光のラナンキュラス

Act.17 燃え盛る狂気


 本日は晴天、外に散歩に出るにはちょうどいい。
 一息吐いてこい、という主君の言葉にヘンゼルは溜息をついた。いつも勝手に何処かにいくテオフィールが初めてヘンゼルに休暇を与えたからだ。最後に行われた会議での何かを思いついたかのような言葉。いつも何か考えているとは思っていたが、それをヘンゼルに教えようとしないのに不信感を抱いていた。
 久しぶりに昼間、ラドミアーナ家に帰ったが、家には誰もいない。早くに両親を亡くしたし、数年前に祖父を亡くしたヘンゼルには家族はいない。家族同然と言えるのはデーベライナー家であるが、国王の主張を支持していた手前、簡単に出入りするわけにもいかない。改めて自分が一人ということを認識させられる。
 だからこんな遅い時間に外に出たのだが、城下町に出ても何をすればいいのか分からない。目立たない平民の服装をしているから浮いているわけではない。

(えっと……陛下はいつもどうしてたっけ)

 暗闇の中でベンチに座ってテオフィールの行動を思い返す。
 確か最初の脱走は練兵場で兵士と試合、二回目は民家の屋根で昼寝、三回目は港で海を眺めていたし、四回目は飲み屋で昼間から酒を飲んでいた。そう考えるとテオフィールは一人で過ごす時間をうまく使っているのかもしれない。だけどもヘンゼルが真似をするには少々無理がある。時間的にも兵士達は休んでいるだろうし、態々高いところで眠る理由もない。海に行っても良いが行くまでに夜が明けてしまうし、酒は一口でノックアウトされる。
 そう考えると真似は無理である。自分らしい休暇の過ごし方を探るために彼はベンチから立ち上がると真っすぐ王城へ足を向けた。

(イアン様はともかく、イーナ様なら良いアドバイスを貰えるかもしれない)

 王城へ入る門を守る兵士達は彼の姿を見ると不思議そうに首をかしげたがすんなりと通してくれる。休暇を過ごすのにわざわざ夜中に、そして仕事場に来るのを不思議に思っているのだろう。ヘンゼルはあまり気にもせずに中へと入った。
 ――だけども彼は気付かなかった、それもテオフィールの計画の内だったということを。

「本当にお前の所の補佐官は間抜けね」

「いや、普段は有能なんだけどなー」

 門番がヘンゼルの存在に視線を集めたことによって隙ができる。それを使ってエリクとヴィラは門を越えることができた。柱の陰に隠れながら回廊を歩き回る兵士達の眼を盗んでは最上階の「蒼穹の回廊」を目指す。そこに着いてしまえば王族やその関係者しか滞在していないので警戒する必要もない。見つかりそうになっても寸前で対処できるエリクと違って、ヴィラは普通の女性である。こうした作戦をこなすには補佐が絶対的に必要である。二人が辿り着く頃には息を切らせていた。

「いつも以上に警備が強固だな」

 額に浮かぶ汗を拭うエリクの言葉に返事もできないくらい息を切らせているヴィラの腕を取ると勢いよくその体を持ち上げる。

「お前の……兄は私で……遊んでいるだろう!!」

 苛立ったように掴んでいる手を振りほどくと速足で国王の私室に向かって歩き出す。そんな彼女にエリクは肩を竦めるとその後を追いかけた。


+++++++++



「眠い」

「いーよ、寝てても」

「眩しい」

「布団被れば?」

 単調な会話を交わすのはイアンとグレーテル。夜行性のイアンと昼行性のグレーテルが何故一緒に居るかと問われれば至極簡単なこと。エーレンフェルス家の始祖に夢で出会ったから。氷の宝珠が壊れた件もあるために一緒にいるのだが――。

「態々同じ部屋に居なくてもいいじゃん」

「黙れ」

 はいはい、と書類に目を通すイアンはふと息を吐いた。いつも部屋に籠るのが日常ということもあるが、年頃の男女が同じ部屋に居るというのは神経が疲れる。例え、女の方は気にしていないとしても――。

「早く寝ろ」

 不満そうに言うグレーテルにやっぱり溜息を吐く。彼女が守護士の役割を至上としているのは知っているが、ここまで無視をされると人に関心を示さないイアンでさえ、気にする。彼は仕方がない、とでも言うようにぐっと体を伸ばすと蝋燭の灯りを吹き消した。するとグレーテルは短剣を片手に部屋の出入り口へと音も無く駆け寄ると鋭い視線を扉へと注いでいた。
 ――がちゃり。
 遠慮がちな音と共に扉が開く。それに気付いてイアンもすぐさま寝台の陰に隠れる。入ってくる人物が誰なのか分からないまま、じっと息を殺した。侵入者は灯りが消えるのを待ちわびていたらしい。その中の人が眠っているのかに関係なく。
 侵入してきたのは複数、数は分からないが倒せば数えることができるだろうと判断したグレーテルは一番手前に居た人物に向かって勢いよく短剣を投げつけた。ドンという音と共に膝を付く人影。それをきっかけに彼女はもう一つ短剣を抜くとまるで獣のように飛びかかって息の根を止めようとする。が、すっと前に出てきた人影から繰り出された一撃に鋭い痛みを感じて後退する。暗闇である分、武器の軌道がまるで見えないのだ。

「お前はこの部屋の主か?」

 静かに問いかけられた声は男の声。よく見れば、彼の手には何か長いものが握られている。

(槍……)

 だから影が動いた瞬間に刃が来なかったのだ。彼が動いて、時間差で襲ってくるのはこの暗闇では分からない。グレーテルは黙ったまま、汗が滲む掌を開いた。

「だんまりは困るんだよ。おい、灯りをつけろ」

「待って、セル……この子が怪我をしたの」

「平気です、私が灯りをつけます」

 二人の女の声。低めの声の女は傷に一々敏感に反応する。恐らく戦場に慣れていない人間だろう。暗闇に慣れつつあった目が光りに晒される。余りの眩しさに目を細めればそこには声の数と同じだけの三人の姿。

「……何者?」

「お前がエーレンフェルス家の者か?」

 問いかけに、問いかけで答える。それに不快感を感じたのか、グレーテルが不機嫌そうに眉をしかめる。それを察知したのか、寝台の陰に隠れていたイアンは大きくその場に居る者たちに聞こえるような溜息を吐くと立ち上がった。

「俺がエーレンフェルスの者だ」

「イアン」

「いーんだよ」

 制止する声も無視して出てきたイアンに三人は思わず眉をひそめた。これまで見てきたレイヴァス王国関係者は信念の強い人たちばかりだと思っていた。この威嚇するように睨んでくる娘も、彼らをここに招き入れた王子も然り。だけども目の前に現れたイアンの瞳は虚ろで、蝋燭の光に反射して浮かび上がる顔は青白い。線の細さからはまだ成人していない少年だということは分かるが、余りの覇気の無さにただ呆然とするしかなかった。

「これが目的だろ?」

 そう言って放り投げられた玉をユーフェミアは慌てて受け取る。布越しに感じる魔力は恐らく相当強いものだろう。これを直に触れたくないと心底思う。

「テオフィールの兄貴からの伝言だ……『少々遊ばれていくと良い』ってな」

「ど……どういう意味ですか?」

 セルディアが恐る恐る問いかけた瞬間、漂っていた空気が変わった。それも風を司るエーレンフェルスの血筋の所為か、それともユーフェミアが持つ風の宝珠が何かを訴えているのか。
 ――虚ろだったイアンの瞳に光が宿る。
 その瞬間、アルフレートは確かに自分の横を誰かが擦り抜けるのを感じた。だけどもそれがいったい誰なのか、自分に何が起こったのか、焼けつく痛みの理由を理解する前に床に強く打ちつけられた。

「アルフ!」

「動かない方が良いぜ……治療はグレーテルがやる。今から半刻の間に俺から剣を奪ったらお前達の勝ち。生きて祖国に帰すことを約束してやろう」

「もし負けたなら?」

 くすりと唇が弧を描く。それはまるで玩具を与えられた子どものような笑い方。だけども瞳は血に飢えた獣のようで――。

「国家破壊活動者として……ま、良くて永久投獄。最悪公開処刑だな」

「そ、そんなの出来る筈がありません! そもそも国王陛下がお許しにならないでしょう!?」

 叫んだセルディアの背後から立つ笑い声。余りに冷たい笑い声に思わず身が固まるが、イアンは何もしてこない。

「そうだな。だが、裁判に掛かる前に俺に殺されるなら別だ。十秒だけ待ってやる……散れ」

 ゆっくりと寝台に寝転がると両手を天に翳して一つ一つ指を折っていく。余りの横暴ぶりに抗議しようとするが腕を強く引かれる。後ろ向きで走るざまになったセルディアは窓硝子を破った音と降り注ぐ硝子に悲鳴を上げながら暗闇に消えていった。

「イアン」

「分かってるって。殺しそうになったら俺を蹴り飛ばしてよ」

 テオフィールが彼にきつく言ったのはあの三人――フィーリ王国王女一行を無事に国に帰すこと。だけども目的のものを素直に渡すのは勿体無い。そこで思いつきのままに提案したのだ。アルフを一撃で沈めることができたのは不意を突くことができたから。正面から挑んだら間違いなくイアンの方が負けていた。
 使い慣れた剣は金の装飾が細かく施してあり、柄と刃の境目には緑と黄色が中途半端に混じり合ったような宝玉が埋め込まれている。これは初めて剣を持つ年頃になった時、父親であるクラウスから与えられたものである。比較的物持ちの良いイアンであるがこれだけは常に手入れを欠かさなかった。

「さてと……」

 暗闇が広がる街並みに目を凝らす。恐らく一人怪我をしているからそう遠くまでは行かないだろう。イアンは窓に足を掛けるとそのまま宙に身を躍らせた。

「無茶苦茶だな、あんたの友達は」

 斬られた肩甲骨の近くを擦りながらゆっくりと起き上がる。擦れ違い様の攻撃は二回だったのだ。一回目は肩付近を剣で攻撃、その流れに乗じて柄で後頭部に一撃。だからアルフレートは何が何だか分からないまま昏倒する羽目になったのだ。
 無表情で外を見つめるグレーテルは掠れた声でアルフレートに聞こえるか分からないくらいの大きさでひっそりと呟いた。

「あいつは、賢い」



+++++++++



 腕に突き刺さった短剣を無理矢理引き抜けば、小さな悲鳴が聞こえた。暗闇の所為で表情は見えないが彼女なりに我慢をしているのだろう。側仕えとして任務に就いていたセルディアは滅多なことで怪我はしない。するとすれば訓練で付けた傷ぐらいだろうか。ユーフェミアは彼女の腕を優しく握ると大きく息を吸い込んで瞳を閉じた。じんわりと熱を帯びてくる傷口を感じながら心の中でひたすら願いを口ずさむ。
 集中の為に黙ってしまった主君を前にセルディアは眉を下げる。じんじんと脈打つように熱くなる腕と駆け抜ける痛み。物陰に隠れて術を行っているとは言えども狂気に満ちたあの少年を思い出すだけで背筋が粟立つ。ある意味で彼に特別なものを感じた。
 そんなことを考えていると突然目の前に閃光が広がる。余りの眩しさに目を細めるが、閉じることはしない。祈祷魔術を使うユーフェミアの姿が余りにも神々しかったから。初めて見たときは聖翼神の再来と思った。だけどもそれを告げれば彼女は烈火の如く怒り、二度と口にしないように言い放った。その理由は彼女の弟から聞いて初めて彼女の気持ちが分かった。人と重ねられることの虚しさ、比べられることへの反発。彼女が背負うものを彼――クロードはよく知っていた。

『姉上は辛いんだと思う。だけど、皆も辛いんだ』

 この俺様もな、と言って笑ったクロードの顔が忘れられない。
 女王である母親は統治者として自分の威厳を下げるわけにもいかない。だけども未来を担うユーフェミアの立場も尊重したい。板挟みの中で次第に娘にどう接すればいいのか分からなくなったのだろう。そして姉弟に知らされることのない父親。きっと影で頭を悩ませているかもしれない。だけどもそんなことも知らずに平穏に暮らしているかもしれない。

「出来たわよ」

 少し疲れを滲ませた声にはっと顔を上げた。暗闇で窺いにくい表情は流れる前髪によって更に隠される。腕を動かしてみれば痛みは走らなくなっていた。

「ありがとうございます」

「貴方が動けるようになっていいのだけど、どうやってあの子を負かす?」

 額の汗を拭いながら髪を掻き上げるユーフェミアは辺りを見回す。二人が居る場所は城下の狭い路地。複雑に入り組んだ道はまるで迷路のようである。民家の多くは灯りが消え、空を見上げれば漆黒に月がぼんやりと漂う寂しい空。星さえも見えないほど暗い空に空が覆っていることに気がつく。数刻すれば雨が降るかもしれない、そんな天気だった。

「そうですね……」

「そうですねって何も考えてなかった訳?!」

「いえ、あの姫様が急に乱暴な脱出をなさったものですから、その」

「何、私の所為ってこと?」

「そんなことは毛頭も……!」

 ああ言えばこう言う。この王女は自分の思いついた通りに行動し、意見を求めるときは迅速な回答を求める。王女らしい世間知らずなところもある。だけども機嫌を損ねれば面倒くさいことが起こることが分かっているセルディアは必至に思考を巡らせたが、その前に状況が変わってしまった。

「のんびり話し込むとは余裕だな」

 右肩に乗る重い金属。血が下がるのを感じた。
 目の前のセルディアの表情が強張ったのを見て、ユーフェミアは唇を噛んだ。

「早いお着きね、お前はせっかちなのかしら」

 その言葉に背後に居たイアンは彼女の正面に回って、目を細めながらユーフェミアを見下ろす。だけども所詮は子ども。年の離れたユーフェミアにとっては子どもが機嫌を損ねた顔にしか見えなかった。

「テオフィールの兄貴は何を考えているんだ……こんな女の何処が王女なんだよ」

 その言葉にイアンの背後に感じていた殺気がぐっと深まる。刺さるような気配に素早く剣を打ち付ける。彼の予想通り全身で細身の剣を振り下ろすセルディアの姿があった。いつもの頼りない表情は何処へやら、真剣な表情で剣を握りしめていた。
 がらりと変わった雰囲気にイアンはにやりと笑うと直ぐ様次の一撃へと転じる。上段の一撃を避けて細身の剣が突きを繰り出すが、剣の平面部分に塞がれてはじかれる。その勢いに乗って下段から上段への一撃を後ろに下がって避ける。細身の剣は主に突きを得意とし、一撃でも加えることが出来れば致命傷となる。それとは反対に剣は切ることを目的にしているために細身の剣より狙う表面積が広い。どちらが有利かと問われれば誰もがイアンと答えるだろう。だけどもセルディアは軽い身のこなしで滑るようにイアンの攻撃を避けながら攻撃に転じる。予想外な彼女の運動能力に距離を取ったイアンは剣を降ろすと空いた手で汗を拭った。

「もう終わりですか!」

「流石は現役の騎士様だな……だが、俺は貴族のお子様、そんなに本気にならなくても良いんじゃないか?」

「姫様を侮辱したお前に手加減は無用!」

 細身の剣が一閃する。人を斬ることに躊躇いを持たなかったのは初めてかもしれない。
 代々騎士の家系という所為で剣を持ったのは誰よりも幼かったと思う。重くて、不気味に輝く刀身にぞくりと背筋が凍ったのは生々しく覚えている。それから成長して、自分の将来の立場を認識した。王族や国民を守る国の盾として、いつしか戦場に立つ日が来る。士官学校の同期達はそんな日を夢見て訓練していたのかもしれない。だけどもそんな日は絶対に来てほしくないと剣を持つたびに思った。毎日の訓練で怪我をし、血を流す仲間達。
 そして不意に心が冷めるのを確かに感じていた。
 ――私はここで何をしているの?
 ――何故、剣を持っているの?
 ――何故、何故、何故、何故。

 疑問が浮かんでも答えられぬまま、心を支配する。そして相手を前にした時に手は止まる。
 だけども今だけは胸が燃えたぎるように熱かった――否、灰になりそうだった。疑問なんかより目の前の少年――イアンをただ黙らせたかった。それが何故だかわからない。何時も浮かんでいた問いかけはそこにはなかったのだ。
 そして気がついた時には悲しみと「何か」が複雑に入り混じった主君の顔が視界に入った。その「何か」が分からぬままセルディアはからん、と落ちる剣の音に誘われて地面に視線を降ろす。そこに広がっていたのは――。

「う、そ」

 血だまりに染まるのは赤髪の少女とそれを抱き寄せる金髪の少年。赤黒く鉄臭い血の匂いに思わず鼻を手で庇ったが、肝心の掌も血に染まっていた。

「わ、わたし……」

 掌を握り締めると生々しく蘇る肉を斬る感触。恍惚としたあの感情は一体何。またいつものように疑問が浮かんでくる。だけども誰も彼女には声をかけない。まるで失望したかのような視線が痛い。
 誰かにこの光景は悪夢、そう告げてほしかった。
 ――だけどもそれは永遠に醒めることの無い現実、そのもの。
 その出来事は、東の空が白み始めたころだった。

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