月光のラナンキュラス
Act.13 信念の激突
前世の姉妹は今生の宿敵。憎くて堪らないと叫ぶ心は貴方を討てと命ずる。慈悲の神と言われようとも邪魔するのなら全力で排除しましょう。
――忘れたの? 貴方と私の目的は最初は同じではなかったか。
きっと貴方は覚えていないと言い放つ。人間の脆さや儚さを知った私は目覚めた貴方達に反旗を翻す。
物語を紡ぐ艶やかな朱を引いた唇。だけども放つ言の葉はまるで毒。夢の中でゆらりゆらりと語り掛ける彼女の言葉が分からなくもない。だけども一番気になったのは翠緑の魔女の意思だった。
「久しぶり、兄貴」
久しぶりに目にした弟の姿は何処か輝いていて、目的を持った人間とはこれほどまでに輝けるものなのだとふと思う。片や口元に笑みを浮かべ、片や愛想を尽かしたような冷たい瞳で青碧の瞳を萌葱の瞳と交わらせた。
「この……愚弟め」
「ははは、きっついなぁ。ま、当たり前か」
強いて言えば裏切ったことになるんだよね、と小さく呟く。
本来の目的を忘れ、私利私欲に走ったと言われても否定は出来ない。だけどもテオフィールならば話せば分かってくれるだろう。あの人と同じ苦しみを持つ人だから。だけども今は自分の役目を果たさなくては。エリクは 背負っていた大剣を抜き払い、真っ直ぐに構える。
彼――エリクが来ることは分かっていた。だからこそテオフィールは敢えて武道場で待っていた。今ここでは誰も彼の帰還に大騒ぎする者はいない。無粋な邪魔が入るとしたらあの女くらいか。それでもテオフィールは静かに長剣を握りしめていた。仕掛けたのは同時だった。速さで勝るテオフィールと力で勝るエリク。一見不利に見えそうなテオフィールではあるが軽い身のこなしは傭兵時代よりも良くなっているように見える。だが、纏う外套が少々邪魔なようで動くたびに彼を追いかけるように外套が宙を舞う。その嫌な条件を見切ったエリクは大きな体には似つかない速度でテオフィールの背後を取り、大きく剣を振り下ろした。
だけども手応えは曖昧なものだった。何故ならば咄嗟に外套を外したテオフィールがエリクに向かってそれを投げつけたからである。大きく狼狽えはしなかったものの、不意を突かれた形になったエリクは持っていた大剣を素早く背後に向ける。すると剣と剣がぶつかり、双方が喉元に切っ先を向けていた。
「この勝負、いつになったら終わることか」
「デスクワークで体が鈍っていないといいな」
互いに成長を感じながらも皮肉る。いつ自分の成長が終わってしまうのか、いつ追い抜かされてしまうのか。そんなことをも考える余裕もなく、彼らは再び剣を打ち付け合った。
+++++++++
直感というのは実に恐ろしいものである。研ぎ澄まされた感覚が彼女に警鐘を鳴らし続けるのだ。幼い頃から戦いの道に身を置いてきた所為もあって殺気などには特に敏感になっている。
「陛下……」
いつも大人しくヘンゼルの監視の元、仕事をしているテオフィール。だけども今日は王家の図書室で時間を潰していると聞いて何となく違和感を覚えたのだ。グレーテルは子どもっぽく辺りを見回しながら廊下を駆け抜けると見覚えのある姿が彼女と同じ様に何かを探しているのを見つけた。
「イーナ?」
「あ……ちょっと聞きたいことがあってテオを探してるの。どこにいるか知らない?」
一つに括った金髪を揺らしながら問いかける彼女には違和感は分かっていないらしい。グレーテルは首を振りながら静かに探している、とだけ呟いた。
氷の宝珠が砕けてから、イーナの顔に心からの笑顔が浮かぶことはない。笑っていても何処か悲しそうなそんな顔。一体何を考えているのか察することはできないが不安なのは手に取るように分かった。
「なら、探そう」
不器用ながらに口許が弧を描く。彼女の無表情しか見たことがないイーナも釣られて笑みを浮かべる。
「寝ている間に皆に置いていかれちゃった気分だわ」
四大貴族の中で一番最後に目覚めたイーナには現在の状況を少しずつ伝えている状態だ。それでも問題解決に苦しむテオフィールを何とかして支えようと気を張っている。
「気にしなくて良い、充分」
――役に立ってるよ。そう言おうとしてイーナの表情が凍りついたことに気がついた。その視線の先に慌てて目を向ければ武道場で剣を向けあう二人の人間。
「ユーディ、呼んで!」
「嫌! 私も行く!」
二人の正体が何となく分かっていたグレーテルだったがイーナも同じだったらしい。
三年前、嫌と言うほど二人の剣技は見てきた。だから構えを見ただけで誰が剣を握っているのか容易に分かる。だけども不安なのは二人とも本気で剣をぶつけていることだった。イーナが知っている二人は互いの弱点を補強しあう戦い方である。だからこそ弱点も強みも知っている。
必死に武道場まで駆けていくが気が付けば足の早いグレーテルにどんどん距離を離されていた。戦いに身を置いてきたグレーテルと村人でしかなかったイーナとの差は簡単には埋められない。だから叫ぶしかなかった。
「――テオ、エリクも止めて!!」
たった二人しかいない兄弟なんだよ。そう問いかけても彼等は信念に従う、そういう人間だ。無駄だと分かっていても話を聞いてほしかった。
『全く……悉く邪魔をするわね』
呆れたような声が響いて、前を走っていたグレーテルが強風に吹き飛ばされる。それを咄嗟に抱き止めるが余りの勢いにイーナまでも大きく吹き飛ばされ、後ろに下がってしまった。
「イーナ、怪我は」
「私は平気。あの人ね、レイヴァス様のお姉さん」
宙を滑るようにふわりと近づく女性を睨み付けるが、全く動揺した様子も見えない。それよりも不機嫌そうな表情が気になった。頻りに剣を交える二人の方に視線を向けながらイーナ達を牽制している。それにいち早く気が付いたグレーテルが強く地面を蹴ると視線を逸らしていたリアの顔を強く殴りつける。
(……手応えはある)
あのふわふわした実体から攻撃を仕掛けても痛みを与えることはできないと思っていたがそうでもないらしい。そうなればグレーテルにも勝機は見えてくる。素早く身を翻して太腿に身に付けていた短剣を片手に
握りしめると体勢を低くした。
『不意打ちで来るとは良い度胸ね、小娘』
左頬を押さえながらグレーテルを睨む瞳が煌々と輝き始める。それにも臆すこと無く、彼女は再び地面を蹴った。小柄な体は普通の男を簡単に翻弄する。だけども相手は翠緑の魔女、彼女の行動は予測しきれるものでは無いことを重々承知している。
懐に真っ直ぐ飛び込むのでは無く、一歩距離を取って短剣を振るうグレーテルにリアも予測しきれない部分があったのだろう。右手に込めた魔力があらぬ方向に爆発する。端からその様子を見守っていたイーナでさえも砂埃で戦闘の様子など分からない。ただ両手を組んでじっと息を飲むしかない。
『全く……やってくれるわね』
「所詮、虚勢」
一瞬の間に何が起こったのかよく分からなかった。砂煙が晴れた時には互いに膝を付いている二人がそこにいた。見れば、リアの純白の衣は所々破け、血が滲んでいる。だけども有利に見えたグレーテルは咳き込む度に血を吐き出していた。
どうやらあの砂煙はただの爆風では無かったらしい。イーナは慌てて駆け寄ると庇うようにグレーテルを自身の後に隠した。
「貴方は一体何がしたいの?!」
『運命に従うしか能のない貴方に言うつもりは無いわ』
そういってしなやかに指先をイーナに向ける。様々な色彩を帯びる光に背筋がぞくりと震える。だけども恐怖の余り動くことも叶わない。そのままリアの手に落ちるしかないのか。
様々な色彩がリアの指から離れて天へと吸い込まれる。何が起こるのか、と空を見上げた瞬間にそれは鋭い槍となってグレーテルとイーナに降り注ぐ。動けないグレーテルを抱えて走れるわけもない。咄嗟に覆い被さるように彼女の体を抱きしめる。凄まじい音を立てて地面に突き刺さる槍。いつ自分に突き刺さるのかと思うとガチガチと歯がなる。だけどもいつまで経ってもその槍はイーナを貫くことは無かった。
「大丈夫か」
「リア、手を出すんじゃねぇ!!」
それまで打ち合っていた二人が眼をつり上げてリアを睨み付ける。
――いつだったかこのような光景を見たことがあった。行動までも繰り返す輪廻の作用に思わず息を飲んだが彼女は辛うじて平静を保ち、やれやれ、と言って風にリアは首を振った。この二人は別に殺し合いをしているわけでは無い。初めて二人の手合わせを見たから判別が出来なかったのだが、本気に見える手合わせが彼らの普通なのだ。
『はいはい、お好きにどうぞ』
その言葉を合図に再び兄弟の手合わせが始まる。だけども二人の戦う意図も分からずにイーナは見守ることはできなかった。何も武器を持たぬまま駆けていく彼女を見てリアはふと首を傾げる。
テオフィールとエリク、フィリーネ、それに大陸を超えてユーフェミアの強い魔力を感じてきた所為か、二人が遠く成り行くのをきっかけにリアは違和感を感じた。
『魔力が感じられない……ローレン?』
かつて彼女と同じ容貌をしていた女性――ローレンを呼んでみるものの返事はない。レイに付き従う彼女のことだから一戦交える覚悟でエリクについてきたのだが――。
『歪みが正されたのね』
そう静かに呟く。一度肉体が死んだ彼女達にとって歪みが正される死は魂の死である。もう二度と力と人格を持って生まれてくることはない。
そうなれば、今ここでリアがやらなくてはいけないことは無い。彼女はふわりと宙に舞うと踊るように暫く兄弟の手合わせを眺めていた。
「やりたいように行動できていい身分だな」
「お陰で色んなものが見れたよ」
長剣が顔面を横切り、体を捻って大きく回転すると勢いのまま大剣を振り下ろした。だけども刃は虚しく地面に突き刺さるだけ。それを素早く引き抜くと懐に飛び込んでくるテオフィールを受け止めた。
「兄貴、国を守る理の加護を捨てて」
「何故だ」
「上手く言えないけど俺達には要らないんだ」
「四大貴族にか、それとも国にか」
「……全部だよ」
曖昧な物言いに眉を潜める。世界を構成する真理に触れたものは皆こうなのだろうか。
「だが、加護が失われればまた国は乱れる」
「あの頃は中途半端だったから……全部消すんだ」
そういうことか、と呟く。五つの宝玉で支えられている理。一つでも欠けてしまえばその均衡は崩れる。要らないものであるならば全てに壊せば均衡は無となる。既に氷の宝玉が壊れて、目に見えてはいないが均衡は崩れ始めている。顕著になる前に壊さなければ。
――でもどうやって?
「隙有り!」
足払いを掛けられて体勢を崩す。咄嗟に片手を地面につけて、そのまま足払いを掛け返そうとするが簡単に避けられる。
何とか距離をとって低い体勢から抜け出さなくてはいけないのだが、エリクも同じことを考えているらしく中々テオフィールの思い通りにさせてはくれない。
テオフィールは身を捩って剣から逃れると長剣を振りかざす。だが、自分が剣を向けた相手を見て、眼を見開いた。そこにはエリクに乗りかかるように大剣を押さえるイーナの姿。睨み付ける彼女の猩々緋に臆することもなくエリクはふと笑みを零した。
「もう止めて!! ……二人ともどうしちゃったのよ」
今にも泣き出しそうな瞳で二人を交互に見つめる彼女。だけども二人にとっては久しぶりに行う遊び程度の手合わせ。凄まじいまでの勢いに手合わせだとは思えなかったのだろう。兄弟が剣を収めるのを見ると力が抜けたように座り込んだ。
『エリク』
それまで二人の手合わせを観客として見ていたリアが滑るようにエリクに近づくと耳元で何かを囁く。その言葉に彼は一瞬眼を見開いたが直ぐにいつもと同じ表情になった。
「俺、行くよ」
そう告げたのを合図にエリクとリアの足下に魔法陣が現れる。優しい緑色の輝きに眼を細めた。
「こっちは心配するな」
「……分かった」
役目を知ったからには自分の役目を果たさなくてはならない。何時か必ず戻る日が来ると信じてテオフィールはエリクに背を向けるとイーナを助け起こす。傍らで倒れたままのグレーテルを抱き上げると転送魔法の音が鳴り響いた。その音にふと振り返ったときにはもう二人の姿は何処にも無かった。
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