光のラナンキュラス

Act.12 真夜中の訪問者


 思い出すのは無邪気な笑顔を浮かべて抱きしめてくれる暖かな存在。国は違えども温もりは変わらないと信じてる。だからきっと、正気を失ったと言われている貴方も暖かいのでしょうね。

 漆黒の空に硝子が砕けたような星が散らばる。昼間には見えない美しい光景を漆黒の瞳は一瞥すると優しい風が吹き抜ける廊下を颯爽と通り抜けた。その両脇を二人の男女が帯刀して辺りに鋭い視線を向ける。昼間警護してくれた騎士は既に休んでいるのだろう。見知った存在である二人の騎士は執務を続ける帝国の長から一時も離れる事はなかった。

「二人とも悪い、仕事が中々片づかなくて……」

 自分よりも年長の二人に謝罪の言葉を呟く。休む時間も与えずに振り回してしまっている事に申し訳ないと思ったのだ。だけどもそんな心遣いを左側を歩く男――スヴェンはくすりと笑った。

「我らは陛下の御身を守る為にあります。休んでいては騎士として失格です」

 嘗ての上司に敬語を使われる事に未だ慣れない。彼女――フィリーネは申し訳なさそうにはにかむと自分の類い希な境遇に一人溜息を吐いた。
 先の皇帝が崩御してから直ぐに即位の白羽が彼女にたった。何故ならば彼女の母は先の皇帝の妹であったから。だが、既に降嫁して継承権を破棄している母は位には就かずに娘であるフィリーネが立つ事となったのだ。皇族であることは承知していたし、身分も知っていたつもりだ。けれども、彼女が所属していた近衛騎士団は皇族で編成されており、彼女以外にも皇家の血筋を組む者は沢山いるし、皆彼女より年上だった。 彼女が皇として立った理由は先の皇帝の血筋に一番近い者、そして長く後継者として皇帝の口から彼女の名が出ていた事に理由があった。

「あとどのくらいで終わるの? いい加減、私も疲れたわ」

 擦れ違う騎士も文官も見当たらないのを良い事に右側を歩く女性――ファレノプシスが首元の詰め襟を外す。砕けた言葉使いではあるがその瞳は明らかに苛立っていた。

「ファレノ……」

「嫌なら外して頂戴、私は貴方に仕える為に騎士をやってきた訳じゃないもの」

 空のような瞳が怒りを孕んでフィリーネを見つめる。幼い日に会った時とは印象が違ったがそれは自分がまだ無知だったから。ファレノプシスは皇帝になる為に騎士となったと公言しているのを知ったのは騎士団に入ってからだった。まさかこのような形で夢を崩されるとは思っていなかったのだろう。即位をしてから年月が経っても彼女の不満は消えないらしい。尤も、彼女が即位をすれば消えるだろうが――。

「ならばファレノプシス、お望み通り警護から外す。その代わり、皇家の一員としての役目を果たさない貴方を王宮に置くわけにはいかない。直ちに出ていくと良い」

 その言葉にぐっと声を詰まらせるファレノプシスをフィリーネは変わらず見つめ続ける。もう幼い無知な少女は何処にもいない。世を治める皇に忠誠を誓えないならば騎士である意味もない。自ら近衛騎士としての心得を承知しているからこそ、厳しい言葉を投げ掛けられる。

「申し訳、ございません」

 噛み締めた唇から洩れた言葉は微かに震えていた。フィリーネはそれを一瞥すると足も止めずに前へ突き進む。そんな彼女を追い掛けるようにスヴェンが左を足早に歩いていた。

「……お強くなられましたな」

「私が弱い方が操りやすかったか?」

「いえ、私はいつか陛下にお仕えすると確信しておりましたから」

 まだ幼い彼女が皇女として皇帝の傍らに居たことがほんの少し、あった。いつも俯いて不安そうにしていた彼女、同じ血筋を持っているのだが何故か守らなくてはならない大切なものとなっていた。
 ――その心はずっと変わらない。彼女の心があの太陽のような王太子の元にあっても。

「陛下、スヴェン!」

 低めの女性の声が凛と響く。何事かと声の方に視線を向ければいつも背中に背負っている槍を片手に握って走るファレノプシスの姿。先程まで苛ついた表情をしていたがこの時とばかり、焦った表情となる。
 そして彼女が睨み据える先には――。

「エリク……?」

 会いたいと願っても立場は女帝と他国の王太子。その壁をいつも飛ぶように越えて現れる彼だったが、何故か今は彼の笑みに背筋が凍る。

「会いたかった……さぁ、俺と一緒に行こう。自由になるんだ」

「何を言って……」

 いるの、と問うよりも早くスヴェンの大きな背中がエリクとフィリーネを隔てる壁となる。その手には滅多に抜かない大剣が握られていた。

「エリクレスタ殿下、レイヴァス国王テオフィール様より見つけ次第拘束との依頼が来ております故、剣を向けさせて頂きます」

「兄貴、ね。それは用事が終わってから搾られに行くよ。だから退け」

 萌黄色の瞳と灰色の瞳に苛立ちが宿る。互いに一歩も退く気が無いのと、エリクの背後をとったファレノプシスにフィリーネは胸を押さえて後退った。頭の中に巣食う人格が悲鳴のように彼女に語り掛ける。
 ――ただ運命を繰り返せ、と。
 運命を繰り返せば死んで生まれ変わっても巡り会える。常に輪廻の中で出会いと別れを繰り返す。ひたすらそれを囁き続ける彼女の中の人格――アルデシアは一体何を未来に描いているのだろう。

「退かぬと言うならば容赦は致しません!」

 最初に動いたのはスヴェンだった。大剣を巧みに操って傷つけずに気絶させようというのだろう。軌道のわかりやすい剣撃にエリクは素早く身を屈めると後ろから槍を振るおうとしたファレノプシスの足を払う。直ぐに体勢を整えた彼女の腹に柄を食い込ませて沈めると剣の切っ先をスヴェンに向けて牽制した。

「陛下をどうなさるおつもりか」

「いやぁ、最近デートしてなかったから息抜きにちょっと……」

「真面目に答えなさいッ!」

 何かをはぐらかそうとしているのは分かる。彼のおどけた道化師のような言動は真実を見せないため。フィリーネはそんな彼に対して声を荒げていた。

「なら、俺と一緒に来てくれるか?」

「納得できる理由を話して」

「此処で? それは無理だなぁ」

 いつか、共に戦ったときよりも身のこなしや剣術は洗練されている。近衛騎士団随一の実力を誇るスヴェンとも、きっと彼は互角に戦い抜くだろう。ふとテオフィールの言葉が脳裏に蘇る。

『その様子じゃ色々と知ってるんじゃないか? 古の女神、百年戦争、とかな』

 経験もしていない思い出が蘇って胸が苦しくなる。手の届く場所に居たのに守れなかった人、人形の様に崩れていく姿は幾度も見てきたのにそれが浮かんだ瞬間に背筋が凍る。
 古代の魔女の手によって正気を失っているのならば、私の手で――。

「近衛騎士団長スヴェン」

「はい、陛下」

 ――取り戻してみせる。

「襲撃者を退けなさい」

 落胆した顔を見るのが怖い。恨むように見つめるだろう視線が怖い。全てを承知でエリクに視線を向ければ、彼は何故か慈しむような笑みを浮かべていた。

「御意!」

 地面を蹴って優雅な笑みを浮かべるエリクへ剣を打ち付ける。今度は気絶をさせるという小細工が無い為か、スヴェンの動きに切れが出てくる。元来、力任せのエリクと技量の高いスヴェンは優劣の差が大きい。だけども嘗てエリクの成長の一端を見ていた彼には微かな違和感を感じていた。エリクを包み込む大きな膜のようなもの。

(一人で来た訳じゃない……術師が一緒か?)

 辺りの気配を探りながら攻めるスヴェン。だけども防ぐエリクは決して焦った様子も見せずに彼の剣を受け流す。自分にもう少し強い魔力があれば――と思っても無い物ねだりでしかない。だけどももう一対の瞳がスヴェンの抱えていた謎の正体をじっと見つめていた。

「あぁ……古の魔女ね」

 腹に叩き込まれた一撃で体が重い。フィリーネに抱き起こされて、ファレノプシスは怒りに満ちた蒼穹の瞳を虚空へと向ける。血筋はフィリーネに劣っていても能力は勝らずとも劣らず、異様な魔力を感じ取っていた。

『くすくす……ま、バレたら正体を現さなきゃね。こんばんわ、古の歌姫の魂を継いだ女帝サマ?』

「貴様……」

 思うように体を動かせないファレノプシスと武器を持っていないフィリーネ。エリクと対峙しているスヴェンに助けを求め、集中力を欠かせる訳にはいかない。――自分が動かなくては救いなど、無い。

『ねぇ、女帝様? 貴方の鎖は本当に必要なのかしら』

「陛下! 耳を貸さずに……――」

 翠緑の魔女――リアの声を遮ろうと叫ぶファレノプシスだったが翠緑の魔女と目があった瞬間、体は吹き飛ばされて壁に叩きつけられた。肺にあった空気は一瞬で押し出されて吸い込む力を失いかけていた。それを必死に取り戻そうと浅く呼吸を続ける。だが、喉元に手を伸ばせば固く冷たいものが触れた。

『声帯を凍結させて貰ったわよ。さぁ……、私の話をお聞き』

 彼女と瞳を交じらせれば遠近の感覚が失われつつある。ぼんやりとした頭の中でリアの声が途切れることなく響き渡っていた。

『女帝として君臨するのに歌姫との鎖は必要ない……――貴方はなんの為に鎖にすがるの?』

 何故と問われても分からない。翠緑の魔女の言葉に首を振ろうとした時、ふと戦う二人の姿が視界に入る。彼らとの絆はどうしてできたのだろう。自分の記憶とアルデシアの記憶が入り交じる。そして漸く全てが理解できた。

「アルデシアは死んだリカルドと巡り会う為に鎖に縋った。私は……――」

 自分の意志でリカルドの生まれ変わりであるエリクと出会ったわけではない。アルデシアの魂を受け継いだが為に彼と出会うこととなった。

「鎖なんて欲しくない。だけど……鎖が消えたら私の想いは消えてしまうのか? 鎖によって作られた想いなら私は鎖に縋りたい。それが私の意思だ、翠力の魔女」

 思い出も全て無に帰してしまうのなら記憶の中にまだ止めていたい。普通の女性らしい答えに翠力の魔女はくすりと笑った。

『国を治める女帝もただの女ね。もっと理を正すためなら自分を殺すと思ったわ。【武の蒼帝】ならば彼を簡単に切り捨てるでしょうね』

「其処まで言わなくて良いだろ、リア」

 不意に掛けられた言葉にリアは不快感を表す。互角の戦いを繰り広げながらも此方の様子を窺っていたエリクは大剣を片手に視線だけを二人に向ける。スヴェンと言えば額に汗を滲ませながら歯を食い縛っていた。

「兄貴は兄貴だし、フィリーネはフィリーネだ。それに……もし想いが消えてもまた俺が好きにさせてみせる!」

「なっ……!」

『男気ある台詞ねぇー、そういう所がテオフィールと違うわね』

 恥ずかしさの余り、顔を赤らめて視線を反らすフィリーネと自信満々で胸を張るエリクを交互に見やりながらリアは笑うと素早く足元に魔方陣を描く。それは優しい萌黄色に輝くとエリクとリアを包み込んだ。

「古の魔女と逃げられる気か、エリク殿下!!」

 息を荒くしていたスヴェンが魔方陣に向かって剣を振り下ろす。だが、それは易々と止められ、弾き返される。

「悪い、フィリーネを頼むよ」

 先程のような自信に満ちあふれた表情では無く、今にも泣き出しそうな萌葱の瞳が此方を見つめる。本当ならば害を為す存在にはなりたくない。だけどもこの立場を選んだのは自分自身、決めたことは最後まで成し遂げなければ会わせる顔がなくなってしまう。だから、幾ら過去に確執はあっても一番側にいる彼に彼女を託すしかない。
 静かに魔法陣の中で消えた二人を見つめるとどさりと後方で音が鳴る。振り返れば壁に捕らわれていたファレノプシスが地面へと力なく叩き付けられた音だった。フィリーネは静かに歩み寄ると彼女の体を優しく抱き起こして、そっと呟いた。

「私は、皇帝には向いていないのかもな」

「陛下、私は……」

「スヴェン、通信魔道具を起動させるように言って。テオフィールに伝えなくては」

 ファレノプシスの言葉を遮ってスヴェンに命令を下す。その一言に彼は御意、と呟いて姿を消した。フィリーネはそのまま彼女の腕を引っ張って立たせると片腕を自分の首元に回して支えるように歩き出した。

「ねぇ、泣きたいなら……泣けば? 私は皇帝じゃないから本当の苦しさなんて分からない。私ができるのはあんたの話しを聞いて、身を守るだけだけど」

「ふふふ、そういうときは私を皇帝として扱うんだな、ファレノ姉様」

 漆黒の前髪で隠れた瞳から流れる涙が見えない訳じゃない。だけども知らない振りをして彼女を強い人だと思っているように振る舞う。それは厳しいように見えても彼女なりの不器用な優しさなのだ。誇り高い彼女はあの大切な男にしか弱さを見せないだろうから――。
 涙ぐんだ声を抑えつつ、二人は蝋燭の灯火が眩しい部屋を目指して廊下を突き進んだ。すると直ぐに騒ぎを聞き付けたらしい身辺警護の近衛騎士達が直ぐ様駆け寄り、フィリーネに頭を下げる。

「お怪我は御座いませぬか!?」

「私は無事だ、ファレノプシスの手当てを頼む」

 御意、と呟いて肩から彼女の手を離す。すると彼女にしては珍しい心配そうな蒼穹の瞳と交わった。

「陛下……」

「案ずることはない。スヴェンとて手を焼いた相手、敗北の数には入らん」

 そう言ってにやりと笑うとそのまま踵返して去っていくフィリーネにファレノプシスは苦笑した。互いに誇り高く、名を傷つけられることを嫌うのをよく知っているようだ。

「全く……よく似た親戚だよ」



+++++++++



『報告は以上だ』

 水鏡越しに報告を終えた女帝を目の前にテオフィールは俯いたまま口元に指先を置いたままだった。形のよい眉の間に深い皺を刻んで、微かに漏れたのは呻き声。代わりにフィリーネを労ったのは傍らで心配そうに話を聞いていたイーナだった。

「フィリーネ、ありがとう……エリクがアルディード帝国に行っていたなんて。昨日まではフィーリ王国に居たって言う報告が入っていたの」

『あぁ、それは間違っていない。翠緑の魔女と行動しているから神出鬼没に近い』

 対策を講じようも無いね、とテオフィールに微笑みかければ彼はハッとした表情でフィリーネを見上げた。

「どうして鎖に縋るのか、と聞いてきたんだったな?」

 確認するように問いかける言葉に素直に頷いた。あの時、アルデシアと入り交じった過去の――古の記憶が何かのヒントになるかもしれないと思ったが時間が経つにつれて、まるで夢を見ていたかのような感覚に襲われる。

「済まなかった。警護を増やしておけよ?」

『言われずとも……でも傷つける気はないと思うわ。あれはエリクの意志よ』

「エリクはな。だが、古の魔女は何を考えているかわからんさ」

 何て言ったって魔女と呼ばれた女だ。その名称に誇りさえ感じていた人物。微かに胸の奥で黒いものが渦巻くのが分かる。だが、それは明らかに自分の感情ではない。翠緑の魔女には何にも恨みはない。あるとするなら恐らくレイの方だろう。

(……すると次は俺、か)

 テオフィールはそのまま静かに席を立ったのだった。

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