光のラナンキュラス

Act.18 一つの器、二つの魂・前編


 芳しい香りが漂う空間で深呼吸をする。赤や桃、黄色や純白に染まって自信を主張する百合を見渡すのは良い気分だった。気分転換をするにはもってこいの場所であるが、百合よりも薔薇が好きな彼女には少し物足りなかった。百合に埋もれながらも健気に咲いている名も知らぬ花を見て、一人溜息を吐いた。
 エリクの襲撃は彼女の護衛に大打撃を与えた。ファレノプシスは翠緑の魔女によって声帯を凍らされた後に無理矢理声を出したので、哀れなほど声が潰れた状態になっている。スヴェンは侵入を許したことによって元老院から警備の見直しを迫られ、城を奔走していることだろう。
 彼女――フィリーネは再び襲ってくるかもしれない侵入者に備えて安全な場所へ避難、という名目の軟禁状態だった。勿論、侵入者であるエリクは自分の目的を果たすまでは此処に来ない。それを元老院に説明しても根拠がないと一蹴されるのは目に見えている。ただ唯一の救いと言えば軟禁場所がスヴェンの実家ということだった。

「陛下、何か必要なものは御座いますか?」

 若草色のドレスに身を包んだ女性は年齢の割にはかなり若く見える。背筋を伸ばしながらも頭を垂れるその姿は少しでも皇族の血を引く者としての誇りだろうか。さらりと焦げ茶色の髪が肩から滑り落ちた。

「ありがとうございます、ベーレンドルフ夫人。とても満足していますから」

「スヴェンが戻れば、少しでも執務が出来ると思うのですが……ご容赦くださいませ」

 穏やかな物腰で一礼するベーレンドルフ夫人――スヴェンの母親は困ったように眉を下げていた。息子のスヴェンとは違い、漆黒の瞳を持つ彼女も少なからず皇族と元老院の確執を知っているのだろう。執務を滞りなく行いたいという希望をスヴェンに託したことを知って、気にするのはフィリーネの意思を尊重したいが為だろう。
 だけどもフィリーネはそっと首を振って笑って見せた。

「短い休暇を頂いたと考えます。……そうだ、ベーレンドルフ家の歴史をお教えくださいますか? 遠い親戚なのに私は詳しいことを知られていないのです」

「歴史、ですか」

 少し驚いたように目を見張る彼女だが、直ぐに快諾してくれた。

「ならば、最適な部屋が御座います。そちらに参りましょう」

 先導するベーレンドルフ夫人の後ろを追いかけるように歩くと不意に護衛騎士と並んだ。見上げれば何処かで見たことのある顔だった。黒に近い銀の髪を裾だけ伸ばし、緩く結んで一つにまとめ、瞳は深い紫色をしていた。
 ――確かに見たことがある。
 名前を忘れてしまったが、彼は恐らく自分のことを覚えているはずだ。それを問いかけようとした時、先を歩いていたベーレンドルフ夫人が足をとめた。

「此方で御座います」

 扉を大きく開け放って迎え入れようとする夫人を制止して護衛騎士が剣を片手に中へと入る。隙の無い身のこなしで部屋の中を確認すると彼はフィリーネに一礼した。恐らく入っても危険はないということだろう。部屋に足を踏み入れるとそこには一族の肖像画で埋め尽くされていた。数えるのも大変なくらいの枚数だから帝国建国以前から続いている家なのだろう。簡単にいえば皇家よりも長く続いている家である。

「ベーレンドルフ家はブルグナー王国の文官から始まりました」

 そう言って一つの肖像画を指差す夫人に促されて見上げれば、穏やかな表情を浮かべた老人の姿が描かれている肖像画が目に入った。それから右側を見ればやはりかなり年齢のいった老人が描かれている。途中からは画風が変わり、それまで白黒で描かれていた絵に色とりどりの色彩が花開いた肖像画になっていた。

「ここからはアルディード初期の頃だな」

「はい、戦争責任を問われた頃にたった一人で帰還されたアルデシア様の御子様が綺麗な色を好まれたことから画風が変わっております」

「あぁ、私も綺麗な色は好きだ」

 これも彼女の影響かな、と笑えば夫人はゆっくりと一礼をして同意を示す。好意的な夫人の仕草とは逆でフィリーネは微かに自分に向けられる視線に居心地の悪さを感じていた。その視線の元は護衛騎士。普通ならば部屋の危険が無いか確認して、退出するのが礼儀となっている。もしかしたら警備を強化したことから常に付いて回るようにスヴェンから言われているのかもしれない。良い気分ではないが、肖像画を眺めることで気分を紛らわせていた。

「皇族との関係は今から五世代前になりますね。陛下と私との関係は恐れながらも遠い親戚となるほど薄くなってしまいました」

「だが、スヴェンは素晴らしい才を持っている。遠縁とは思えん程な」

「先祖返りですよ、陛下」

 振り返れば何時の間にやら戻ってきたスヴェンの姿。いやな視線を送り続けていた護衛騎士を労う様に背を優しく叩くといつものように左胸に手を当てて一礼した。

「よく戻った。城はどうだ」

「元老院は占拠はしないようです……何の為に陛下を移したのか意図は分かりません」

「あちらに宣戦布告されなければ良い。明日には城に戻る……母上に伝えてくれ。それと夫人、あと一日だけ ご迷惑をかける」

 勿体無いお言葉で御座います、と礼をする彼女の姿。それに一つ頷いて部屋を出ようとすれば、もうあの紫色の瞳をした護衛騎士の姿は無くなっていた。



+++++++++



「様子はどうだった、アルトゥール」

「不信感は抱いているものの、様子に変わりはありませんでした」

 窓から吹き込んでくる柔らかい風に黒に近い銀の髪がふわりと揺れる。
 円卓に揃った幅広い年代の面々に彼――アルトゥールは頭を垂れたまま顔を見ようとしない。顔を見てしまえば入り込んではいけない場所まで足を踏み入れてしまうような気がしたから。たった一人知っているのは声をかけてきた人物のだけ。彼を元老院側の人間として引きこんだ男である。

「あの女を擁護するベーレンドルフや近衛騎士達が邪魔なのは気に入らないが、諸侯の中にもあの女を嫌うものがいるのは確かだ。それに乗じてひと騒動起こしてやるのも面白かろう」

「皇位を狙うのではないのですか……?」

「我らが皇位を得たところで民意はあの女にあるまま……信用を失わせて、地に堕ちる様を見てからでも遅くはない」

 逃げ道を一つ一つ潰してから最後にはその命を食らう。それはまるで毒蛇が獲物の苦しむさまを眺めているようなそんな光景なのだろうか。その理念ややり方に決して賛成している訳ではない。だが、皇族の頂点に立つフィリーネが気に入らないだけ。何故、と問われても理由は分からないが、ただ彼には目障りだった。

「引き続き監視を続けよ」

「……御意」

始終、あの男は信用失墜をさせる行動について語ることはなかった。アルトゥールを未だ信用していないのか 、それとも実行に移していないのか。彼は外套を翻すと元老院の面々と一度も目を合わせないまま、その場を去った。
 元老院はアルディード城下街の中心部に位置する歌神アルディードを祭る神殿を拠点として活動している。それはまるで歌神アルディードの血を引く皇帝に対抗するように神殿という信仰の対象を背に張り合おうとしているように見える。そんな神殿を見上げて彼は王城への道のりを歩き始めた時だった。
 ぐい、と袖を引っ張られて微かに体が後ろに下がる。昼間から客引きの女か、と溜息を吐きながら振り返ると其処には見なれた女性の姿があった。

「アル……ト、な、にして、るの?」

 掠れた声で精いっぱい語りかけてくるのは声を負傷したファレノプシス。いつもの芯のある声は何処へやら、弱々しく喉を震わせる彼女に喋るな、と首を振った。

「用事があったんだ。お前こそ休暇を貰ったんだ、家でゆっくりしてろよ」

 その言葉に彼女はふと視線を逸らした。どうやら触れてほしくない話題に触れてしまったらしい。何時もならば素晴らしい皮肉を返してくるファレノプシスも自由に声を操れない今はただ言われるがままでいるしかない。だけども、しおらしくしているかと思えば捻くれた様に唇を尖らせていた。

「家に、いたく、ない」

 お前は子どもか、と呟けば爪先を鋭いピンヒールで思いっきり踏まれた。その痛みに悶絶すれば彼女は勝ち誇ったような表情を浮かべる。それを良いことに彼女はアルトゥールの手を掴むとそのまま歩き出した。何処に連れて行く気かと問う前に彼女は足を止めて、建物を見上げた。
 そこは二人が好んで通う行きつけの酒場。昼間は食堂で夜は酒場という二足の草鞋を履いている店だが、サービスが良いことからかなりの評判である。

(……もしかしたら腹が減っているのか?)

 そのままファレノプシスはアルトゥールの手を離さないまま食堂へと足を踏み入れる。早々に席に着いた彼女はやはりアルトゥールの予想通りの状態だったらしい。お品がきを指さしながら自分の分を注文していくと 食べるか、と視線が問いかけてきた。

「俺はいらない」

 短く答えれば少々お待ちくださいませ、と元気な声が返ってきた。野菜を刻む音や肉を焼く音が交互に聞こえてきて、良いにおいが漂ってくる。

「ほんとに……何、してたの」

「お前に関係ないだろ」

「言え」

「やなこった」

 不意とそっぽを向けば、また足を踏まれるかと内心焦ったが襲撃がくることはなかった。ファレノプシスとの付き合いはもう軽く十五年は経っていることだろう。彼女のことを知っているつもりだったが――。

(アルトのこと、わかってると思ってたよ)

 差しだされた紙はお冷を置いていたコースターだろうか。走り書きのような文字に彼女の捲し立てたい気持ちが込められているのだろう。アルトはコースターから視線を外すと肘をついて目を伏せた。深い紫色の瞳が影で更に色を濃くする。

「お待たせいたしました、日替わり定食でございます。ごゆっくりどうぞー!!」

 二人の場にそぐわない店員の元気な声が嵐のように過ぎ去っていく。ファレノプシスは何も言わぬまま定食に口をつけ始める。優しい潮の香りが鼻を擽るが、アルトゥールは水を口にしてそれを紛らわせた。
 自分が秘めていることを言うべきか、それとも言わぬ方がいいのか。もうその判断すらも分からなくなっている。
 ――自分の言葉が彼女を苦しめるかもしれないということも。

「俺さ……」

 か細く紡ぎ始めた言葉は突然の地響きによって遮られた。辺りに響き渡る悲鳴と叫び声が街の混乱を知らせる。慌てて飛び出した二人はしゃがんで身を守りながら、地面に這いつくばる人や崩れる建物から必死に逃れる人々の姿をただ呆然と見ることしかできなかった。
 揺れがようやく治まった時、ファレノプシスが呟いた。

「こんな地震……初めて」

「城に戻ろう……崩れてなければの話だが」

 城下の混乱は直ぐに兵士たちによって収拾がつくだろう。駆けだす二人は瞬く間に城への門に辿り着いた。一部分が剥がれた煉瓦を見上げて呆然とする兵士に喝を入れるとアルトゥールはいらついたように頭を掻き毟った。

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