光のラナンキュラス

Act.14 魔女の真実


 心に突き刺さった言葉の刃から溢れんばかりの鮮血。苦しい、助けて、と叫んでも誰も助けてはくれない。何故ならばそこは彼女の心の中。誰かが入り込んで寄り添ってくれることは無い。それも分かっていることなのに心はミシミシと歪んでいく。
 今までの自分は何なのと問いかけても答えは出なかった。堂々巡りで答えが出ないならばこのままでも良いのではないか。そう思って眠る日もあった。
 ――神降の民は歴史の真実を知り、正す。
 黒髪の少女は無機質な輝きを放つ瞳で彼女を見つめながらそう言い放った。彼女が知らなかった歴史の真実。一体少女がどんな真実を知っているのだというのか。王家以上に歴史を正確に伝える一族は居ない。何処かが歪められて伝えられているというのか。
 ――異端なお前に自らを正す勇気はあるか?
 涙が一滴、ぽつりと手の平に落ちた。
 異端だという自覚、理から外れた存在という事。それは祈祷魔術を使えること、それとも女神の一人を宿すことか。
 分からない、分からない、――分かりたくない。

『気にしているの?』

 不意に頭に響く声。寝台の中で寝返りを打つユーフェミアに語りかける声に答えるべきか一瞬迷った。インフォンティーノ駐屯基地では何も答えてくれなかった癖に王都の自分の部屋に帰れば彼女は何事も無かったかのように接してくる彼女にユーフェミアは唇を噛み締めた。

『怒っているわよね、ごめんなさい。あの場ではあたしは黙ってることしか出来なかったの』

「言い訳なんて聞きたくないわ」

『もう少しであたしの望みが叶うの。お願いもう少しだけ……』

「なら、全て話して。翠緑の魔女は何がしたいの? 何故、レイヴァス王子と手を組むの?」

 今まで抱えていた疑問が溢れ出す。ユーフェミアは体を起こすと窓越しの椅子に両足を抱えて座り込む。少し窓を開ければ新鮮な空気が彼女の周りを満たした。
 暫くの静寂の後にフィーリは重い口を開く。

『あたしは……あたしと同じ立場に生まれた貴方に同じ道を辿って欲しくなかったの。家族に見捨てられ、蔑まれ、……そして利用された』

 ごくり、とユーフェミアの喉が鳴る。握りしめていた掌が微かに汗ばんだ。瞳を閉じれば彼女の言う光景や悲しみが脳裏に思い浮かぶ。その光景を頭から追い出そうと頭を振った。

『リアはあたしと同じ目的を持ってるわ』

「……何ですって?」

 紫暗の瞳が釣り上がる。

『話しは最後まで聞いて。目的は……――鎖を壊すこと』

 何のことかさっぱり分からないユーフェミアにフィーリはくすりと微笑む。その瞬間、何か強い力に引っ張られる感覚がした。何かと引きはがされるような感覚に身を委ねると鮮明な声が部屋に響き渡った。

『この姿では初めましてだね』

「……フィーリ」

 深紅のドレスに身を包んで、見下ろす彼女の容貌はまるで鏡を見ているように感じる。だけども自分と違うのは多分、長い間人の世を見てきた強い精神と王族の気品。近くに居るだけでも何か強い力を感じる。ユーフェミアの体から抜け出して辺りを見回すフィーリはユーフェミアを見つめて、微笑むと彼女の隣に腰掛けた。

『貴方は自分の何が“異端”だと思ったの?』

「……貴方が私の中に居ること、絶対外れない祈祷魔術が使えること」

 普通の人はどうなのだろう、と考えるまでも無く、悩まされてきた事をつらつらと口にする。躊躇無く溢れる彼女にとっての“異端”の意味にフィーリは苦笑を浮かべる。

『そうね。……でも本当は違うの、本当の“異端”の意味、教えてあげるわ』



+++++++++



『私達は“鎖人”、それは何かを得たが為に大きなものを失った者――目的を果たしても完全に死ぬことは許されず、生まれ変わった未来の自分に取り憑き、しがらみを与える。一言で表すなら"永遠に切れない枷"に捕らわれた者』

「……永遠に切れない枷」

 フィーリ王国にある神降の民の集落近く。一件の古びた家屋を行動の拠点にしていた。レイヴァス王国での一件の後、戻ってきたリアとエリクは疲れきって眠るヴィラを見て、思わず破顔する。いつもは大人である自分達よりも先を見通すような冷静さで協力をしてくれていたが、やはり眠る姿は少女そのものだった。
 そんな彼女を起こさぬように二人は家屋から出ると静かに暮れ行く夕陽を眺める。暫くして静寂を破ったのは“お前は何者か”と問うエリクの言葉だった。

『私は翠緑の魔女として古代に生きたわ。人の悲しみや苦しみを糧にして生きるような日々だった。だけど、それよりも前に私は“鎖人”になっていたわ……レイやフィーリ、アルデシアもね』

 少し目を伏せて呟くリアにエリクは黙って彼女の横顔を見つめる。嘗ては自分を利用しようとした女性の顔にはもう見えなくなっていた。ふわり、と風が二人を撫でる。純白の衣がそれに流されて優しい衣擦れの音を奏でた。

「その……“鎖人”になる方法って」

 何だ、と問う前に見覚えのある光景が脳裏に浮かぶ。
 暗闇の中、前も後も、上も下も分からないような空間。歩いても進んでいるのかも分からない。恐怖の余りに膝を付けば何処かから現れてきた人。

『思い出した? リカルドであった頃に貴方は“鎖人”の契約を結んでいる……――もう、私達と同じなのよ』

 実際エリクには嘗て――リア達の時代にリカルドという人物であったことの自覚は無い。だけども彼女と出会ったことによって、無いはずの記憶が蘇ることが多くなったのは事実である。
 だけども自分自身が“鎖人”なんて思っていなくて。
 兄や大切な人だけかと思っていて。

「嘘だッ!!」

 思わず叫んだ言葉に呼応して強くなる風。リアの焦げ茶の髪をも激しく乱す風が落ち着く頃、漸く彼女は口を開いた。

『だから、鎖を断ち切りたいの。貴方は幾度も転生をしていない、転生を繰り返せば繰り返すほど鎖は強固になっていくから』

 はっとしたように俯いていた顔を上げたエリクの萌葱の瞳には憂いを帯びたリアの表情が見えた。優しいけれど、悲しそうな、似たような表情は何回か見てきたのに、今まで見てきた表情とはまるで別人で。

「イーナ……私、頑張るから」

 空を見上げれば朱と蒼が美しく混じり合う頃。彼女は踵返すと家屋の中へ導く扉に手を掛ける。入れ違いに出てきたヴィラは不思議そうに片眉を上げるとズカズカとエリクに歩み寄った。

「どうした」

「何でリアはイーナの事を知っているんだ?」

 あぁ、と納得が言ったように視線をリアが消えた方向に向けると髪を掻き上げながら、まるで当たり前のことでも言うように答えた。

「私と出会う前の名はエレナ……エレナ・リードヴィカ。その時の思い出が強すぎて、嘗ての翠緑の魔女の様に非情になりきれないんだがな」

「あいつが……エレナ?」

 聞いたことがある名前に眉を潜める。確か何時だったかイーナが友人の話をしていたときに出てきた名前だ。彼とテオフィール、フィリーネが任務で村を訪れる前に魔物によって殺されたと聞いていたが――。

「私には願いを果たせればどうでもいい話だ」

その人が嘗てどんな人だったのか、今はどんな地位に居る人なのか。神降の民として人里離れた場所に住むヴィラにとっては何の意味も持たない。無責任と言われても彼女はきっとこの心情を変えないだろう。

「待て、お前はどうやって“鎖人”が生まれるのか知っているのか!?」

「興味は無い」

 ばっさりと一蹴されて、がっくりと肩を落とす。
鎖が解けたとしても、鎖を付ける人が居る。根本的な原因を正さなくてはどうにもならないというのに――。焦っても答えは見えてこない。今此処にテオフィールが居たらそう言うだろう。
 それ以上何も言わないエリクにヴィラは一瞥すると部屋の中へ入っていく。そこには卓上に腰掛けて両足を抱え込むリアの姿。

「疲れたのか」

『ふふふ、馬鹿ねぇ。幽霊が疲れるわけ無いじゃない』

 だけども、リアの顔色には疲れが見える。強がっているのは分かるが、力尽きたら元も子もない。私に宿って休むか、と問おうとした時には既にリアは卓上から飛び降りて、くるりと回って見せた。

『心配しないで、ヴィラ。私が貴方に宿ったら態々、騎士の血を使って実体化させた意味がないわ』

 自らの手足で動いて、鎖を解く術を知り、解放されたかったから騎士の血を使った。だけどもヴィラにはそれに協力したもう一つの理由があった。
 それはヴィラの目的とする慈悲神と歌神の鎖を同時に解放すること。リアの話でレイヴァス国王テオフィールとアルディード帝国皇帝フィリーネに宿っていることは知っていた。レイヴァスの騎士を殺害することによってテオフィールをフィーリ王国に来させる事。そこで鎖を解放し、事情を話せばフィリーネと接触できると考えていたのだ。
 方法は少し違うが進んでいるのには間違いはない。ヴィラは努めて明るく振る舞うリアを尻目に、ひたすら思考を巡らせていた。

『でもね、私一つ心配なことがあるの』

「何だ」

『鎖がなくなって、消える時、どうなるのかなぁ……』

 魂がなくなる、即ちそれは死ぬこと。一度死んだが、直ぐに鎖人として意識を取り戻したために、死の感覚は無いに等しい。多くの人々を死に導いたと言うのに皮肉なものである。

「今更気にすることか」

『ふふふ、それもそうよね』

  普通に生きていれば死が訪れるのは当然。鎖人となったあの頃の自分は一体何を求めて輪廻を繰り返す存在となったのか、今ではもう分からない。ただ心に残っているのは後悔と虚しさ。
 同じ過ちを誰かが繰り返す前にこの世界から消さなくてはいけない、鎖人という存在を。

『ヴィラ、王子サマ呼んで』

 その言葉に彼女は一つ頷くと扉の向こうに居るであろうエリクに声を掛けた。盛大なくしゃみが聞こえたかと思えば鼻を啜る音を立てながら入ってくる。

「なんだ、これからどっか行くのか?」

『さっきヴィラと話していたでしょう? 鎖人はどうやって生まれるのか。最後だから、教えてあげる』

 最後だから、という言葉に眉を潜めるがリアは気にしない。卓上に腰を掛けたまま話を続けた。

『鎖を得るには契約が必要なの……“ある人”とね』

「“ある人”? 誰だよ」

「黙って聞け」

 途中で口を挟むエリクを非難するようにヴィラが睨み付けるとエリクは肩を竦めて、リアに先を話すように促した。

『時に人はそれを神、死神、天使、悪魔、祖先と称するわね。それと契約することで“鎖人”となるの。生きている時の記憶は大抵持っているわ。……勿論、無意識の段階でね』

 人によって良いことがあれば契約者の評価が変わるのは通例だ。嫌な思いをすれば契約を持ちかけた人を非難し、良い思いをすれば信頼する。人間の利益に忠実な部分が如実に表れる性質である。だけどもその先に待ちかまえている苦しみを誰も想像しない。

『百年戦争の時の私の目的は“鎖人”を増やすことだったの』

 深緑の瞳が睫毛の影に隠れる。当時を思い出しているのだろうか、その表情は暗い。百年戦争終結の起爆剤とも言われた彼女。妹であるレイとの決戦で死んだ彼女だが、結果的にはその目的を果たしている。

「でも増やしてどうするんだろうな。過去の記憶を持って生まれても無意識のレベルならあんまり意味が無いんじゃないか?」

『それは私にも分からない。だけども幸せな輪廻を繰り返すという条件を持ちかけられた私は快諾した……ふふふ、愚かよね』

「後悔は聞きたくない。だが、考えようによってはその意図、分かるかもしれない。過去の記憶を無意識で持つならば、持つ者同士が無意識に惹かれていく。それは切っても切れない……ある意味での絆であり、枷と言える」

 窓から差し込んでくる光に眼を細めながら呟くヴィラ。大剣に寄りかかって話しに耳を傾けるエリク。鎖から解放されるまで、消滅するまでの距離がまた短くなる。
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