光のラナンキュラス

Act.9 反逆の決意


 見えない未来に怯えるよりも今出来ることをしたい。それが例え仲間達を裏切ることとなってもそれが最良だと思うのならば――。
 日の光が遮るような暗い小道をひたすら歩く。躊躇のない彼の足取りに微かな不安を抱いた。まるで自分の意志で彼女に従っているように見える。長い焦げ茶の髪を靡かせながら滑るように彼の前に回り込むと白い腕を伸ばして彼――エリクの首を掴むとその瞳を覗き込んだ。宿す色は美しい萌葱を思わせる強い色。

「何だよ」

『やっぱりね。貴方自分の意志であの男を斬った』

「お前には関係ないだろ」

 いつもはくりくりとした瞳を今だけは細めて彼女を睨み付ける。その迫力に彼女はふと口角を上げただけで首を掴んでいた手を徐に離すと何処か楽しそうにくるくるとその場を回って見せた。

『私が言った言葉で仲間を裏切れるなんてやるじゃない』

「嘘、だったのか?」

 大剣に手を伸ばしながら腰を低くするエリクに彼女――リアは肩を竦めてみせる。

『確信を得たから出来たことでしょうに』

 確かに、と呟いてエリクは剣から手を放す。リアがあの時囁いた言葉は前世と今を繋げる輪廻の鎖を断ち切ること。それは慈悲神レイヴァスに翻弄される兄の姿を見ていればこその細やかな反抗心だった。全ては定め、と決めつけられる人生に何の魅力も感じない。ならば、道を反れても自分らしい道を突き進む方が良い。そして兄と同じ様に鎖に翻弄される大切な人を救いたかった。

「利害が一致しただけだ。お前を信用した訳じゃない」

『そうかしら……まぁ、いいわ』

 ふわりと舞い上がってエリクから離れると彼女は宙に浮いたまま足を組んで首を傾げて見せた。彼の瞳よりも濃い緑色が妖しく煌めく。だけども凛とした声が二人の静寂を打ち破った。

「良くは無い。貴方に監視を付けさせてもらう、エリクレスタ王子」

 気配もなく真後ろから発せられた声に反射的に剣を引き抜く。幾ら王宮暮らしに慣れていてもこうしたものには傭兵時代の勘が直ぐに戻ってくるらしい。だけども剣を向けた相手を見て驚愕せざるを得なかった。

「私の容姿が珍しいか? それとも誰かに似ているのか?」

 瞳の鋭ささえ彼女を彷彿とさせる少女の姿に人が黒の少女と称した理由を理解できた気がした。片眼を隠すように黒髪が顔を覆い、晒されている瞳は漆黒。それはアルディード皇家に限定される容姿の筈なのに。その言葉を飲み込んでも何を言えば良いのか分からなくなってしまった。

『あら、ヴィラ。里に戻っていたんじゃないの?』

「お前を降ろしている時は出来ない。早く戻れ」

 少し苛ついた様に命令する様子に眉を潜めるがリアは予想外な事に素直に従う意志を見せ、ふわりと宙を舞うとヴィラの体に吸い込まれて消えた。

「なっ!?」

 錯覚を起こしたのかと何回か目を擦るが先程まで居たはずのリアの姿は何処にも無い。

「不思議か? この様な不思議など沢山見てきたのだろう。このような事で一々驚くな」

「お前……何者だ」

「リアが言っただろう、私の名はヴィラ」

 平然と名を名乗る彼女であるが聞きたい答えが出てこないのがもどかしい。だが、直ぐにヴィラは彼の問いに答えた。

「神降(かみおろし)の民の一人だ。私達は昇華が叶わなかった漂う人の魂を身に宿し、願いを果たす。それが仕事だ」

 言わば魂が昇華されるのを手伝い者、と解釈すれば良いのだろうか。エリクは何処かやりきれない思いに胸が支配されるのを感じた。自分がリアの魅了の術に掛からなかったのはその目的が同じだから。そしてその目的は因果の鎖を断ち切る事。――消えた彼女はただそれを果たすために世界を漂っていたのだろうか。

「君は協力しているのか?」

「言った筈だ、それが仕事だと」

 まだ年若い彼女の眼差しは鋭く、突き刺さるように心を抉られる。それは生と死を知った者の絶望のようなもの。彼女と似ていると思っていたその瞳には暖かみは無く、次第に氷の様に見えていた。
 だが、リアの協力を元に願いを果たそうとしているヴィラは一体どうやって方法を知り、実行しようとしていたのか。既に彼に背を向けて歩き出した彼女の後を追いかけて着いていくしかなかった。



+++++++++



 閉じた瞳から微かに溢れる涙の跡。それは痛みからか、熱からか、それとも裏切られた悲しみからだろうか。懇々と眠り続けるカイザーを見つめながら彼女は紫暗の瞳を伏せた。斬られた傷跡は何とか祈祷魔術で塞ぐことは出来たが精神的負担の所為で目覚めないと駐屯地専属の医師は言う。

「姫様、少しお休みになった方が宜しいのでは……?」

 エリクが姿を消してから丸一日が経つ。きっとその情報はレイヴァス王国にも届いていることだろう。あの翠緑の魔女の襲撃が遭ってから王都から王宮騎士団がやってきているお陰で騎士達の救護は既に済んでいる。ただぼんやりとカイザーを見つめるユーフェミアを案じたセルディアだが彼女は何も答えない。暫く沈黙が続いた後、悲しげな声が辺りを響いた。

「眠り続けるくらい、衝撃だったのよね」

 全てを拒絶して心を必死に癒して真実を見つめようとしているのだと。だから時間が掛かる。衝撃を少しでも和らげるための防衛本能は眠りと言う形で彼に盾をもたらした。

「今は少しでも休ませてあげましょう、姫様」

「えぇ……そうね」

 優しく背に手を当てるセルディアに促されながらも何故かカイザーから感じる違和感を否定することが出来なかった。
 良くも悪くも、それは当たっていたのだが――。

『行きましたわね』

 漆黒と呼ぶに相応しい、自分が立っているのか座っているのかも判断できない不思議な空間の中。微かに感じる気配を感じ取った幼い少女は閉じていた瞳をゆっくりと開ける。そこから覗いたのは美しい蒼を宿した瞳。靡く銀髪は少し外側に跳ねていて、落ち着いた雰囲気を醸し出す彼女とは対照的である。

「姫を警戒しているのか?」

『色々と厄介な事は起こしたくないだけですわ』

 目の前の少女は憂いを帯びた表情を浮かべながら溜め息を吐いた。だが、直ぐに気を取り直すとカイザーの瞳を真っ直ぐ見据える。

『貴方に会いに来たのはあの方のことではありません。ユーディトの事です……分かりますね?』

 自らをイシュメルと名乗った少女。デーベライナー公爵家の家系図を辿れば最初に出てくるその名前。前世と現世に縛られる鎖をエリクから耳にしていたがまさか自分も同じだとは思ってもみなかった。ましてや、今国を率いる人物の多くが該当するなんて。

「あぁ、分かってる。彼奴は国の為なら何でもやる。今ならテオフィールの敵を自分の手で殺すだろうさ」

 ――俺の手を借りなくても。
 二人で闇夜を駆け回った日々は彼女に頭脳で戦う術を与えた。如何に欺き、隠し、偽るか。それを習得した彼女にはきっと真実を晒すことはできない。だから消してしまう。

『兄も……ジェレマイアもレイ様の為ならば身を捧げる覚悟でした。人を手に掛けることさえ厭わなかった。もしも、兄の信念を継いでいるならば――』

「止める、そういうことだろう?

『ありがとうございます……やはり貴方と私は違いますね』

 柔らかく微笑むイシュメルに釣られて笑みを浮かべる。性質は同じではなく、似ているだけ。そう考えれば重い荷物を背負ったわけではないと思う。

「皆に教えてやるよ、その違いをさ!」

 にっ、と笑って見せればイシュメルも嬉しそうに頷く。その瞬間、二人の間にぽつりぽつりと雨が降り注ぐ。まるで溶けるようにして実体を崩していく彼女。崩れた破片は煌めいてゆっくりと天へ昇っていく。消えていくイシュメルの気配に永遠の別れが来たのだと悟る。
 ――鎖なんて何処にもない。ただあるのは自分がやるべき事、それだけ。



+++++++++



 陶器のように白い肌が青白く輝く。所々に花を咲かせる鮮血に彩られながら人通りのない場所を駆け抜ける。肩を支えてくれるグレーテルの力強さだけが今は頼れるもの。飛びそうになる意識を必死に繋ぎ止めて無心に足を動かしていた。

「逃がしちゃったわね……」

「喋らないで」

 悔しそうに唇を噛み締める。今回こそ終わらせる筈だったのに自分が撒いた布石さえ回収しきれない不甲斐なさで心は一杯だった。クレア――クレメンティアはもう今までの彼女ではない。ブリガンティアでの彼女は死んだと考えた方がまだ気が楽になる。
 駆ける足を緩めたグレーテルに寄りかかるようにして片手で顔を覆う。人に恨まれる様なことをしたのは自分、道具として扱ってきたのも自分。なのに、零れる涙は止まらなかった。

『私が生きることで貴方は罪悪感に苛まれる。それなら私はどんな場所ででも生き抜いて見せる』

 忘れもしないあの憎しみの瞳と決意を宿した表情。
 今更どうすることも出来ない。

「ユーディ……」

 ぽつりとグレーテルが呟く。瞳をあげれば何か迷ったような灰色の瞳と目があった。だけどもユーディトは薄く微笑んだだけで直ぐに顔を地面へ下げる。夢の中でのあの少年――ジェレマイアが言った言葉が頭に張り付いて離れない。

『また目を反らすの? そうして人を傷つけるの?』

 言葉で否定できても心は否定もできなかった。でも今日、今し方理解できた。傷ついた心を修復する事はできない事、恨む心を簡単に解す事ができない事。
 人の往来が少ない場所を選びながら館へと足を急ぐ。その足取りが途轍もなく重くて、息を吸い込む肺が微かに痛んだ。彼女を支えるグレーテルでさえも傷を負っているのに自分だけ甘えるわけにはいかない。ユーディトは引きずるように掴むグレーテルの腕にそっと手を添える。

「歩けるから大丈夫よ」

「クレア、どうするの?」

 率直な問いかけに天を仰ぐ。そんなこと考えもしなかった。彼女は自分が生きる事でユーディトの罪悪感を煽りたいのだろう。ならば、今彼女が行動を起こす事は無いだろう。

「今はもう何も考えたくないわ」

 そう一言だけ呟くと彼女は自分の背丈ほどの倉庫の屋根に飛び上がる。ゆっくりと更に上を目指す彼女の後をただ黙って着いていくしかない自分にグレーテルは唇を噛み締めた。もっと言葉を操れれば分かって貰えるのか、もっと身分が高ければ話に耳を傾けてくれるのか。やり場のない不安と怒りを何処にぶつければ良いのか分からなかった。

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