。

『レイ……ブルクミュラー』

 一言も発することなくじっと此方を見つめる青碧の瞳に居心地の悪さを感じていた。それは時折語りかけてくるあの女性と同じ感覚――。

「隠し事は無しだ。ユーフェミア王女に、俺、そしてお前に共通することはただ一つ」

『世界を制した古の女神の……生まれ変わり』

 ご名答、と頷いて佇むレイに視線を向ければ何処か満足そうな笑みさえ浮かべている。
 だが、三人の女神と対峙したのは一人の魔女と人間。かの魔女は自らを翠緑の魔女と称して神出鬼没の行動を取っていたらしい。古の戦の再来ならばその魔女や人間も三人と同様の境遇にあってもおかしくはない。最早、誰が敵で味方か分からない状態である。

『兎に角用心した方が良い……最近何か変化があった者には注意しろ』

「あぁ、そうだな」

 通信を切るぞ、と告げられるとそのまま雑音が辺りに鳴り響いた。いつもは煩いとしか感じないのにどうしてか安心する。

『変化があった者……見分けるのは大変そうね?』

「実は分かっているんだろ。助言位しても良いんじゃないか?」

 四大貴族の長に降りかかった奇妙な昏睡。それから醒めた者の変化を見極めろと言われても難しい。だけども、助けを求められたレイは無表情を崩さなかった。

『大丈夫よ、勝手に潰し合うわ』

 そう呟いて体を霧散させた彼女にそれ以上問いただすことはできなかった。言葉の意味を考えながら椅子に身を預けて眉間を指で押さえる。今まで以上に予想外の事が多すぎて頭がついていかない。フィリーネに大しては上手に出たが実際の所、焦っていたのは彼自身。真実を明らかにしたくて、それでもどうしたら良いか分からなくて。
 頭を抱えるしか出来ない自分がちっぽけに見えて嫌になる。今直ぐにでも全てを終わらせたいのに人の思惑が道を阻んでくるのだ。
 彼はふらりと立ち上がると無心のまま廊下へと歩き出した。
 ――今を生きるのに過去に囚われなければならないのか。違う、過去があるからこそ今がある。だけども過去に生きた人が口出しをする謂れはない。
 堂々巡りの自問自答に飽きたとき、何処からか啜り泣く声が聞こえた。はっと顔をあげればいつの間にか王の私室まで戻ってきていたらしい。部屋に残してきたのは眠り続けるイーナだけの筈だが――。

「誰か……」

 いるのか、と呟いて二重になっている扉を開け放って部屋を見回す。だけども彼以外に入った様子も見当たらない。出ていった時と同じように侍女によって掃除された部屋には埃一つ無い。だけども啜り泣く声は次第に大きくなって、振り返れば眠りながら涙を流しているイーナが発していたのだと気付いた。
 苦しそうに顔を歪ませながら寝返りを打つ姿に今にも目覚めそうなのに一向に紅の瞳を見ることが出来ない。彼は寝台に腰かけるとそっとイーナの額に触れる。ひんやりと冷たいけれどもうっすら汗が滲んでいるせいで前髪が張り付いている。それを上にかき揚げてやるとふと溜め息を吐いた。

「起きないのか……?」

 返事は無い。
 いつもならば飛び起きる筈の彼女からは想像も出来ない姿だった。始終落ち着きがなく、走り回っている彼女が居ないだけでこんなに静かなのかと思ってしまうがそれは事実である。
 あの騒がしさがそんなに日が経っていないのに懐かしい。何時目が覚めるのだろう、そして何を見るのだろう。不安と焦燥に駆られながらもただ待つしか出来ない。

「……わ……よ」

「イーナ?」

 不意に彼女の口から出た言葉に声を掛けるが返事は無い。だけども小さな掌が必死に宙でもがく。その手を取るときゅっと力を込められた。そして今度こそ、はっきりと聞き取ることが出来た。

「……怖いよ」

 掠れた声ははっきりとテオフィールの耳に届く。見えないところで何かに耐えているのだろう、それを助けてやることが出来ないのがもどかしい。彼は静かに彼女を抱き寄せると仄かに花が香る金髪に顔を埋めたのだった。


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