月光のラナンキュラス
Act.15 絆と枷
――国を守る理の加護を捨てて。
その言葉を聞いて一週間が経った。あれから幾度も堂々巡りと称するに値する会議を行い、満身創痍の体を寝台に投げ出す毎日。王家の図書館に行く暇も無いほどの未曾有の忙しさが彼を襲う。
だが、それもその筈。彼自身が招いたことに等しいのだから。
「陛下、そもそも貴族達の理解を得ること自体難しいと思います」
「それをどうにかしなければならんのが俺達だろう」
ソファーに俯せになるテオフィールを一瞥して溜息を吐くのはヘンゼル。政治の特別顧問として側についている彼だが、今回ばかりは自分の能力に限界を感じていた。何故ならば主君の提案は余りにも突拍子もない――。
「理の加護を捨てる……本当に大丈夫なのでしょうか」
勿論、テオフィールが唱えた説は理解の出来る範疇にある。だけども実際に実行すると言われると足が竦む。長い間、理の加護に頼ってきたレイヴァス王国にとっては王家の存在さえ揺るがす事態になりかねない。それを幾ら訴えてもテオフィールは一言、民の為ならば、としか言わない。
内密に処理された王太子の襲撃、恐らくその日に何か情報を得たはずなのだがテオフィールは特に何も言わない。ヘンゼルは再び溜息を吐くと書類に眼を通した。
現在、彼の頭には二つの問題があった。一つは氷の宝珠が砕けたことに対する責任をドレッセル家の当主であるイーナが問われていること。もう一つはこれをきっかけに理の加護を捨てるというテオフィールの主張。有力貴族からの猛反対に加え、四大貴族のエーレンフェルス、テーベライナーからも不信の声が上がっている。まだ救いなのは代理当主の不在により、まだ状況を静観しているブラントミュラー家である。
「保守派を説得するには保守派の中から改革をする声を出さなくては……」
王命として無理矢理実行してしまえば一番簡単なのだが、それでは他の貴族達から反感を買うことになる。下手すればテオフィールの主張をねじ曲げて民衆に伝え、反乱分子を増やすことになってしまう。それを避けるためにも明後日行われる最終会議において多数を取らなくてはならない。
「悩ましき男を見てもあまり楽しくないな」
その声に俯せになって潰れていたテオフィールが勢いよく顔を起こす。大抵一度寝てしまえば目覚めるまでは寝続けるのに今回だけは違った。
「カイザー様!」
「おいおい、幽霊を見るような目で見るのは止めろよな」
歩くたびにまだ痛むのか、杖をつきながら歩くカイザーに駆け寄ったヘンゼルはその手を握るとテオフィールが空けたソファーへと彼を導いた。
「おいおい、もう傷は塞がってるんだが……」
「黙れ、怪我人」
乱暴に言い放つテオフィールに視線を向ければ、口元に笑み。何だかんだ言って帰還してきたことが嬉しいのだろう。肩を固くポンポンと叩くと向かい側にあるソファーに腰掛けた。
「全く起きて直ぐに帰還命令は流石にきつかったぜ?」
「悪い。だが、緊急事態だった」
テオフィールの弁解も片手で仰ぐと分かってるとにやりと笑ってみせる。カイザーは緩く結った髪を一度手で梳くとヘンゼルが差し出した書類に眼を通し始めた。
「だが、良く無事だったな」
「あぁ、エリクは最初から手加減していたよ。最初から翠緑の魔女に興味が合ったんじゃないのか?」
「いや、何も考えていなかっただろう。思いつきで勝手に行動するからな」
困った奴だ、と呟きながらもここ数年疑問に思っていたことが解き明かされようとしている。寧ろ都合が良いといった方が良いのだろうか。素早く視線を動かして文字を追いかけるカイザーの邪魔にならぬよう、テオフィールは暫く黙っていた。
「だけど、お前も無茶するよな……ヘンゼル、茶くれ」
「ふん、お互い様だろう?」
無言で一礼して出ていったヘンゼルを尻目にふんぞり返っていたカイザーが体を前に倒す。その真剣な瑠璃色の瞳に思わずテオフィールも座り直した。
「クレアはどうした」
「行方不明だ」
そうか、と呟くカイザーは再び書類に視線を戻す。何かを知っているのだろうが何も言わない。テーベライナー公爵家の特徴とでも言えば良いのだろうか。ユーディトに真実を問いかけても曖昧な笑みを浮かべるばかり。だけども彼はテオフィールの想像もしていなかった事を口にした。
「お前だけには知っておいて貰いたい」
まだヘンゼルが戻ってきていないのを確認すると彼は単刀直入に一言呟いた。
「クレアは……ライナルトの娘だ」
+++++++++
「理を捨てる事など……もう一度お考え直し下さいませ!」
「正気の沙汰では御座いませぬ!」
昨日と同じように必至になって思い直すように説得してくる貴族達。だけども彼らは何を思って理を捨てることを止めるのだろう。自身の領地の安全か、それとも権威の失墜を恐れてか、死を恐れてか。
玉座から見下ろすテオフィールの青碧の瞳は輝くことなく、貴族を見下ろす。その中に見慣れた姿も勿論ある。友人であることは変わりない、だけども友人と分かり合えないこと、譲れないことはある。貴族側に座る友人の視線を感じながらも彼はただ黙っていた。
(きっと昨日聞いたことも“譲れないモノ”なんだろうな)
居なくなったクレメンティアが嘗ての宰相ライナルトの娘ということ。きっと思い出したから居なくなったのだろう、自分の居るべき場所ではないと悟って。そして親を殺した男に忠誠など誓うことなどできない。人として当たり前の感情で行動したのだ。それをふと考え、自嘲気味の笑みをくすりと浮かべた。
「陛下……陛下」
はっと我に返ると隣に控えていたヘンゼルが小声で必至に語りかけてくる。慌てて笑みを消せば貴族達はまるで化け物を見たような目で此方を見つめてくる。なんとかして取り繕わねば。
「休憩を取ろう」
そう一言呟くと外套を翻して部屋へと足を向ける。その素早い姿に呆気に取られながらも貴族は頭を下げてテオフィールを見送った。
「陛下……一体どうしたというの?」
ぽつりと呟いたユーディトの声が微かに震えている。隣に座っていたクラウスも深く息を吐き出した。他の貴族達もまるで呪縛から解き放たれたように体を伸ばす。
「まるで妖(あやかし)でも見ているようだったわ」
ユーディト達が目撃したのは心の底から凍り付くような冷たい、妖艶な笑み。彼があんな笑みを浮かべたことは一度も無かった。
互いにテオフィールの変化について語り合う貴族達。その中で一人席に着いたままだったのはイーナ。勿論彼女もあの笑みを見て心臓が捕まれたような気がした。だけどもそれ以上に一瞬苦しいような顔をしたのを誰も見ていなかったらしい。
――何か重荷に耐えているような。
それを誰かに話そうとしても誰一人彼女には近づかない。何故ならばイーナは氷の宝珠を守れなかった出来損ない。王家の財産であり、国の基盤とも言えるそれを失った彼女は大罪を犯したのも同然。本来ならば投獄されるべき存在であるが、何もなかった。まるで誰もが彼女の存在を認めないかとでも言うように。
だけども苦しい、寂しいと泣き言を言うのは簡単だ。そうして現実に目を反らせば簡単だけども今はたった一つだけの希望に縋っている。
――理の加護の解放。
それさえ果たされれば彼女の役目は終わる。だからこそ必至にテオフィールを助けてはいるが、会議では貴族側に立たなくてはならない。貴族というレッテルが彼女を縛る。
そんな事を考えていると皆が一斉に席につく。ふと顔を上げれば片側の頬を赤く腫らせたテオフィールがいつも通りに玉座に座る。きっとヘンゼルに抓(つね)られたのだろうな、と思いながら隣にならって深々と頭を下げた。
「それでは会議を再開する……が、ある男に話があるようだ」
何処か遠くを見つめてにやりと笑うテオフィールに驚いた貴族達はその視線の先を探す。そこに居たのは重傷を負って動けなかったはずの人物。
「カイザー……」
紅を引いたユーディトの唇が微かに震えた気がした。
「カイザー・レオ・フォン・デーベライナー……フィーリ王国より帰還しましたことを報告申し上げます」
杖をついた姿が痛々しいが顔色は良い。ユーディトは駆け出すと優しくカイザーを抱きしめる。ふわりと花の香りが彼の周りを包み込む。懐かしい香りに浸るように空いた手でユーディトを抱きしめ返した。
「無事で……本当に良かった」
「ただいま、ユーディ」
同じ瑠璃色の瞳が交わる。それが当たり前のことなのに嬉しくて、ユーディトは彼を支えるようにして自分の席へ座るように促すが、それは片手で制された。真っ直ぐ姿勢を正し、凛とした表情で玉座に向かう後姿を彼女は呆然と見つめていた。何かを悟ったような雰囲気を持つ従弟を目の前にユーディトは静かに席についた。
「それでは、皆様にご報告することが御座います」
皆が固唾を飲んでカイザーを見つめる中でテオフィールは一人、前髪で瞳を隠しつつも口元に弧を描いていた。
「ご存じの通り、エリクレスタ王太子殿下の襲撃を受けて負傷いたしました。ですが、現在王太子殿下は翠緑の魔女により操られている状態にございます」
「魔女の目的は一体何なんだ……」
「王太子殿下が危険では?」
不安がる声が上がる中で一つ咳をしてカイザーは話を続ける。
「魔女の目的は……我が国の宝珠を壊すことにあるのです」
その言葉に部屋が一気に騒がしくなる。魔女の目的はテオフィールと一緒だったのか、国を売ろうとしているのか、あれやこれやと推測をし始める者や批判をし始めるものの声が飛び交う中、凛とした声が部屋を切り裂いた。
「お黙りなさい! ……陛下の御前ですよ」
すくっと立ち上がったユーディトは早く話を続けるようにカイザーに視線を送る。そんなやり取りを見てイーナは静かに両手を組む。手が白くなるほどに強く握りしめられた両手は微かに震えていた。
「宝珠や理の加護は百年戦争以前は存在しなかった。では何故今理の加護に頼って我らは生きているのでしょうか。理の加護の恩恵とは何でしょうか」
「お主も知っておろう、理の加護がなければ陛下が即位する前のあの……あの死の世界が広がるのだぞ!」
灰色の雲は国を食いつくすように広がり、雷が降り注ぐ。凍えるような寒さによる作物の不足と飢え。あの日々をもう一度呼び起こすにはあまりにも酷過ぎる。
「確かに全ての宝珠を制御するものさえ居れば、あのような日々は二度と起こらない。それは宝珠全てのバランスが保たれていたからです! 氷の宝珠無き今は、もう二度と宝珠のバランスは取り戻すことができない!」
その言葉に部屋が一瞬にして静寂に包まれる。そして痛いほどその原因となった人物に視線が集中する。その視線を平然と受け止める勇気が無くて、イーナは俯いたまま服をぎゅっと握りしめた。
「既に起きてしまったことをどうこう言うのは無駄なことでしょう。だからこそ、我らは新しい道を模索しなくてはならないのです!」
そう力強く演説するカイザーを制するようにテオフィールがすっと前に出る。一体何を言うのかと息を呑む人々。だけども彼らの予想とは反対に彼は静かな声でたった一言呟いた。
「今日は……解散とする」
背を向けるテオフィールに皆が慌てて立ち上がり、一礼をする。その後ろを慌てて追いかけるヘンゼルとユーディトを一瞥するとカイザーもテオフィールを追いかけた。
「陛下、お待ちください。一体何をお考えなのですか!」
息を切らせながら駆け寄るヘンゼルに振り返るとテオフィールは少し苛立ったように両腕を組む。
「あのままカイザーが説得しても貴族は怯えるだけだ……効果はない。ならばこちらが身を引けばいいということだ」
「ちょっと待てよ。それじゃあ加護は野放しにしておくのか?」
杖を片手に早歩きで近寄るカイザー。傷はほぼ完治しているものの、天気によって痛むために杖はかかさない。
「いや、考えがある」
そう一言呟くとテオフィールは自室へと向かう。そんな一国の主の姿を二人は呆然と見ていたのだった。
+++++++++
いつもならばグレーテルの護衛の元、部屋を確認してから入るはずなのにその日は違った。ヘンゼルとカイザーと分かれて私室に飛び込んだテオフィールは一心不乱に何かを探し始める。すると何かの気配を一瞬感じた。傭兵時代に磨いた気配を察知する能力はそう簡単に衰えないらしい。だが、その百戦錬磨の彼も手元に剣が無ければ普段通りに戦うことができない。その代わりに彼はゆっくりと瞳を閉じた。自分の中で燃え盛る炎の魔力をいつでも引き出せるように。
「お久しぶりです、陛下」
「クレアか……」
はい、と告げる彼女の姿を見ようと振り返ろうとすれば、背中に固いものが突き付けられた。
「あぁ、動かないでくださいね。私の扱う武器はご存じでしょう?」
「忘れるはずがないだろう……クレメンティア」
この固い感触は恐らく銃口。彼女が扱うのは緋色に染まった銃、その命中率を彼はよく知っている。そして彼女も何故テオフィールが『クレメンティア』と呼んだのか予想がついていることだろう。
「ふふふ、秘密の多いデーベライナー家が良く私の正体を話しましたね。私は貴方が殺した宰相ライナルトの娘……クレメンティアです」
「あの記憶封じが解除できたんだな。どうやったんだ?」
「貴方に教える道理はありません……父を殺した敵(かたき)に!!」
憎しみを込めた紫水晶の瞳は見ることができないが、突き付けられた銃口が背中に強く食い込んだ。
「敵ならば殺すか? ……生憎俺は剣を持っていないもんでね」
その言葉に首を振ったのか、銃口が微かに左右に振れた。そして彼の視界に見覚えのあるものが入ってきた。それはクレアがブラントミュラー家代理当主として持っていた雷の宝珠。それを静かに受け取るとクレアの見なれた小さな手がふと消えた。
「貴方にお返しします、国王陛下。そして……もう二度と会うことはないでしょう。忠誠を誓っていたクレメンティア・ブランケンハイムにはね!!」
背中に突き付けられていた銃口が離される。慌てて振り返ると頬の真横を何かが通り過ぎて、硝子が割れる音が回廊に響いた。頬を何かで切られたような痛みに手を伸ばせば、ぬらりと掌が血で染まる。その様子に満足したのかクレアは窓に向かって体当たりをすると硝子を砕きながら消えた。
「待て!!」
窓に駆けよって姿を探しても何処にも見当たらない。後ろで安否を問う兵士達やカイザー、ヘンゼルの声も耳に入らないまま、テオフィールは彼女の消えた先をじっと見つめていた。
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